沖縄・5 [■旅行記]
「沖縄の日本に対する感情について」(番外編・続き)
**経済と沖縄**
沖縄はこれまで長年に渡り,国からかなりの援助金を毎年受け取っている。その額は県予算のかなりの割合を占める。もし仮にこの援助費が突然打ち切られたら,沖縄経済はとても立ち行かなくなる。また,政府は沖縄に「経済特区」制度を設けて沖縄経済の活性化を促進したり,沖縄までの光通信網を整備して巨大なコールセンターを設け,内地から沖縄までの通信費は免除している。将来的にも様々な産業育成プロジェクトが計画,進行中だ。
ところが戦前からずっと沖縄に住み,戦後を見続けている親戚のオバーたちは異口同音に「沖縄がこれだけ復興できたのは,アメリカのおかげ」だと言う。具体的にどういうことかは分からないので今後調べたい。オイラが考えつくのは,戦後アメリカ政府が沖縄に多額の資金援助をしたことと,沖縄に滞在する米軍が地元に金を落とすことくらいだ。ともかく,政府から長年に渡り多額の援助金を受け取りながら,日本に恩を感じていると公言する人に,少なくともオイラはお目にかかったことが無い。
沖縄の面積は全国の約0.6%。小さい。しかし在日米軍基地の75%は沖縄にある。沖縄は非常に細長い島で,1番細い部分は数キロしかない。北部は険しい山間部が多く,開発が進んでいない地域だ。そんなわけで,比較的広々とした平地は南部と中部の一部に限られている。そして米軍が軍用地として使うのは,そういう場所なのだ。沖縄の南部,中部を車で走るとよく分かる。広々としたなだらかな土地の多くが米軍の基地となっており,美しい芝が貼られ,延々と高いフェンスが続いている。
世界中の大都市と呼ばれる経済活動が活発になされるのは場所を思い浮かべると,そこは大抵広い平野だ。沖縄も,国から莫大な援助費を受け取ることにあぐらをかいてばかりいるのではない。なんとか政府からの援助なしでやっていけるよう,経済的に自立する道を模索する動きはある。しかし,盛んな経済活動のために必要な平地の大部分を軍用地に取られているのが大きな障害になっているという厳しい現実がある。政府は何十年もの間,敗戦の負の部分をほとんど沖縄だけに押し付け続けてきた。だから,政府が沖縄に莫大な援助金を支出するのは,そうしたことに対する代償とも言えるのではないかと思う。
元来沖縄は,琉球王国として,東南アジアの様々な国々を結ぶ交易の中継点であった。いつの間にか日本に編入され,米軍の巨大な基地という足かせをはめられ,経済的な自立ができずあえいでいる。沖縄の県民所得は全国最低,一人当たりの預貯金残高も全国最低で,平均の半分以下,失業率は全国最高で,平均の倍だ。そして「ナイチャー」による資金援助,観光が県の貴重な財源になっている。これは島民にとって,「ナイチャー」に対する過去の憎しみを未だにぬぐえないでいる一方,「日本に頼らなければ経済的に立ち行かない」というジレンマとなっている。
**文化と沖縄**
何度も書いたが,元々沖縄は独立国だった。国を統べる王がおり,政府があり,法律があった。独自の文化があった。現在はどうか。明治政府の行った植民地化政策に始まり,あらゆる面で日本との同一化が今も進行中だ。今の沖縄の若者は,内地の若者とほとんど見分けが付かない。服装,髪型などの外見だけでなく,しゃべり方,考え方や,価値観といった内面も恐らくこれからもどんどん同一化が進むだろう。しかし,沖縄の若者に,「自分は日本と同一化している」という感覚はないだろう。「自分は自分の意思で,カッコいいと思うから,楽しいと思うから,お金と時間をかけてこうしているのだ」と思っていることだろう。それはそれで別に悪いとは思わない。今更琉球の民族衣装に戻るべきだとは思わない。ただし,この同一化は,単に沖縄人が日本的な要素を身につけるというだけではなく,別の面もある。
