熊谷~大幡・後編 [├雑談]
前回の続きです。
熊谷駅から徒歩で妻沼方面を目指しているのですが、 高崎線の線路を越えました。
15:クマガヤの刈り込み
向こうに見えるのが、前記事でオイラが立っていた山。
で、「クマガヤ」という刈り込みを撮ろうと正面に回り込んだのですが、
若いカップルがはぐはぐしてましたΣ(゚Д゚;)
こんな人気のない所に自転車が2台並んでいたので嫌な予感がしたのですが…
気付かずに撮ってたら、「ナニ撮ってんだこの野郎!」と殴られそうです。
道理で暑い訳だよ…
高崎線を越える辺りから、熊谷線時代の柵が続いてました。
再び「かめのみち」再開。
ぐあー!
16:中山道
17号で「かめのみち」は一旦途切れます。
この道路は仕事のコースで何年も走っていたのですが、
こんないわくのある交差点だったとは夢にも思いませんでした。
17号手前にあった分岐点の道しるべ
これも17号手前にありました。
17号を渡ると再び「かめのみち」が始まります。
17:サンシティ熊谷弐番館
とっても立派な有料老人ホームの横を通り…
18:埼玉県立熊谷農業高等学校実習地
農業高校の実習地を通り…
この周辺は田舎の香水の香りがします^^
途中、こんな看板が。
〔かめのみちの由来〕 「かめのみち」の通称は、東武鉄道熊谷線が<かめ号>の名で親しまれていたことから、<かめ>のイメージである「ゆっくり歩く、長生き」を取り入れ、市民の皆さんがゆっくり歩いて楽しく語らえる”みち”づくりを進めるため名付けられました。
コレが「亀」が使われている理由でした~。
流石に「特急」という言葉は封印してますね。
意味不明になっちゃいますからね^^;
キレイに整備された遊歩道はここまで。
砂利道区間が続き…
ここから整備された道路が続いてました。
この付近では小学生の子供たちが何人も遊んでました。
もうすぐお昼だよ~。
お腹空かないの~?
終戦間近の時期、熊谷線沿線にも米軍機がよく現れたのだそうです。
結局熊谷線が実害を被ることはなかったのですが、
走行中に米軍機に気付いた運転手は、木陰に停車して身を隠すなどしたのだそうです。
すごいですね。敵機に隠れながらの運行なんて想像もつきません。
田んぼで見つけた東武杭三連発
19:大幡中学校
中学校通過~
20:セブン前
前回アイスを食べて引き上げたセブン通過~(どうでもいい情報)。
前回車で来た時は、この先をちゃんと見てなかったので行ってみます。
セブンの道を越して…
21:大幡駅
それまで同じ幅の整備された道が続いていたのですが、ここで急に線路の柵が現れ、幅が広がっています。
道の東側。こちらも同様に柵で幅が広がってます。
少し先には17号バイパスが。
ここが大幡駅跡のようです。
熊谷線営業当時、熊谷-上熊谷-大幡ときて、次は終点妻沼でした。
柵で幅が広がった箇所は17号バイパスのすぐ近くまで続いてました。
想像してたのよりずっと広いです。
12:15 熊谷をスタートして2時間15分経過。
これでまがりなりにも熊谷線跡を全部見ることができました。
熊谷駅に戻ることに。
もー足痛い。
帰りは最短距離で戻るために一般道。
13:12 熊谷に戻ってきました~。
途中、熊谷行きのバス停があったので乗ろうかと思ったのですが、
歩いている間についてしまう時間だったので結局歩きました。
疲れた~。
駅では、「ファィトー イッパーツ!」という大きな掛け声と共に、某ドリンク剤の無料試飲会をやってました。
ホームで冷やしワカメソバを食し、15:25 自宅に戻りました。
結局1日かかってしまいました。
廃線から20年経ちますが、「ここに熊谷線が走っていた。」という証はまだまだ残ってました。
これで「群馬・埼玉 強化月間」は終了です。
ご乗車いただきまして、まことにありがとうございました<(`・ω・´)