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旧女満別空港跡地(旧海軍美幌第二航空基地) [├空港]

  2009年7月、2023年6月訪問 2023/7更新  


無題3.png
測量年1924(31-13-1女満別)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

現在の女満別空港のすぐ北側に隣接していた「旧女満別空港」。

その歴史は古く、空港のある大空町のサイト内にこんな説明がありました。

昭和10年当時の話です(下記リンク参照)。

元々は、冷害克服のためオホーツク海の流氷や、気象観測が目的で設置されました。
当時の中央気象台は静岡県清水市三保出張所の根岸錦蔵気象観測隊員を派遣し、
女満別村営の競馬場を滑走路に選び、村民総動員の協力により突貫工事で飛行場を完成させました。
こうして、昭和10年(1935年)3月23日に女満別の空に初の流氷観測機が飛び立ったのです。

1935年、村民総出の工事で500mの滑走路が1週間で完成したとあります。

元々は「気象台の観測用飛行場」として建設されたんですね。

その頃の航空写真か地図が見たかったんですが、当地の1945年までの写真/地図については、

1897年測量の地図、そして上に貼った1924年測量の地図、1944年測量の地図が全てでした。

ということで、先頭の地図は1924年のもので、女満別村集落のすぐ南側に南北方向に伸びる細長い地割があります。

恐らくこれが競馬場で、ここを滑走路にしたのではないかと。



■防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年3月刊行 水路部

にあった「要図」から作図しました。

かなりアバウトな地図でいろいろ矛盾が生じており、無理やり作図したおおまかなものですのでご了承くださいませ。

沿革にもまとめましたが、1935年に競馬場を500m滑走路にした後、翌1936年に650mに延長し、

1943年には海軍美幌第二航空基地建設が始まっています。

防衛研究所の「要図」は1940年頃のものなので、

1936年に滑走路を650mに延長して気象観測用飛行場として運用中のものであり、

海軍航空基地として工事が始まる前の時期ということになります。

「要図」にはいろいろ書き込みがありました。

上のグーグルマップの赤マーカーの位置に「中央気象台格納庫」があり、

緑マーカーの辺りは「凸凹アリ」、青マーカーの位置は「種馬所」と記載されていました。

競馬場はなくなりましたが、馬の関連施設が飛行場敷地内にあったんですね。

上記水路部資料から以下引用させて頂きます。

女満別飛行場(昭和15年8月調)
網走郡女満別村(女満別駅の南方約600米)

所管 女満別村役場
着陸場の状況
高さ 平均水面上約17米。
広さ及形状 本飛行場は長さ南北817米、幅東西約403米の短形地区より
北西方道路以西の三角形地区を缺除したる区域(総面積28.6萬平方米)なり
・着陸可能区域は概ね図示の長さ約650米、幅約200米の転圧地区なり(付図
参照)。
地表の土質 火山灰質腐植土。
地面の状況 本場付近一帯は芝雑草密生し格納庫前面付近は凹地を成す・
着陸可能区域は平坦にして起伏なきも南方に向い緩除なる下り傾斜あり・地質
は火山灰地質なるも数年来の耕作により表面は腐蝕土と化す・着陸区域は5頓
「ローラー」を以て転圧しあり89式艦上攻撃機、90式2号偵察機の着陸に対
し硬度十分なり・芝地なるを以て降雨続きの際も地下に滲透し表土泥濘となる
ことなし・炎天続く時も亀裂及凸凹を生ずることなし・雪及霜融の際は地表軟
弱と為り易し。
場内の障碍物 着陸地域内にはなし。
適当なる離着陸方向 南北。
離着陸上注意すべき点 南方約300米に樹林(高さ約10米)及東方に高
さ約7米の電灯線あり離着陸の際注意を要す。
施設 格納庫1(高さ約10米、間口約18米、奥行約13米)(中央気象台
所属)(収容機1)。

DSC_0922_00001.jpg

紫マーカー地点。

女満別中央病院敷地北側にこんな碑があります。

流氷観測飛行記念碑(全文)
 東北・北海道の冷害、凶作の原因解明に昭和十年(一九三五)
三月、女満別村の競馬場跡地を、関口鯉吉調査技師と根岸綿蔵航
空士指導のもと村民(一,三〇〇人)総出で、幅五十米、長さ三
百米の滑走路を一週間の突貫工事で完成させ、同月二十三日、根
岸綿蔵観測隊長の操縦する十式艦上偵察改良機が村民大歓声の中、
オホーツク海の「流氷観測」に離陸したのだった。
 流氷観測は昭和十九年(一九四四)五月まで実施され、大きな
成果を残した。
この地が、根岸隊長と多くの若き流氷観測
隊員、三浦謙之助、大沢 巌、堀 三郎、
菊池 弘氏等が命を賭けて取り組んだ地で
あり、女満別空港発祥の地であることを永
く伝えるものである。

(裏面)
女満別空港略史
昭和10年(1935) 冷害、凶作原因解明のため、女満別競馬場跡地に3月開港
昭和17年(1942) 海軍航空隊美幌航空隊第二飛行基地を誘致、工事開始
昭和18年(1943) 同上第二飛行基地となる
昭和20年(1945) 戦後、同上第二飛行基地を米軍が接収し、一部滑走路を爆破
昭和38年(1963) 第三種空港として供用開始(滑走路1,200m)
昭和52年(1977) YS-11「あわじ号」が胴体着陸
昭和60年(1985) 新女満別空港供用開始(滑走路2,000m ジェット化)
        皇太子ご夫婦(現天皇皇后両陛下)が女満別空港に降り立つ
平成 6年(1994) 空港施設変更工事(滑走路2,500m延長)認可
平成18年(2006) 3月、旅客ビル第Ⅲ期増築工事完了グランドオープン
平成22年(2010) 空港ビル25周年、流氷観測初飛行から75年記念誌発刊
平成27年(2015) 流氷観測初飛行から80年

