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九州旅行・3日目 [■旅行記]


Ⓐ日向市のビジネスホテル→Ⓑ富高飛行場跡地→Ⓒ新田原飛行場の掩体壕→Ⓓ宮崎空港の掩体壕→Ⓔ都城東飛行場跡地→Ⓕ都城西飛行場跡地→Ⓖ鹿児島中央駅近くのビジネスホテル

 

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宮崎県小倉ヶ浜

本日は宮崎県内の飛行場跡地、掩体壕をひたすら見て回ったのでした。

1日で多分12個の掩体壕を見ました。

掩体壕探しは昨日に引き続きなのですが、こうも1日中掩体壕ばかり探していると、

ちょっとした山、黒っぽいコンクリートを見ると、体が反応してしまいます。

すっかり「掩体壕探索モード」になってしまいました。

 

後半の都城東、都城西飛行場跡地は、出発日直前に偶然ネットで知った飛行場で、

(今回周るの無理だろうなぁ…)と思っていたのですが、見ることができました。

順調に進んでたくさん見て回れると、それはそれで良いことなのですが、

移動→見学→移動→見学 をひたすら繰り返すのみなので、それ以外に書くことがなくなります。

ということで、大分と宮崎の感想など。

遺構探しは、まずネットで情報集めをするのですが、ピンポイントで場所を特定できるのは稀で、

「おおよそこの辺りにある」としか分からないのがほとんどです。

それで現場周辺に到着してまずは自力で探すのですが、見つからないと地元の方にお聞きします。

また、遺構が私有地内にある場合は撮影許可を求めます。

 

で、今回特に大分県と宮崎県で随分いろいろな方にお声をかけさせて頂いたのですが、

関東では5秒で済むような会話が、ここでは3分位かけてじっくり説明してくれます。

畑仕事をしているおばあさんに某掩体壕の場所をお尋ねした時など、

オイラは単にこの先に掩体壕があるかどうかお聞きしただけなのに、

わざわざ農作業の手を休めて腰を上げ、当時の状況、人々の様子、被害状況まで話してくれ、

「掩体壕はこの先の二又をだからね」と何度も繰り返し教えてくれました。

おばあさんにお礼を言って、掩体壕に向かいました。

二又を左に行った所に車を止めていたので、車で移動しようとをに曲がったら、

「そっちじゃないですよぅ~」とおばあさんの大声が周囲に響きましたΣ(゚Д゚;)

な、なんて親切…(;´Д⊂)

 

16:46 本日の見学をすべて終え、鹿児島に移動開始。

明日の朝9:30に鹿児島港を出港する船に乗るのですが、

切符発売開始は8時から(先着順)なので、港近くのホテルを予約してあったのでした。

途中、地元のドラッグストアで2Lの水を3本購入。特売で@68円でした。

連日25℃以上あり、毎日2リットルは飲んでいたのでした。

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途中、いい感じになってきたので撮影。

夕日がちょうど森の影に隠れてしまいます。

(あの木の向こう側に行ってみよう)ということで移動開始。

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木の向こう側に行ってみたら、今度は電線、工場が…(;´Д⊂)

やっぱりさっきの場所でじっくり撮ればよかったです。とほほ。

下手に動いて失敗の典型ですね。

ニュースで、宮崎大学校の訓練機が鹿児島空港に胴体着陸して空港が閉鎖中と言ってました。

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19:00 鹿児島市内のガストで夕食。

二夜連続でチキン南蛮だったので、ちょっとへるしー。 

車中泊だと、日が暮れて、翌朝の目的地に向かいつつ、風呂を探して、道の駅を探して…という感じなのですが、

疲れるし眠いし、これが結構面倒なのです。

今回のようにホテルの予約を入れていると、日が暮れたらホテルに向かうだけだし、

風呂には無条件で入れるし、非常に楽でした。

反面、融通が利かず、目的地に行けなかったりしますが…

 

