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北海道・3 [■旅行記]


Ⓐ小樽港→Ⓑせたな港→奥尻港

2日目

入港1時間前の午前3:30点灯。音楽と共に下船案内のアナウンスが始まりました。

奥さんの着替えもあるだろうし、すぐに部屋を出ようと仕度を始めました。

ご夫婦も起きだしたので、挨拶して荷物を持って出て行こうとしたら、ご主人から話し掛けられ、会話が始まりました。

なんとご夫婦は同じ埼玉の入間市在住でした。

オイラの住む鶴ヶ島とはすごく近いです。

「オイ…、いえ、私は鶴ヶ島なんですよ」と言うと、「どうやって新潟まで来たのか」という話に。

ご夫婦は、ご主人の運転する車で入間を22時に出て、下道を走って朝3時すぎに新潟港に着いたのだそうです。

約300キロを5時間ですよ。すげー。

元々北海道の方で、これから札幌の同窓会に出席するところなのだとか。

ついでにゆっくりあちこち見て回るので、車で行くのだそうです。

車で北海道に行く場合、新潟経由の他に青森経由もあるわけですが、

「札幌まで行くのに、新潟からでも青森からでも時間も金額もほとんど変わらない。

ガス代が高くなったし、長時間ハンドルを握らなくて済むので、絶対新潟経由がいいよ」。

と仰ってました。

 

道内は速度取締りが非常に厳しく、ナントカ山の上から双眼鏡で速度超過の車を見張ったりしているのだとか。

「単独で走る時はせいぜい10キロオーバーまでにしといて、

後は地元のクルマが抑え所をよく知ってるから、ケツについてれば間違いないよ。

変なお土産持って帰らないよーにね! ハッハッハ」

と大笑いしながら教えてくれました。

奥さんからお茶までご馳走になり、結局ギリギリまで部屋にいたのでした。

なんだー。すごく楽しい、感じのいいご夫婦でした。

オイラの昨日1日のあの苦労は一体…。

昨日1番初めに部屋に入った時、ちょっと勇気を出してきちんとご挨拶していればよかったのです。

自分の性格をなんとかせねば。と真剣に考えさせられました。 

下船を告げるアナウンスが入り、礼を言って車両甲板へ。

車に乗り込み、待機。

結局船はまったく揺れず、ゆらゆら感も残りませんでした。

 

そういえば。

北海道を走る時は、やっぱり常識としてあの黄色いシールをリアガラスに貼っておくべきなのでしょうか。

シールを貼ってないせいで店の駐車場などに止めている時に、

「兄ちゃん、あーんでシール貼ってないの! ナマラまずいんでないかい?」とか言われないでしょうか。

「お母さーん。どうしてあの車だけシール貼ってないの?」

「シッ! 見るんじゃありません!」

なんてことにならないでしょうか。

道内を走る車がみんなあのシールを貼ってたら、オイラも早目にどこかで購入せねば…。

 

誘導員の指示でゆっくりと車が動き始めました。

乗船時、前進で所定の位置に車を停めたのですが、

下船時にはそのまま広い車両甲板内でぐーっとUターンして出ました。

乗船/下船共に前進のみで、バックしないので楽でした。 

4:40 船外へ。

すぐさま移動開始。

 

まだ薄暗い、歴史を感じさせる小樽市街地を走行。

奥尻島行きのフェリーに乗るため、せたな港に向かいました。

瀬棚は170キロ先にあり、 

8:45までに乗船手続きを完了しなければなりません。

正味4時間、平均時速42.5キロ以上を維持して走り続けないと間に合いません。

早朝の時間帯だし、ここは北海道だし、まぁ大丈夫だろうと考えていたのですが、

今回の旅行で唯一、間に合うかどうか心配な箇所でした。 

朝食は運転しながらカロリーメイト。

 

カーナビにはせたな港を目的地に設定してあったのですが、

しばらくの間正確な現在地を認識せず、新潟西港周辺の道路を誘導されました。

なんか「これからフェリーに乗る」とか言ってるし…。

ここはもう北海道だべさー。早くこっちに来てくれー!

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結局せたな港に到着したのは、リミットより1時間も早い7:45でした。

ん~。流石北海道。

結局、あののシールを貼っているクルマは1台も見かけませんでした。

アレは観光客専用だったのか…。

せたな港から奥尻港までは大人片道1,660円、所要約1時間半です。

オイラとしてはできれば車をここに停めておき、身一つで奥尻に行きたかったのですが、 

実際には往復で約25,000円も出して船に車を載せました。 

奥尻空港には昼の時間帯に函館からの一往復があるだけで、

離着陸を撮って、空港周辺を回ると、もうその日はせたな港に戻る船はないのです。

奥尻島からは、行きでオイラが利用するせたな港からの便以外に、

江差港との航路もあり、この時期はそれぞれ1日2往復しています。

空港を見学してからだと、その日に乗れる便は江差行きしか残っていないため、

どうしてもこうなってしまったのでした。

動きとしてはこんな感じ。

いっそ島の宿に泊まろうか、とも考えましたが、

島内の港~空港間の移動にタクシーを利用すると、片道30分/6,000円かかってしまい、

金額的メリットがあまりない上、道内で動けるのは3日間と限られているので止めました。

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ハートランドフェリー(今年1月に東日本海フェリーから社名変更)

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時間になり、バックで船内へ。

車輌待機場ではオイラが先頭だったので、最初に船内に誘導され、

車両甲板内では最後尾に。

(これが後々意味を持つのです)

今回はすぐに自分のスペースを確保せんと客室に上がりましたが、ガラガラでした。

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9:25 出港。

出港時、演歌?が流れました。

やれやれと客室で横になっていると携帯が鳴りました。

新潟~小樽間は、出港してほどなく圏外になってしまったのですが、奥尻航路はバリサン(既に死語ですね)でした。 

恐る恐る見ると、会社からの着信。嫌~な予感が・・・。

出てみると、オイラのお得意さんがお客さんを紹介したいという内容でした。

しかも2件。

おかげでフェリー内と、奥尻島についてから、ご新規さんに延々商品説明と、会社に商品発注/受け渡しの相談。

こういう景気のいい電話は非常に珍しく、もちろん大歓迎なのですが、よりによってこのタイミングで…。

一気に現実に引き戻されました ^^;

一応仕事用の資料持って来ておいてよかった~。 

 

入港10分前、車両甲板に降りかけたのですが、船内放送で、

「衝撃があるかもしれないので、接岸終了まで必ず客室内にいるように」と指示が。

再び客室内に戻りました。

そうか、だから他のドライバーさんたちはまだ悠々と横になってるのか。

まだドライバーさんたちに動く気配がないのを確認し、窓から接岸を眺めることに。

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ゆるゆると不思議な動きを続ける「うにまる」くん。

うにまるくんと接岸を眺め続け、

接岸終わった~。と振り返ると、ナント! 客室には誰もいません。

他のドライバーさんたちがゾロゾロ客室から出て行く中、

オイラは夢中になって窓に額を押し付けるようにして接岸作業を眺め続けてたのです。

オイラは乗り物好きの小学生か!

(エッ! だって、「接岸終了まで客室から動くな」って言ってたジャン!)

慌てて車両甲板に降りると、オイラの車のみ残っていて、

係員たちが「誰の?」と取り囲んでました。

ぎゃ~~~!!

 

(続きます)


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北海道・2 [■旅行記]

前記事ではたくさんのご意見ありがとうございました。

大分悩んだのですが、結局オイラが選んだのは、たくさんの方がご推薦の最も無難そうな

六十代位のご夫婦が2人だけでひっそり使っている部屋でした。

「失礼します」と言って入ったのですが、声が小さかったのか、2人とも目をパチクリしているだけ。

続く気まずい沈黙…(゚Д゚;≡;゚Д゚)

そりゃそうだよなー。

せっかく夫婦水入らずのはずが、変なのが後から入って来るんだもんなー。

「くうきよめ!」だよなー。

必要なものだけ持ち、デイバッグを隅っこに置いて早々に退散。

船内には使用後にお金が戻るコインロッカーがあり、

これが非常に重宝しました。

ええ。ホントに。TT

 

ぼーっと海を眺めたり、これから周る飛行場の下調べをしたり、

あちこち撮影したりして過ごしました。

昼食はセブンのサラダ巻き。

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本格的に晴れてまいりました。

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左舷から海を見下ろしたところ。 

→の方向に進んでおります。

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船舶特有の排気臭と潮の香りが混じり、船に乗ってる~という気がします。

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午後はビデオシアターで映画観賞をしたので、ここで一気に時間が飛びます。

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「本日の日没は19:10」と船内アナウンス。

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我々の船とは逆方向、小樽から新潟に向かう姉妹船「らいらっく」とのすれ違い。 

「旅の思い出に是非ご覧ください」というアナウンスに甲板には見物客が大勢やって来ました。

みんなで盛んに写真を撮っています。

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パンフレットには、「航海速力22.7ノット」とありました。

本当にその通りの速力を出しているとすると、相対速度約84キロでのすれ違い。

間近になると、ビックリするほど速くて、本当にあっという間でした。

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向こうからも盛んにフラッシュが焚かれてました。

突然警笛が響きました。

まずこちらから数秒。続いて向こうから数秒。

やがて暗い海の向こうに消えていきました。 

 

夕食はカロリーメイト。

20:00~21:30の映画「レイクハウス」を見終わり、

どのタイミングで室内に入ろうかと思案していたら、「22時消灯」とアナウンス。

消灯後すぐ部屋に入り、すぐ寝ました。

すんなり入れたので一安心。

爆睡しました。 

 

(続きます)


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北海道・1 [■旅行記]

6月の北海道は梅雨が無いというだけでなく、年間でみても降水量が少ない月らしい。 

ということで、早々にまとまった休みのとれる週にフェリーの予約。

ところが出発1週間前になって予報を見てみると、北海道内を周る日に限って雨ベース!

行くのを止めようか、とも思ったのですが、徐々に予報は良い方に変わっていき、

出発数日前には、晴れ時々曇りベースになったのでした。

やっぱりオイラ、日頃の行いがいいからなー。

1週間近く休みをとるので、それまでの数週間はそれはそれは忙しく、前日も遅くまで走り回ってました。

遊びに行くのに仕事でミスをしてしまったらシャレになりません。

 

 

1日目

10:30小樽行きのフェリーに乗るため、一路新潟へ。

1時間前までに乗船手続きを済ませなければいけないため、

9時過ぎには到着しなければなりません。

それには6時に自宅を出ればいいのですが、ETC深夜割引を使用するため、4時前に自宅を出ることに。

アパート前に車を持って来て、静かに静かに荷物の積み込み。

時間が余ったので、朝食用に何かないかと冷蔵庫を覗くと、とろろがあったので、とろろご飯弁当も作りました。

 

3:47出発。

順調に進み、あまりにも早く着き過ぎそうだったので、手前で降りて国道へ。

新潟までの通常料金は6,300円なのですが、手前で降りたこともあり、料金は3,500円なのでした。

途中のコンビニで今日の昼食を買い、9時前新潟西港到着。

手続きを済ませ、車をフェリーに乗せる列に移動。

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ここには見学のために何度も来ましたが、今日は初めてこのフェリーに乗るために来たのだ。

9:45 乗船開始。

車両甲板から客室に上がって、すぐに荷物を持ったまま後部甲板へ直行。

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出港時は一面曇り空だったのですが、沖に出てだんだん晴れ間が出て来ました。

上の写真、水平線周辺が濁って見えるのは、排気煙です。 

結局1時間以上甲板でウロウロしてから表示に従い2等客室へ向かったのですが、ここで驚愕の事実が判明。

客室は大広間になっているものとばかり思っていて、

後からでも開いている所に場所を確保できればいいや。と思っていたのですが、

12組の枕と毛布がぎっしり並んだ小部屋が廊下に沿っていくつも並んでいる形態だったのです。

開いているドアから中を覗いてみれば、どの部屋も既に数人のグループで埋まっていて、楽しそうです。

オフシーズンの時期なので利用客は少ないのですが、2等の部屋を全て開放しているのではなく、

ドアの所に「閉鎖中」とか「開放中」とか表示があり、使える部屋が限られているのでした。

(しまった、先に自分のスペースを確保しとくんだった…)と思っても、もう後の祭り。

中をチラチラ覗いて、1番入りやすそうな部屋を探すことに。

結局2周もしたのですが、リサーチの結果、残念ながら空室は無し。TT

女性だけの部屋が2室、いかにもドライバーっぽいヤローで既にいっぱいになってる部屋が数室、

明らかにグループ旅行者同士で盛り上がっている部屋が数室、

六十代位のご夫婦が2人だけでひっそり使っている部屋が1つ。

(ん~~~~。どうしよう…)

これが数時間の船旅とかなら、このまま部屋には入らないのですが、

入港は明日の早朝なので、やっぱりどこかの部屋で仲間に入れてもらって一夜を過ごさなければなりません。

オイラ、集団の中に自分から入っていくのはすんごい苦手で勇気が要ります。

あー。なんでオイラはこんな困った状態に…つД`)・゚・。・゚゚・*:.。

 

お聞きしたいのですが、みなさんでしたらどの部屋に入りますか?

それとも何か別の方法を取るでしょうか?

ご意見下さると嬉しいです。

 

(続きます)


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高校生日記・08 [■旅行記]

クブラ・バリという大岩の近くに釣りのスポットがあり、食糧確保によく兄さんと出掛けた。

ヒメダイ、イシダイ、カワハギ、イセエビなど、いろいろ釣れるのでサカナには事欠かない。

「イセエビがたくさん取れすぎて、食べきれなくて捨てた」などという、

こちらの感覚では想像を絶するようなこともあるのだとか。

その釣りのために、浜で餌用のヤドカリを集めるのもオイラの大事な役目だった。

沖縄のサカナは、真っ赤だったり、緑だったり、真っ青だったりで、釣ってる時はキレイでいいのだが、

この宇宙人のような色のサカナがそのままビチビチと汁物の具になると、

普通の赤身、白身しか食べつけないオイラにとっては勇気が要るのだった。

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与那国の泡盛(どなん)の瓶がクリーム色の葉っぱで覆われているのを見たことあるでしょうか?

