高校生日記・08 [■旅行記]
クブラ・バリという大岩の近くに釣りのスポットがあり、食糧確保によく兄さんと出掛けた。
ヒメダイ、イシダイ、カワハギ、イセエビなど、いろいろ釣れるのでサカナには事欠かない。
「イセエビがたくさん取れすぎて、食べきれなくて捨てた」などという、
こちらの感覚では想像を絶するようなこともあるのだとか。
その釣りのために、浜で餌用のヤドカリを集めるのもオイラの大事な役目だった。
沖縄のサカナは、真っ赤だったり、緑だったり、真っ青だったりで、釣ってる時はキレイでいいのだが、
この宇宙人のような色のサカナがそのままビチビチと汁物の具になると、
普通の赤身、白身しか食べつけないオイラにとっては勇気が要るのだった。
与那国の泡盛(どなん)の瓶がクリーム色の葉っぱで覆われているのを見たことあるでしょうか?
こんなのですが。
夜になると、兄さんは台所のスミで「どなん」のビンにクバの葉を覆う作業をしていた。
1本につき200円増しになるのだ。
裏山から刈ってきたクバの葉が廊下の一角に高さ1mくらい積み上げて干されていた。
よく乾燥したら、雑巾で拭いて、茎を取り除き、葉の部分でビンを巻いて縛り上げる。
オイラも手伝ったが、ビンに巻こうとすると葉がすぐに裂けてしまい、非常に難しいのだった。
酒瓶以外にも、兄さんはこの乾燥したクバの葉を使っていろいろ玩具を作って売り物にしていた。
夜遅い時間になってから、兄さんは青年館に郷土芸能?の練習に出掛ける。
オイラも時々親戚の子供たちと見に行った。
青年館はコンクリート製の二階建てで、後ろにいすがたくさん並べてあり、
大勢の人が見学に来ていた。
兄さんは前列で5~6人の人たちと三味線を弾いていた。
我々が見学に来たのに気がつくと、ピースをしていた。
ちょっと言葉について。
オイラは小学校時代の約5年間那覇で生活していたが、
親戚、クラスメイトなど周囲の人たちが使う方言は、同一のものだった。
ところが、当時一緒に暮らしていた父方の祖母だけは唯一の例外で、独特の言葉を使っていた。
祖母は標準語も我々の使う方言もあまりしゃべれない。
誰かに呼びかける時の、「おい」とか、「ねえ」に相当する言葉は、「エー」なのだが、祖母だけは「ヤー」と言った。
他にも例えば、「ハゴーサヌ」(汚い)のことを祖母だけが「アーダリー」と言っていた。
オイラはこうした祖母だけが使う独特な言葉を、
「長老だけが使える特別な、尊い言葉」なのだと思い込んでいた。
「神聖な長老言葉」だから、オイラは決して使ってはいけないのだと自分ルールを設け、しっかりと守っていた。
ところがこちらに来て驚いた。
島の子供たちが神聖不可侵の言葉を普通に使っているのだ。
まだ小学校にも行っていないような子供たちが普通に「ヤー」などという言葉を使っている。
なんのことはない。
祖母が使っていたのは与那国の言葉だったのだ。
沖縄は島の数だけ言葉があり、更に1つの島でも地域によって言葉が変化する。
本島も、南部と北部ではコミュニケーションが取れないほど異なるのだが、
そんなことを知らないオイラにとって、祖母の使っていた言葉を普通に使っている島の子供たちには、
ものすごい違和感を感じたのだった。
与那国滞在中、兄さんからいろいろ話を聞く機会があった。
例えば、東京から与那国まで1番安上がりで行く方法。
東京から与那国まで、一升瓶2本で行けるのだと教えてくれた。
「東京~那覇まで船を出している知り合いがいるので、一升瓶持って『よろしく』と言えば、那覇まで行ける。
那覇から与那国までは一升瓶持って親戚の船に乗ればいい。簡単サ」。
島のゆるゆる事情も教えてくれた。
沖縄本島から遥か遠いこの島は、本当にゆるゆるだ。
沖縄本島ですらゆるゆるなのだから、内地からすれば、もう、なんというか、想像を絶するほどゆるゆるなのだ。
ある日島で検問があり免許証の提示が求められた。
1台の車が止められ、「免許証拝見」と言われて差し出したのは、船舶免許だった。
警官から「車の免許証を見せてください」と言われた男性は堂々と、「免許はこれしか持ってない!」と答えたのだとか。
沖縄本島の警察署から新しくやってくる警官は、
「自分がこのタダレきった島の規律を正す!」と正義感に燃えているのだが、島の長老から、
「我々は殺人しない。人のモノ盗らない。誰に迷惑をかけているわけでもないのに、
なんでアンタはそんなにヤカマシク言うのか」と説教されてしまい、
島のあまりのゆるゆる王国の惨状を毎日目の当たりにし、すっかり嫌になってしまうことが多いのだとか。