ホテルに到着すると、立体駐車場を操作するおじさんから、

「いらっしゃい! 桜島の灰がすごいね^^」と言われました。

未だ火山灰の恐ろしさをまったく知らなかったオイラは、この時は特になんとも思わなかったのでした。

おやすみなさい。

 

(続きます)


宇佐航空基地(宇佐海軍航空隊)跡地 [├空港]

  2009年10月、2016年5月訪問 2023/1更新  


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撮影年月日 1947/04/16(昭22)(USA M271 16)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)  

大分県宇佐市の日豊本線と宇佐市役所にはさまれたエリアにはかつて海軍の「宇佐航空基地」ありました。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
の中で一部次のように記載がありました。

基地名:宇佐 建設ノ年:1940 飛行場 長x幅 米:1300x1300芝張ノ内1800x80コンクリート 主要機隊数:小型5.5 主任務:教育作戦 隧道竝ニ地下施設:居住(3000平米)指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、工業場、倉庫、魚雷調整場 魚雷格納庫 掩体:中型有蓋1 中型無蓋41 小型有蓋5 小型隠蔽30 其ノ他記事:桜花格納隧道10機分 同切込掩体33機分 

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には「宇佐空開隊(S14.10.1)(昭15建)」とありました。 

周辺には掩体壕など様々な遺跡が残っています。

 

城井1号掩体壕
(以下、写真は2009年のものと2016年のものが混在しています。ご了承くださいませ。市の史跡になっている城井1号以外の掩体壕はすべて所有者、近隣の方から許可を得て撮影させて頂きました。快く許可下さった地元の皆様に心より感謝申し上げます。どうもありがとうございましたm(_ _)m )

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宇佐市指定史跡として整備されている「城井1号掩体壕 」。

周辺に案内標識もあり、探しやすいです。

ご覧の通り、駐車場、トイレ完備。奥に1号とは別の掩体壕も見えます。

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国東半島杵築沖で地引網にかかり引き上げられた零戦のエンジンとプロペラが展示されています。

この掩体壕は元々零戦用のものだったそうです。

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ぼろぼろのプロペラ

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天井アップ。かなり凸凹していて、足跡らしきものがいくつもありました。

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掩体壕の床面には、格納状態を示す零戦原寸大の線が引かれてました。

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全国から参集した154人の若者がここから沖縄の空に散っていきました。

154名の特攻隊員の氏名、出身地が刻まれています。

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特攻隊が飛び立っていくのを手を振って見送った人々をイメージして造られたモニュメントなのだそうです。

 

城井掩体壕群・2
(以下、「城井掩体壕群、畑田掩体壕群等、表記は、「宇佐市平和資料館」の資料に記載されているものを使用させていただきました。ただし末尾のアラビア数字はオイラが便宜上付けたものです。ご了承くださいませ)

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1号掩体のすぐ近くにあります。

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農機具置き場になってますね。

 

城井掩体壕群・3

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工場に隣接しており、パイプ?が掩体壕の中に入っていくという、独特の外観です。

 

城井掩体壕群・4

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1号掩体からそれほど離れておらず、周辺は車一台がやっと通れる道なので、徒歩がよいかもしれません。

1号掩体から南東方向を眺めると、ポコッと掩体の背中が見えます。

掩体入り口部分にひさしが設けられていて、カーポートになっています。

 

中型掩体壕

県道629号線 教覚寺入口の押しボタン式信号の交差点から北に200mちょっと行くと右手にあります。

周辺は田んぼが広がっていて見通しが非常に良く、見ないように努力しても絶対視界に入ってきます。

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開口部隣に民家があります。

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これでも「中型有蓋掩体壕」。デカイです。

宇佐に現存する10基の掩体壕の中では最も大きいです。

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畑田掩体壕群・1

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農機具置き場になっていますね。

 

畑田掩体壕群・2

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こちらも農機具置き場。

 

畑田掩体壕群・3

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畑田掩体壕群・4(未撮影)

この掩体壕は私有地内にあるのですが、オイラがお邪魔した時はお留守だったため、撮影していません。

(本当は位置確認のため遠くから撮ったけど)