 

こんなのですが。

夜になると、兄さんは台所のスミで「どなん」のビンにクバの葉を覆う作業をしていた。

1本につき200円増しになるのだ。

裏山から刈ってきたクバの葉が廊下の一角に高さ1mくらい積み上げて干されていた。

よく乾燥したら、雑巾で拭いて、茎を取り除き、葉の部分でビンを巻いて縛り上げる。

オイラも手伝ったが、ビンに巻こうとすると葉がすぐに裂けてしまい、非常に難しいのだった。

酒瓶以外にも、兄さんはこの乾燥したクバの葉を使っていろいろ玩具を作って売り物にしていた。

 

夜遅い時間になってから、兄さんは青年館に郷土芸能?の練習に出掛ける。

オイラも時々親戚の子供たちと見に行った。

青年館はコンクリート製の二階建てで、後ろにいすがたくさん並べてあり、

大勢の人が見学に来ていた。

兄さんは前列で5~6人の人たちと三味線を弾いていた。

我々が見学に来たのに気がつくと、ピースをしていた。

 

ちょっと言葉について。 

オイラは小学校時代の約5年間那覇で生活していたが、

親戚、クラスメイトなど周囲の人たちが使う方言は、同一のものだった。

ところが、当時一緒に暮らしていた父方の祖母だけは唯一の例外で、独特の言葉を使っていた。 

祖母は標準語も我々の使う方言もあまりしゃべれない。

誰かに呼びかける時の、「おい」とか、「ねえ」に相当する言葉は、「エー」なのだが、祖母だけは「ヤー」と言った。

他にも例えば、「ハゴーサヌ」(汚い)のことを祖母だけが「アーダリー」と言っていた。

オイラはこうした祖母だけが使う独特な言葉を、

「長老だけが使える特別な、尊い言葉」なのだと思い込んでいた。 

「神聖な長老言葉」だから、オイラは決して使ってはいけないのだと自分ルールを設け、しっかりと守っていた。

 

ところがこちらに来て驚いた。

島の子供たちが神聖不可侵の言葉を普通に使っているのだ。

まだ小学校にも行っていないような子供たちが普通に「ヤー」などという言葉を使っている。

なんのことはない。

祖母が使っていたのは与那国の言葉だったのだ。

沖縄は島の数だけ言葉があり、更に1つの島でも地域によって言葉が変化する。

本島も、南部と北部ではコミュニケーションが取れないほど異なるのだが、 

そんなことを知らないオイラにとって、祖母の使っていた言葉を普通に使っている島の子供たちには、

ものすごい違和感を感じたのだった。

 

与那国滞在中、兄さんからいろいろ話を聞く機会があった。

例えば、東京から与那国まで1番安上がりで行く方法。

東京から与那国まで、一升瓶2本で行けるのだと教えてくれた。

「東京~那覇まで船を出している知り合いがいるので、一升瓶持って『よろしく』と言えば、那覇まで行ける。

那覇から与那国までは一升瓶持って親戚の船に乗ればいい。簡単サ」。 

 

島のゆるゆる事情も教えてくれた。

沖縄本島から遥か遠いこの島は、本当にゆるゆるだ。

沖縄本島ですらゆるゆるなのだから、内地からすれば、もう、なんというか、想像を絶するほどゆるゆるなのだ。

ある日島で検問があり免許証の提示が求められた。

1台の車が止められ、「免許証拝見」と言われて差し出したのは、船舶免許だった。

警官から「車の免許証を見せてください」と言われた男性は堂々と、「免許はこれしか持ってない!」と答えたのだとか。

沖縄本島の警察署から新しくやってくる警官は、

「自分がこのタダレきった島の規律を正す!」と正義感に燃えているのだが、島の長老から、

「我々は殺人しない。人のモノ盗らない。誰に迷惑をかけているわけでもないのに、

なんでアンタはそんなにヤカマシク言うのか」と説教されてしまい、

島のあまりのゆるゆる王国の惨状を毎日目の当たりにし、すっかり嫌になってしまうことが多いのだとか。

他にも警察関係のゆるゆる話をいろいろ聞いたが、 とてもここには書けない。

 

あっという間に楽しい日々は過ぎていき、そろそろ帰る日が近づいてきた。

親戚のオバーは、オイラが1度貨物船に乗ればもう懲りて、2度と乗りたいなどとは言わないと思っていたらしいが、

オイラは那覇に戻る時も是非貨物船に乗せて欲しいと頼み込んだ。

「なんとモノズキな」と内心呆れていたと思うが、ともかく帰りも貨物船に乗せてもらえることになった。

ところが肝心の船は台風の接近で石垣から那覇に引き返してしまった。

それから2日後、オイラはヒコーキで那覇に戻ることになった。

13:30発 14:05着の与那国発石垣行き706便の南西航空。

兄さんにジープで空港まで送ってもらい、みんなに挨拶して、ツインオッター(19人乗りのプロペラ機)に乗った。

座席は左側に一列、右に二列ずつという変則的な並び方で、オイラは前から3番目で左側の窓席だった。

操縦室のドアが開いていて、パイロットが離陸の準備をしているのが見えた。

このまま操縦の様子を見ることができるのかと思ったが、出発前にスチュワーデスが閉めてしまった。

滑走路に入ると少しバックした。

短い滑走路を目いっぱい使うようだ。

ブレーキをかけた状態でエンジン音が甲高く響き、機内が揺れる。

ブレーキを解除したヒコーキは、あっという間に離陸。

眼下にはサンゴ礁の緑色の海。

しみじみと与那国とお別れだと思った。

水平飛行は20分ほどで、すぐ降下開始。

台風の影響か、石垣空港への着陸はものすごい揺れ方で、パイロットが横風と格闘しているのが機内にモロに伝わるのだった。

20分後の那覇行きに乗り換え。

ジェット機(多分737)はやっぱり乗り心地が段違いだった。

 

鈍行に乗り続けることに懲りてしまい、鉄道熱がすっかり冷めてしまったところで乗ったヒコーキの体験は、

「やっぱヒコーキ、カッケー!」と、ヒコーキに戻ることを決定付けるものになったのだった。

こうして那覇に戻り、東京行きの船が出るまでの数日間を楚辺の元の自宅と、母方の親戚の家で過ごした。

ある親戚のオバーが、「会社でディズニーランドに行くための一等室のチケットが余っているからこれを使いなさい」

と渡してくれた。

ところがイザ乗船手続きをすると、予約がどうのこうのと言われ、2等寝台になってしまった。

(乗船後、「2等寝台はない」と言われ、結局2等になった)

待合室で乗船案内を待っていると、中部の親戚がわざわざ来てくれて、

「これは、○○が作ったサーターアンダギー。これは私が作ったアンダギー。それからこれはお弁当」と、いろいろ頂いた。

サーターアンダギーは、「まんまるドーナツ」とか、「爆弾ドーナツ」などの名前であちこちで見るようになった。

アンダギーは意外と奥が深くて、パクッと割れてチューリップとか、人が笑ってるように見えるのが、上手にあがったものとされる。

そして大きいものほど、表面を焦がさず、中まで火を通すのが難しい。 

この時港にアンダギーを届けてくれたオバーは名人で、グレープフルーツより更に一回り大きいものを作るのだった。 

オイラの母は子供の頃からアンダギーを作っているが、「これ以上の大きさはムリ」と、ミカン大までのものしか作らない。

名人のアンダギーは特別だから、オイラが船で食べたら大ひんしゅくだ。

家に入れてくれないかもしれない。

何から何まで本当に有難いことだ。

何も出来ない高校生のオイラ1人のために、なんでここまでしてくれるのか。

沖縄滞在中、何から何まで本当にお世話になりっぱなしだった。 

 

お世話になったと言えば。

出発前、持参して行ったお金はギリギリで、超緊縮財政だったのだが、行く先々で親戚のオバーたちからお小遣いまで頂き、

自宅に戻った時には、すごい額のお金が手元に残っていた。

そのお金で当時流行っていたロードマンを購入し、バイクに手を染めるまで約4年間乗り倒したのだった。

 

乗船の時間になり、すぐに甲板に上がって親戚のオバーたちに手を振った。

約7年後、この時に元気に手を振ってくれたオバーと再び沖縄で再会することになるのだが、

その時には病に倒れて既に意識がなく、そのまま帰らぬ人となってしまった。

たくさんの恩を受けたのに、何一つお返しをしないままだった。 

 

甲板には大勢の乗客たちが出ていた。

海のよく見えるデッキでのんびりと横になっている人、上半身裸で寝ている人もいた。

沖縄から戻りの船なのにまだ焼き足りないのか。

特に日没の時間にはたくさんの人が甲板に出ていた。

当時のオイラは夕方の太陽の美しさの価値を知らなかった。

みんなが美しい美しいと言うので、そうなのかな。と思っていた程度だった。

だからついでがあれば日没をひょいっと眺めることはあっても、

日の出を見るためにわざわざ早起きをする人の気が知れなかった。

今はわざわざ夕焼を撮るためだけに出掛けることもあるのだから、随分変わったものだ。

 

自宅周辺で夕陽を撮るようになって、場所探しが如何に大変か知った。

船上での撮影の場合、障害になるものがあるとすれば雲だけだから、

周囲の背景もうまく絵に取り込むテクを持たぬオイラにとって、船での撮影は絶好の条件なのだ。

そう知ってから尚のこと船に乗りたいなぁ。と思うようになったが、

この那覇→東京の船旅を最後に、船で夜/朝を迎えることはなくなった。

オイラが船で長距離移動するとすれば、東京-沖縄なのだが、ヒコーキの格安チケットが入手できるようになり、

2日間船内での食費のことを考えるとあまりメリットがなくなってしまったためである。

出港から2日後、朝起きて甲板に出てみると、既に東京湾内に入っていた。

キリで真っ白の、寒い朝だった。

 

 

これで旅行記は終わりです。

長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

最後に、この旅行中お世話になった大勢の方に謝意を表します。


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高校生日記・07 [■旅行記]

それまで約2年間、「受験」、「受験」と煽られ続け、成績至上主義の雰囲気にすっかり呑まれ

(といってもそんなに勉強しなかったが、雰囲気だけは(゚Д゚;≡;゚Д゚)焦っていた)、

東京の生活サイクルに懸命に追いつこうと必死になっていたオイラにとって、 

ここでの生活はまさにカルチャーショックの連続だった。

まず、なんといっても流れる時間がゆっくりで、時間をセカセカ気にする人がいない。

内地の感覚で端的に言えば、ものっそいルーズ。よく言えば「おおらか」

いわゆる「沖縄タイム」だ。

 

「沖縄タイム」といえば、必ず思い出すエピソードがある。

オイラがまだ那覇に住んでいた時のこと、

親戚のおねーさん(高校生か、大学生くらい)がうちに用事で来ることになった。

詳しいことは忘れてしまったが、母と結構重要な用事があって、

「○時から話し合いをしましょう」ということだった。

約束の時間になっても、もちろん来ない。

だって 「沖縄タイム」だから。

ところが30分待っても1時間待っても来ない。

さすがに事故にでも遭ったのかと、おねーさんの家に向かって歩き出した。

中間地点まで来た辺りで、遥か向こうに人影が見えた。

こちらに向かって歩いている。

と思ったら、急にしゃがんで動かなくなった。

近づいてみると、おねーさんだった。

ずっとしゃがんだままで一体何事かと思えば、なんと、お花を摘んでいたのだった。

おねーさんはオイラに気がつくと、オイラを見上げてにっこり笑い、言った。

「あのね、今向かってるとこ」。

 

一般的に言って、本島から離れれば離れるほどこののんびりムードは更に加速する。

いや、のんびり加減が増すのだから、加速でなくて減速か??

とにかく与那国は最果ての小さな島だから、かなりのんびりだ。

こののんびり加減は恐らく全国でもトップクラスなのではないか。

この、のんびり、ゆっくり、遅れる、ということに関するとらえ方も内地との相違点だった。

ここではこうしたことが決して罪ではないのだ。

時間に遅れること、そして約束そのものを守らないことにさえ、内地の感覚でいえば罪悪感が発生していないように映る。

 

そうしたのんびりムードに驚かされたのと同時に、不便な島での生活は、

成績、学歴という尺度でしか人の価値を測れなかったオイラに、如何に自分がちっぽけな存在かを教えてくれた。 

学業の頭の良さと人間性は両立しなくても成り立ち、便利な都心では、金さえ払えばそれで事足りることが多い。

しかしここでの生活は、そんなオイラの「常識」をあっさり壊してくれた。 

 

朝はいつも8時頃兄さんとジープで牧場に行った。

ジャングルのようなところを通って行くのだが、ジープでないと絶対に登れないような急な坂、

大きな穴がたくさんあり、初めてアスファルト道路のあり難さを知った。

牧場に近づいたところでクラクションを鳴らすと、どこからともなく真っ黒な牛がのそのそと5頭現れる。

木製の柵越しに、蚊取り線香のカンで配合飼料をすくって、大きな鉄製のタライに入れてやる。

牛は5頭なのにタライは4つなので、すぐケンカが起きた。

この牛、見た目は怖いのだが、兄さんは牛の機嫌が悪い時に胸をこずかれてぶっ飛ばされたことがあり、本当に怖いのだった。

 

浜辺の近くに新しい家を作っている。

1階は郷土資料館にするのだそうだ。

この家の建築廃材も自分たちで処分しなければならぬ。

兄さんとジープに廃材を山と積み込み、島の共同ゴミ捨て場に行ったり来たり。

半日掛りでに捨てに行ったりもした。

 

日中は親戚の子供たちの宿題を手伝った。

小学生の勉強ならオイラでもなんとかなる。

確か、九九とか分数とかを手伝ったような気がする。

子供たちは人懐こくてとても可愛いのだった。

いつの間にか勉強そっちのけでじゃれて暴れ回ってしまう。

精神年齢が著しく低いので、子供と同レベルで遊べるのがオイラの特技だ。

そして、いつもオイラがオバーに注意されるのだった。ショボーン。

当時は家の前に小さな店があり、日中はオイラも応対に追われた。

ああ忙しい。

 

地元の人は店に用がある時は、まず家の方に寄って声を掛けてくれるので、店に張り付かなくて済む。

店には、酒、切手、ここで作った玩具、絵葉書、クバの葉で作った扇、蜂の巣、花火など、いろいろ置いてあった。

たまに観光客が「役場でここに店があると聞いて来たんですが」とやって来た。

観光客にはクバの葉で作った玩具をもれなくプレゼント。

オイラも観光客に毛が生えた程度だというのに、観光客の前では、

「ナンタ浜は見ましたか? とってもキレイですよ」などと、

限りなくゼロに近い与那国情報を総動員していっぱしの島民風を装っていた。 

その他、空港にも売店があり、1日4回、石垣からヒコーキが来るたびにこの家の姉さんが店番に出掛けた。

 

