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尾島飛行場跡地 [├空港]

  2009年6月、2016年4月訪問 2022/12更新  


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国立国会図書館デジタルコレクションPhotos Nos. 1 to 2950, incomplete, and Takamatsu, Tachikawa emergency landing grounds (Joint Target Group numbers). (Cont.) Report No. 1-e(1), USSBS Index Section 7 
バッチリマークされてますね。(PUTINさんから情報いただきましたm(_ _)m) 

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撮影年月日 1946/06/08(昭21)(USA M159-A-5 99)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


滑走路位置の特定がなかなかできないまま記事をアップしていた「尾島飛行場」なのですが、

■「航空路資料第3 関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18.8 水路部」

の中に、尾島飛行場の詳細な地図があり、これまでどんなに探しても出てこなかった着陸帯、

格納庫、油庫等の位置がハッキリと図示されていました(;´Д⊂)

その通りに作図したのが上図です。

「尾島飛行場は群馬県と埼玉県に跨っている」という点は幾つもの資料に出ているのですが、

実際に資料の通りに線を引っ張ってみると、着陸帯はほぼ埼玉県にあります。

中島飛行機の創設者、中島知久平の出身地は、群馬県新田郡尾島村字押切(現在の群馬県太田市押切町)。

「これからは航空機の時代である」との信念の元、海軍を辞して地元に戻り、ヒコーキ工場と飛行場を造ります。

2つ前記事の「中島新邸」のすぐ近くに作ったデコボコの滑走路こそ、尾島飛行場。

後に中島飛行機は爆発的な発展を遂げ、太田市に巨大工場群と太田飛行場という立派な飛行場を作ります。

「中島飛行機」というと、この太田市の大工場と飛行場に目が向きがちですが、

中島飛行機が発足したばかりの時期、できたヒコーキを飛ばしていたのはこの「尾島飛行場」でした。

 

前述の通り尾島飛行場の敷地は群馬県、埼玉県にまたがっており、ほとんどが県の所有地でした。

そのため両県の知事に許可を求める必要がありました。

テスト飛行開始翌年の大正8年、 群馬県内地域が2月20付、埼玉県内地域が2月12日付で、

飛行場として正式に認可されました。

これを祝して4月25日に尾島飛行場開場式が行われました。

大正8年4月26日付の上毛新聞には、「尾島飛行場の開場式盛大に挙行」として、

「新田郡太田町日本飛行機製作所尾島飛行場開場式は、25日、利根川原なる同飛行場において盛大に挙行されたり。

数万の観衆が見守る中、練習用125馬力中島式5号にて絶技を演ず」。

という記事が載りました。

 

ヒコーキ製作の会社を立ち上げ、記念すべき第1号機が完成し、早速尾島飛行場に運んでテスト飛行を開始したのですが、

当初は失敗の連続で、なかなか満足に飛ばすことができませんでした。

そのため当時太田の町では、

「札はだぶつく、お米は上がる、何でも上がる。上がらないそい中島飛行機」

「飛行機乗りには娘はやれぬ 落ちたヒコーキで芋を掘る」

などという落首が流行ったのだそうです。

後に国内の飛行機メーカーとしては三菱と双璧を誇り、

「中島と三菱に作れないもの即ち国産化不可能」とまで言われるようになった中島にも、こんな創生期があったのですね。

 

■国立国会図書館デジタルコレクションに「報知年鑑.大正16年」があり、

この中に、本邦民間飛行場調〔大正15.8〕として27の民間飛行場の一覧がありました。

当飛行場関係箇所を引用させていただきます(下記リンク参照)。

使用者 中島知久平
種類 陸上
位置 群馬県新田郡尾島町大字堀口押切埼玉県大里郡男沼村字小島出来島、間々田の5大字に跨る
面積 231,179坪

押しも押されぬ軍用機メーカーの飛行場なんですが、民間飛行場なんですね。

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1/50000「深谷」昭和14要修・昭和15.9.30発行「今昔マップ on the web」より作成

昭和14年の地図。

上述の飛行場開場式から既に20年も経過しており、

一方太田飛行場の開場式は昭和16年でしたから、この時点ではまだありませ。

ここがメインの飛行場だったのですが、ものの見事に単なる河原ですね。

中島邸も、母屋の上棟が昭和5年なのですが…

「今昔マップ」にも「戦時改描の可能性」とあります。

 