 

畑田掩体壕群・5

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ということで、「城井掩体壕群」4基、「畑田掩体壕群」5基(1基は未撮影)、そして森山の「中型掩体壕」1基、

これが城井1号掩体壕の説明版にある「10基の掩体壕」と思います。

また、「宇佐市平和資料館」の資料によれば、森山の「中型掩体壕」の西北西約340mのところに、

「無蓋掩体壕跡」があります。

こちらは自宅に戻ってから気が付いたたため現地で確認していないのですが、

「多分コレ」と思う場所を上のグーグルマップにプロットしてあります。

 

平和への願い碑

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城井1号掩体から東約270mの所にある「平和への願い」碑。

碑の側面に「宇佐海軍航空隊滑走路跡」と記されていますね。

ここから真っ直ぐ北に伸びる「フラワーロード南北2号線」 が滑走路跡で、

特攻隊がここから飛び立ち、それを見送った場所には、

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こうしたモニュメントが580mに渡り、道路に沿って並んでいます。

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爆弾池 

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県道629号線沿いに標識があります。

標識に従い左右に広大な田んぼが広がる道を進みます。

県道から二つ目の高圧線鉄塔の手前の道を右折して少し進むと・・・

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こんな場所に出ます。奥に白い棒が見えますね。

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直径20m、深さ3mの池。

杭の片面にこんな説明が。
「この大きな穴は、米軍機から落とされた爆弾によりできたものです。水がたまることから爆弾池と呼ばれています。基地跡には、このような穴がたくさんあり、終戦後に元の水田に返されました。しかしこの穴だけは、「悲惨な戦争の想いを後世に語継ぐ」という所有者の強い思いから、その後の場整備事業でも埋められることなく残されています。」

方形の水田の角に丸い穴があるので、機械化農業には大変な支障だと思います。

毎年毎年手間を惜しまずに池を残し続けておられる農家の方には頭が下がります。

2016/7/23追記:当「爆弾池」には2009年にお邪魔したのみで、2016年には行っていないのですが、グーグルマップ(画像取得日:2015年12月)で確認すると、現在ここは史跡見学場として整備されているようです。

 

落下傘整備所

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県道629号線 爆弾池の標識からさらに東に進むと、こんな標識があります。

ところがここから先の案内がないんですよ。

結局二つしか見つけられず…。

見取り図を作ったのですが、自宅で地図とつき合わせてみたらうまく照合できませんでした。

混乱の元なので地図の掲載はやめておきます。

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多分これが「通信室」ではないかと。

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案内板で「レンガ建物」として示されている「落下傘整備所」。

住宅密集地にあり、壁には生々しい機銃掃射の跡が残っています。

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機銃掃射跡の残る壁

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柳ヶ浦小学校の低いコンクリート製の壁に幾つも弾痕が残っています。