大空町10年記念 平成27年 大空町建立

碑が建立された場所は、当時の飛行場敷地北端に当たり、すぐ北側に中央気象台格納庫がありました。

いい場所に設置しましたね^^

無題4.png
測量年1944(31-13-2女満別)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

前述の通り、1943年に海軍美幌第二航空基地建設が始まっており、これはその翌年の地図です。

交差する2本の滑走路の地割がハッキリ描かれていますね。

旧女満別空港、現行の女満別空港、共に南北滑走路1本のみ。という印象が非常に強いんですが、

海軍当時、東西方向の滑走路が交差する2本滑走路にしようとした時代があったんですね~。


新千歳市史通史編上巻 826pによりますと、

戦時中は秘匿性を高めるため、略号が用いられました。

美幌第二(女満別)は網走郡であることから「A地」と呼ばれていたのだそうです。

無題5.png
撮影年月日1947/10/21(USA M577 141)■  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

沿革にもまとめましたが、当飛行場は1945年に連合国軍により爆破されて使用不能にされました。

上の写真1947年撮影ですから、使用不能にされてから2年後の写真です。

東西方向の滑走路の地割がまだハッキリと残っています。

戦後早々に使用不能とされたのですが、1952年には米軍が修理の上不時着場として接収しました。

爆破したり修理したり忙しいですね。

旧女満別.PNG
写真:国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省
撮影年度:1977年 地区名:女満別 編集・加工して使用

その後、1956年の一部返還を受けて丘珠空港線不定期運航が開始され、

1985年に現在の女満別空港とバトンタッチするまでの間、ここが女満別空港でした。

上の写真は1977年撮影なので、管理者が女満別町から北海道に移管し、第三種空港として運用中のものです。

元々村民総出で競馬場を滑走路にしたのは、この南北滑走路の東側部分で、

日本海軍が建設を進めた東西滑走路の周辺に当たります。

元祖の場所から少し西側に造られた滑走路の地割が今日まで残ることになったんですね。

では村民の造った飛行場の地割は消滅してしまったかというとそんなことはなく、道路の方向に残っています。

尤も、滑走路の元となった競馬場の方向が当時からあった道路、鉄道、網走湖、集落等、

地理の関係で決まったように見えるので、

「飛行場の地割が今も道路の方向に残っている」というよりも、

村の開拓の歴史が気象観測飛行場の地割に影響を与え、それが現在も残っているという表現の方が正しいのだと思います。

新空港に移転した後は、ボッシュ社の女満別テクニカルセンターとなりました。 

滑走路はテストコースに。

この経緯は旧紋別空港と似てますね。

「中央気象台の観測用」という稀有な飛行場で始まり、海軍航空基地、米軍の不時着場を経て民間空港となり、

現在はドイツの会社が使用するという。。。

ものすごく歴史のある、そして波乱万丈の空港だったのですね。

「大空町」という町名、2006年の女満別町と東藻琴村の合併で誕生したのですが、

いいですね~^^

D20_0306.jpg

女満別空港跡地。周囲はぐるっと高い塀に囲われています。

旧女満別.PNG
写真:国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省
撮影年度:1977年 地区名:女満別 編集・加工:空港探索・とり

ところでこの写真はR/W36東側部分なのですが、部分に掩体壕が残っています。

D20_0303.jpg

D20_0305.jpg

すごいですね。

通称「広告掩体」だそうです。

海軍型掩体壕特有の凸型の開口部

これは道路からも目立つ南側の掩体壕です。

もう1つの北側の掩体壕も見たかったのですが、発見できませんでした。とほほ。


     網走郡・旧女満別空港     

現在空港跡地を使用しているボッシュ社によりますと、施設を現在の2倍に拡張する計画が進行中だそうです

旧女満別空港 データ(当時)
設置管理者:国土交通省 防衛省
空港種別:第3種空港 
所在地:北海道網走郡大空町‎女満別中央‎
座 標:N43°54′19″E144°09′51″
滑走路:1,200mx60m(コンクリート)、1,300mx80m(コンクリート) 「日本海軍航空史」より
    1,500mx80m(戦前戦後の飛行場・空港総ざらえより)
磁方位:18/36
(座標はグーグルアースから)

沿革
1935年03月 中央気象台が気象観測飛行場として設置 滑走路500m
1936年06月 滑走路延長650m
1943年    海軍飛行隊 美幌第二航空基地建設開始
1945年    滑走路等一部は完成したが、連合国軍に爆破され使用不能になる
1952年    米軍、修理の上不時着場として接収
1956年04月 一部返還
    06月 北日本航空、丘珠空港線不定期運航
1958年07月 全面返還 女満別町が管理
    12月 第三種空港F級として供用開始
1960年04月 札幌航空保安事務所女満別出張所設置
1961年04月 女満別町から北海道に移管 
1963年04月 第3種空港として供用開始 滑走路1,200m
1981年09月 ジェット化のため空港南側に新空港着工
1985年04月 新女満別空港供用開始、女満別空港廃止

関連サイト:
大空町/女満別空港の歴史  
ブログ内関連記事  

この記事の資料:
現地の碑文
新千歳市史通史編上巻
新千歳市史通史編下巻
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年(1941年)3月刊行 水路部


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