当時の与那国には島の中心部に信号機が1つだけあった。

どうみても信号が必要とは思えなかったが、

「子供たちが島を出て、信号機を見ても困らないように」ということなのだそうだ。

 

時々商店に買い物に出掛けた。

買い物といっても、「アイス買って来い」という兄さんのパシリとかだったが。

島の日用品の多くは船便に頼っており、台風の時は欠航が続いて島からアイスが消えた。

やっと物資が届くと、店先には「○○入荷しました」という貼り紙が出た。

 

3時から7時くらいまではいつも目の前のナンタ浜で泳いだ。

強烈な紫外線で大変なことになるので、日中泳ぐ人はまずいない。

地元の子供たちもみんな夕方からぞろぞろとやって来る。 

今はどうか知らないが、当時の与那国で視聴できるのはNHKだけだった。

だから浜辺で子供たちが「昨日の見た?」と盛り上がるのは、

NHKの健全アニメのみ。

浜では、水深1m程度の浅いところでも人にまぎれて小魚の群れが平気でうようよしていた。

2~3m潜ると、大きな魚がたくさん泳いでいるのがよく見えた。

台風の日も泳いだ。

白い大波が沖から次々と打ち寄せてきて、頑張って踏ん張っていても後ろに倒されるのだった。

海底には貝がいて、貝拾いもよくやった。

時々ミノカサゴを発見して、慌てて浮上したりしたけれど。 

 

(続く)


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高校生日記・06 [■旅行記]

甘酸っぱくない高校生日記、まだ続きます。 

 

翌朝、6:30頃目が覚めた。

食堂へ行ってみるともう用意ができていたので、誰もいなかったが、勝手によそってワシワシ食べた。

船は相変わらずの大揺れで、非常に食べ難い。

晴れているのに、昨日よりも更に揺れている。 

おかずを盛った皿があっち行ったりこっち行ったりするので、目の前に来た時に食べるのだ。

お茶を入れたコップは危なくて置いておけない。

石垣~与那国間は潮の関係で特に揺れるため、与那国は「渡難(どなん)の島」と呼ばれている。

宇宙での食事なんて全然大したことない(と思う。行ったことないけど)。 

 

昼、操舵室に入れてくれた。

到着は午後4時頃になるらしい。

島に着くまで自動操縦にしているそうだ。

「どうね、酔ったネェ?」 

「酔ってないです」

「この小船で大丈夫なら、世界中どこの海でも大丈夫サ」

操舵室の後方には大きな机があって、お菓子がたくさん置いてあった。

机の引き出しの中にはたくさんの海図が入っていた。

海図にはたくさんの数字が書き込まれていて、これは水深だと教えてくれた。

前の方に伸びている管に笛がついていて、これは下の機関室との連絡用。

 

港に着く2時間位前から、与那国島が見えてきた。

操舵室の窓にだんだん島影が大きく映るのだった。

レーダーを見ると、ハッキリと与那国の芋のような形が映っていた。

おじさんが無線機で港に、「4:40到着」と知らせていた。

島影がだんだん大きくなり、中央に白っぽく小高い丘が見えた。

ナンタ浜の前を通過し、岬を越えて島の西側にある久部良の港に着いた。

 

残念ながら、結局カジキは釣れないのだった。 

鹿児島から那覇までの船はまったく揺れなかったので、陸に上がっても揺れている感じは残らなかったが、

流石に今回は陸に上がってから1週間近く、寝ても起きても ゆーら ゆーら と揺れている感じが抜けなかった。

岸壁に下りると、知らないお兄さんに「よく来たね。さあ家に行こう」と言われた。

お兄さんに促されるまま、初めてジープに乗った。

(この人誰? 誰?) 車中、お兄さんの話に合わせながら必死に思い出そうとするが、全然思い出せない。 

 

ほどなくある民家に到着。

車を降りて、お兄さんの後にくっついて行く。

武装した男たちに取り囲まれて拘束されたらどうしようかと思ったが、

中から見覚えのある親戚のオバーが出て来たので一安心。

お兄さんが作ったというパインをご馳走になり、しばし3人でおしゃべり。

この会話で、このお兄さんに小さい頃大分お世話になったということが判明する。

小心者で、ボーっとしているオイラにはよくあることだった。

港で声を掛けられた時、「あのー、だれですか?」などと口走らなくて本当に良かった。

 

兄さんが「海で泳ぐか?」と言ったので、早速泳ぎに行った。

オバーの家は、「ナンタ浜」というそれはそれはキレイな砂浜のすぐ近くにあり、

家を出て道路を横切れば、そこは砂浜だった。

砂浜で兄さんに小学生の男の子と女の子を紹介された。

(多分)初めて見たが、親戚の子達で、この子達も与那国に遊びに来ていて、同じ家に泊まっているとのことだった。

それから地元の子供たちに混ざって時間を忘れて泳ぎまくり、

そろそろ薄暗くなってきたなぁ、という頃にオバーに「ご飯よ~」と呼ばれた。

時計を見ると、もう8時前!

与那国の夏至の日没は19:45なので要注意だ。

それから約3週間、親戚の子たちと一緒の与那国での生活が始まった。

 

(続く)


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高校生日記・05 [■旅行記]

翌朝港に行くと、オバーが「船で食べなさいね」と、菓子パン3個、ジュース3本、夏みかん2つをくれた。

この3つは特に重要なキーワードではないので覚えなくても問題ない。

事務所から車で与那国行きの貨物船のところに連れて行ってもらった。

 

本当に小さな船だった。

忘れてしまったが、確か百数十tクラスではなかったか。

出港時間の8時になったが、

「まだタマゴ屋が来ない!」と乗組員のおじさんたちはイライラしていた。

あぁぁぁ…。海の荒くれ漢たちの機嫌が本格的に悪くなって、

オイラにトバッチリがきませんようにいいぃぃぃ! (゚Д゚;≡;゚Д゚)

 

この船は岸壁と甲板がだいたい同じ高さで、間が50㎝くらい離れて隙間ができており、

またいで乗り移るようになっていた。

荷物の積み込みは、大きなもの以外は投げて受け渡しをしていた。

8:30頃、おじさんたちがイカリを上げ、もやいを解いている間にタマゴ屋さんが来て、

こっそりとブツを下ろして誰にも気付かれずにサッサと帰ってしまった。

…アレでいいの?

 

ヒゲもじゃのおじさんがオイラに財布を渡して、「これで買えるだけコーラを買って来い!」とパシらされた。

財布の中には100円玉が4枚と5円玉だけだった。

コーラをオジサンに渡すと、オイラの部屋に案内してくれた。

ファンネルのところから急な狭い階段を下りて船内へ。

階段を下りてすぐの所が狭い食堂になっていて、

そこから船尾方向に高さ約1.5m、1人がやっと通れる位の幅の通路が伸びていた。

かがみこむようにして通路を通り、食堂から2番目の部屋があてがわれた。

ドアを開けると目の前には作り付けのベッドが。

ベッドの手前には靴を2足並べたらもういっぱいという程度の靴置き場。

ベッドは肩幅くらいしかなく、天井も低く、棺おけのようなスペースだった。

ベッドの横に窓があり、海が見えた。

画像.png.jpg

画像 001.png.jpg

出港したのは結局9時頃だった。

ベッドで横になっているとおじさんが来て、「どうしたネェ、酔ったネェ?」と尋ねてきた。

「酔ってないです」と答えると、「一緒に甲板に行こう」と誘ってくれた。

船は、前方が貨物用のスペースになっていて、へさきにクレーンが付いていた。

たくさんの荷物が積み込まれていて、自転車も載せられていた。

しばらく座って海を眺めていると、「あれが○○島、あれが△△島」と教えてくれたが、

どんなに目を凝らしても水平線しか見えず、流石船乗りは目がイイなー。と思った。

 

ともから2本のワイヤーが海に流されていて、「これはカジキを釣るしかけだ」と教えてくれた。

ワイヤーは、船に繋ぎ止める部分が一部ゴムになっていて、カジキが引っかかるとゴムが伸びて分かるのだそうだ。

「せっかくキミが乗ってるんだから釣ってやらんとなぁ」

 

船は時速20キロ位で航行しているのだそうだ。

途中どこの島にも寄港せずに約32時間かけて一路与那国を目指す。

別のおじさんから、「アンタ、恋人いるねー?」と聞かれ、「いません」と言うと、

「なんだー。つまらんヤッサー」とからかわれた。

…ほっといてください。

画像 003.png

画像 002.png

船室に戻ってラジオをつけてみるが、雑音が酷く、日本語放送は2,3局のみで、ほとんど英語か中国語だった。

昼になりおじさんが、「ご飯だよ~」と教えてくれた。

真っ黒に日焼けした海の漢たちと肩を並べてテーブルにつく。

オイラも相当色黒だが、黒さの次元が全然違う。

メニューは、固めのご飯と脂っこい肉汁と、タマネギ、キュウリ、キャベツを刻んだものだった。

揺れていて食べにくかった。

おじさんたちは、とても辛いサラダなのに、しょうゆをたくさんつけて食べていた。

ん~。これが「海の漢」ってやつなのか。 

ご飯は食台の大きなお釜から、お茶はヤカンとお椀が置いてあり、肉汁は奥の調理室から自由にお変わりができた。

食事が終わると、自分で調理室の流し場へ片付けるようになっていた。

 

トイレは食堂の横にあり、汲み取り式でとても臭いのだった。

だからみんな小便はトイレでしない。

それから海は大きなゴミ箱だと認識しているようで、ジュースの空き缶やタバコを普通にポイポイと投げ捨てていた。

午後は甲板で海を見たり、船室で寝たり本を読んだりして過ごした。

その日の夕食は沖縄ソバとご飯だった。

とても美味しかった。

画像 004.png

 

(続く)


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高校生日記・04 [■旅行記]

翌朝、400円のサンドイッチと10円の紙コップを買い、お茶を入れた。

こっ、この細さで400円…。船の食事恐るべし!

昼食は500円の幕ノ内弁当。

鹿児島までの列車の中であまり寝られなかったので、船内では、ゴロゴロと寝てばかりだった。

ここまで2日間列車のイスで寝たわけだが、体を真っ直ぐにして寝るのがこんなに気持ちいいものだったとは…。

 

夜7:30 那覇港接岸。

親戚のオバーが出迎えに来てくれていた。

「何が食べたい?」

「いえ、特に何も食べたくないでス…」

遠慮しているのではない。

暑さと移動が続いてまいってしまい、本当に食欲がなかったのだ。

しかしオバーは遠慮していると思ったらしく、中華料理屋に連れて行かれた。

酢豚を注文するオバー。

やがて目の前に油ギラギラの山盛り酢豚が運ばれてきた。

単品で。

「さあ、遠慮しないで全部食べなさい」と言われた。

うぅ、ぎぼでぃわどぅいぃぃぃ・・・。(←これは本当)

普段は相当食い意地張っているオイラだが、

この時ばかりは目の前でこれ見よがしに悠々として飲み物しか飲まないオバーが心底ズルいと思った。

まあ、オイラも男子高校生に何か夕食を奢ることになったとして、こんなメニューをご馳走すれば、

「うまいッス! 最高ッス!」と大喜びでガッつきそうな気はするけれど。

 

親戚の中に、与那国に物資を運搬する船会社をやっている人がいて、

与那国へはその貨物船に是非乗せて欲しいとお願いした。

「本当に小さい船で、ものすごく揺れるし、酔って大変だよ? 30時間だよ? ヒコーキの方が楽だよ?」

盛んに思い留まるよう脅されたが、こんなチャンス、滅多にない。

どうしても乗りたいのだと頼み込んだ。 

 

那覇からその貨物船が出る日まで、それから数日の間、

本島南部、中部にいる父方、母方の親戚の家にごやっかいになった。

出港予定日の前日には、オイラが沖縄に住んでいた時に暮らしていた那覇市内の家に泊めてもらったが、

与那国行きは出港が1日延びた。とのことで、丸々1日空いてしまった。

その日は終日旅行記書き。出発からココまでの部分を書いたのだった。

室内は朝の9時には既に気温34℃。日中は37~39℃。

連日蒸し暑かった。

 

与那国行きの船に乗るまでの本島での数日間のことは割愛するが、 

オジー、オバーにあちこち連れて行ってもらったり、本当にお世話になった。

ところで今回この記事を書くために改めてノートをじっくり見返してみて、思わぬ発見があった。

当時のオイラがまったく無自覚なところでも大勢の人の親切を受けているのに今更ながら気付いたのだ。

 

例えば、オイラが那覇港に着いたときに出迎えてくれ、中華料理屋に送ってくれたのはAというオバーだったが、

このオバーはここでご帰宅している。

その後酢豚をご馳走してくれ、一晩泊めてくれたのはBという別のオバーだった。

あの時、「オイラにだけ酢豚食べさせてズルいぃぃぃ~~~!!」

としか思えなかった自分が情けない。 

どういう経緯でこの晩2人のオバーが動いてくれたのか、今となってはもう知る由もないが、

こんな調子でいろんなところでたくさんお世話になっていたのだ。

きっと、結局オイラが気付かず終いなところでも、たくさんのお世話を受けているはずだ。

本人は独力で大冒険をしているつもりでも、全然そうじゃなかった。

翌朝、与那国行きの貨物船に乗るため、港に向かった。

 

(続く)


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高校生日記・03 [■旅行記]

翌朝目を覚ますと、外はまだ薄暗く、車内は少しひんやりしていた。

6時過ぎ、西鹿児島駅到着。

鹿児島新港から那覇行きの船が出るのは15:50なので、まだ9時間以上もある。

7:30頃船会社に電話をしてみると、「営業時間は8:30から」というメッセージが流れた。

駅の待合室で待ち、8:30に再び電話。

すると、「船はとても混んでいて、席がなくてもいいならキップを買いに来て下さい」。と言われた。

出発前に確認した時には、「とても空いていて、当日でも買えるから大丈夫です」。

と言われたから安心して乗る前に買おうと思っていたのに…。

それでもキップを早目に買えば座れるのではないかと考えた。

駅前の地図を見てみると、港までは歩いても行けそうだったので、先に銭湯に行く事に。

 

駅前の「ナポリ通り」という道を真っ直ぐ歩いて行くと、

錆びた看板に「鉄湯」という文字があったのでそちらの方向に行ってみた。

銭湯は高い煙突があるから簡単に見つかるはずなのに、なかなか見つからない。

近くにいたオジサンに聞いてみると、「そこはもう潰れたよ」と言われた。

代わりに「文化湯」という銭湯を教えてもらいそこに行く事に。

…と思ったが、急激に腹がへってきた。

このまま風呂に入ったら気絶するやもしれぬ。

食べものを求めてしばし彷徨い、やっとのことで小さな食堂発見。

今にして思えばまだ朝の9時だというのによく開いていたものだ。

そういえば店内は薄暗かったけど、もしかしてオイラKYだから強引に入っちゃった?