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正門の標柱

弾痕跡からほんの40m先にあります。

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宇佐海軍航空隊の隊門。

浄化槽の埋設工事の際、当時隊門があった付近で掘り当てられたのだそうです。

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小学校では子供たちの元気な声が響いてました。


     大分県・宇佐航空基地跡地    

宇佐航空基地 データ
設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:大分県宇佐市柳ヶ浦 他
座 標:N33°32′55″E131°20′34″
面 積:150ha
滑走路:(開隊時)1,150mx30m  (終戦時)1,800mx80m
方 位:18/36
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1939年10月 1日、艦上爆撃機、艦上攻撃機の練習航空隊として宇佐郡柳ヶ浦村(現大分県宇佐市)に宇佐空開隊
1940年    建設
1941年10月 7日 真珠湾攻撃に参加する空母「翔鶴」、「瑞鶴」の艦上攻撃隊が宇佐で訓練開始
    12月 8日 日米開戦
    12月 28日 真珠湾攻撃に参加した飛行隊が宇佐に帰隊
1943年07月 9日 一般人、学徒の勤労奉仕隊により無蓋掩体壕作り始まる
1945年01月 初旬 有蓋掩体壕づくりが始まる
    02月 11日 赤江(現・宮崎空港)から雷神部隊(「桜花」による特攻隊) が約30機の「一式陸攻」で移動してくる
    02月 16日 練習連合航空隊司令長官より、110名の特攻訓練命令
    03月 1日 宇佐航空隊が作戦部隊になる
    03月 18日 艦載機による初空襲。死者14名
    04月 1日 宇佐航空隊の保有機157機、隊員2,486名
    04月 6日 第1八幡護皇隊艦爆隊・艦攻隊が沖縄方面へ特攻出撃。以降5月11日まで81機、154名が戦死
    04月 21日 B-29による空襲、壊滅的被害。死者320名。以降、4/26 5/7,10,14 8/8にも空襲
    05月 5日 宇佐航空隊解隊 西海海軍航空隊宇佐基地となる(残存機26) 
    05月 7日 八面山上空にて小月基地の陸軍機がB29に体当たりして撃墜する。捕虜2名を宇佐基地に連行
    08月 8日 空襲により航空隊周辺の畑田・江須賀地区などが大きな被害を受ける
    08月 15日 終戦。戦後は水田、住宅地が広がる

関連サイト:
大分県/城井一号掩体壕  
ブログ内関連記事    

この記事の資料:
現地の説明版
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調


九州旅行・2日目 [■旅行記]


Ⓐ東横イン大分中津駅前→Ⓑ宇佐飛行場(宇佐海軍航空隊)跡地→Ⓒ大分空港(ホーバー往復乗船)→(佐伯市スルー)→Ⓓ日向市のビジネスホテル

 

2日目

7:00 ホテルの朝食バイキング

7:30 ホテル出発

8:00 大分県宇佐市の飛行場跡見学

ここは非常に見どころが多くて、探すのに手間取ったこともあり、

2時間あれば回れると考えていたのが、

結局1時間オーバーしてしまいました。

そしてこの1時間遅れが計画の歯車を狂わせる結果に。

12:20 大分空港到着。ホーバー乗り収めです。

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計画では待ち時間なしでサッと乗れるはずだったのですが…

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これがホーパーのキップDA☆

 

大分~空港のホーバーのチケットをまともに買うと、片道2,980円もするのですが、

5時間以内に戻ってくることを条件にした送迎用の往復キップが2,800円で販売されており、半額以下になります。

非常にお得なのですが、この切符には落とし穴があり、

飛行機利用客がまず乗り込み、往復券の客はその後。

満席になると次の便に回されてしまいます。

結局往復とも後回しにはされなかったのですが、

結構ギリギリでヒヤヒヤしました。

往復券の客は先着順なので30分前にはもう列ができているのですが、ジッと列を作っている我々を尻目に

後から後から飛行機利用客がやってきて先に乗り込むため、精神的にもよろしくなかったです。

 

この日も含めてホーパー廃止まで残すところあと3日。

いかにも「最後に乗りに来ました」という雰囲気の方がたくさんいました。

ビデオを回している人が大勢います。

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13:20 出発

飛行機利用客が先に大勢乗り込んでいたため、窓席はすべて埋まっていました。とほほ。

エンジンをかけ、スカートに空気を送り込むと、スーッと船体が持ち上がります。50cm位でしょうか。

この便の運転手、「早く座席について下さいっ!  座席についてもらわないと出港できませんっ!」

と、なぜか非常に怒ってました。

乗客がもたついている様子は特になかったのですが…

乗り収めの雰囲気台無し。

オイラは戻りでもう1度乗るけど、わざわざ乗り収めでやって来てこの便が最後の方は本当にお気の毒です。

 

S字コースでの不思議な感覚を味わって、海面へ。

浮いているから当然といえば当然なのでしょうが、アスファルトのスロープから海面に進んでもまったくショックなし。

三脚がたくさん並んでました。

エンジン、プロペラ、それに波の影響で、騒音と振動が思ったよりありました。

遠目で見ているほど優雅な乗り物ではなかったです。

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13:50 大分着

器用にクルリと向きを変え、所定の場所に着いたところでスカートへの送風停止。

スーッと船体が沈んでいき、「ゴトッ」と軽い衝撃がありました。

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エメラルド号 乗客席数:105  総トン数:51t  最高速力:約90km/h(パンフより)