それはつまり,同一化とは,沖縄人から沖縄的な要素が失われてゆくということでもある。例えば言葉。現在「ウチナーグチ」が急速に失われつつある。今の沖縄の若者はどうか。「ウチナーグチ」も話せるが,日本語も話せるのではない。既にほとんど「ウチナーグチ」を理解せず,ほとんど日本語しか話せない状態だ。そのため,オジーオバー同士の会話が理解できない。オイラもそうだけど。
沖縄人から沖縄的な要素が失われてゆくというのはまた,食文化の面でも同様だ。一昔前の沖縄料理ブームで,内地の人がゴーヤーを使ったりするようになったが,沖縄旅行中にラジオでこんなことを言っていた。「このところ県民の食生活の東京化が進み,成人病などが増えています。もう一度沖縄料理の良さを見直しましょう」アメリカや日本の食文化が沖縄に浸透し,沖縄の気候風土に適した食材,調理法が徐々に失われていることを,沖縄に行くたびに強く感じる。日本は(特に女性)世界一の長寿国ということが時々話題になるが,その日本の中でも沖縄は長寿県だった。近年その座が他県に移り,成人病にかかる県民が増えている原因は,食文化の消失にも要因があると思う。心配だ。
**現在の沖縄**
現在内地と沖縄の人々は過去の問題をどのように捉え,感じているか。オイラの非常に限られた体験で知っていることを記す。内地の人と,沖縄の人と,2つのグループに分けて考える。まず内地の人についてだが,内地の人が沖縄の過去の歴史を知ると,どんな反応をするか。オイラがこれまで接してきた限りでは,反応は2つに分かれる。1つは,「本当に申し訳ないことをした」という反応だ。冒頭のサトウサンペイはその典型例だろう。ある本の中で,内地出身の筆者が,「我々内地の人間は沖縄の人に対してなんて酷い事をしてきたんだろう」と熱く語っているのを見たことがある。すぐ下に出てくるが,この本の中で,沖縄の過去の歴史を知っても,「自分たちはせっかく観光で来ているのに…」と言う人たちに,筆者は強い憤りを書き綴っていた。
もう1つの反応は,何も感じないタイプだ。上記の本にも書かれていたし,オイラも直接会ったことがあるが,「観光しようと思って沖縄に行ったら,戦争の悲惨な話ばかり聞かされうんざりした。こっちはせっかく観光で楽しみに来てるんだから,せっかくの気分を壊さないでくれ」というタイプだ。そして沖縄の人たちの中には,歴史認識を持たずにやって来る内地の人たちに厳しい言葉で「いかにアンタたちが酷い事をしてきたのか」説教をする人もいるらしい。これは,「歴史認識を持たない者,そのことについて後悔の念を持てない者は,沖縄に来るな」ということだろうか。オイラはそこまでするのは極端だと思うが,どうだろう。
では,沖縄の人たちの反応はどうか。オイラが小学生時代体験したことを書いたが,内地の人間に未だに過去の問題に関して激しい怒りを宿している人たちは確かにいる。実際沖縄に暮らしている親戚のオバーたちの中にも,一旦内地について語りだすと,語調が強くなり,激しい憎しみの感情を露わにする人がいる。
一方で,過去にはそれほどこだわらない沖縄県民もいる。「せっかく観光で来ているのに暗い話をするな」という内地の人の意見に完全同意する島民も確かにいる。例えば観光,商業など,様々な形で内地の人々を沖縄に誘致する活動を積極的に行っている人たちなどは,過去にはそれほどとらわれていない人たちではないかと思う。憎しみを押し殺して,毎日内地の人とニコニコと接することは普通できないはずだ。オイラとしては,こういう人たちが今後も増えて欲しい。
中国や韓国で反日デモが起きるのを見るたび,確かに日本が悪いことをしたと相手が信じているのは事実として,いつまでも声高に日本を非難したり,首相の人形や日の丸に火をつけたりするやり方を見ると,もういい加減にしてくれないかと思う。「戦前の日本がいかに我々に野蛮なことをしたか」叫びながら,日本大使館や,日本料理店を襲撃したり,日本人を取り囲んで暴行を働いたりするのは矛盾ではないか。ああいうことをして,「本当に申し訳ありませんでした」という日本からの真摯な態度を引き出せると思っているのか。同じように,過去のことで今も内地の人に憤りを露わにしている沖縄の人を見ると,一体どうすればいいのだろうと考え込んでしまう。