他にも警察関係のゆるゆる話をいろいろ聞いたが、 とてもここには書けない。
あっという間に楽しい日々は過ぎていき、そろそろ帰る日が近づいてきた。
親戚のオバーは、オイラが1度貨物船に乗ればもう懲りて、2度と乗りたいなどとは言わないと思っていたらしいが、
オイラは那覇に戻る時も是非貨物船に乗せて欲しいと頼み込んだ。
「なんとモノズキな」と内心呆れていたと思うが、ともかく帰りも貨物船に乗せてもらえることになった。
ところが肝心の船は台風の接近で石垣から那覇に引き返してしまった。
それから2日後、オイラはヒコーキで那覇に戻ることになった。
13:30発 14:05着の与那国発石垣行き706便の南西航空。
兄さんにジープで空港まで送ってもらい、みんなに挨拶して、ツインオッター(19人乗りのプロペラ機)に乗った。
座席は左側に一列、右に二列ずつという変則的な並び方で、オイラは前から3番目で左側の窓席だった。
操縦室のドアが開いていて、パイロットが離陸の準備をしているのが見えた。
このまま操縦の様子を見ることができるのかと思ったが、出発前にスチュワーデスが閉めてしまった。
滑走路に入ると少しバックした。
短い滑走路を目いっぱい使うようだ。
ブレーキをかけた状態でエンジン音が甲高く響き、機内が揺れる。
ブレーキを解除したヒコーキは、あっという間に離陸。
眼下にはサンゴ礁の緑色の海。
しみじみと与那国とお別れだと思った。
水平飛行は20分ほどで、すぐ降下開始。
台風の影響か、石垣空港への着陸はものすごい揺れ方で、パイロットが横風と格闘しているのが機内にモロに伝わるのだった。
20分後の那覇行きに乗り換え。
ジェット機(多分737)はやっぱり乗り心地が段違いだった。
鈍行に乗り続けることに懲りてしまい、鉄道熱がすっかり冷めてしまったところで乗ったヒコーキの体験は、
「やっぱヒコーキ、カッケー!」と、ヒコーキに戻ることを決定付けるものになったのだった。
こうして那覇に戻り、東京行きの船が出るまでの数日間を楚辺の元の自宅と、母方の親戚の家で過ごした。
ある親戚のオバーが、「会社でディズニーランドに行くための一等室のチケットが余っているからこれを使いなさい」
と渡してくれた。
ところがイザ乗船手続きをすると、予約がどうのこうのと言われ、2等寝台になってしまった。
(乗船後、「2等寝台はない」と言われ、結局2等になった)
待合室で乗船案内を待っていると、中部の親戚がわざわざ来てくれて、
「これは、○○が作ったサーターアンダギー。これは私が作ったアンダギー。それからこれはお弁当」と、いろいろ頂いた。
サーターアンダギーは、「まんまるドーナツ」とか、「爆弾ドーナツ」などの名前であちこちで見るようになった。
アンダギーは意外と奥が深くて、パクッと割れてチューリップとか、人が笑ってるように見えるのが、上手にあがったものとされる。
そして大きいものほど、表面を焦がさず、中まで火を通すのが難しい。
この時港にアンダギーを届けてくれたオバーは名人で、グレープフルーツより更に一回り大きいものを作るのだった。
オイラの母は子供の頃からアンダギーを作っているが、「これ以上の大きさはムリ」と、ミカン大までのものしか作らない。
名人のアンダギーは特別だから、オイラが船で食べたら大ひんしゅくだ。
家に入れてくれないかもしれない。
何から何まで本当に有難いことだ。
何も出来ない高校生のオイラ1人のために、なんでここまでしてくれるのか。
沖縄滞在中、何から何まで本当にお世話になりっぱなしだった。
お世話になったと言えば。
出発前、持参して行ったお金はギリギリで、超緊縮財政だったのだが、行く先々で親戚のオバーたちからお小遣いまで頂き、
自宅に戻った時には、すごい額のお金が手元に残っていた。
そのお金で当時流行っていたロードマンを購入し、バイクに手を染めるまで約4年間乗り倒したのだった。
乗船の時間になり、すぐに甲板に上がって親戚のオバーたちに手を振った。
約7年後、この時に元気に手を振ってくれたオバーと再び沖縄で再会することになるのだが、
その時には病に倒れて既に意識がなく、そのまま帰らぬ人となってしまった。
たくさんの恩を受けたのに、何一つお返しをしないままだった。
甲板には大勢の乗客たちが出ていた。
海のよく見えるデッキでのんびりと横になっている人、上半身裸で寝ている人もいた。
沖縄から戻りの船なのにまだ焼き足りないのか。
特に日没の時間にはたくさんの人が甲板に出ていた。