上述の防衛研究所収蔵資料「航空路資料第3 関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18.8 水路部」

から、当飛行場の部分を以下引用させて頂きます。

第2 尾島飛行場(昭和18年2月調)
管理者 中島飛行機株式会社。
位置 群馬県新田郡尾島町大字押切、埼玉県大里郡男沼村大字小島。
   (尾島町の南東方約2.5粁、北緯36°14′5、東経139°20′6)。
種別 地方公認陸上飛行場。

着陸場の状況
高さ
 海抜約30米。
広さ及形状
 本場は長さ東北東-西南西最大1,400米、幅南北最大482米の箆形地区に
 更に東北東外側に在る畑地の南側に沿い長さ東西600米、幅50-150米の
 整地地区を含む東西に狭長なる地域なり・着陸地域は概ね図示の長さ略
 東西1,300米、幅南北200-300米の四辺形地区なり(付図参照)。
地表の土質
 沙礫を混ずる尋常土。
地面の状況
 本場は利根川左岸沙洲の発達せる河原にして河面より高さ約3米の護岸工
 事を施し且沙礫の上に尋常土を約1尺盛土し整地工事を施したるものなり
 ・地表は凸凹起伏なき平坦地なるも全般的に南方河岸に向け1/400の下り勾
 配を為す・着陸地域及其の付近一帯の地盤は堅硬にして一面に良好なる芝
 及雑草を生じ冬季は刈取手入を施す・排水概ね良好なるも降雨の為地盤軟
 弱となりたる箇所は常時転圧しあるを以て降雨直後と雖も離着陸に支障な
し・場内北西部より格納庫の前面に至る「コンクリート」舗装の誘導滑走
 路1條あり。
場内の障碍物
 なし。
抵当なる離着陸方向
 東北東又は西南西(堤防に平行方向)。
離着陸上注意すべき点
 冬季北風強吹する場合は着陸稍困難なり・場の北側に沿へる高さ3米の堤
 防に注意を要す。
施設
 格納庫(間口49米、奥行54米、軒高9米)2・其の他大型機10、小型機
 40収容し得るもの1あり・飛行場事務所・修理工場1・油庫2・電動機
器室1・休息所及見張所等あり。
昼間標識 吹流1(北西部の堤防上に在り)。
夜間標識 なし。

周囲の状況
堤防
 場の北側に沿い高さ3米、幅7米の堤防ある外付近に障碍となる山岳、丘
 陵及樹林なく四周概ね開闊なり、特に利根川河流に沿う略東西方向は開闊
 なり。
河川
 場の南側に沿い南東流する利根川あり大洪水の際は場内に浸水することあ
 り・場の南西端付近より対岸の埼玉県下に連絡する人馬用の渡船場あり。
建築物
 場外北西方に格納庫(高さ15米)4及其の他の付属建築物、北方に中島邸
 及押切村落の人家あり。
着目標
 利根川、妻沼鉄橋、格納庫、吹流。

地方の状況
軍隊及憲兵
 東部第3784部隊(太田町大字小舞木)北東方約7粁・太田憲兵分遣隊(太
田町)北東方約8粁。
警察署及役場
 太田警察署(太田町1丁目)北北東方約10粁、尾島駐在所(尾島町)北西
 方約2.5粁・尾島町役場(尾島町)北西方約2.5粁、男沼村役場(埼玉県大
里郡男沼村)南方約1粁。
医療
 尾島町に医院3、太田町に医院5あり。
宿泊
 尾島町(北西方約2.5粁)に旅館1(収容員数約40)・太田町(北北東方約
10粁)に旅館5(収容員数計147)あり。
清水
 場外格納庫付近に水質良好なる動力「タンク」式井戸2あり。
応急修理
 本場の修理工場にて応急修理程度は可能なり、大修理は中島飛行機株式会
 社小泉工場(東北東方約6粁)に依るを可とす。
航空需品
 本場に相当量の航空用燃料及潤滑油を貯蔵す。

