SSブログ

旧高松空港(旧陸軍林飛行場)跡地 [├空港]

  2008年7月訪問 2022/11更新  

無題e.png
撮影年月日1947/09/08(USA M450 18) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

香川県の旧高松空港。

元々は、陸軍高松飛行場(林飛行場)でした。

■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」の中で当時の様子について扱われていました。

以下引用させて頂きます。

高松海軍飛行場
木田郡林村
訓練/作戦
800x15
約821,610(現在の高松空港の8倍の広さ)
1944年秋、まだ十分整地できていないのに
三重県明野陸軍飛行場から高
松隊がきて開隊、射撃訓練を始めた。まもなく訓練
飛行場から作戦飛行場になる。
20年2月本土決戦
用に訓練に差し支えない範囲で、飛行機を隠すこと
になった。由良山には格納庫が造られ、飛行場から
タコの足のように誘導路が造られた。また、10kmも
離れた屋島神社参道の松並木、大田上町の広田神
社、一宮村の香東川河原、木太町の大池周辺などの
松林の中におおいをして隠した。九七式、四式戦闘
機、双発連絡機などで、数十機に及んだ。一方、秘
匿と同時に、敵の目をごまかすために木や竹で模擬
飛行機を作った。 これは近郊の国民学校で作った
もので、実物そっくりに造り、カムフラージュした。
7月24日にはこの模型飛行機が敵の銃撃を受け、炎
上している。

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  高松
位 置   香川県木田郡林村
規 模   要図(東西2,000 南北1,700)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 一〇〇〇名分
 格納施設 飛行機庫五棟
摘 要   施設軍有

かつて空港として運用していた頃の写真↓

オルソ.PNG
写真:「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1974年 高松南部  編集・加工:「空港探索・とり」

1340413_341733.jpg
写真:「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1974年 高松南部  編集・加工:「空港探索・とり」

エプロン周辺の拡大図。

ワイエスですかね。

D20_0270.jpg

赤マーカー地点。

跡地ターミナル部分の一角にある石碑

旧高松空港跡地の碑(全文) ここは昭和の後半から平成の初めまで香川県の空の玄関であった旧高松空港の跡地であるが、旧高松空港の成り立ちは地元との関わりを抜きにしては語ることができない。 太平洋戦争の戦局が厳しくなる中、昭和十九年一月二十三日林村に晴天の霹靂ともいうべき事態が突発した。陸軍省から林村を中心に周辺三町村にまたがる約二百七十ヘクタールに飛行場を建設するとの連絡が入ったのである。時の三宅信夫村長は事の重大さのあまり顔面蒼白、絶句して言葉を失うほどであった。
 五日後の二十八日、林小学校講堂に指定区域内の関係者四百余名が集められ土地の買収家屋の移転を正式に要請された。永年住み慣れた土地家屋への愛着、近隣の親しい友との別れ、新しい土地での生活の不安などが心中に激しく交錯し、場内は寂として声もなかった。戦争に勝つためとはいえ、断腸の思いでこれを承諾せざるを得なかった。
 昭和十三年には優良町村として内務大臣表彰を受けた林村も 田畑の半分近くを失い、公共建物を含めた二百七十五戸の家屋を一挙に移転するに至っては、まさに崩壊寸前となり、村民の苦悩はその極みに達した。周辺市町村からの勤労奉仕隊の援助を得ながらも、縁故知人を頼って列をなして家財を運ぶ村民の姿は今も脳裏を離れるものではない。移転は4月末までの極めて短期間のうちに完了し、引き続き軍は飛行場の建設に着手した。作業はすべて人力に頼るため一般人はもとより学生・生徒まで連日数千人が勤労奉仕に動員された。夜を日につぐ突貫工事の末、八月には東西滑走路が完成し、九月からは軍用機の飛行訓練が始まった。しかし当初計画されていた南北滑走路は翌年八月の終戦時に至も遂に完成し得なかった。
 戦後、飛行場用地についてはいわゆる飛行場解放運動が行われたが、昭和三十年十二月運輸省高松航空保安業務所長と宮井政雄村長との間で高松飛行場敷地設定についての協定書が交わされ決着をみた。その結果大部分が農地等として売渡し、譲与され、約三十二ヘクタールが飛行場として残されることとなった。
 本格的な民間航空による利用は昭和三十年五月の大阪-高松路線の開設にはじまり、昭和三十一年には第二種空港となり、滑走路や通信施設等の整備も順次進められ、香川県の空の玄関として広く県民に親しまれてきたところであるが、平成元年十二月の新しい高松空港の開港に伴い、三十余年に及ぶその使命を終え供用廃止された。
 その後、この空港跡地は高松市の中心部近くに位置する立地条件を活かし二十一世紀に向けて香川県の産業の飛躍的発展や文化の振興を図るための拠点とするため、平成二年四月香川県が国から用地を取得し、技術・情報・文化の複合拠点としての「香川インテリジェントパーク」の形成を図るべく、地元の協力の下鋭意整備が進められたところである。
 今、空港跡地の開発が進む中、空港の歴史を振り返り碑として後世に残するものである。平成六年三月 林地区開発協議会