**祖国復帰と沖縄**
ここで,旅行中にI井さんから質問された,「沖縄は日本に復帰できて嬉しかったんですか」という点に戻る。オイラの個人的な意見では「No」だ。恐らく沖縄県民の総意は割れるのではないかと思う。時間の経過と共に,確実に戦争体験者は減ってゆき,日本に対して厳しい見方をする人は減るだろう。基地問題などで,一時的に内地に対する感情が悪い方に振れることがあるとしても,長期的に見れば,確実に日本に対する感情は改善されると思う。またそうあって欲しい。
沖縄問題について扱った本の中で,沖縄県出身の筆者はあとがきにこう書いている。「沖縄県民の心情を一言で言うならそれは,『日本人になりたくて,なりきれない』ということだ」と。沖縄の人に向かって,「沖縄は日本の一部ですよね」と言うと,沖縄の人はムッとして,「いや,沖縄は元々琉球王国だ。日本ではない」と答える。逆に「沖縄は日本ではないですよね」と言うと,「いや,沖縄は日本の一部だ」と答える,というのだ。確かにこれは沖縄県民の微妙な心情をよく言い表していると思う。戦後,沖縄がアメリカに占領されている間,沖縄の人たちの間に,「祖国(日本)復帰」の願いが高まったのは事実だ。ではそれは,沖縄県民が純粋に再び日本の枠組みに戻りたいという強い願いの表れだったのか。現在に至る県民の内地への感情を考えると,そうではなかったと思う。
終戦直後の県内の産業は少なく,米軍基地での驚くほどの低賃金での労働に就かざるを得ない状況がしばらく続いた。米国政府は占領統治下の沖縄に対し,強制的に土地を接収し,安い賃貸条件を結び米軍への土地提供を求めようとした。しかし,当然のごとく多くの住民がこれを拒んだ。そのため昭和28年,米国は「土地収用令」により,強制的に島民から土地を取り上げるようになる。こうして島民と米軍との溝はどんどん深まった。更に米兵による戦時中から続く島民への暴力,島民の命を奪う事件,性的暴行,事故が多発するが,加害者が正式に罰せられることはほとんどなかった。そして米軍による土地接収や犯罪の被害者には今日に至るまでまったく保障がなされないか,きわめて僅かな保障しか受けていない。こんな状況が今日までずっと続いてきたのだ。
終戦から祖国復帰までの期間の島民がどんな心境だったか,この点についての資料を探せなかったので,これはまったくオイラの想像だが,本土復帰を熱望した沖縄の人たちは,日本の一部に戻ることではなく,「戦争に負けて,アメリカに占領されている」という状況からの脱却を望んだのではないか。占領統治にある間に,アメリカから受けた様々な仕打ちからの開放を望んだのではないか。そして,「そのために本土復帰を!」という風潮になったのではないか。
そしてついに1972年(昭和47年)本土復帰。本土との経済格差を解消するために国体や海洋博などのイベントが盛んに行われるようになる。ところで,元来沖縄には,「海の彼方から豊かな実りと幸せをもたらしてくれる理想郷がある」という信仰がある。恐らくこの信仰心が,本土により企画された様々なイベントとカブったと思う。初めのうちは大歓迎だった島民も,本土による土地買占め,物価高,自然環境破壊が進んだことに大きなショックを受けた。また,こうしたイベントで上向きかけたかのように見えた沖縄経済だったが,これらのイベントが終わるたびに新たな地元企業の倒産,失業を経験し,「こんなはずじゃなかった…」という思いをした人は多かったはずだ。
祖国復帰が実現した後も米軍の基地は県内に残され,現在も県面積の11%が米軍基地となっている。そのため,祖国復帰運動後は基地返還運動が続くことになるが,復帰後返還された基地は全体の15%で,返還されてもその土地を自衛隊が使用するというケースもあり,なかなか県民の願うようにことは進んでいない。もっとも,軍に土地を貸したり,軍関係で生計を立てている人も多いから,そう単純なことでもない。ともあれ沖縄県は官民問わずこれまで長年に渡り様々な形でアメリカや日本政府に対し,基地の返還を要求し続けてきたが,県民の生活実態や気持ちはなかなか政府に伝わらないようで,成果はほとんど上がっていないのが実情だった。