 

実はオイラ、以前某ハンバーガーチェーン店に入ろうとしたら、

自動ドアは壊れてて手で開けて入らないといけないし、店内は薄暗いし、

注文しても店員はなんか微妙な受け答えで無愛想だし、商品が出てくるのもやたら遅いしで、

「なんつー店だ(怒)! こんなんだから客が1人もいないんだよメーン!」

と思って出てきたら、まだ開店前だったという武勇伝の持ち主なのだ。

なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ

 

うどんを食べ、文化湯に着いたのが9:30頃。

その後再び西鹿児島駅へ。

直射日光が容赦なく照り付け、既に気温も上がってきて、信号待ちの時はみんな影の部分に退避している。

地元の人たちは西鹿児島駅を「西駅」と呼んでいた。

「西駅」。

なんだかオイラも通になったような気がしてきた。

西駅前の旅行センターで船のキップを買おうとすると、

「もう満員でキャンセルでもない限りここでは買えません」。と言われる。ガーン!

係のおねえさんに、「明日の便にしたらいかがですか?」と言われた。

…ヤダ。

 

それでも港に行けばなんとかなるだろうと思い、11:30頃移動開始しようと決めた。

何故あの時、駅で1時間待ってから港に向かうことに決めたのか、分からない。

もしかしたら、早目に着いても15:50の出港まで何もすることがない、

ということに囚われていたのかもしれない。

今にして思えば、いくらここに留まっていても時間の無駄なのだ。

むしろ入手困難なチケットを得るために、一刻も早く港に行った方が良い。

その港だって、遅れて行けばチケットが手に入るかどうか分からない。

しかも、港まで延々歩くつもりだったが、これからの時間帯は暑くなる一方だ。

どう考えても、即港に向かうべきなのだが、何故かオイラは1時間駅に留まった。

 

駅舎は蒸し風呂のような暑さで、1時間の滞在中、何度も隣にある郵便局の冷水機のお世話になった。

そういえば、なんで朝から風呂に入ったんだろう。

これから更に大汗必死だというのに…。ダメジャン!(XДX)

予定通り11:30に「西駅」出発。

濃くて短い影。

暑くて重くてダレてくる。 

 

時々道を尋ねながら1時間くらい歩いたところで海岸に出た。

小さな漁船がたくさん並んでいて、桜島が見えた。

デ、デカイ! まるで麓に立っているかと錯覚するほどの大きさだ。

山頂は大きな入道雲に隠れていて見えず。

海岸沿いに今は使われていそうもない、小さな線路が延びていた。

その線路に沿って歩き出す。

 

ずっと行くと、海岸と少し離れた大通りの交差点に出た。

…どっちに行けばいいのかまったく分からない。

近くを通りかかったお姉さんに聞いてみると、

「ここからはまだまだ遠くて歩いては行けないからバスに乗った方がいいよ」と言われる。

と、その時クラクションが鳴り、知り合いらしいお兄さんが「どうしたの?」と車から降りて来た。

お姉さんがかくかくしかじか説明すると、そのお兄さんが「俺が連れてってやる」と言うので、

お言葉に甘えることにした。

なんて偶然!

鹿児島は親切な人が多かった。

 

礼を言って車を降り、港のカウンターにたどり着いたのが1時頃。

「沖縄まで」と言うと、普通に手続きが始まったのでホッとした。

ところが「9,200円です」と言われて初めて、大金は万が一の時に取られにくくするため、

バッグの一番下のズボンのポケットに忍ばせておいたのを思い出す。

慌ててその場でバッグの中身をひっくり返してお金を払い、エライ恥をかいてしまった。

自分で取りにくくてどうする!

今でもたまに空港のカウンターで荷物をひっくり返す光景を目撃する度、あの時のことが思い出される。

 

待合所にはまだ10人くらいしか居なかった。

外は暑いので、待合所でうろついて時間を潰す。

2:30頃、菓子パン2個とブリックパック牛乳2個の昼食。

イスで寝たり、コンテナの積み込み作業を眺めたり、本を読んだりして過ごす。

4:30頃から人が多くなってきて、5時に乗船というので早くから並ぶ人もいた。

オイラはバッグに順番待ちをさせる。

「混雑しているので乗船は5:30から」というアナウンス。

 

時間になり、待合室のドアが開かれて、船内に入るための階段を登ろうとしてギクッとする。

みんな、オイラが持っている電車のキップのような小さいのでなくて、紙の大きなキップを携えているのだ。

それまでに何度か東京-那覇を船で往復したが、そういえば、乗船書をターミナルで大きな紙の券に変えてもらっていた。

この券も大きな紙に変えないといけなかったか。

再びカウンターに戻って長い列の最後尾につく。

20分くらい待ってようやくオイラの番になり、キップを出すと、「これでも乗れるよ?」と言われた。

ガーン!

改めて階段の列に戻り、乗船。トホホ。

 

キップの裏にはC‐1と記入してあり、二等のC‐1区画に入ってよい。ということだった。

遅れてキップを購入した人たちには区画の指定がなく、

廊下、ゲームコーナー、レストランなどに毛布をもらって寝るしかないのだった。

「船はとても混んでいて、席がなくてもいいならキップを買いに来て下さい」

というのはこのことだったのだ。

 

30分遅れで出港。

出港時、たくさんの紙テープが投げられ、別れを惜しむ光景が広がった。

思えば船に乗る時、いつも家族と一緒だった。

見送り、出迎えもあった。

今この船にオイラを知る人はだれもいない。

その夜は何も食べずにそのまま寝てしまった。

 

(続く)


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高校生日記・02 [■旅行記]

鈍行を乗り継ぐ場合、特急、急行しか走らない深夜の時間帯をどうするかが問題になるが、

当時は、23:25に東京を出発し、翌朝の6:57に岐阜県大垣市に到着する

”345M”、通称「ガキ電」とか「ガキ鈍」、「大垣夜行」と呼ばれる有名な列車があった。

(現在の快速「ムーンライトながら」)

これに乗るためにわざわざ深夜の出発になったのだ。 

 

目当ての列車のホームに出てみると、既にたくさんの人が並んでいた。

列車が到着し、なんとか座ることが出来て一安心。

車内にはほろ酔い気分で帰宅するサラリーマンがいっぱい。

冷房がギンギンに効いていて、非常に寒かった。

荷物が心配でなかなか寝付けず。

ちょっと意識を失っては目を覚ますことの繰り返しだった。

ぼんやりと深夜の車窓を眺めれば、延々続く貨車の列。

     画像 007.png

 

こうして早朝の大垣駅に着いたオイラはその後、

7:15大垣発→10:17大阪発→12:57相生発→14:14岡山発→17:25広島発

と乗り継いで行った。

大垣発の車内で自宅から持って来た串団子の朝食。

大阪発の車内でこれまた自宅から持って来た乾パンと牛乳の昼食。

40分待ちの相生駅では、大編成の貨物列車が何度も通過するのを眺めた。

15分待ちの広島で水飲み場を探したが見つからず、仕方がないのでジュースを買った。

なんだかお腹が空いてきたので、ついでに立ち食いソバの夕食。 

カウンターにセルフの冷水機があるのを発見し、ショックを受けた。

やがて乗客がどんどん降りてゆき、少なくともオイラの視界の範囲では、

ボックスシートの背もたれが並ぶだけで人影は見えなくなった。

日が傾いて車内はオレンジ色に包まれた。

どこからか入ってくる心地よい風とセミの音。

20:01 小郡到着。

 

ここで 20:39発門司行きに乗った。

この赤色の列車で関門トンネルを潜るのだ。

トンネルを通過するのに一体何分かかるのだろうと楽しみで仕方がなかった。 

一大イベントを前に眠ってしまってはイカンと、わざわざ缶コーヒーまで購入してしまうという気合の入れようだった。

この時乗った列車のボックスシートで親切なおじいさんと相席になった。

門司には22時に到着するが、深夜~早朝の時間帯は残念ながら鈍行は走らない。

駅周辺で夜を明かす度胸はないので、

本当は鈍行のみにしたかったが、門司から急行「かいもん」で鹿児島に行くつもりだった。

話の流れで相席になったおじいさんも「かいもん」に乗ることを知った。

おじいさんは、「今の時期は空いている筈だ」と教えてくれた。 

 

…。

肩を叩かれ、目を覚ます。

いつの間にか爆睡していたのだ。

列車は既に門司に着いていた。

関門トンネルを体験できなかったのは甚だ残念だったが、

そんなことより、この列車はここで終点ではなく、この先別方向に行ってしまうので、

おじいさんと知り合いになっていて本当に助かった。

おじいさんは用事があるらしく、「先に乗っててくれ」と言い残し、どこかへ行ってしまった。

発車ギリギリまでホームで待っていたが、結局おじいさんを見たのはこの時が最後だった。

 

車内はガラガラで、イスに横になり寝ることができた。

車内は、丸一日乗り継いだ鈍行とは比較にならない豪華さで、「世の中結局金次第」という現実を思い知らされるのだった。

機関車に引かれる列車に乗るのは初めてで、

前方の車両から順に、「ガチャガチャガチャ!」と連結器が鳴って軽い衝撃があり、

それから滑るように動き出す発車が新鮮だった。

 

こうして、鈍行を乗り継いでまだ見知らぬ土地を走り続けるという、

鉄道に熱を上げて以来の夢を実現させることが出来たわけだが、 

では楽しかったかと言うと、その実オイラは大きな失望感を味わっていた。

オイラは鉄道雑誌で非常に魅力的に描かれている列車の旅に憧れていた。

服来たネズミが仲間たちと一緒に歌ったり踊ったりする某テーマパークのように、

自分からは何もしなくても、ただ鈍行に乗ってさえいれば、

面白おかしいことがオイラの目の前にも次々現れるに違いないと勘違いしていたのだ。 

当時のオイラは、無為に時を過ごすことに楽しみを感じられるほど余裕はなかった。

 

鉄道に乗り続けることをつまらないと感じてしまった理由はもう1つある。

他人との接触だ。

今でもさして変わらないが、当時のオイラは羞恥心が服を着て動いているような人間だった。

知らない人が怖くてたまらなかったし、自分の近くで笑っている人がいると、

自分のことを笑っているのではないかとビクビクしていた。

要するに、群衆の中にいると著しく消耗してしまうのだ。 

列車に乗るということは、群集の中に身を置くことだから、そんな状況が延々続くことにホトホト懲りてしまった。

特に駄目なのが、座席の形状だった。

人の視線が気になって気になって仕方がないオイラにとって、

ボックスシートで他人と長時間「向かい合わせ」になるというのは拷問だった。

いつ果てるとも知れぬ心理戦が苦痛で苦痛で仕方なかった。 

そんななので、旅行した当時の日記にこんなことが書いてある。

 

「途中からずうずうしいお姉さんが3人乗ってきて、他にも空いている席があるのに、僕の座っている4人用のボックスに座って来た。僕の隣に座っていた人がどんどんこっちにせめて来るので、窮屈で仕方がなかった」

 

普通の男子高校生にとってこういうシチュエーションは、

(ヽ( ゚∀゚)ノうひょー! ラッキー!)なのかもしれないが、

これはオイラにとっては苦痛でしかない状況で、膝の上に荷物を載せてその上に突っ伏し、

ひたすら時が過ぎてお姉さんたちがいなくなるのを待っていたのだった。

そしてこの旅行を境にして、あれだけ夢中になっていた鉄道熱はすっかり冷めてしまい、

趣味として行っていたことをすべて止めてしまった。

皮肉なものである。

 

(続く)


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高校生日記・01 [■旅行記]

東京の某高校に入学し、最初の夏休みが始まって間もないある日、オイラは深夜の東京駅のホームに立っていた。

大きなスポーツバッグを1つ持って。

行き先は沖縄の与那国島。

オイラのヒコーキ趣味を知る人からすれば、

沖縄に行くのに何故に深夜の東京駅? と訝しがるだろう。

その理由を説明するためには、大分時間を遡らねばならない。

  画像 006.png

 

オイラのヒコーキ好きは、小1の時に乗った、ヒコーキの強烈な印象に端を発している。

日常生活ではまず経験することのないあの不思議な三次元の加速度感、それに音。

決定的だったのは、たまたま割り振られた座席から見た光景だった。

主翼がよく見える席で、

離着陸時に形を変える様がいつまでも脳裏に焼き付いて離れず、

あの時見た翼の変化する様子は、今でも数年に一度の周期で夢に見る。 

それ以来、重度のヒコーキ症候群に罹ってしまい、現在に至る。

症状は酷くなる一方だ。

 

そんなオイラだが、実は一時期浮気をしていたことがある。

小1~小5まで沖縄で暮らしていたオイラが再び東京に戻って来て、

毎日眺めることが出来る電車にすっかりやられてしまったのだ。

今と違ってネットもない。自分の自由になる時間もお金も限られている。

外界から得られるものは非常に限られており、東京と言っても、埼玉との県境に住んでいたオイラにとって、

羽田はおいそれと行ける場所ではなかった。

せいぜい旅行パンフレットから切り抜いたヒコーキの写真が宝物というレベルだった。

 

そんなオイラにとって、電車は非常に身近なカッコイイものだった。

電車は自宅の窓からいつでも眺めることが出来、10分も歩けば駅まで行ける。

駅前まで行き、踏切のところでいつまでもいつまでも電車を眺めていた。

自宅近くの線路ではなく、わざわざ駅まで行くのにはちゃんと理由があり、

当時のオイラにとって、駅に入る電車のブレーキが焼ける甘い匂いを嗅ぐことは最高にヘブンなひと時だったのだ。

変質者と疑われてもやむを得ないほど鼻腔から盛んに空気の出し入れを繰り返し、

それでは物足りぬとばかり、袋につめて持ち帰り、こっそり自宅で吸引しようかと、

使用する袋の材質選定について真剣に考慮したほどであった。

ある意味最先端を行っていたのだと自負している。

ところが、ひょんな出来事から鉄道趣味の王道に興味の対象が移ることになる。

鉄道だけに路線変更だ(うまいこといった)。

 

