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磐城(夫沢磐城、長者ヶ原)飛行場跡地 [├空港]

  2009年9月訪問 2022/12更新 


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撮影年月日1947/04/13(昭22)(USA M216 25) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福島県にあった旧陸軍の「磐城飛行場」。


「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.10 水路部」
「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

の2資料に要図があり、先頭のグーグルマップはこの2つの要図の組み合わせで作図しました。

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

の情報を以下記させて頂きます。

位置
 福島縣双葉郡熊町村
滑走地区
 地積二一二〇、〇〇〇平方米 中型機用
付属設備
 居住施設一〇〇名を収容し得他に講堂自習室
 (約一五〇名)あり□ピスト分教場水量水質右を
 需要す
周囲の状況
 敷地は長者ヶ原と称する高台にして東方
 を除き敷地周囲と一〇米内外の標高差
 を有し東方は太平洋に面し海面と四〇
 米内外の標高差を有す
気象
 最高気温 三四、七度
 最低気温 零下九、三度

 北西界線より北西に直距離二、五粁にて
 常磐線「ながつか」駅に連絡す
其の他
 憲兵福島縣相馬郡原町 原町分
 隊警察富岡警察署

■上記「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.10 水路部」に飛行場情報が記載されていました。
■「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」でも、
「磐城陸軍飛行場 福島県双葉郡熊町村 37°25′0N 141°1′5E」として、以下全く同じ記載がありました)

面積 東西1,250米、北西-南東1,500米 南北1,200米
地面の状況 植芝
目標 常磐線、新山町、陸前浜街道
障碍物 (記載なし)
離着陸特殊操縦法 (記載なし)
格納設備 格納庫(20x35米)6棟
照明設備 (記載なし)
通信設備 (記載なし)
観測設備 なし
給油設備 航空用燃料補給可能
修理設備 なし
宿泊設備 兵舎あり
地方風 (記載なし)
地方特殊の気象 (記載なし)
交通関係 長塚駅(常磐線)北西方約5粁
其の他 (記載なし)
(昭和18年4月調)

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

飛行場名  磐城
位 置   福島県双葉郡熊町村
規 模   東西1300 南北1100~1200
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 空襲により大破使用不可能
 格納施設 記載無し
摘 要   施設軍有

■「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会 大空への鎮魂第21号」

位置 福島縣双葉郡熊町村
滑走地区 地積二一二〇〇〇〇平方米、中型機用
付属設備 居住施設一〇〇名を収容し得 他に講堂自習室(約一五〇名)あり 一一ピスト分教場 水量水質 右需要す
周囲の状況 敷地は長者ヶ原と称する高台にして 東方を除き敷地周囲と一〇米内外の標高差を有し 
      東方は太平洋に面し海面と四〇米内外の標高差を有す
気象 最高気温 三四・七度
最低気温 零下九・二度
北西界線より北西に直距離に 五粁にて 常磐線「ながつか」駅に連絡す
其の他 憲兵 福島縣相馬郡原町分隊 警察 富岡警察署

この飛行場は情報がほとんどなく、地元の図書館で位置を確かめたところ、

「夫沢海岸台地」という記述があり、調べた住所でたどり着いたのは、

東京電力福島第一原子力発電所なのでした。

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大熊町夫沢周辺

辿り着いたはいいのですが、

「オ、オイラ、飛行場探してるんだな」

なんて言いながら原子力発電所に入ろうものなら、10分後には白黒の車に乗せられてそうです。

という訳で、流れ着いたのは「展望台」でした。

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そして「東電展望台」の駐車場で発見した飛行場の碑

「磐城飛行場跡記念碑」(全文)