そんな中,1995年に米兵による少女暴行事件が発生する。それまでくすぶっていた県民の不満がこの時一気に爆発し,それまでに無いような非常に大きな基地返還要求運動へと発展していった。政府もようやく(それまでと比べれば)本腰を入れてこの問題と取り組み始め,これが在沖米軍基地移転問題に関して米国とも具体的な交渉を行い,真剣に議論するきっかけとなり現在に至る。ところがこの返還運動が始まりだして間もない頃,新聞の社説でどこかの国の大使を務める日本人がこんなことを書いていた。「今沖縄で基地返還運動が盛り上がっているが,車のことを考えてみるとよい。たまたまエンジンに近いからといって,ボンネットが熱い熱いと騒いではいけない」
もしかしたら筆者の意図をオイラは受け取り損ねているのかもしれないが,これは「沖縄よ,そうカッカして騒ぎなさんな」ということだろうか。そうだとすれば,こういう考え方が蔓延しているからこそ,これまで基地問題が一向に進展しなかったのだと思う。あることを実際に経験したか,していないかは,その人の考え方に大きな影響を及ぼす。「見ると聞くとでは大違い」だ。こういう記事を目にすると,日頃非常に温厚なオイラでも,「1ヶ月でも家族と基地の側に住んでみろ,ふざけるな!」と思ってしまう。
「今の時代まで沖縄が独立国として存在できるはずがない。確かに無理やり日本に組み入れられ,問題もあったが,中国やロシアの領土になっていたかもしれないのだ。結果的に日本の一部になってよかったじゃないか」とか,「いや,今後の経済発展を考えると,日本じゃなくて中国に組み入れられていたほうがよかった」とかいう意見も聞く。「どっちが得か」みたいな話だ。
これはまったくの余談になるが,戦後の沖縄は1972年の本土復帰まで米軍による統制が続き,自動車はアメリカと同じ右側通行となった。本土復帰が実現した後も右側通行がしばらく続いたが,1978年の7月30日に,日本と同じ左側通行に戻された。オイラの家族が東京に引っ越すため,那覇港から東京行きの船に乗った日の深夜12時のことだ。この右側通行への変更は当時「ナナサンマル」と呼ばれ,学校でもポスターのコンクールが開かれるなど盛り上がっていた。だから車線変更後もしばらくの間,沖縄では左ハンドルの国産車が走り回っていたのだ。世界的に見れば,左側通行をしているのは,日本以外ではイギリスとオーストラリアくらいのもので,非常に少数だ。当時沖縄では,「沖縄が日本に合わせるんじゃなく,日本が世界に合わせろ」という人が多かったらしい。
**これからの沖縄**
この少女暴行事件をきっかけに盛り上がりを見せたのは,基地返還運動だけではない。それまでもあったのだが,沖縄独立論もまた高まりを見せた。「そもそも沖縄が日本の一部だからこそ,こういう問題が起こるのだ」というわけだ。では,沖縄が日本から独立したらどうなるのだろう。”IF”の世界について記す。先ず考えられるメリットから。
今でも沖縄には,真剣に「沖縄独立すべし」と唱える人がいる。「沖縄の経済的自立」に強く賛同する人たちの中には,先ず経済的な自立を成したら,最終目標として,沖縄の完全な独立を念頭においている人がいるかもしれない。日本から独立したなら,安保条約に従って米軍の基地に広大な面積が取られる必要がなくなる。広大な敷地を様々に有効利用することができるようになる。今はインターネットの普及のおかげで,必ずしも都心にオフィスを構えなくてもデータのやり取りで済んでしまう職種が増えた。そんな内地のある企業は沖縄にオフィスを移し,良い環境の中でメリハリをつけ,より質の高い仕事ができるようになったと聞く。(日差しは強いけど,夏の気温そのものは東京より低いくらいになったし,スギ花粉も飛ばないし)会社ごとの移転はできなくても,大企業なら,沖縄に移せる特定の部署というものもあるだろう。現在沖縄県で内地のそういう企業の誘致活動をしているようだ。