ある日、共同のゴミ捨て場にて一冊の電話帳のようなものを発見する。

縛られているわけでもなく、一冊だけポンと置かれたその本には、表紙に鉄道が映っていた。 

早速自分の部屋に持ち帰り、ペラペラとページをめくった。

どのページも細かい数字の羅列。 

時刻表というものの存在をこの時初めて知った。 

これを使えば、今全国のあらゆる鉄道がどんな動きをしているかが分かるのだ。 

 

それからというもの、オイラはすっかり時刻表の魅力の虜になった。

それまでのオイラにとって、電車とは自宅の前を走るものでしかなかったが、

この時から一気にその世界が広がり、脳内で全国を駆け巡ることが出来るようになったのだ。

暇さえあれば全国あちこちに様々な条件をつけて旅行をし、

鈍行で行く場合と、特急を使う場合で時間や金額にどんな差が出るかを調べた。

時刻表ファンの例に漏れず、一筆書き、全国一周、全線乗りつぶしといった

シミュレーションを一体何度繰り返したことか。 

もっとも、「時刻表ファン」なるものが存在することも、

一筆書きなどの遊びがその世界ではありふれたものであることも、

知ったのはかなり後になってからで、みんな考えることは一緒だなぁ、と思ったのだった。 

 

中学に入り、机上旅行部に入った。

特にオイラが興味を持ったのは、ローカル線。

暗くて地味な中学生だった。

運行本数の少ない路線を見ると、頭の中には勝手にイメージが浮かび上がる。

 

北国の寂れた漁港が点在する海岸沿いを走る古い車両

緑深い山間を縫うように細く伸びる線路

 

赤く錆びたレールとささくれた枕木にゾクゾクし、草のはえた薄暗い片側だけのホームにときめき、

夕暮れの中、ゆっくりと走る一両だけのディーゼルカーの姿には目眩を覚え、失神すら覚悟した。

自宅で1人、時刻表と時計を見ながら、「今ボロボロの列車が無人の寂しいホームについたのだなぁ」

などと勝手に盛り上がり、

「ああ、今日もまたこの駅で降りる人は誰もいない。でも頑張って走り続けて欲しい!」

などと、勝手にその路線は余命幾許も無いものと決め付けて心配し、応援していたのである。

完全にイッてしまっていた。

 

ホームの花壇の花がすべて枯れたりとか、駅の窓が割れたりとか、

オイラのはた迷惑な妄想が実際に何某かの悪影響を及ぼしていなかったか、今でも心配だ。

中2、中3とオイラの鉄道熱はますます高まり、沿線の本線支線全駅の入場券を集めたり、

某鉄道作家に迷惑メールを出したり、ロマンスカーの運転手、車掌にサインをねだったり、

いろいろやった挙句の果てにオイラは鉄道会社設立に手を出した。

地図上に架空の路線を引き、駅を設定し、ダイヤを引き、各駅ごとの時刻表をつくり、車両のデザインもした。

メカデザインの得意な友人がいたので、おおまかなコンセプトを伝え、デザインの依頼をした。

アウトソーシングの先駆けである。

出来上がったデザインには偉そうに駄目出しまでしていた。

何様か。

 

甚だ長くなってしまったが、沖縄の与那国が実家の父から、

「高校に入ったら、一度与那国を見てきたらどうだ」と言われた時、

そんなオイラが普通にヒコーキを使うとしたら、むしろ不自然であろう。

鹿児島まで鈍行を乗り継ぎ、そこから先は船に乗ろう。

そう考えたのは、オイラの日頃の素行からいって、水が高きから低きに流れるが如く、実に自然なことであった。

そんな訳で、沖縄に行くために深夜の東京駅のホームに立っていたのである。

 

(続く)


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また沖縄・5 那覇空港 [■旅行記]

そんなこんなで午後、青空の下アイスをなめながら一路那覇に向かいました。

既に気持ちは帰宅モード。

毎度のことですが少し悲しくなります。 

レンタカーを返却し、空港へ。

ちょうどこの頃日本列島は大荒れのお天気でした。 

空港の発着状況を表示するボードにも、「遅延」の文字がたくさん並んでました。

とりあえず我々が乗る便の備考には何も表示されてなかったので一安心。

荷物を預けるためにX線検査があるのですが、

なぜかオイラの荷物検査にやけに時間がかかってます。

どうしたんだろうとX線画面を覗くと、

お土産用に買ったスパムの缶詰6コの影がくっきりと並んで映っており、

怪しいのでした。

 

「ヒコーキにはバスで移動」とのことで、沖止め専用の38番登場口へ。

「羽田空港周辺が大変混雑しているため、現在出発待機するよう管制から連絡が入っています」

というアナウンスがありました。

少し遅れるらしいです。

電光掲示板を見ると、我々が乗る便の次の羽田行きは欠航になってました。

その後、バスで駐機場に移動。

我々が乗るヒコーキはターミナルからずーっと離れた場所でした。

D20_0012.jpg

D20_0014.jpg

思わずこんな写真を撮ってしまう我々。

D20_0017.jpg

バスは行っちゃったのにまだ撮ってます。

整備士さんの視線がイタかったです^^;

ここは旧ターミナル側の50番台スポットでしょうか。

向こうに駐機しているのは佐川急便の貨物機ですね。

時刻表によりますと、8:30に那覇に到着し、

この後20:50にGXY802便になって羽田に戻るみたいです。

我々の乗ったヒコーキは、R/W18の更に奥に停まっていたと思うのですが、 

延々タキシングを続け、反対側のR/W36 から離陸。

IMG_0367.jpg

(Photo by Gさん)

満席で、今度はGさんが窓側だったので、オイラは写真なしです。

D20_0024.jpg

(Photo by Gさん)

(オイラのカメラで撮ってもらいました)

関東に近づくにつれて大きく揺れることが予想されると何度か脅かされたのですが、

特に揺れることもなく順調な飛行が続きました。

ところが関東に近づいた頃に機長から

「大島上空で待機するようにとの指示が入りました。今のところ、どの位の時間待機することになるかは分かりません」

とアナウンスが。

 

18:43 ホールディング開始。

モニターで航跡を見ることができるのですが、今まで真っ直ぐだった線が大島の上で円を描き始めました。

少し下にも同じようにホールディング中のヒコーキが。

おおよそ18,000ft  500km/h を維持しての上空待機でした。

機長「管制からの指示により、この後羽田に向かいます。羽田到着は離脱してから15分後です」

18:56 大島上空を離脱。

一体何周したのでしょうか。

あー、目が回る。うぅ、なんか、ぎぼでぃわどぅぃ…。(ウソ)

19:16 ギアダウン

19:19 R/W34L に着陸。

19:27 スポットイン。羽田でも沖止めでした。

定刻より30分ほど遅れましたが、結局大きな揺れはありませんでした。

全国的に空のダイヤが乱れていたので、無事に羽田に戻って来れて良かったです。

 

本日の沖縄は快晴、気温26℃だったのですが、東京は13℃で雨。

昨日まで沖縄にあった雨雲を追いかける形になってしまいました。

民間駐車場で車を受け取り自宅に向かいました。

 

(つづきます)


追記:

続きの記事はお蔵入りにしました。

これで終わりです。

お付き合いいただきまして、ありがとうございました。 


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また沖縄・4 滑走路の行方 [■旅行記]

3日目

6時前に起床。

着替えてGさんと滑走路の跡地を撮りに出掛けました。

我々が泊まっているホテルのすぐ近くにも、「ボーロー飛行場」という飛行場があったのです。

ここは昨日見た上本部飛行場跡地と異なり、現在では畑が広がるのみで、当時の痕跡は何も残っていません。

わざわざ朝もはよから何の変哲もない畑をうろつき、パチパチ写真を撮るなんて、 

よほどのモノズキ植物好きな方でもなければ普通しませんよね?

当然Gさんもまったく興味なかろうと、本当は寝ているGさんを残してオイラ1人で出掛けるつもりでした。

ところが意外なことに、昨日跡地を見た時も、オイラよりむしろGさんの方が熱心なほどで、

今朝も2人での出発と相成りました。 

この「ボーロー飛行場」のことは、次の記事でアップします。

D20_0098.jpg

跡地周辺はこんなでした。

昨日までと打って変わって良いお天気。

Gさんは昨日泳げなかったことが相当悔しかった様子で、

「昨日がこんな天気だったらよかったのに…」と何度も繰り返してました。

一旦滑走路跡を通り過ぎ、南端から北に向かって観察を始めました。

これはフィールド観察の鉄則です(嘘)。

地図を見ながら「この辺か~」などと写真を撮り始めたのですが、

海がすぐ側に見え、出し抜けにGさんが「海に行ってみよう」と言い出しました。

オイラとしては跡地見学に集中したかったのですが、跡地を見るのは一時中断。

一緒に浜辺に下りてみました。

だってオイラ、大 人 で す か ら。

D20_0073.jpg

すぐ側の砂浜。

xml_xslさんぽい写真を狙ったのですが、あのスケール感がまるで出ませんでした。

跡地見学再開。

ところでオイラがこうしてヒコーキ関係の場所に行く場合、

小心者の性格が災いし、地元の方にこちらからお話を聞く事はまずありません。 

基本的にコソコソと写真を撮ってくるだけです。 

ところがGさんは、畑で作業していたオジーにいろいろ尋ねたりしてました。

「こういう歴史的なこと大好き」なのだそうで、ノリノリでした。

オイラよりよっぽどGさんの方が向いてます。

滑走路は「土地改良」により現在の畑になったこと、この先には射爆場があったことなど教えて頂きました。

多分、オジーの話を聞きながら戦時中の滑走路の写っている地図、現在の地図にいろいろ書き込みをしたせいでしょう。

「取材なら、あそこの○○さんに聞いてみたらいいさ」と教えてくれました。

まだ朝っぱらだし、結局行きませんでしたが。

 

7:30頃撮影終了。

中部在住の友人のS君と8:30にホテルで合流することになっていたのですが、まだ時間があります。

オイラはホテルでのんびりしていようかと思ったのですが、Gさんがまだまだやる気マンマンだったので、

少し離れた場所にある別の跡地、読谷補助飛行場跡に向かいました。

ホント、オイラより向いてるよ…。

D20_0107.jpg

読谷飛行場。

現地に着き、ちょっとうろうろしました。

こんなで、

D20_0109.jpg

こんなでした。

ここは戦時中の飛行場跡地としては、質、量ともに全国一なのではないでしょうか。

沖縄には、大戦当時旧日本軍が作った飛行場や、米軍が作った飛行場がたくさんあったのですが、

そのほとんどは土地の再利用により跡形もなくなっています。

そしてわずかに残っている滑走路の大半は基地の内部にあり、一般の立ち入りができなかったりします。

そんなわけで、現在滑走路の痕跡が残っていて、一般人が普通に見ることができるのは、

本島では、昨日見た上本部と、この読谷の2ヵ所だけのようです。

現在米軍の基地内に残されている滑走路が返還され、

土地の再利用が始まるまでの狭間の時期にうまくタイミングが合えば、訪れる機会が開けるかもしれません。

 

読谷のことはいつかきちんと見て回れたらちゃんと記事にしたいのですが、返還後の土地利用プランは既にできており、

オイラが次見に行くまで残っているかどうかわかりません。

そろそろ約束の時間なのでホテルへ。

D20_0113.jpg

ホテルに戻る途中、ちょっと間違って海岸の方に出てしまったのでした。

8:30 ホテルでS君と再会。

出発前のネット予約の段階では、朝食の予約はできなかったのですが、フロントに聞いてみたところ、

その場で清算か、チェック・アウト時に清算すれば利用できますよ。

とのことだったので、3人でホテルで朝食。

朝食前にこんなに動いたのは何年ぶりだろう。

その後、 S君の先導で自宅アパートへ。

しばらく広々とした国道58号を南下したのですが、途中で国道からゴミゴミした市街地に折れました。

ゲートをくぐり、フェンスで囲われている異国の地をすり抜け、

元基地のあった空き地をすり抜け、ギッシリと家が立ち並ぶ住宅地へ。

区画整理されない込み入った家々のすぐ隣には、フェンスで遮断された広大な緑と、倉庫群。

戦争の空気が充満する、非日常の風景。

沖縄の影を象徴するコントラスト。

 

沖縄人の端くれのつもりのオイラでも、埼玉に住んでいると、

基地移設関係のニュースはどこか遠い国の話という気がして実感がわかないのですが、

ここでは、例えば今まであった基地が消えたり、 のんびりしていた場所が突然移転問題の渦中に巻き込まれたり、

環境が激変する可能性が常にあるわけです。

基地が返還されると、今まで決して立ち入ることができなかった場所に急に入れるようになって、

道ができ、畑ができ、商業施設が建ち並んで新たな雇用につながる半面、

米軍関係の収入がなくなったりと、基地移設、土地返還問題は、地元の日々の暮らしに直結します。

アメリカが様々な形で沖縄に落とすお金というのは決して馬鹿にならず、 

返還によってハッピーになる人がいる一方で、収入が途絶える人たちもいます。

オイラの親戚の中にも、米軍からのお金で一家を養っている人がいます。

そして金銭的に不利益を被るのは世帯単位に止まらず、基地がなくなることで街がさびれてしまったりします。

ただでさえ失業率が全国一の沖縄県。

返還と、それに続く「その土地をどうやって使うか」という問題は、

地元の人たちの間で切実な利害関係となり、対立の元となり得ます。 

 

「よその国の兵隊たちは帰って行き、その村には再び平和がやってきました。

村人たちはいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

 

ならばどんなによいだろうと思いますが、占領状態はあまりに長く、深く、

返還=幸福 とすべての住民が単純には言えない状態になってしまいました。 


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また沖縄・3 美ら海水族館 [■旅行記]

2日目。

Gさんの友人ご夫妻がこのホテルから少し離れた場所に住んでいて、シュノーケル一式を用意してくださっており、

今日の午前中は泳ぐ予定なのでした。

ところが…。

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未明からすんごい豪雨となり、朝になって雨足は弱まったものの、外はご覧の通り。