戦後航空禁止令が解除されて間もない頃、関西の学生航空連盟の部員たちが当飛行場にて滑空訓練を実施しました。

当時滑走路は未舗装で、中央付近に道路が横断しており、そのあたりにウインチを置き、東半分を訓練に使用、

滑走路の西半分は牛の放牧場になっており、飛行機の発着がある時は、滑空機、牛を避難させたのだとか。

草花の咲き乱れる長閑な飛行場だったそうです。

そんな時代があったのですね~(o ̄∇ ̄o)

そんなのんびりした飛行場で我が物顔で飛び回っていたのが、

昭和34年6月に八尾空港に引っ越すことになったのだそうです。

D20_0265.jpg

碑文にある通り、現在跡地は香川県の技術・情報・文化の複合拠点、

「香川インテリジェントパーク」になっていますが、

滑走路跡の中央部分は上空写真にある通り巨大な駐車場になっています。

上の写真はその駐車場部分。

右側が敷地外の道路で左側がかつて滑走路だった駐車場。

D20_0266.jpg

(もしかしたら滑走路面がそのまま使われているかも)と思っていたのですが、

きれいに舗装し直されてました。

D20_0268.jpg

一角に残る、空港の名残(噓)

D20_0277.jpg

かつてのエプロン周辺


       香川県・旧高松空港(陸軍林飛行場)跡地        

空港運用当時から市街地であり、機能拡張が困難なことから移転することとなりました。  

旧高松空港 データ
空港種別:第2種
所在地:香川県高松市林町
標 点:N34°17′43″E134°04′20″
(標点はグーグルアースから)
面 積:32ha
滑走路:1200m×30m
磁方位:09/27

沿革
1944年01月 旧陸軍、林村に飛行場建設着手
1945年09月 接収
1952年06月 接収解除
1955年05月 極東航空が高松~大阪に不定期路線開設
1989年12月 新高松空港開港/旧高松空港廃止
1990年04月 国が用地を取得し、「香川インテリジェントパーク」として整備

関連サイト
滑空場物語 
ブログ内関連記事
 

この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


コメント(19)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 19

sak

全部完成できなかったのですね...
完成していたらここがまだ使われていたかなぁ?
by sak (2008-10-04 10:55) 

tooshiba

空港も市街地近くにあると便利だと思いますが、近隣の騒音とか事故が起きたときに巻き込む可能性とかを考えると、海の上とか山奥とかになってしまうのでしょうか(新高松空港がどこにあるか知りませんが)。

碑の文章、よく入力なさいましたね。お疲れ様でした。
by tooshiba (2008-10-04 14:18) 

an-kazu

これは素晴らしいレポですね\^O^/
by an-kazu (2008-10-04 18:46) 