更に,琉球王国時代のように,東南アジアの国々との様々な交流,経済活動が盛んに行われるようになるだろう。また,離島にはまだまだ人の手がつけられていない美しい自然が多く残されているし,世界一とも言われるスキューバのスポットもある。リゾート地として観光の分野も期待できるだろう。結果として様々な産業の機会が開け,雇用が生み出され,全国で最悪の失業率が解消されるだろう。県の学校を卒業しても,地元に仕事がないので,仕方なく内地に移る若者が減るだろう。何より今の飼い殺し状態から,「ちゃんと自分たちの力で立っている」という自覚から来る自信と誇りを取り戻せるようになるだろう。
では,デメリットはどうか。「沖縄が独立し,米軍の基地がなくなったら,中国軍に占領される」-内地でも最近よく聞かれるようになったが、沖縄在住の親戚のオバーたちはもうずっと何十年も前から本気でそう考え続けている。沖縄最西端の島,与那国は台湾との距離が120Kmしかなく,近海には,中国の軍艦や航空機がうようよしている。これは主に台湾を意識してのことだろうが,尖閣諸島に関して,中国,台湾は「アレは自国の領土だ」と主張している。豊富に眠る海底資源がこの問題とからんでいるので,解決は容易ではないだろう。
日本は,「尖閣諸島は沖縄県石垣島市に帰属する」と主張しているから,もしこの主張を受け継げば,領土問題に関して,今まで日本政府に任せていた非常に難しい問題について,独立国として中国,台湾と渡り合わねばならなくなる。上に挙げた独立により得られる様々なメリットは、沖縄に安全平和が保証されているのが大前提。「沖縄は平和で安全だ」というイメージが広く定着しなければ、これらメリットは単なる夢物語でしかない。また,沖縄に駐留する米軍基地の移設問題が遅々として進まないのは,沖縄のある位置が関係しているという点がよく指摘される。つまり,米軍の兵力が東南アジアのこの位置にあるからこそ意味を成すのであって,たとえ同じ兵力,施設を日本の他の場所に移設しても,意味を成さないというわけだ。沖縄の日本からの独立と,在沖縄米軍の撤退・・・どちらが実現の可能性が高いのだろう。オイラにとってはどちらも夢物語のような気がする。ともかく沖縄独立論は,メリットが非常に大きいと思えるからこそ出てくる。現在の悪い状況がなくなり,もっと素晴らしい状態になると期待するわけだ。今よりももっと良い状態になりたいと願うのは当然のことだ。しかし問題を1つ解決したと思ったら,新たな問題が生じるというのは世の常だ。日本の米国追従路線からの決別にしてもそうだが,沖縄が独立したら,突然難しい国際問題の矢面に立たされ,厳しい現実を思い知らされるだろう。沖縄の独立は決してバラ色一色というわけではない。自由が得られる反面,追うべき責任も増え,イバラの道ともなるだろう。
なんだか悲観的なことばかり延々と書いてしまったので,最後に楽観的なことについて。沖縄県民の気質を一言で表現すると,南国気質,つまり,「おおらか」,「のんびり」,「楽天的」と説明されることが多い。観光に訪れる内地の人が,自然環境,独特の文化と共に,島民の「マッタリ感」を評価してくれることが多い。沖縄県民は元来争いを好まない,平和的で陽気な人種だ。事実一時期の間,琉球は武器を一切持っていなかったという。そんな気質があるからこそ,過去の問題に関してこの程度の騒ぎで済んでいると言えるのかもしれない。そしてこの気質が時間の経過と共に良い方向に作用し続け,日本との友好関係が深まることを切に願う。