当時のオイラは夕方の太陽の美しさの価値を知らなかった。
みんなが美しい美しいと言うので、そうなのかな。と思っていた程度だった。
だからついでがあれば日没をひょいっと眺めることはあっても、
日の出を見るためにわざわざ早起きをする人の気が知れなかった。
今はわざわざ夕焼を撮るためだけに出掛けることもあるのだから、随分変わったものだ。
自宅周辺で夕陽を撮るようになって、場所探しが如何に大変か知った。
船上での撮影の場合、障害になるものがあるとすれば雲だけだから、
周囲の背景もうまく絵に取り込むテクを持たぬオイラにとって、船での撮影は絶好の条件なのだ。
そう知ってから尚のこと船に乗りたいなぁ。と思うようになったが、
この那覇→東京の船旅を最後に、船で夜/朝を迎えることはなくなった。
オイラが船で長距離移動するとすれば、東京-沖縄なのだが、ヒコーキの格安チケットが入手できるようになり、
2日間船内での食費のことを考えるとあまりメリットがなくなってしまったためである。
出港から2日後、朝起きて甲板に出てみると、既に東京湾内に入っていた。
キリで真っ白の、寒い朝だった。
これで旅行記は終わりです。
長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
最後に、この旅行中お世話になった大勢の方に謝意を表します。
大作の完稿、お疲れ様でした。
とりさんが「うちなー」だったからこその旅ですね。
地縁血縁もない「やまと」の人間が単身乗り込んでも、このようなめくるめく大冒険にはならなかったことでしょう。
(景色や海がきれいとか、表層部には触れられても)
色々な意味で原点の旅の様子をお伝えいただきありがとうございました。
by tooshiba (2008-06-09 13:51)
面白かったです。
沖縄の人々のおおらかさが、こちらの気持ちまでゆるゆるにしてくれて、
貴重な旅行記でした。
by 赤と青 (2008-06-09 15:48)
楽しめました!!
経験はまったく違いますが、自分が高校生だった頃の様子と被った思いで拝見致しました。
by hiro78 (2008-06-09 16:40)
とっても楽しかったです^^
古い日記をたまに読み返してみるのも面白いかもですね。
by miffy (2008-06-09 17:42)
沖縄の人の温かさがよくわかりました。
私も、また沖縄を旅行したいと思ってます。
私はこんな大作はとてもかけません。
改めてとりさんのすごさが伝わりました。
by masa (2008-06-09 18:04)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■tmsさん
nice! ありがとうございます。
■xml_xslさん
nice! ありがとうございます。
■tooshibaさん
確かに親戚だから、というのは大きいと思います。
長々とお付き合いありがとうございました。
■赤と青さん
どうもありがとうございます。
ゆるゆるすぎも困りものですけども。^^;
■monさん
nice! ありがとうございます。
■hiro78さん
もう戻れないあのコロ。懐かしいですね^^
■miffyさん
おお、旅行記のみならず日記もつけておられるのですか!
昔の日記は宝物ですね。
■masaさん
オイラのは無駄に長いだけですから~^^;
また沖縄行く事ありましたら、レポ楽しみにしてます^^
by とり (2008-06-09 20:53)
とても楽しく拝見させていただきました。
与那国の景色、人の温かさ思い出しました。
ここには書けませんが、
ある人からお巡りさんの楽しい?お話も伺って
そのことも思い出しました(^^
どなん...燃えました(^^;
キレイな炎...。
by sak (2008-06-09 21:22)
楽しかったぁ〜(^_^)
19人乗りの飛行機…すごいですね
横風と戦うパイロットの姿が見えたら…めちゃめちゃ不安です
グレープフルーツより大きなアンダギー!!
食べたいですねぇ〜
そしてロードマンも懐かしかった〜です!
by まめ助の母 (2008-06-09 22:17)
もっと読み続けていたかった・・・
そんな気分です。
ありがとうございましたm(_ _)m
by an-kazu (2008-06-09 22:50)
こちらこそ、素敵な思い出話をありがとうございました!
宇宙人のような魚が~のあたりは、勇気がいるどころか
絶対に食べません!無理!