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14:30 大分発

この便の運転手はさっきとは正反対で非常に親切な方でした。

戻りの便ではなんとか窓席に座ることができました。

…が、ご覧の通りで窓には塩が付着し、眺めもこんな感じでした。

ところで、エンジンでファンを回して浮いているということは、海上でエンジンが停止したら沈むの??

と不安になったのですが、浮力タンクが装備してあるのでエンジンが止まってもプカプカ浮くのだそうです。

また、エンジンが停止すると10秒程度で停船するのだそうです。

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15:00 空港着

到着後、操縦席周辺は人だかり。

時間の余裕があったということもあるんでしょうけど行きの便では見られなかった光景です。

運転席に座って記念撮影などすることができました。

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オイラも操縦席を撮らせてもらいました。

操縦には五感を総動員するのだそうで、「運転中は話しかけないでください」という表示がありました。

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なかなか離れようとしない困った人たち^^;

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本日はこの後、佐伯市の飛行場跡、平和祈念館見学という予定でした。

ところが本日最初に見学した跡地での1時間オーバーが響き、

ホーバーの接続時間も狂ってさらに遅れてしまい、

今から佐伯市に向かっても、到着は多分5時頃。という状況に。

日が落ちるのが早いので、この時期撮影ができるのはせいぜい5時前まで。

そして記念館は5時で閉館なのでした。

とても間に合わなくなってしまったため、佐伯市での見学は諦め、次回行くことにしたのでした。

 

その日に予定していた所に時間的に間に合わない。ということ自体はよくあることで、

いつもならそういう場合は翌朝までそこに車中泊して留まるのでなんてことないのですが、

今回は冬季でレンタカーなので車中泊不可のため事前にホテルをすべて予約してあり、

特に「いつなくなるか分からない」箇所を優先的に回ることにしていたので、

予定通り動かざるを得なかったのでした。

ということで、ここでホーバーを撮ることに。

次の出発(16:30)を撮ってから出発することにしました。

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せっかく大分空港に来たので、ヒコーキも撮ってみつ。

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ということで、大分空港見学を終えて、160km先の宮崎県日向市のホテルに向かったのでした。

途中ジョイフルで、昨晩も食べたチキン南蛮定食。

9時頃ホテル到着。

ところで空港からホーパークラフトに乗ったのですが、落ち着いて地図を見てみたら、

大分市から乗った方が効率良かったです。。。

大分市から乗ってれば佐伯市にも行けてたかも。とほほ。

 

おやすみなさい。

 

(続きます)


佐賀空港のYS-11再び!! [├雑談]

1998年7月に開港した佐賀空港

開港に合わせてエアーニッポンから寄贈されたYS-11が一般公開されていました。

展示してあるワイエスに好きなだけ頬ずりしたり匂いをかいだり近寄って見学することができました。

ところがその後貨物地区の拡張に伴い、2005年5月に一般公開を中止し、

それ以降は、毎年9月に実施される「空の日」イベントなどの際のみの公開になっていました。

 

現在、YS‐11の一般公開へ向けて、準備が行なわれています。

既に昨年12月に佐賀空港公園への移設作業が完了しており、

塗装の塗り替えをして今年の3月に再び一般公開の予定だそうです。

再び直接機体に触れたり、機内の見学もできるようになるのだそうです。

作業にはワイエスの元整備士の方のサポートがあったのだそうです。

 

久々に明るい話題ですね^^ 


航空自衛隊築城飛行場(旧海軍築城航空基地) [├空港]

  2009年10月訪問 2023/1更新  


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撮影年月日1947/12/15(USA M690 23) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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SkyVector.com
 