**ながいあとがき**
人は与えられる情報によって,考えが変わる。実はオイラはかなり長いこと「アンチナイチャー」派だった。元々のルーツが沖縄なので,埼玉県民歴が非常に長いにもかかわらず,「自分もウチナンチューのはしくれ」だと今も思っている。なので沖縄の都合を中心に物事を考えていた。なぜアンチになったかと言うと,具体的に内地のどこが嫌かと問われて自分でちゃんと説明できることは非常に少ないというのが実情であった。一番の理由は,「沖縄の親戚,友人,知人がそうだから自分もなんとなく」という感じ。大した根拠を知ることもないままそういう雰囲気の中で育ち,自然とそうなってしまった。
しかし,客観的にいろいろ調べていくうちに,沖縄にかかわる内地の人すべてが沖縄に酷い扱いをしているわけではないということがだんだん分かってきま。「日本は大戦末期,沖縄を捨石にした」というのは,本土の学者先生方も述べているし,本土の新聞,テレビでも大抵そういうことを前提にしている。だからそういう認識は間違いではないとして,では「大戦中の日本軍の行動=沖縄にとっての悪」かというと,必ずしもそうとばかりは言えない。
例えば戦艦大和の海上特攻がある。大和を送り出す側,乗組員それぞれに様々な思惑があったことと思う。「日本の一億玉砕の先駆けとなれ」とか,「アメリカが日本に上陸する時間を少しでもかせげ」という思いがあったようだし、乗組員の中には,「沖縄にいる米兵に一泡吹かせてやりたい」と考えた人もいたようだ。様々な思惑があったことはともかくとして,海軍が10隻の艦艇を沖縄に向かわせ,結局帝国海軍の象徴である大和を含む6艦と共に,約4,000人の日本兵が沖縄に向かおうとして,その途中で海底に沈んでしまったことは事実だ。そしてもし沖縄に到達できたなら,浅瀬に乗り上げて固定砲台となり,砲弾の続く限り米軍に攻撃を加えるつもりだったとも言われてる(技術的にそれは不可能だという話もあるらしいけど)。
また,終戦まで九州の各基地から沖縄方面に向けて特攻機が出撃し,鹿児島県だけで4,000人以上の若者が命を落としたことも事実である。本文中に疎開船が沈没してしまったことを少し書いたが,集団疎開はその後も続けられ,結局日本政府は沖縄県民を,本土に6万人,台湾に2万人疎開させている。また,これも本文で触れたが,玉砕直前に,わざわざ電文を送り,沖縄の人たちがどれほど尽力したかを訴えた司令官もいる。ここに挙げた事例すべてが「沖縄の人たちのために」という100%純粋な動機からなされかどうかは別としても,結果的に沖縄に係わる形で命を懸けた本土の人は大勢いる。また,戦後も沖縄の復帰,復興のために尽力した本土の人は大勢いる。嫌いな相手を糾弾することばかり考えていると,とかく相手のした悪いことばかりに目が行き,相手のした良いことには目が向かなくなりがちだ。沖縄のアンチナイチャーの方々に,そういう部分にも目を向けて欲しい。
匿名掲示板でも,沖縄関係のスレッドがある。沖縄の人,内地の人それぞれが同じスレッドにいろんな書き込みをしている。沖縄の人は,有史以来,内地からどれだけ酷い事をされてきたかということを不満に思っていて,内地の人間に一言言ってやりたい。ところが内地の人は,過去の沖縄にどんなことがなされてきたのか知らず,南国のリゾート地というイメージ(飽くまで一般論ですが)。こういう非常に大きなギャップを抱えながら,直接匿名掲示板上で意見を交換し合おうとするから,かみ合わないことが多々ある。だんだんと文章が感情的になってゆき,最後は互いに相手の短所(と思える部分)をあげつらい,激しく罵り合うという不毛な結果になってしまうことがしばしばだ。気質には表と裏があり,沖縄は「南国気質」と書いたが,例えば「のんびり」とか,「おおらか」というのは,「トロい」とか,「だらしない」とも言える。そしてこれは内地の気質に関しても同様で,「よく言えば○○だけど,悪く言えば○○」と表現できる。
沖縄のスレッドを見る内地の人のほとんどは沖縄に興味を抱いて掲示板を見始めたのだと思う。それが,そういう激しい非難合戦の部分だけを見て,「沖縄の人って,ニコニコしてていい人っていうイメージだったけど,これが本性なんだ。沖縄が嫌いになった。もう行くのやめよう」と書き込まれたりする。沖縄に好意的だった人が,掲示板を見て沖縄嫌いになってしまうのは悲しい。