おすぷれい26

面白かったです! ウォーリーを探せ、やっちゃいました。結果は? モチロンひこうきマニアですから見つけましたサ! と、エラソウに書くことでもないか(笑)。
by おすぷれい26 (2008-10-04 19:21) 

masa

跡地が駐車場とは、昔の空港を思い出せていいですね。
最初の写真結構長い時間探してました・・・
by masa (2008-10-04 20:24) 

まめ助の母

なんだか、石碑を読んでいると
小説のようですね…
戦争の影響って本当に一般の善良な市民にも
影響を与えていたのですね…

ウォーリーを探せは
大きな駐車場みたいなとこがあったので
あのへんくさいと思いましたが
もっともっと大きな範囲でしたね(^_^)
by まめ助の母 (2008-10-04 20:26) 

おろ・おろし

とりさんの編集・加工能力に、脱帽です!!

確か、新しい高松空港を作るために、買収した土地のお金で、
「レオマワールド」が誕生したと聞いたような・・・。

ちなみに、レオマの名前の由来は、
「レジャーは、オ〇ニシに、マかせろ!」だったとか、
そのバブリーな遊園地も、経営破たんしましたが、
経営が変わって、営業を再開しています。

by おろ・おろし (2008-10-04 22:43) 

Tripleseven

ウォーリーを探せはヒントで確実に分かったのですが、ヒントがなければどうかなぁ?
道路で分断されてますから、分かりにくくなってますね。

これまでとりさんのblogを読んで、空港の跡地って、そのまま利用しているところを除き、
中途半端に放置されているところが多いと感じたのですが、
跡地をきちんと利用していくという方向性を立てているところって少ないんですかね?

旧高松空港の逸話ですが、野焼きによる視界不良で着陸できずに引き返した
事があるようです。古き良き時代、クレームがあまり出なかったそうです。
by Tripleseven (2008-10-05 13:07) 

コスト

地図は間違えましたねー、もうすっかり建物できてるんですね。
新空港建設にはこんな事情があったんですね。
街中に近いから拡張できないからだと思ってたんですが、岡山や広島のケースとは違ってて勉強になりました。
小学校の地図には移転前の物があったんで、小学校以来高松空港の謎が解けました^^
nice!
by コスト (2008-10-05 20:08) 

OILMAN

こんにちは。
旧広島空港と同じように移転していった空港もあるんですね。
市街地にあるとアクセスに便利な反面、騒音、空港拡張などの問題もあるのですね。
by OILMAN (2008-10-05 20:09) 

pica

目がチカチカするので探しません(笑
あの長い石碑の全文を…お疲れさまでした!
by pica (2008-10-06 00:58) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■sakさん
終戦直前の飛行場の写真を見比べた限りでは、未完成の南北滑走路と使用した東西滑走路、長さは同程度のようです。新空港への移転は、「周辺が市街地化し、ジッエット化のための滑走路延長ができない」が主理由でしたから、移転は避けられなかったのではないかと思います。元々、地元の人たちから強制的に奪った土地ですから、これでよかったというのがオイラ個人の感想です。

■yannさん
nice! ありがとうございます。

■xml_xslさん
nice! ありがとうございます。

■yamagatnさん
nice! ありがとうございます。

■ccqさん
nice! ありがとうございます。

■tooshibaさん
>海の上とか山奥とか
公害、危険性のことを考えると仰るとおりと思います。その辺が鉄道との大きな違いですよね。利便性とのバランスということなんでしょうね。

■夢空さん
nice! ありがとうございます。

■赤と青さん
nice! ありがとうございます。

■miffyさん
nice! ありがとうございます。

■an-kazuさん
ありがとうございます。碑文打った甲斐があったというものです^^

■おすぷれい26さん
ありがとうございます。
おお、やっぱり見つけましたか^^

■masaさん
あー、確かに巨大駐車場は滑走路っぽいですよね^^

■まめ助の母さん
>小説
仰るとおりと思います。
>ウォーリーを探せ
「あのへんくさい」と思っただけでもスゴイですよ^^

■おろ・おろしさん
>編集・加工
ブログつながりで詳しい方にいろいろ教えて頂ていおります。ありがたや^^
>「レオマワールド」
これは初耳で、ウィキで見てみました。興味深い情報ありがとうございました。

