SSブログ

浅茅野第一飛行場跡地 [├空港]

  2009年7月、2023年6月訪問 2023/7更新  


8.png
(昭和18年9月27日撮影)高度400米 方位S
9.png
(昭和18年9月27日撮影)高度600米 方位SSE
1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 63, 8 May 1945, photographs of airfields of Karafuto-Hokkaido and Aomori. Report No. 3-d(52), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)
無題.png
撮影年月日1947/09/13(USA M513 19) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
 

前記事の「浅茅野第一飛行場」から国道238号線でオホーツク海沿いに更に南下した所にあった、

陸軍の「浅茅野第一飛行場」。

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

に1/10,000の要図があり、 先頭のグーグルマップはこの要図と、サイト:共同発掘プログラム様(下記リンク参照)と、

上に貼った航空写真から作図しました。

要図には南北の滑走路がなく、共同発掘プログラム様にはあり、航空写真では線が拾えない箇所が多かったりと、

かなり妥協の産物になっておりますが、

瓢箪沼すぐ南側の掩体壕郡がかなりハッキリ残っているのと、天北線の二つを絶対的な基準としています。

要図には、 西風、北東風が恒風とあり、東西方向の滑走路は1400x100、北東~南西の板敷滑走路は1200x60

とあり、 飛行場敷地東側に「気象隊兵舎」、「兵舎二、炊事一」と書かれていました。

同資料の情報を以下引用させていただきます。

位置
北海道宗谷郡猿払村字浅茅野
気象
冬期間は積雪平均一?米にして使用不能なり
十二月初旬より四月中旬頃迄は地下一尺程度凍□す
風は側風を受くる時あるも大なる障碍とならず
交通 其の他
浅茅野駅より約四粁なり
浅茅野部落は戸数約三〇戸にして郵便局
憲兵派出所国民学校(約四〇〇名収容し得)あり

D20_0050.jpg

国道238から真っ直ぐ南下する交差点(青マーカー)があります。

先ずここから赤マーカー地点に向かいました。 

画面奥が赤マーカー地点方向。すぐにこんな小道と交差します。

D20_0051.jpg

現在はサイクリングロードになっている天北線跡です。  

あっち側

D20_0055.jpg

こっち側

D20_0059.jpg

赤マーカー地点付近

この道にはいくつか牧場の入り口があります。

朝の6時過ぎに周辺をウロウロしたのですが、人影はない代わりに朝露に伏した数頭の牛さんにジッと見られました。

飛行場運用当時既にあったのかは不明ですが、

この道は国道238と飛行場を結ぶ3本の道の1つとして1947年撮影の写真にもハッキリ写っています。

特に滑走路西側唯一の道で、南北方向の滑走路を構成しており、掩体壕、誘導路につながっていました。

D20_0063.jpg

ハイ、赤マーカー地点に到着しました。

赤マーカー地点の西側はこんな感じ。画面中央部をズームすると…

D20_0067.jpg

こんな感じ。

上述しましたが、現存する無蓋掩体壕の一部です。

実はですね…この掩体壕の右側にもいくつか掩体壕が残っているのですが、

現地で写真を撮っていた時は「ココに残ってるのはこの2つだけ!」と思い込んでますた。

埼玉からはるばる行ったというのに…下調べ不足です_| ̄|○ il||li

D20_0064.jpg

全体を撮った写真を思いっきりトリミングして、上の写真の右側部分を一応アップしておきます。

なんとなくポコポコしてるのが掩体壕だそうです。

で、この後(裏側から掩体壕が見えないかしらん)と考えて、道道732を走ってみたのですが、

緑が壁のようになってるわ、道はあらぬ方向に向かっていくわでダメでした。とほほ。

(オイラが調べた限りでは)合法的に掩体壕が見られるのはここだけのようです。


D20_0076.jpg

一旦国道(青マーカー)に戻り、国道を南東に進んで再び南に伸びる道に入り、紫マーカー地点に向かいました。

こちらでも先ほど同様すぐに線路跡の小道と交差します。

D20_0080.jpg

紫マーカー地点。

「飛行場前駅」

1955年に国鉄の仮乗降場として開業しました。

開業当時、飛行場は終戦でとっくに閉鎖されていましたが周囲になんにもないため、

「飛行場がないのに飛行場前」になったのだそうです。

路線廃止と共に駅が閉鎖になって今年で20年。ご覧の様子です。

駅跡から更に南下していくと…

D20_0092.jpg

D20_0095.jpg

黄マーカー地点。

道沿いにいくつか古い構造物が現れます。

上2つは同一のものです。橋脚跡?

D20_0097.jpg

ちょっと行った先にも似たようなものが。これも橋脚跡?

D20_0103.jpg

門柱跡だそうです。

D20_0106.jpg

こちらは水槽の支柱だそうです。

D20_0108.jpg

滑走路周辺と思われる辺り。

飛行場だった範囲の道路を全部通ってみたのですが、

上記以外の古い構造物、滑走路跡等特に発見することはできませんでした。


(以下2023年6月撮影)

DSC_0890_00001.jpg

黒マーカー地点。

農機具を入れる場所なんですが、当時はこのちょい先から画面奥に向って南北方向の滑走路が伸びてました。

写真撮ってるこの場所も、当時は滑走路北端から掩体壕に向かう誘導路上。

DSC_0893_00001.jpg

灰マーカー地点。

東西方向の滑走路上から東方向。

ここから画面奥に向って約900m滑走路が伸びてました。

DSC_0894_00001.jpg

同じく灰マーカー地点。

東西方向の滑走路上から西方向。

対で並んでる防風林? が印象的ですね。

DSC_0908_00001.jpgDSC_0904_00001.jpg

紫のシェイプ地点(上2枚とも)。

気象隊兵舎跡。

2つあるレンガ製の円筒状のものは、恐らく兵舎跡地に戦後開拓で作られたものではないかと思うのですが、

どうなんでしょうか。

DSC_0911_00001.jpg

紫のシェイプ地点。

炊事、兵舎跡。

DSC_0915_00001.jpgDSC_0919_00001.jpg

緑マーカー地点。

天北線の飛行場前駅は無くなっちゃったけど、駅跡から200m程の所にバス停の名称として受け継がれてました。

DSC_0921_00001.jpg

反対側のバス停。


 

    宗谷郡・浅茅野第一飛行場跡地   
浅茅野第一/第二飛行場建設には大勢の朝鮮人労働者が動員され、冬期間も続けられた苛酷な工事により多数の犠牲者を出したのだそうです。

浅茅野第一飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:軍用陸上飛行場
所在地:北海道宗谷郡猿払村浅茅野及び枝幸郡浜頓別町
座 標:N45°11′24″E142°14′39″
標 高:21m
面 積:120ha
滑走路:
1,200m×60m(03/21)板敷き
1400m×100m 転圧(09/27・未完成)
1,800m×150m 転圧(18/36・未完成)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1942年06月 着工
1943年秋   滑走路完成
1944年秋(冬?) 完成
1945年09月 閉鎖

関連サイト:
共同発掘プログラム 
ブログ内関連記事
  

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


コメント(13)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行