匿名掲示板で,日本と沖縄の歴史について冷静な話し合いがなされることは極めて稀だ。中には冷静な書き込みを試みる人が沖縄,内地双方にいるが,そういう人たちの書き込みは,たちまち感情的な,あるいは面白半分の書き込みで覆い尽くされてしまう。そうした状況での沖縄側の書き込みのほとんどがただ単に「ナイチャームカつく」とか「お前ら謝れ!」とかになってしまう。そして,それに対する内地側の言い分はこういうものだ。「この長引く不況の中,我々の血税をどれだけ沖縄に注ぎ込んでると思ってるんだ。いつまでも過去のことで騒ぐな」,「そんなにツベコベ言うなら,金を返せ。文句があるなら,さっさと日本から出て行け。言いたいことがあるなら,自分たちでやることをやってから言え」。
「過去のことをいつまで言うつもりだ」,「莫大な金をもらっておいて何言ってんだ」というのが,内地側の感情的な攻撃をする人たちの代表的な意見だ。もっとも最近は掲示板を見ていないので新たな展開があるかもしれないが。まず「過去のことをいつまで言うつもりだ」という意見についてオイラに言わせてもらえば,沖縄に住む人間にとって第二次大戦は決して過去のものではない。未だに現在のものである。沖縄の人は先祖を非常に大事にします。先祖崇拝があるくらいである。先祖代々の土地,家,墓が目の前に残っているのに,そこが軍用地として接収されたまま立ち入ることができず,精神的な仮住まいを続ける人,様々な分野で広大な軍用地という壁に阻まれ行き詰まりを感じる人,在沖縄米軍の事件,事故に巻き込まれ,ほとんど保護を受けることなく,及び腰の日本政府に怒りを募らせる人がいる。また,倒産,リストラによる生活苦,内地への出稼ぎ…こういった本土でもごくありふれている問題さえも,敗戦の負の部分が押し付けられている故のこと(少なくとも本人はそう考えている)というケースがたくさんある。沖縄から遠く離れた地で,活字や映像でそういう場面を時たま目にしても,すぐ現実に意識が向いてしまうことだろう。ほんの数秒思いを致すことと,何十年も厳しい現実と向き合って生きていくこととでは,大きな開きができるのは当然だ。敗戦の苦しみを今も実感し続ける人にとって,そういうハンデのない人からの「過去のことをいつまで言ってんだ」という言葉は,とても受け入れる気持ちになれない。
もう1つ,「莫大な金をもらっておいて何言ってんだ」という意見については,これは日本とアメリカの関係とよく似ていないだろうか。日本は戦後,アメリカの軍事的,経済的な手厚い保護の下,急速に回復し,先進国の仲間入りを果たすことができた。特に戦後しばらくの間は,アメリカが軍事的に保護をしてくれたおかげで,持てる力を経済発展につぎ込むことができた。この意味で日本はアメリカに多大な恩がある。少なくともアメリカはそう考えている。では,だからといって広島,長崎のことをなかったことにできるだろうか。アメリカ側は,「原爆投下によって戦争を早期に終結させ,米兵への被害を最小限を抑えることができた」と説明する。「アメリカからは莫大な援助をしてもらっているから」ということで,この説明で納得して済ませることのできる日本人はどれくらいいるだろうか。原爆を投下しなければ,あの戦争は本当にまだまだ続き,米兵の被害は本当に増えたのだろうか。原爆投下の正当性は当のアメリカ国内でも議論になっているくらいだ。第二次大戦中の沖縄作戦の最高責任者,太平洋艦隊司令長官のニミッツは,「日本を無条件降伏に追い込むのに原爆を使う必要はなかった」と公言している。そもそも非戦闘員への無差別爆撃は国際条約違反だ。当時の日本政府はこのことでアメリカに厳重抗議を行ったが,有名な東京大空襲をはじめ,京都奈良以外の日本の都市は満遍なく爆撃されたと言ってもいいと思う。結局連合軍の無差別爆撃で多数の日本人が各地で犠牲になった。ではこうしたことに関して,アメリカ側から「我々は戦後の日本にたくさんの援助をした。シャラップ!」と言われて,特に遺族の方は「ああ,それもそうだ」とすんなり納得できるだろうか。人口の3割が戦死した沖縄では,島民のほとんどが戦争で親戚の誰かしらを亡くしている。「莫大な金をもらっておいて何言ってんだ」という言葉で納得せよというのは無理がある。