天気予報を見ても、今日は終日雨ベース。

まあ、出発前からこの3日間はほとんど雲りか雨の予報なのでした。

予定を変更して、Gさんの友人ご夫妻に本部半島を案内して頂くことになりました。

途中、沖縄自動車道の終点許田IC近くの「道の駅 許田」で美ら海水族館のチケット購入。

1,800円のところ1,550円でした。

なんでもここが1番安く買えるのだとか。 

 

美ら海水族館に行く前に、本部半島をあちこちを案内していただきました。

残念ながら雨が強くなってしまったため、車からちょっと見る程度だったのですが、

美ら海水族館の先の、「フクギ並木」はよかったです。

興味のある方は、ccqさんの写真をご覧ください。

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あの超有名なきしもと食堂(の支店)に案内してもらい、昼食。

店内は広々とした普通の食堂で、大きな窓からは、裏山と畑が広がる長閑な景色が。

Yさんご夫妻とは時間の関係でここでお別れ。

本当にお世話になりましたm(_ _)m

Gさんと美ら海へ。

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捕まえられて見せ物にされた挙句、修学旅行の女子中学生?に取り囲まれて、

「きもー!」「ありえへんし!」と散々なダイオウイカ。

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タイミングよく、オキちゃんショーを見ることができました。

昨日に引き続き「必要なかろう」とフィッシュアイしか持ってこなかったオイラ…。

せっかくの機会なので、こういう時は横着しないで一式持ってくるべきですね。

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どうもオイラはこういうものを見ていると、

人間を楽しませるために来る日も来る日もこき使われて可愛そうなイルカちゃん。

という見方になってしまい、純粋に楽しめないのですが、イルカは自己主張が非常にハッキリした生き物で、

やりたくないことは絶対にやらないのだそうです。

トレーナーの皆さんは、イルカが楽しく遊ぶ感覚で演技が成り立つよう、それはそれは気を遣っているのだそうです。 

よかった~。

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ということで見学を終え、施設から出て来ました。

美ら海水族館は本部半島という半島の西端にあるのですが、この本部半島、

美ら海以外にも1日ではとても周れない位、見所がたくさんあります。 

そして、ヒコーキ好きにとって特別な場所もあります。

美ら海水族館のすぐ側に米軍飛行場の跡地があるのです。

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(Photo by Gさん)

跡地をうろついた後、ホテル近くの食堂で夕食(飛行場跡地については次の記事で書きます)。

オイラはマーボー定食だったのですが、汁物が沖縄ソバでした。

おやすみなさい。

 

(つづきます)

 

上でも少し書きましたが、次は飛行場跡地についての濃いィ記事です。

旅行記とは雰囲気が異なりますのでご了承くださいませ。


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また沖縄・2 那覇タワー [■旅行記]

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(Photo by Gさん) 

前記事の機種クイズ、正解は、747‐400D でした。

お付き合いいただきましてありがとうございました。

上の写真は、Gさんが撮った右翼です。

このレジを見てピンとくる方は、完全にあちらの世界の方ですね。 

では続きです。


 

やっと念願かないました。

子供の頃からいつか上ってみるのが夢だったのです。

本当は昨年の12月に上る機会があったのですが、改装中のため断念したのでした。

昨年ネットで調べた時には、

「300円だか400円だかの入場料を払うとジュース飲み放題」

と書かれていたのですが、

入ってみると入場料についての表示は特になく、

飲み物のメニュー表があるだけで、展望台の喫茶店という感じでした。

一部カウンターが設けてあり、アルコール類が並んでいました。

改装で形態が変わったのでしょうか。

円形の店内には窓に沿ってテーブルが並んでいます。

どこに座ろうか…。

少し迷っていると、ウエイトレスのオバーが、

「ここから夕日がキレイですよ」と教えてくれました。

座り心地の良いソファーに腰を下ろし、早速パシャパシャ撮っていると、

「モデルが必要ならやりますよ」と言いながらオバーがアイスコーヒーを運んできました。

レンズを向けると、「冗談、冗談」と笑いながら戻って行きました。

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(Photo by Gさん)

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我々が陣取った夕日の前のソファー。  

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建物そのものもかなり老朽化しているのですが、

木をふんだんに使っている展望室内も相当くたびれています。

床も窓枠も茶色で、年代ものの客車のような雰囲気でした。

以前はこの展望室部分が回転していたのですが、今は動いていません。

オバー曰く「古くなってしまったからね。もう動かんさ。ちょっと押してみましょうか?」

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ゆっくりと暮れゆく那覇の街。

あ~。落ち着く~。(o ̄∇ ̄o)

多分、温泉に入った時と同じ成分の脳内麻薬が出てたと思われます。

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太陽は一旦雲の中へ。

画面ほぼ中央、ちょっとだけ海が見えていて、

海が光っている部分のちょっと右上に、小さい黒い横棒が見えますでしょうか?

那覇空港にファイナルアプローチ中のヒコーキです。

次々と着陸するヒコーキを眺めることができました。

ここはヒコーキの撮影ポイントじゃん!

必要なかろうと、フィッシュアイしか持ってこなかったことが悔やまれました。 

ということで、望遠で撮ったGさんの写真↓です。

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(Photo by Gさん)

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左上の明かりは照明です。

立ち上がったりしゃがんだり、右行ったり左行ったりしましたが、どうにもなりませんでした。

結局客は我々だけ。

こんなにいい場所なのに。なんと勿体無い。

 

近くの路地でお土産を物色していると、「今日沖縄行くよ」と知らせてあった中部在住の友人から、

「いつ帰るの?」とメールが来ました。

着いて早々「いつ帰るの?」と問われると、歓迎されてないのかとギョッとしますが、

沖縄ではこういう言い方なのです。

車で中部のホテルへ。

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(Photo by Gさん)

途中Gさんのリクエストで、アメリカンビレッジでラーメンの夕食。

そういえば今日の昼食は宮古ソバでした。

麺食いな俺達。

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(Photo by Gさん)

アメリカンビレッジ

ホテル手前のファミマで、今晩の酒とツマミと明日の朝食を仕入れました。

そしてホテルで風呂入って酒呑んで寝ました。

おやすみなさい。

 

(つづきます)


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また沖縄・1 首里城取り止め! [■旅行記]

前記事でも書きましたが、今回の沖縄行きは某展示品の見学が目的でした。

オイラの友人の権俵留蔵(仮名・以下Gさん)さんの友人が琉球国王直筆の掛け軸を持っていて、

去年首里城に寄贈しました。

で、Gさんと一緒にその掛け軸を見に行くことになったのです。

 

5:45 自宅出発。

出勤時間にかかることと、前回ギリギリになってしまった反省をふまえ、

高島平まで下道で行き、そこから首都高を使うことにしました。

ところが道路は不思議なほど流れていて、結局羽田までずっと下道を走りました。

途中、和光市のコンビニで朝食。

 

羽田到着後、手続きを済ませ、まだまだ時間があるので展望デッキへ。

実はGさん、ずっとコンデジを使用していたのですが、最近急にデジ一を物色し始めました。

ニコン製カメラの如何に素晴らしいかを吹聴し、ニコン一派に仕立てることを目論むオイラ。

しかし、結局買ったのはキヤノンでした。

(今までずっと「キノン」と書いてましたが、社名の由来から「キノン」と書くのが正しいのだそうですね。今後気をつけます)

オイラの周辺では、最近新規キヤノンユーザーが増えつつあります。

このブログつながりでは、く○さんとか。

嗚呼、ブルータス…。 

 

ともかく、ヤロー2人でデッキでパシャパシャ。 

途中、カメラを触らしてもらったんですが、

既に旧式となってしまったオイラのD200と比べてAFの早いこと早いこと!

便利機能が充実していて、しかも使いやすそうです。

ん~。コリャ売れるはずだよ…。

Σ(゚Д゚;) はっ! しまったあ! ライバルの宣伝しちゃったよ。

敵に毒を送るオイラとしたことが…。

今のナシ!(遅)

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パイロットに慎重にシグナルを送るマーシャラー。 

ボーディングブリッジ用スポットへの誘導は緊張感があって、見ていて面白いです。 

その後、搭乗口手前で早めの昼食、そして機内へ。

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本日の東京は時折薄日が射す程度でした。

雲の上に出ると明るくなりましたが、眼下は降下開始までほぼご覧の状態でした。

D20_0035.jpg

前回、上と似たような写真を載せた際、翼とエンジン、便名などから、

機種がB767、しかもANAの‐300であると特定した方が何人もおられましたが、

この写真だけでも機種特定できるでしょうか?? 

今回は便名も伏せて、エンジンも見えませんので難易度上がってると思います。

それとも、エアブレーキ、フラップ、エルロンなどの形状から、 

「ふっ、なめてもらっちゃ困るぜ!」という感じなのでしょうか。

この写真からどんな情報を読み取れるのか、コメントお待ちしております。

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那覇空港到着。 

ヒコーキを降りた途端、独特のモワッとした暖かい空気に包まれ、ああ、沖縄に来たんだと実感します。

この後すぐにレンタカーで首里城に向かい、国王直筆の掛け軸を見るつもりだったのです。

ところがレンタカー屋さんに向かうバスの中で、今回の旅行目的を根底から覆すハプニングが。

「せっかく陽が出てるので、先にちょっと瀬長島に寄ってから首里城にブツを見に行きますかー」

などと、この後の予定についてGさんに話していたのです。

するとGさん曰く、

 

「なんかいつでも展示してるわけじゃないんだって。だから首里城別に行かなくてもいいよ」

 

…。

 

…じゃあ、今回なんで来たの??

 

車内で騒ぐオイラに、「え? 言ってなかったっけ?」と言うGさん。

聞いてないよー。ブログにも書いちゃったよー。

このまま帰ろうか、という考えも一瞬頭をよぎったのですが、

単なる観光旅行として割り切ることにしました。

そして、(オイラだけ)今回の旅行の主目的であった首里城そのものも結局行かないことに。

これじゃ、まるでどこかのお偉いさんの”視察旅行”だよ…。

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レンタカーですぐ近くの瀬長島へ。

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737のおなか。

この瀬長島で、飲み物、軽食の販売車が店を開いてました。

「沖縄らしいものを食べたい」というGさんに、ここは是非これを。と ぜんざいを注文。

ぜんざいと言っても、沖縄のぜんざいはちょっと変わっていて、

黒糖で甘く煮た金時豆が入った器にたっぷりカキ氷をかけたものです。

更に上から黒蜜をかけたり、白玉が入ってたりします。

しばしご主人とおしゃべり。

沖縄は冬でも半袖の陽気の日があるので、氷は1年中売れるそうです。

以前もこの車は瀬長島に来るたびに見かけていたのですが、開店している状態を見たのは今回が初めてでした。

そのことを話すと、「多分中で寝てたはず」とのことでした。

洗濯物が溜まった時と、風呂に入る時だけ自宅に戻り、

あとはこの車で寝泊りしているのだそうです。

この後那覇タワーに向かいました。

 

(つづきます)


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沖縄行き・4 [■旅行記]

瀬長島から再び徒歩でホテルに戻りました。

14:00 チェックイン。

フロントのおねいさんからにこやかに、

「お部屋は 5階の 609号室です」とハッキリした口調で言われました。

オイラはそそっかしくてよく聞き間違いをするし、特に初対面の人にはすんごい緊張する。

でも今の「5階」という言葉は、紛うことなくハッキリと耳に残ってます。

(5階の609号室…。縁起の悪い4階を5階と呼んで、そこからズレてるとか??)

試しにエレベーターで6階に上がり、並んでいるドアを見ると、

ちゃんと601とか、602とかの数字が並んでました。

(なんてお茶目なおねいさん…)

沖縄について初日に早速ジャブをもらった感じです。

明日の朝帰るけど。

 

猛烈に睡魔が襲ってきますが、シャワーを浴びることに。

ところでオイラ、さっきからなんだか顔がヒリヒリするのでした。

嫌な予感がしつつシャワールームで恐る恐る鏡を見ると・・・

やべーーーー!![たらーっ(汗)][がく~(落胆した顔)][たらーっ(汗)]

日焼けの初期症状で思いっきり赤くなってました。

 

そもそも今回沖縄に来たのは、本日18時からの親戚一同の集まりに参加するためなのですが、

東京方面から集まる親戚は、実は昨日からみんなで沖縄入りして那覇周辺の観光をしているのです。

そこは親戚の結束が非常に強い沖縄県。

オイラも当然一緒に動くべきなのですが、

仕事の都合でオイラだけどうしても当日ギリギリの参加となってしまっていたのでした。

その後スケジュールを調整して、早い時間に沖縄に行くことができるようになったのですが、

親戚と合流するには微妙な時間だったので「会場には夕方には到着するから…」とかなんとか適当に濁して、

こっそりナイショで瀬長島に行っていたのでした。

まあ本当のこと言うと、今回のメンバーが非常に苦手というのも大きいんですけどね。

ところがオイラの顔はどう見ても、

「昼間、沖縄の日差しをいっぱいに浴びてました~[晴れ]

という感じです。

これだとみんなから、「一体今までドコで何をしていたのか」と詰問されそうです。

 

冷水を当てたり、顔をこすったりしたのですが、効果なし。

いやそれどころか、心なしかさっきより余計に赤くなった気が…。

午前10時~午後2時まで4時間外にいただけなのですが、曇り空だったというのにこの有様です。

自業自得ですね。

ショックのあまり、そのままベッドで爆睡。。。。

 

2時間後、目を覚ますと顔は相変わらずヒリヒリ。

仕方ないので赤ら顔のまま集まりに顔を出しました。

しかし会場は薄暗く、結局誰にも突っ込まれなかったので一安心。

途中、抜け出してタクシーを拾い、もう一つ別の集まりの会場へ。

 

こうして無事2つの集まりに出席し、ゆいレールでホテルの最寄駅に戻ったのは22時過ぎ。

近くの24時間の地元スーパーに立ち寄りました。

弟妹にお土産を買うためです。

事前にそれぞれにメールで「お土産なにがいい?」と尋ねたところ、

「モチ」、「ちんすうこう」というメールが返ってきました。

沖縄のお土産で「モチ」というのはピンとこないかもしれませんが、

地元スーパーで手軽に買えるモチはちょっと独特で、我が家では定番の沖縄土産です。 

 

ところでオイラには妹が2人いまして、1人はしっかりチャッカリ者、もう1人は超天然です。

で、天然妹から返って来たメールには、

 

「カーサモチ1ダース」

 

とありました。

カーサモチとは、葉っぱで包んだモチなのですが、

普通の女性なら1つで十分なボリュームがあります。

つまり「カーサモチ1ダース」とは、「モチ4日分」ということですよ。

アンタは戦時中の子供か!