■Triplesevenさん
>跡地の利用方
それはオイラもずっと気になっているテーマです。
軍が全国に建設した無数の滑走路、オイラが知っているのはその極々一部に過ぎませんので、全体として跡地がどうなっているか、なんてとても語ることはできません。一般論ですが、その土地を改良して使用するだけの価値を見出すかどうか、ということではないでしょうか。

■コストさん
結構難易度高いですよね^^;
>新空港建設
跡地の立地を見ると、非常に利便性の高い場所ですし、軍の要地確保の経緯を考えると、これでよかったと思います。
>小学校の地図
昔の地図って、こういう時には非常に貴重な資料ですよね。
というか、よくとってありますね~。

■ぴーすけ君さん
nice! ありがとうございます。

■月夜さん
nice! ありがとうございます。

■くらいふさん
nice! ありがとうございます。

■takemoviesさん
nice! ありがとうございます。

■OILMANさん こんにちは。
ジェット化に伴って移転した空港、結構あるみたいです。
>市街地にあると
上でも書きましたが、それが鉄道との違いですね。

■picaさん
>チカチカ
アハハ、確かにそうですね。
>全文
チカチカしました(☆Д☆)
by とり (2008-10-06 07:56) 

hiro78

おかげ様で、空からの写真を見慣れてきたので、簡単に見つかりました!

by hiro78 (2008-10-06 15:19) 

ジョルノ飛曹長

跡地はロマンを感じますが、せめて滑走路の一部が残っていたら・・・
と思いますよね^^
by ジョルノ飛曹長 (2008-10-07 23:29) 

とり

■hiro78さん
そりゃあ、ウルトラマンのhiro78さんは普段空とんでますから。(o ̄∇ ̄o)ニヤ

■ジョルノ飛曹長殿
本当にそうですね~。
by とり (2008-10-08 07:45) 

0937

いやあ!すばらしい!前人未踏の空港調査。恐れ入ります。
林の飛行場(旧高松空港)の探索もGJですね。地元民として長く愛された「林の飛行場を紹介していただいて感激です。若いころ東京から帰省のためよく利用しましたが、(当時はYS11)霧などの悪天候で上空待機でぐるぐる回ったり、大阪国際空港に下ろされたり、懐かしい思い出です。
 戦時中に接収されましたが、敗戦の色濃く、特攻計画もありましたが、実戦に就くことなく敗戦になったようです。現在は研究学問の拠点、香川インテリジェントパークとして、産業研究の拠点として、香川大学工学部や県立図書館など県民の施設として利用が図られていることは、当時お上のお達しで土地を手放さざるを得なかった農民たちの想いを考えると感慨深いものがあります。
 いつか自家用機で空港めぐりしたいと夢見ています。
by 0937 (2010-09-24 18:53) 

とり

■0937さん いらっしゃいませ^^
戦中、戦後の空港のことについては情報が非常に少なかったので、
地元で実際に利用されていた方の生の声は非常に貴重で本当にありがたいですm(_ _)m
永く慣れ親しんだ場所は、すっかり変り果てても強い思い入れが残りますよね。
すごい夢をお持ちなのですね。実現できますように。
by とり (2010-09-26 09:34) 

昔の近隣住民

朝鮮戦争の時には米軍のジェット戦闘機が轟音と共に樹木に触れんばかりに離着陸を繰り返していました。又、模型飛行機の大会等も行われていました。
by 昔の近隣住民 (2013-01-16 12:43) 

とり

■昔の近隣住民さん いらっしゃいませ。
当時の貴重なお話をありがとうごさいます。
返事が遅くなってしまい申し訳ありませんm(_ _)m
by とり (2013-02-17 06:16) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0