福岡県にあった旧海軍の「築城(ついき)航空基地」。

現在は航空自衛隊築城基地になっています。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」

の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:築城 建設ノ年:1941 飛行場 長x幅 米:1400x1200芝張ノ内1800x40コンクリート 主要機隊数:小型9.0 主任務:教育作戦 隧道竝ニ地下施設:居住(3750平米)、指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、魚雷調整場 魚雷格納庫、倉庫、工業場 掩体:中型有蓋4 中型無蓋20 小型有蓋8 小型無蓋20 小型隠蔽170 其ノ他記事:建物空爆ニ依リ焼失 

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「築城空開隊(S17.10.1)(昭16建)」とありました。 

基地の北側には掩体壕が数基現存しているということでお邪魔しました。

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青マーカー地点。

県道25号沿いに遺跡見学者用の駐車場がありました。

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駐車場内に立派な案内板があります。

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現存する有蓋掩体壕:3 無蓋掩体壕:7  
消滅・半壊した有蓋掩体壕:5 無蓋掩体壕:12

かなり残ってますね。

それらが誘導路で結ばれ、南側の基地につながっています。

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掩体壕以外にも施設、弾痕跡など残ってますね。

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遺跡見学者の駐車場から東に新しい立派な道路が延びていて、その先左側にすぐ現れるのがこの

「稲童1号掩体壕」です。

地図上できちんと名前が付けられているのはこの1号掩体だけ。

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地図上には、この「稲童1号掩体」の北東に更に2つ、有蓋掩体壕が現存すると明記されています。

実際に行ってみようと道を進むと「野犬注意」の看板が現れ、

そして本当に2匹の犬がけたたましく吠えながら走ってきました(@Д@)

目の前には掩体壕が。

こっちは車なので、犬に構わず車内から撮ることはできるのですが、

ここは私有地なので撮影許可が必要です。

すんごい吼えてる犬でも大丈夫な犬は大丈夫ですが、この犬は目つきがヤバイので撮影は諦めて引き返しました。

とほほ。

*オイラが撮影し損ねた掩体壕、これ以外の掩体壕については、所有者の許可を得て撮影したサイトがいくつかあり、

閲覧することができます。興味のある方は「稲童掩体壕」などで検索してみてください。

(説明板より)
「築城海軍航空隊」は、昭和17年10月に宮崎県富高町(現・日向市)に練習航空隊として開隊し、昭和18年6月に築城に移転しました。米軍の空襲が激化した太平洋戦争末期には、特別攻撃隊(特攻隊)の出撃基地にもなり、多くの兵士が飛び立って行きました。現在、飛行場は、行橋市、築城町、椎田町にまたがり、「航空自衛隊築城基地」として利用されています。


    福岡県・築城飛行場    

・築城航空基地(戦時中) データ
設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福岡県行橋市、築城町、椎田町
飛行場:1,400mx1,200m(芝張)
滑走路:1,800m×40m(コンクリート)
方 位:07/25
(飛行場、滑走路長さは防衛研究所資料から)

・築城飛行場(現在) データ
設置管理者:防衛省
種 別:軍用飛行場
所在地:福岡県築上郡築上町
標 点:N33°41′06″E131°02′25″
座 標:17m
滑走路:2,399m×46m
方 位:07/25
(情報はWikiから)

沿革
1939年春  海軍が飛行場建設計画の通知を八田村役場に提出
    12月 飛行場建設開始
1941年   建設
1942年10月 1日、築城空開隊
1943年   宮崎県富島町から築城へ初代築城海軍航空隊が移転
    12月 零戦訓練開始
1944年02月 553航空隊と改称され北海道美幌に転出
    03月 築波海軍航空隊が移駐し第二代築城海軍航空隊 開隊
    08月 基地周辺に掩体壕が築造される
1945年02月 特攻隊編成される
    08月 7日 米軍、稲童地区を空襲。特に稲童出屋地区、被害大
    09月 2日 築城海軍航空隊、廃止となる。接収

関連サイト:
ブログ内関連記事   

この記事の資料:
現地の説明板
「日本海軍航空史」(終戦時)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調