この地起伏少なき松山に 農家散在す、昭和15年4月国家の至上命令により突如 陸軍で飛行場建設決定 住民11戸移転直ちに着工す、当時 工法はトロッコにスコップで手積み 人力で押し逐次軌道延長整地す、作業人夫は請負業者と郡内外の青年団 消防団 大日本愛国婦人会 学徒一般民等献身的勤労奉仕で半ば強制作業で工事が進められた この地水源なく志賀秀孝氏の井戸より送水使用す 17年早春 宇都宮飛行学校磐城分校発足 20年2月磐城飛行場特別攻撃教育隊として独立 日夜猛訓練受け第一線配属若者が 御国のため大空に散華す 同年8月9,10日 米軍空母艦載機の大空襲で施設破壊亦各地方の被害甚大なり 20年8月15日終戦となる その後一部農地開拓す 昭和23年日本国土計画で中央部以北塩田化海水揚げ天日式で濃縮 旧長塚駅近くまでパイプで送り製品化す 34年イオン樹脂交換製塩発達のため閉じる 亦塩田以外の地23年旧地主に払下げ25年植林す 37年東京電力株式会社原子力発電所建設備候補地となり39年買収41年本着工現在に至る 思い出大き この地忘れろるを憂い終戦43回忌に当り大戦で亡くなられた人々の御冥福と恒久の平和を祈り兵舎跡地にこの碑を建立す  昭和63年8月15日 磐城飛行場跡記念碑建立有志会

「東電展望台」は飛行場の兵舎跡だったのですね。

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碑の裏側

当飛行場は「宇都宮飛行学校磐城分校」だったのですが、1945年2月に「磐城飛行場特別攻撃教育隊」として独立しました。

「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」からいただいた機関紙によりますと、

磐城飛行場が特攻訓練基地として独立してから3ヵ月後の1945年5月、

埼玉県桶川飛行場から当飛行場に飛行兵と整備員が特攻訓練のために短期派遣されています。

桶川飛行場はオイラの地元なのですが、思わぬところで磐城飛行場と繋がりがあったのですね。

陸軍つながりということなのでしょうか。

派遣された整備員の方によりますと、夕方から薄暮にかけての夜間飛行訓練で、

しかも洋上で羅針盤を使った飛行訓練だったのだそうです。

桶川からは、この洋上航法を習わせるために派遣されたのではないかと思われるのだそうです。

整備員の方は、午前中は海で海老取り。砂の中にオキアミが残るのでそれをバケツですくい、

一晩おいて翌朝の味噌汁に入れたのだそうです。

訓練が始まる午後から夕方にかけてが整備員の仕事で、飛行機は95式練習機だったのだそうです。

更に、漁船をめがけて特攻の訓練が行われたのだそうです。

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福島第一原発展望台より

なんとなくテレビで見たことあるような…

展望台のあるこの地が兵舎等がある建物敷地で、原発のある辺りが滑走地区だったようです。

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同じく展望台から

この周辺も飛行場だったと思うのですが…


     福島県・磐城飛行場跡地     

磐城(夫沢)飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:中型機用飛行場
所在地:福島県双葉郡大熊町夫沢
座 標:37°25′0N 141°1′5E
面 積:300ha(滑走路地区:212ha)
滑走帯:1,300m×1,200m全面芝

沿革
1939年06月 夫沢海岸台地約300haが飛行場用地として買収され、民家10戸が移転 
       熊谷飛行隊磐城分校として滑走路等作られる
1941年04月 夫沢磐城飛行場開場 約60機の練習機が置かれ、飛行兵の訓練をする
1942年   宇都宮飛行学校磐城分校として開校
1945年02月 磐城飛行場特別攻撃教育隊として独立。特攻隊の訓練基地となる
    05月 桶川飛行場から飛行兵、整備員の短期派遣   
    08月 09日 この頃、双葉沖200カイリに空母16隻の機動部隊あり
       09日午前8時頃 夫沢の飛行場を艦載機群が攻撃 格納庫、練習機を機銃掃射で破壊 死者1人
       10日午前9:15頃 艦載機の焼夷弾により、全焼44戸、全壊3戸、半壊3戸、死者6人
※2011/8/8 ざんなんさんからの情報により追記致しました。

関連サイト:
ブログ内関連記事
   

この記事の資料:
大熊町史年表
現地の碑文
「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会 大空への鎮魂第21号」
防衛研究所収蔵資料 「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.10 水路部」
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」