そもそもこのモチの賞味期限は2日くらいなのです。

(超天然とはいえ、これはいくらなんでもギャグだろう)と思い、

「却下」

と送ったのですが、

「へ? なんで?」と、ポカーンとした顔文字つきで打ち返してきました。

(マジだったのか…。_| ̄|○ il||li)

その後、なかなかかみ合わないメールのやりとりを繰り返し、なんとか半分の6コで妥協してもらい、合意に達しました。

それでも毎食食べ続けて2日分ですよ…。

どんだけカーサモチ好きなんだ。

なんでカーサモチにそこまで執着するのか、未だにナゾです。

広い宇宙から、何かデムパを拾ってしまったとしか思えません。 

 

というわけでスーパーでお土産を仕入れたのですが、

1人だけモチ6個で、それ以外は1個ずつというわけにもいかず…

モチ、ちんすうこうを次々と鬼のようにカゴに入れていくオイラ。

とりあえずこの店のナントゥース(ミソ味のモチ。ウチの家族はみんな大好きなのでこれを買うとポイント高い)

のパックは全てオイラが買い占めさせていただきました。

まったく…。戦中の買出しみたい。

レジで合計金額を見たオイラ涙目[たらーっ(汗)]

おかげで自分の分のお土産を買う余地はまったくありませんでした。

本当にありがとうございます。

 

翌朝、お土産をぎゅうぎゅう押し込んでなんとかチャックを閉め、

パンパンに膨れ上がったキャリーバッグを引きずり、ヨロヨロと空港に向かったのでした。

ちんすうこうが砕けても知るもんか。

アンコがはみ出してても知るもんか。

帰りのヒコーキは満席便で窓側でなかったので写真は撮れませんでした。 

 

いろいろ残念な今回の沖縄旅行はこれで終わりです。

お付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。

 

(おわり)


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沖縄行き・3 [■旅行記]

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瀬長島の野球場で試合が行われていました。

立ちっぱなしで疲れたので、道端に腰を下ろして野球観戦。

D20_0039.jpgima.jpg 

どのピッチャーも球速はMAX100キロ前後は出てたと思うのですが、

その球がパカスカ打たれてて、基本点の取り合いでした。

みんな小学生ばかりだというのに…。

レベル高っ!

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オイラの近くで観戦していたおじさんが、

「向こうのチームに化け物がいる」と言ってたのですが、彼のことだったのかな。

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試合中、オイラの近くにいたおじさんが出し抜けに場内に向かってだれの名前を呼んでました。 

すると三塁審がこちら側を見て声の主に気付き、深々とお辞儀してました。

試合中だというのに…。

沖縄らしいなぁ^^

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失点し、レフトに下げられたエース。 

気持ちは分かるよ。また次頑張れ。

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時折頭上をヒコーキが。

なんて素敵な球場!

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結局約2時間観てました。

2つの試合をまたいで観たので、多分6人位のピッチャーを見たと思うのですが、一番良かったのが彼でした。

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小学生で既にこのフォーム!

怖ろしい子!

D20_0011.jpg

どうしてもピッチャーばかり注目してしまうのですが、

投球動作を開始して、持ち上げた足をトップの位置にもってくるまでが

非常にゆっくりのフォームの投手が多かったです。

選抜高校野球 沖縄のエースのマネなのかしらん?

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どの選手もまだまだコドモコドモしてましたが、

考えてみたら、最短で4年後には甲子園でプレーしてるんですね。

今日オイラが見た中から、そんな選手が出てくるかな。 

覚えてないけどチバリヨー!


D20_0031.jpg

審判:

「エッ! ブログに載るって? 

じゃあ、おぢさんもカッコつけよーねー。

ハイ! ピース ピース!」 

 

選手:

「…。」


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沖縄行き・2(瀬長島) [■旅行記]

那覇空港に到着後、ゆいレールで一駅目の赤嶺駅で下車しました。

本日宿泊予定のホテルに立ち寄るためです。

フロントにキャリーバッグを預かってもらい、

そのままカメラバッグだけ持って徒歩で瀬長島へ。

 

基地のフェンス沿いにのんびり歩いていったのですが、

10時をまわり、歩いていると、もう半袖でも暑いくらいの陽気です。

途中、日本人、アメリカ人、たくさんのランナーの方とすれ違いました。

道沿いの某カーディーラーの前に大きな給水BOXと紙コップが置いてあり、

「ランナーの皆さん お疲れ様です。どうぞご自由にお飲みください」

と張り紙が。

オイラもノド渇いてるんですけど。

ちょっと走ったら飲んでいいんですよね?d( ̄∇ ̄*)☆\(--

40分後、瀬長島の滑走路正面到着。

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10:40 到着後、すぐに撮ったヒコーキ。

 この方向に風が吹いてます。

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おっとっと。

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無事着陸~。

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これは上とは別のJALジャンボ。

737,767もたくさん飛んでいたのですが、やっぱりジャンボ中心に追ってしまいます。

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30分ほどこの場所で撮っていたんですが、ご覧の通りのお天気でした。

この後、すぐ隣の野球場へ移動しました。

 

つづきます。 


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沖縄行き・1 [■旅行記]

出発当日。

オイラが乗るヒコーキは、羽田発6:35。

1月につばさ公園に行った時は、朝4時に家を出て、5:30に羽田に着いたので、今回も同じ時間に家を出ました。

前回とまったく同じで、川越からR254→環八→羽田というルートです。

環八に入り、井荻トンネルを通過するまでは順調そのものだったのですが、

ここからなんと渋滞2連発!

都内でも土曜日の5時台なら心配なかろう思っていたのですが。

…東京恐るべし!

 

まあ、大丈夫でしょ。

と最初は呑気に構えていたのですが、車はちっとも進みません。

空港に何時につけば間に合うか、計算してみました。

(駐車場に車を止めて、自動チェックイン機でチケットを受け取って、

手荷物を預けて、保安検査を受けて、搭乗口へ…)

オイラの計算では、5:50までに羽田に着けば、15分前に搭乗口に行けるハズ。

実はチケット予約の際、10分早い便とどちらかを選ぶことができたのでした。

なんとなく遅い方を選んどいてヨカッタ~。 

 

しかし酷い渋滞です。

案内されているより、渋滞区間ははるかに長く、所要時間もすんごいかかってます。

カーナビには羽田を目的地に設定してあったのですが、

到着予想時刻にはここまでのノロノロ具合が加味されるためジリジリと遅れていき、

最大で「6:40到着」と表示されました。

(6:35出発だっちゅーに…つД`))

格安チケットのため、変更は一切できません。

あー、オイラ、正規料金払って後の便に乗るハメになるかもつД`)

途中で完全に覚悟しました。

首都高を使うとどうなるか検索したところ、

すぐ先の用賀から首都高に乗った場合、距離は10km伸びてしまうのですが、

オイラの脳内予想では5分早く着きます。

首都高に賭けることにしました。

ETCをセットし、用賀から首都高に乗るオイラ。

今のところ首都高はどれだけ乗っても値段は一緒なんですよね。

どうせ乗るんだったら、高島平から乗っとけばよかったよ。トホホ。

これで渋滞があったり、分岐を間違ったりしたら、もうアウトです。 

ここから先、具体的な距離や速度はちょっと事情があって割愛させて頂きますが、

滞ることなく非常に順調に進みました。

それでも羽田P3に到着したのは、

(この時間に着ければなんとか…)と思っていた時間より11分遅れの6:01でした。

しかしその先手続きも順調に進み、6:17に搭乗口前に着くことができました。

あー。心臓に悪い。

ということで、無事に6:35発那覇行きにもぐり込むことができたのでした。

R/W34R離陸。

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(↑この写真で機種を特定できる○ニア猛者はいらっしゃるでしょうか?)

残念ながら沖縄に近づくにつれて視界が雲に覆われたため、撮れたのは前半のみ。

9時過ぎに那覇空港R/W18に着陸しました。

 

つづきます。


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新潟・3 [■旅行記]

ということで、夕焼空を求めて高速で移動開始。

程なく雲が切れて青空が広がり始めました。

太陽はまだまだ高めなのですが、これから群馬県との県境の山が近づいてくるため、

早めに途中のSAかPAに立ち寄ることに。

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16:40 小千谷IC手前の山谷PA到着。

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太陽が木に隠れ始めたので移動。

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ホワイトバランス:晴天

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ホワイトバランス:晴天日蔭 

時間は15秒しかずれてないのですが、WBいじるだけで随分雰囲気変わりますね。

実際の色はこの2枚の中間位のところからやや1枚目寄り、そこからわずかに2枚目に戻った感じだったと思います。

どんなやねん。


この後六日町ICで下りて、国道17号で自宅に向かいました。

帰りも国道で山越えです。

道路情報では、県境の三国峠の天候は曇り。気温は‐1℃。路面は一部凍結。

どこかで食事を。と思っていたのですが、路面を流れる雪解け水の凍結が怖いので、夕食は山越えが終わるまでお預け。

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三国峠に向かう途中、国道沿いにあったスキー場。

好きな方には誘惑になるのでしょうね。

いろんな意味でスベリまくり人生のオイラなのですが、スキーで滑るセンスは0で、

十代の時に2度行ってホトホト懲りました。

湯沢に入り、ここからいよいよ山岳区間。

しばらく単独走行だったのですが、すぐに先行する車列に追いつきました。

トラック、ミニバン、トラック、オイラの車の順だったのですが、先頭のトラックがかなりゆっくりです。

しばらく4台で走行する状態が続いたのですが、あるブラインドコーナーを抜けた途端、

オイラの前を走るトラックが反対車線に出て、短い直線を利用して2台を抜き去ってあっという間に先頭へ。

そのまま次のコーナーの先に消えてしまいました。

タイミングといい、思い切りのよさといい、コースを知り尽くしていないとできない芸当です。

まるで某公道バトルマンガみたい。

場所も群馬県に近いし。

オイラもミニバンの後に付いて追い越せるタイミングを探していたのですが、ほどなく登坂車線が現れました。

ところが先頭のトラックは走行車線から動きません。

山道ではこういう状況、よく遭遇しますよね。

2番目を走るミニバンは先頭のトラックにピッタリと張り付き、更に中央線側に寄って煽ってます。

それでも先頭のトラックがどく気配がないので、登坂車線から抜かさせてもらいました。

本当はいけないんですけどね。すいません。

対向車の切れ目がなかったもので。

しばらく走った先の長い上りの途中で、さっきのトラックに追いつきました。

スッと登坂車線に入るトラック。

んー。こっちのトラックはなんてマナーがいいんだ。

オイラも登坂車線に寄り、距離を離して追走しました。

このトラックの後ろに付いていって楽をしようという魂胆です。

やがて勾配が緩くなり、トラックはグンとスピードアップ。

あ~。早い車の後ろに付いていくと楽だ~。

突然凍結箇所が現れる危険があるのですが、

前を走るトラックはよく心得ていてメリハリのある運転なので、安心してくっついて行けました。

結局、三国峠を越えて群馬県に入り、標高が下がっても大きく凍結している箇所はありませんでした。

昨日わざわざタイヤを履き替えたのですが、普通タイヤで行っても今回は支障なかったです。

結果論ですけども。

ところで前を行くトラックですが、路肩の雪が少なくなり、路面がドライになった頃から、

「もう凍結箇所はない」と判断したのか、更にペースアップ。

オイラにゃ夜間走行でこのペースは作れません。

すっかり楽させてもらって、今朝立ち寄った月夜野道路情報ターミナルで夕食をとることに。

昼に空港近くで買ったおにぎりの夕食。

米は新潟コシヒカリ。全面に岩海苔がまいてあります。

うめーーーーーーー!(具は梅でなく筋子)

ということで、この後特に混む事も無く、23時頃自宅に着いたのでした。

車は、雪解け水がベチャベチャの山道を往復したおかげで、戦争に行って来たかのような汚れ方になりましたとさ。

 

長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。 


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新潟・2(阿賀野川河口付近) [■旅行記]

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ということで阿賀野川のランウエイエンド到着。

ココのことは何度か記事に書いてますが、以前は上の写真のようなフェンスなどなく、

着陸進入灯の所まで自由に歩いて行くことができました。 

もう何年も、「工事のため立ち入り禁止」になっていて、

工事が完了して再び自由に行き来できる日を楽しみに待っておりました。

ところが今回、ここでとっても悲しいものを見つけました。


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上の2枚の写真を見ての通りで、「保安のため」、「発着に支障をきたす」という理由の看板が新たに追加されてました。

今までは工事終了に望みを託すことができたのですが、これは事実上封鎖ということですね(;´Д⊂)

これも時代の流れなんでしょか_| ̄|○ il||li

「通行止め」とはいうものの、以前は脇からすり抜けて中に容易に入れるようになっていたのですが、

今回は周囲も厳重にフェンスで遮られており、容易に立ち入りができないようになってました。
 
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以前はこの先に自由に入って行って、着陸進入灯のところから弩迫力の写真が撮れたのですが…。

まぁそれでもこの場所がのんびりとヒコーキを眺めるのにいい場所だということには変わりありませんし、

今後もここに来ると思います。

自宅でチェックした時刻表では、ダリアビア航空のTu‐214がハバロフスクから飛来の予定だったのですが、

タイプチェンジしたらしく、エプロンには同社のTu‐154が1機のみ。

フェンス付近では、いかにもなヒコーキ好きの人たちが滑走路を眺めながら談笑してました。

お弁当を食べて30分ほど昼寝。

小型機の離着陸が少しあっただけで、静かな時間帯でした。

 

