航空自衛隊築城飛行場(旧海軍築城航空基地) [├空港]
2009年10月訪問 2023/1更新
撮影年月日1947/12/15(USA M690 23)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
SkyVector.com
福岡県にあった旧海軍の「築城(ついき)航空基地」。
現在は航空自衛隊築城基地になっています。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:築城 建設ノ年:1941 飛行場
長x幅
米:1400x1200芝張ノ内1800x40コンクリート 主要機隊数:小型9.0 主任務:教育作戦 隧道竝ニ地下施設:居住(3750平米)、指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、魚雷調整場 魚雷格納庫、倉庫、工業場 掩体:中型有蓋4
中型無蓋20 小型有蓋8 小型無蓋20 小型隠蔽170 其ノ他記事:建物空爆ニ依リ焼失
■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
には、「築城空開隊(S17.10.1)(昭16建)」とありました。
基地の北側には掩体壕が数基現存しているということでお邪魔しました。
青マーカー地点。
県道25号沿いに遺跡見学者用の駐車場がありました。
駐車場内に立派な案内板があります。
現存する有蓋掩体壕:3 無蓋掩体壕:7
消滅・半壊した有蓋掩体壕:5 無蓋掩体壕:12
かなり残ってますね。
それらが誘導路で結ばれ、南側の基地につながっています。
掩体壕以外にも施設、弾痕跡など残ってますね。
遺跡見学者の駐車場から東に新しい立派な道路が延びていて、その先左側にすぐ現れるのがこの
「稲童1号掩体壕」です。
地図上できちんと名前が付けられているのはこの1号掩体だけ。
地図上には、この「稲童1号掩体」の北東に更に2つ、有蓋掩体壕が現存すると明記されています。
実際に行ってみようと道を進むと「野犬注意」の看板が現れ、
そして本当に2匹の犬がけたたましく吠えながら走ってきました(@Д@)
目の前には掩体壕が。
こっちは車なので、犬に構わず車内から撮ることはできるのですが、
ここは私有地なので撮影許可が必要です。
すんごい吼えてる犬でも大丈夫な犬は大丈夫ですが、この犬は目つきがヤバイので撮影は諦めて引き返しました。
とほほ。
*オイラが撮影し損ねた掩体壕、これ以外の掩体壕については、所有者の許可を得て撮影したサイトがいくつかあり、
閲覧することができます。興味のある方は「稲童掩体壕」などで検索してみてください。
(説明板より)
「築城海軍航空隊」は、昭和17年10月に宮崎県富高町(現・日向市)に練習航空隊として開隊し、昭和18年6月に築城に移転しました。米軍の空襲が激化した太平洋戦争末期には、特別攻撃隊(特攻隊)の出撃基地にもなり、多くの兵士が飛び立って行きました。現在、飛行場は、行橋市、築城町、椎田町にまたがり、「航空自衛隊築城基地」として利用されています。
福岡県・築城飛行場
・築城航空基地(戦時中) データ
設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福岡県行橋市、築城町、椎田町
飛行場:1,400mx1,200m(芝張)
滑走路:1,800m×40m(コンクリート)
方 位:07/25
(飛行場、滑走路長さは防衛研究所資料から)
・築城飛行場(現在) データ
設置管理者:防衛省
種 別:軍用飛行場
所在地:福岡県築上郡築上町
標 点:N33°41′06″E131°02′25″
座 標:17m
滑走路:2,399m×46m
方 位:07/25
(情報はWikiから)
沿革
1939年春 海軍が飛行場建設計画の通知を八田村役場に提出
12月 飛行場建設開始
1941年 建設
1942年10月 1日、築城空開隊
1943年 宮崎県富島町から築城へ初代築城海軍航空隊が移転
12月 零戦訓練開始
1944年02月 553航空隊と改称され北海道美幌に転出
03月 築波海軍航空隊が移駐し第二代築城海軍航空隊 開隊
08月 基地周辺に掩体壕が築造される
1945年02月 特攻隊編成される
08月 7日 米軍、稲童地区を空襲。特に稲童出屋地区、被害大
09月 2日 築城海軍航空隊、廃止となる。接収
関連サイト:
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この記事の資料:
現地の説明板
「日本海軍航空史」(終戦時)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調