口にするものに対して、結構、保守的なんです、私。
by pica (2008-06-09 23:01)
こんにちは。
素晴らしい経験をされたからこそ今の気持ちになれるんだと思いました。
でも、鉄道に関してはこの旅で経験しすぎたんでしょうね。
・・・残念っす。
by OILMAN (2008-06-09 23:32)
■sakさん
どなんの炎、アップされてましたね。
あの静かな燃え方いいですよね。
■まめ助の母さん
パイロットの「やべっ!」みたいな声が聞こえたりしたら、生きた心地しないでしょうね(o ̄∇ ̄o)
>ロードマン
男が乗るのはロードマン一択時代でした。
世代がバレますね^^;
■an-kazuさん
こちらこそお付き合いありがとうございました。
■picaさん
>保守的
オイラが初めて拝見したpicaさんの記事は、「プリンならオッケー」と、「鰻事件」でした。なので納得です。
■OILMANさん
>経験しすぎ
そういうことですね^^;
今からならまた違うと思います。
■kenjiiさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2008-06-10 06:41)
最終回ですか、寂しいな~
しかし、本当に面白かった(^^)
泡盛(どなん)気になるね
沖縄の方々の人柄、まごころ満載で
楽しませて頂きました(^^)
若い時に良い経験をしましたね
船の旅がしてみたくなりました
by Qoo (2008-06-10 07:15)
思わず「イセエビ」のとこ二度読みしました。小さいエビじゃないのって?ありえないですね^^;
>沖縄は島の数だけ言葉 地図みたら島ごとの距離が新幹線のでかい駅以上に空いてるから、同じ県といってもこんなに違うんですね。長老の言葉ってw
>警官 これはいい話ですね。悪いことする人がいるから法律や警察があるんですが、島民全員が知り合いで悪いことしないようなら、取り締まる必要はなくなる。警官いらないって別世界の話みたいですね。東京に疲れたら海外の前に与那国も行ってみます^^
アンダギーにもいい揚げ方ってあるですねwグレープフルーツ大ってかなり大きいですよ^^;う~む、奥が深いw
旅行記すごく面白かったです☆内容も鈍行旅行から那覇、与那国とバリエーションに飛んでいてリンク記事書いて薦めてよかったです。宣伝のためリンク晴らせてください。↓コストブログ「とりさんの高校生日記(旅行記)」
http://cost-off.seesaa.net/article/97773017.html
by コスト (2008-06-10 10:07)
■Qooさん
長々とお付き合いありがとうございました。
船旅、最高に贅沢な旅ですね。^^
■コストさん
>二度読み
オイラもビックリでした。アノ伊勢海老を捨てちゃうんですよ!
オイラにクレ!
>取り締まる必要はなくなる
そう受け取っていただけるとありがたいです^^
それからリンク記事ありがとうございました。
オイラも次の記事でコストさんの旅行記を紹介させていただきます。
事後承諾ですが、よろしくどうぞ。
■ぴーすけ君さん
nice! ありがとうございます。
■夢空さん
nice! ありがとうございます。
■フェイリンさん
nice! ありがとうございます。
■yannさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2008-06-10 21:47)
紹介記事了解でーす。お願いします^^
by コスト (2008-06-11 01:53)
コストさん
許可感謝です。
何か問題がありましたらご連絡ください。
by とり (2008-06-11 03:35)
最近、泡盛にはまっている馬さしです。^^;
へぇ~、こんな泡盛もあるんですねぇ。
これなら200円高くても買ってしまうかも!
by basashi (2008-06-11 15:21)
グレ-プフル-ツ大のサ-タ-アンダギ-!これは食べてみたい。
沖縄時間にどっぷりと浸りたい。
ブログ上だけでも浸らせてもらってありがとう。
by アスランマリオ (2008-06-12 00:55)
いやぁ~、実に楽しいタイムトラベルでした♪
「ゆるゆる王国」・・また新たな国を作ってしまいましたね。(笑)
でも確かに離島と言うのはある意味独立した「国」なんでしょうねぇ~。
あ、私も大きなサーターアンダギー食べたいです!!
こちらへいらっしゃる時のお土産はそれで結構ですから~~。(^^)v
by カンクリ (2008-06-12 20:52)
お兄ちゃんの旅行記、とっても面白かったよ♪
by モチ好きの妹 (2008-06-14 23:32)
遅ればせながらお疲れ様でした!
高校生特有のものの見方とか、
とりさん自身のルーツが絡んできたりして、
とても楽しかったですよ。
こいつはいつ出版ですか?笑
by ひろ茶 (2008-06-15 23:25)
■yannさん
nice! ありがとうございます。
■basashiさん
おお、泡盛にはまってるんですか!
basashiさん、イケるクチですね。
下戸なオイラは部屋の飾りと化してます。
■アスランマリオさん
長々とお付き合い、ありがとうございました。
■カンクリさん
>大きなサーターアンダギー
アハハ、「天国経由 ふくスカ行き」ですか^^
■モチ好きの妹さん
なんかいかがわしいリンクかと思ってドキドキしちゃいましたよ(¬_¬)
■ひろ茶さん
ありがとうございました。
あの頃はガキだったなぁ。と思ったり、
全然成長してないと思ったり・・・。
by とり (2008-06-17 06:31)