交通、運輸及通信
鐡道
 木崎駅(東武鐡道伊勢崎線)北西方約4.5粁、中島飛行機株式会社小泉工
 場(東北東方約6粁)内に東武鐡道小泉線の引込線あり。
乗合自動車
 尾島町より北は太田町、東は小泉町、西は境町の各方面に至る乗合自動車
 便あり、最寄停留所は尾島町(北西方約2.3粁)なり。
道路
 場の西側に沿い北は尾島町を経て太田町方面に、南は利根川を介して対岸
 埼玉県下に至る幅員6米の県道あり又場の北側に在る堤防上の道路は東方
 小泉町に連絡す。
運送店
 木崎駅(北西方約4.5粁)前に木崎合同運送株式会社(トラック1台)あり
 ・尾島町(北西方約2.3粁)に新田合同運輸有限会社(乗用車3台)あり。
電信及電話
 尾島郵便局(電信取扱)北西方約2.5粁・飛行場事務所に電話(太田544番)
 あり。

気象
測候所
 熊谷測候所(埼玉県熊谷市)南南東方約12粁、毎日1回(午前8時頃)航空
 気象を観測す。
地方風
 夏季は東南東風多く稀に南風あり・冬季は北西風多く稀に北風あり・
 4-10月間は約1乃至4米/秒の東南東風、11-翌年3月間は約5乃至8米/秒の
 北西風吹くを常とす。
天候
 熊谷測候所(南南東方約12粁)に於ける2557-2600年44箇年間の統計次
 の如し。(以下月別データ省略)
地方特殊の気象
 夏季は特に雷雨多し・気流は一般に良好なるも冬季北風強きときは不良な
 りと言う。
気象予察の俚諺
 春季より夏季の間北方の山岳見ゆるも南東方に黒雲の生ずるときは雨とな
 ること多し・秋季は北西方の赤城山見えざるときは雨となる。

其の他
1. 本場は中島飛行機株式会社試作機の試験飛行場なるも最近立川陸軍飛行学
 校尾島分教場開設に因り陸軍機の訓練飛行に主用せられつつあり。
2. 本場の北東方約6粁に中島飛行機株式会社の設置せる太田飛行場(本誌第
3参照)あり。
3. 昭和10年利根川大氾濫の際飛行場全面3日間浸水せしも減水後翌日より
 離陸可能、1週間後より着陸可能と為れりと言う。

整備地区と着陸地域は堤防で隔てられていた訳ですが、ヒコーキが行き来できるように、

コンクリート舗装の誘導路で連絡していたんですね。

また、なんとなく河原をそのまま使っただけなのかと勝手に思っていたんですが、

「高さ3mの護岸工事、1尺(約30cm)の盛土をして整地」とあります。

凄い手間かかってますね(@Д@)

 

尾島飛行場は終戦まで使用されていたのですが、

その後の尾島飛行場に関しては、ほとんど資料が残っていません。

市史に「1945年7月28日 関東地方に来襲したP51 240機が太田、尾島、生品、赤堀各地を銃撃」

とする記録が残っている程度です。

生産が拡大すると、中島飛行機は太田市中心部に拠点が移動してしまい、

中島飛行機についての記録もそちらに話が移ってしまいます。

尾島飛行場には戦後ほどなく酪農家が入植し、今に至るのだそうです。

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撮影地点・1 土手の上から滑走路方向

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撮影地点・2 格納庫、油庫等があった辺り

当時はここからコンクリート製の誘導路で飛行機が滑走路に行き来していたんですね。

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撮影地点・3 この先に格納庫等がありました。


   群馬県・尾島飛行場   

尾島飛行場 データ
設置管理者:中島飛行機株式会社
種 別:地方公認陸上飛行場
所在地:群馬県新田郡尾島町大字押切、埼玉県大里郡男沼村大字小島(現在の群馬県太田市押切町)
座 標:N36°14′5″E139°20′6″
標 高:30m
面 積:76.4ha
滑走路:700mx300m 緊急時には1,000mx600m(水路部資料では1,300mx200-300m)
方 位:07/25?
(方位はグーグルアースから)

沿革
1917年    測量
1918年    整備され、滑走路使用可能の状態に。中島一号機のテスト飛行始まる
1919年04月 25日 尾島飛行場開場式
1943年   この頃立川陸軍飛行学校尾島分教場開設
1945年    終戦 入植

 

関連サイト
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正16年(225コマ) 
太田(太田小泉)飛行場跡地 
中島新邸 

この記事の資料:
太田市史通史編 近現代
群馬の戦争遺跡
歴史のなかの中島飛行機
防衛研究所収蔵資料「航空路資料第3 関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18.8 水路部」


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