要約すると,日本は戦後アメリカから多大の援助を受け。沖縄も戦後日本から多大の援助を受けた。この点で規模の差はあるものの,日本と沖縄は似ている。ただし異なるのは,日本がアメリカからの負の部分をほぼ全て沖縄に押し付けて,ひたすら自らの回復と成長に邁進することができたという点だ。 アジア各国では,ジャパニーズより,オキナワンの方が圧倒的に受けが良い。金だけ渡しても,敬意は得られない。
最近,中国や韓国の反日活動がよくニュースに出てくる。デモを行う民衆は日本に対し,口々に「謝罪せよ」,「賠償せよ」と訴える。長年「アンチナイチャー」だったオイラだが,このデモは不快に感じる。ああも感情的に詰め寄られると,気持ちが守勢に回ってしまい,殊勝な気持ちで日本がこれまで中国や韓国に対してどんなことをしてきたのか考えようという気が失せてしまう。「お前たちは我々にこんな酷い事をしてきたのだ!」と,相手を一方的に非難してやりこめようとするやり方では,当人が期待するような成果は得られず,かえって売り言葉に買い言葉になってしまうのは当然の心情だと思う。相手の行った悪い点を指摘して,優位性を保とうとする人,まず自分の側が優位な状況を構築してからでないと,話し合いを始めようとしない人を時々見受けることがある。自信のなさの裏返しなのか,精神的に非常にさもしい感じがして,親しみを持つことは難しい。内地のことを厳しく非難する沖縄の方にもそのことを考えてみて欲しい。
前述の通り,第二次大戦中,沖縄島民たちは,内地の人に認めて欲しいという一心で,ありとあらゆる協力を惜しまなかった。この労をきっと内地の人々は評価し,認めてくれ,沖縄に対する偏見は無くなると期待した。残念ながら,沖縄が戦中にしたことが評価されることはほとんどなかったが,それでも当時の島民たちの願いはほぼ達成されつつあるのではないかと思う。つまり,沖縄に対する偏見は当時と比べ,確実に減っており、そういうものが存在することさえ知らないという人が増えているのではないだろうか。恐らく,沖縄の先人たちの内地の人たちとも仲良くしたいという願いはずっと存在し続け,その願いが顕在化したのが大戦中の出来事ではないかと思う。戦中の島民の思惑通りにことが進まず,内地に対する悪感情が沸き起こってしまったのは仕方がないとしても,戦中,「琉球人」と呼ばれて蔑まれていた状態から,今では観光に沖縄を訪れる人が大勢いて,沖縄を好意的に見てくれる人がたくさんいる。米国のテロ,イラク戦争,SARS問題にもかかわらず観光客数は順調に増え続け,500万人を突破した。これは30年前の10倍に当る。先人たちの願いがここまで進展した。きっと先人たちの長年の努力がもたらした成果ではないかと思う。先人たちは「琉球人」と罵られながら,それでも偏見をなくすために軍に協力して命を危険にさらすことを厭わなかった。先祖が願い続けてきたこの流れを今の我々が止めてしまってはいけない。
・・・( ̄  ̄;) うーん
知らない事や考えもしなかった事実があるんですねー。
「戦争」が無かったならどれだけ幸せだったでしょう?!
お金がなくても皆が信頼しあって生きられたら、どこに居たって何とか生きられるのに・・・今はお金が有ったって、どこに住んでも落ち着かない。
どこまでも澄んでいる沖縄の海・・・人々の間もそうなってほしいなぁ。
by ばう (2005-07-11 12:29)
激しく同意ですね。
重いテーマに付き合ってコメントまでいただき,
ありがとうございました。
次回から,このプログを立ち上げようと思ったきっかけになった
記事をアップしていきます。
by とり (2005-07-11 17:14)