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戦争遺構 [├雑談]

旧日本軍の飛行場がいっぱい

旧日本軍が建設した飛行場関連の記事をいくつかアップしました。

オイラがお邪魔したのはまだほんの僅かですが、

全国には旧日本軍が建設した飛行場が非常に多くあります。

1つの県に5ヵ所、10ヵ所、もしくはそれ以上という例も珍しくありません。

 

戦争遺構もいっぱい

オイラが見て回っている日本軍の滑走路跡、掩体壕は「戦争遺構」の1ジャンルに過ぎず、

戦争遺構には他にも軍需工場、境界標、基地の付帯施設(高射砲台、事務所、格納庫など)があります。

軍の飛行場に限っても全ての県に最低1つはありましたから、

戦争遺構すべてを含めて細かく探していくと、その数は膨大なものになります。

こうした軍関係の施設は人口密集地やその近郊にも多くありましたから、

大抵自宅から十キロの範囲内に何かあるはずです。

 

戦争遺構の現状

オイラと弟は、沖縄、東京、埼玉の小学、中学に通ってまして、

たまたまそのいずれの学校もすぐ近くに軍の飛行場跡がありました。

しかし学校で広島、沖縄の話を聞くことはあっても、地元の飛行場のことは存在すら知りませんでした。

全国に散在する遺構のほとんどは、その存在を忘れ去られて放置されたままです。

掩体壕には破廉恥な落書きがされ、ゴミ捨て場と化していたりします。

こうして埋もれたままになってしまっているのは遺構だけではありません。

当時を知る戦争体験者の方々についても同様です。

 

最近の動き

「当時を知る方への聞き取りと、戦争遺構の調査を行おう!」

このところ、そんな動きが全国的に広がっているそうです。

埼玉県桶川市のホンダエアポートもその1つ。

元は陸軍の飛行場なのですがそれ以外のことはほとんど公になっておらず、

川を隔てて2キロほどの所にある同市の図書館併設の歴史資料館に、この飛行場に関する特別な資料はありません。

オイラのような部外者にとって、これ以上のことは調べようのない場所だったのですが、

近年当時の関係者と市が調査、公開を行うようになりました。

埋もれていた自治体の資料と個々の関係者の情報というピースが組み合わさった結果、

予想だにしなかった全体像が浮かび上がっているのだそうです。

 

なぜ今調査なのか

戦後64年。戦時中の記憶がある方は七十台。

戦時中の大人の苦労を肌で味わった方は既に八十台以降。

残念ながら当時のことを直接お聞きする時間はそう多く残されていません。

遺構は、「開発の邪魔」とか、「老朽化して危険」などの理由でどんどん取り壊されています。

大げさではなく、調査のためのチャンスは今しか残されていません。

 

戦争遺構とは

遺構に対する見方は肯定/否定様々ですが、

オイラ個人はこれを、平和の尊さを伝える郷土の宝と考えています。

戦争を実際に体験した方のほとんどが

「もう二度とあんな悲惨なことを繰り返してはいけない」と強く主張しておられ、

遺構はその主張の真意を理解する助けになると考えているからです。

因みに前述の桶川の飛行場の関係者が中心となって発足した会の目的は、

「この飛行場のことを後世に広く伝えて平和を考える一助にする」というものです。

 

遺構がそこにあるということ

例えば飛行場を建設する場合、現在なら大手ゼネコンが大型機械を使って一気に行いますが、

当時は便利な機械は少なく、手作業に依ることが多かったです。

しかも周辺住民がかり出されることも多く、

滑走路用地にびっしりと敷き詰める石の一つ一つを地元の小学生まで動員して集めているケースもあります。

近隣住民は軍の施設に否応なく深く関わらざるを得なかったわけで、 

軍が建設した飛行場の記録を調べてみるとそこには大抵、

土地の強制収用、建設のための労働力の提供、施設維持のための協力が求められ、

完成したら完成したで、その周辺の住民も含めて米軍の攻撃対象になるということがつきものであり、

これらは地元の方々の多大の困苦、犠牲の上に成り立っています。

遺構があるということは、多かれ少なかれここでそうしたことが確かにあったという証であり、

周辺には当時を知る方がおられるということです。


 

全国に散在するということ

戦争の生き証人と遺構はくまなく日本中に存在します。

わざわざヒコーキや新幹線で広島、沖縄に出向かずとも、

日本中どこに住んでいても、自身が日々生活する馴染みのあるその場所に遺構と語り部はおられます。

戦争遺構を実際に作った方、使った方、そうした方々の言葉には得難い重みがあります。

当時の苦労を実際に経験した方の言葉と、それが確かにここで実際に起こったことを示す遺構は、

平和の尊さを強力に伝えるものになり得ます。

 

遺構と平和

広島や長崎、沖縄に訪れ、体験者の話を聞くことは確かに意味のあることですが、

地元の普段見慣れた日常の場所で、かつて非日常のことが実際に生じていたのだ。

ということを戦争を知らない世代が知ることにも意味があると思います。

地元の遺構とその由来を知っていると、今の平和な日常と年配者がちょっと違って映るのではないでしょうか。



この記事の資料:
旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会


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