今日も15:30に北海道航路のフェリーの入港があります。

接岸ショーは約30分間なので、14:30に土手を出発。

途中、笹団子を買うため空港に立ち寄りました。

やっぱり新潟に来たら笹団子買わないと。

空港駐車場到着。

Tu‐154がそろそろ離陸の時間なのですが、オイラはスポッターじゃないし、青空でも雪でもないので、

カメラを持たずに空港へ。

ところが、窓からひょいっと見たら、Tu‐154の尾翼部分が真っ黒。

「あの黒いのを撮ろう!」と、まずはお土産の笹団子を確保してから、カメラを取りに車へ。

そして、展望デッキに上がる前に1階の売店へ。

実はオイラは新潟空港ファンクラブに入っているのだ。

会員の特典として、1階の売店で換えてもらえる展望デッキの引換券があるのです。

ここで入場券をもらい、展望デッキへ。

 
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ちょうどプッシュバックを開始しているところでした。

パイプオルガンのような独特のエンジン音が響きます。 


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真っ黒。
 
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タキシングの時、パイロットが手を振ってました。
 
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Tu‐154がハバロフスクに帰ってしまうとエプロンは空に。

そういえば。

まだ少し雪が残っているというのに、みなさんビックリするほど薄着で、館内では腕まくりしてる人も結構いました。

寒がりのオイラには考えられない所業です。

この後フェリーの接岸を見るため港へ向かいました。 


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「ゆうかり」

多分初めて見ました。

岸壁の手前で停船し、回頭を開始したのが15:10。

上の写真の状態で15:25。

そして接岸が完了したのが15:30ちょうどでした。

毎回どうしてこんなにピッタリなのかと感心しますが、恐ろしいほど正確です。

さて。

本日フェリーは新潟止まり。

このまま待っていても出港シーンは見れません。

前みたいに港から水平線に沈む夕日を撮ろうかと考えていたのですが、

本日の下越地方のこの後の予報は、曇り一時雨か雪。

空は一面分厚い雲に覆われてしまいました。

今日は大人しく帰ることに。

このまま高速に乗って真っ直ぐ家に向かうと、7時には着いてしまいますが、

きっとまだ花粉がもうもうだろうし、勿体無いので寄り道することに。

中越地方の予報は晴れだったので、このまま高速で晴れている所まで進み、夕焼を撮ろうと考えました。

 

つづきます。


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新潟・1 [■旅行記]


仕事に空きができたのでまた新潟に行って来ました。

この時期の新潟はまだ花粉がほとんど飛んでいないので行き納めです。

「もう梅雨までどこにも行かない」と書いたような気もしますが、気にしないでください。

前日にタイヤを履き替え、ウオッシャー液を満タンに。

いつもなら、朝4時に起きて、5時に出発して、

国道を走って昼前に新潟空港に到着なのですが、目を覚ますと既に5:30…。(;´Д⊂)

6:30に出発しました。

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9:50 群馬県月夜野道路情報ターミナル到着。

新潟に行く時はいつもここでトイレ休憩です。

今日は出発が遅れてしまったため、途中の高崎、前橋で少し混んでいつもより30分ほど余計にかかりました。

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同じく月夜野道路情報ターミナルから。

この先の猿ヶ京付近から湯沢までの約40kmが、標高1,080mの三国トンネルを頂点とした山岳区間。

情報ターミナルで確認すると、トンネル付近の気温は0度。

路面状態は「一部凍結、冬用タイヤ着用」となってました。

今日は出発遅れ+渋滞で、既に普段より2時間遅れ。

この後も路面が雪なのと、除雪作業渋滞に遭うことを考えると、

このまま国道を走っていると新潟空港到着は3時頃になりそうです。

これでは休む間もなくとんぼ返りになってしまうので、途中から高速に乗ろうと考えました。

楽に早く着くためには、ここから高速に乗って山越えをするべきなのですが、

元ローリング族のオイラは峠が大大大好き。

山岳部が終わってから高速に乗ることに。
 
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10:30 三国トンネル手前 群馬県側の待避所。

普段遠出の時は、地元FMか音楽を聞いていることが多いのですが、こういうところを走る時は何も聞きません。

結局凍結箇所はほとんどなく、普通タイヤでも問題なく走れる状態でした。

去年はまったく雪道を走っておらず、練習したかったのですが…。  

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三国トンネルをくぐって新潟県側に出た所。 

除雪作業で片側交互通行のため待機中。

今回唯一の待機でした。

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国道17号 湯沢手前。

ご覧の通りで除雪が行き届いており、

路面に雪は全くない状態がずっと続いてました。

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ということで、11時頃湯沢ICから関越に乗って一路新潟空港へ。

もう何年も前から、「エプロンが一面雪の新潟空港を見てみたい」と思っているのですが、

なかなかお目にかかることができません。

湯沢から高速に乗ってしばらくはあたり一面真っ白だったのですが、空港まで残り40キロを切った辺りから、

だんだんと下の地面が見えはじめ、高速を降りる頃には雪はほとんど残っていないのでした。

事前にチェックした天気予報では、中越下越地方は数日前に暴風雪だったんですけども。

空港近くの弁当屋さんでいろいろ買い込み、1時頃、ランウエイエンドの土手に到着しました。

 

つづきます。
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沖縄旅行 その5 [■旅行記]


ⒶRoyal Hotel 沖縄残波岬→ⒷT ギャラリア 沖縄 by DFS→ⓒ沖縄アウトレットモール あしびなー→Ⓓ瀬長島→ⒺJef→Ⓕ那覇空港→羽田へ

 

3日目

6時にモーニングコール

7時にレストランへ。

このレストラン、6:30から営業なのですが、6:30に行くと気合の入った宿泊客が列をなしており、すごく混みます。

昨日のように7:30に行っても混んでます。

ということで、狭間を狙ったのでした。

思惑通り気合の入った宿泊客が丁度食事が終わって引き上げ始めており、窓席をゲットできました。

シェフが焼くオムレツとパンケーキも、ちょうどだれも利用する人がいなかったので今日は取ってきました。

オムレツは具を選んで焼いてもらいます。

頼むと卵をかき混ぜるところから始まるのですが、あっという間にできるんですね。

プロが焼くところを初めて見ましたが、流石プロ。

ちょいちょいとフライパンを振るだけで、瞬く間にあの形が出来上がり。

あんなに簡単にできるなら、オイラにでもすぐできそう。

…と見えるところがすごいんでしょうね。 

パンケーキ:ほんのり甘かったです。食感がフワサクでした。

何枚も食べたくなる気持ちが分かりました。

本日の天候は曇り時々晴れ。

一部分だけ青空が出てました。

ホテルの目の前には大きなお菓子屋さんがあります。

その店のなんとかタルトが美味しいのでお土産にしたいということで、

8:30の開店に合わせて出発することになりました。

それまで時間があったので、1人でビーチへ。

 

 

昨日、今帰仁城跡の草原を歩いている時もそうだったのですが、

こうしての~んびりと静かな場所にいると、

「来週からは年末進行で連日激超忙しくなるんだよなぁ」ということが頭をかすめます。

昨日までがまさにそうだったのですが、連日朝から晩まで運転してると、もうアレですよ。

歩いている時でも、曲がる時はウインカー出しそうになるし、雨降るとワイパー動かしそうになるし、

足元が暗いとライト点けたくなります。

本当は、激務の後にお楽しみが待っているのがベストなわけですが、

時間に追われてキリキリ走り回っている最中にふと沖縄での楽しかった日々を思い出すと、

厳しい現実とのギャップにてっきり嫌になるかと思っていたのですが、

美しい風景が一服の清涼剤となり、また頑張れる、ということを今回発見しました。

どちらを先にするか選べと言われれば、やっぱり旅行は後がいいですけども。

 

8:30 オープンとほぼ同時にお菓子屋さんへ。

客は我々だけでした。

その後、上を使って一路那覇へ。

10時に那覇市のDFS(免税品店)に到着。

予定より大分早く着きました。

カルティエとかエルメスとか、そういういかにもな店が並んでいます。

値札を見てみると、これは一体どこの国の通貨なのかと思ってしまうほど信じられない値段がついてました。

ゴディバとかもあったのですが、思ったほど奥さんも妹も食いつかず、もうここはいい。

ということになりました。

1:30 にレンタカーを返却するまでまだまだ時間があります。

レンタカー屋の近くのアウトレットモールに行ってみることにしました。

3人を店に降ろし、オイラは単独行動ですぐ近くの瀬長島へ。 

ちょうどこちら側に着陸でした。

今回の旅行で初めて300mmオン。

やっぱり300mmなんて、そうそう使わないですね。

 

 

滑走路の延長線付近には、「わ」ナンバーの車が並んでおり、

オイラの300mmレンズがオモチャに見えてしまうようなバズーカを三脚に構え、

エアバンをモニターという、いかにもな人たちが何人もいました。

オイラもその中に入って撮っていると、おじさんがニコニコしながらやって来て、

「ブルーインパルス撮りに来たんだね。3機と4機に分かれて来るってよ」と教えてくれました。

明日から那覇基地祭なので、みなさんBI(その他)の到着待ちだったのです。

いいなー。

本当はオイラも今日到着で2泊3日にしたかったよ…。

ブログでオイラがいつもお邪魔させてもらっていて、その道の師と仰いでいる方々が今年の那覇基地際の記事をアップしておられますのでご紹介致します。 

アスランマリオのブログ 
デジカメで撮る日々 
(アスランマリオさん、おすぷれい26さん、リンク許可どうもありがとうございました)

本当はここでもっとゆっくりしたかったのですが、30分ほどで「昼ごはんにしよう」と呼び出しがかかりました。

みんなで近くのJef(沖縄のハンバーガー屋)で昼食。

その後、15:00発のヒコーキに乗ったのでした。

今度の座席も後部で中央席。しかも満席だったので、外は見えず。

トホホ。

途中少しゆれたのですが、通路から前方を見ると、胴体がブラブラと歪んでゆれているのが分かるのでした。

羽田から民間駐車場に移動。

オイラの車で自宅に戻ったのでした。

 

長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

1つフォローしておきます。

某ジャンクスポーツでは、「エエ話はカット」というのがネタになってますが、

この記事では、エエ話は本当にカットしました。

ですので、奥さんと妹について、非常に印象が悪くなるようなことばかり書いてしまいました。

でも本当はいいところもたくさんあります。

幾つか挙げてみますと、例えば、今回の旅行中、

エート…

アレ? なんだっけ…

…。

…。

とととととととととにかく、イイ人たちなんです(滝汗)

 

…と、思い出せないというのも本当は冗談で、

出発前はもっと傍若無人ぶりを発揮するかなと思ってたんですが、結構気を遣ってました。

もとより一緒にいて楽しくない人たちとわざわざ旅行などするはずもなく、

自宅に向かう車の中で、「また行きたいね」と言う言葉に、

素直に「また行こう」と返したのでした。

 

(おわり)

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沖縄旅行 その4 [■旅行記]


Ⓐ今帰仁城跡→Ⓑ名護市(のどこかのおそば屋さん)→ⓒ首里城→Ⓓ沖縄市→Ⓔアメリカンビレッジ(近くのどこかの居酒屋さん)→ⒻRoyal Hotel 沖縄残波岬

 

今帰仁城跡を見学したら、時刻は既に1時過ぎ。

近くにダチョウ肉のステーキの店があったので寄ってみたのですが、諸般の事情からここはパス。

少し離れてますが、名護市の沖縄そば屋さんのクーポン券があったので、そこに行きました。

クーポンを見せると、全員こういうセットが運ばれてきました。

昨日の沖縄そば博物館のスープは豚骨も使った濃厚な出汁だったのに対し、

こちらは非常にさっぱりとしたカツオ出汁でした。

3枚肉がトロトロで美味しかったです。

しかもクーポンを使っているのでタダ。

ツアー旅行のたびにクーポンはたくさんもらうのですが、

タイミングが合わなかったりで、こんなに有効に使えたのは初めてでした。

お店に悪いので何かサイドメニューを注文しようかとも考えていたのですが、このセットだけで全員満腹。

一食分浮きました。

 

食事を終えるともう2時過ぎ。

明日は自宅に帰るだけでほぼ終わってしまいます。

明るいうちに観光するために残されている時間はあと数時間のみ。

ここまで予想以上にあちこち回ることができました。

「沖縄でやりたいこと」で残っているのは、北端の辺戸岬、首里城、那覇の居酒屋で、いづれも妹のリクエストでした。

残念ながら、北端の辺戸岬と、首里城見学を両立させる時間がなくなってしまいました。

今回は辺戸岬は諦め、那覇の居酒屋にも近い首里城を選択することに。

妹がくうき読みました。 

3:30 首里城到着。

「漏刻」。

水時計のことだそうです。水時計が設置してあり、太鼓で時を告げたそうです。

今帰仁城に続いて城見学のはしごになり、友人は嬉々としていました。

てっきり今帰仁城跡のような所だろうと想像していたそうで、規模の大きさに驚いていました。

城内は所々撮影できる場所がありました。

修学旅行生と一緒の波に流され、かろうじて撮った城内の写真。

城内の要所々々には、当時の衣装? に身を包んだおじさんたちが立っています。

真っ黒に焼けた温厚そうなおじさんたちにこの衣装が見事にマッチしており、すごくかっこいいのでした。

上の写真はそのカッコいいおじさんに断って撮らせてもらいました。

首里城見学を終え、出てきたのは5時前でした。

この後は、那覇のいい感じの居酒屋に行く予定です。

もらったクーポンの中に、那覇市内の某居酒屋で、「泡盛90分呑み放題」というものもありました。

実はこのメンバーで年に数回呑むのですが、いつも3,4時間は普通に過ぎてしまいます。

これから大渋滞の那覇に向かって行って、いい感じの居酒屋を探し、落ち着くのは7時前になりそうです。 

11時に店を出たとすると、ホテルに着くのは確実に明日になりそうです。

…ちょっと戻るのが大変です。

「こんなに遅くなって!」とホテルマンから怒られるかもしれません。

ならば、ホテルの少し手前の沖縄市に住んでいる友人に、近くの居酒屋を教えてもらおう、ということになりました。

こうして妹の沖縄でやりたいことは、辺戸岬に続き、那覇の居酒屋までも消えてしまったのでした。

ごめんよ~。

 

某モールの駐車場で沖縄市在住の友人と合流。

妹はほとんど面識がなく、友人夫婦とは初対面です。

オイラがもたもたしている間に、互いに自己紹介を済ませてました。

いい感じの居酒屋で呑みたいのでお勧めの場所に連れてって欲しいと事前に携帯で頼んでおいたのですが、友人曰く、

「大きな沖縄そば屋のチェーン店があり、酒もあるし、つまみも多少あって、良く行く安い店があるので、そこでどうでしょう?」

店の説明を聞いて(そこはいい感じの居酒屋とは大分違うんじゃ…)と内心思ったのですが、

最終決定の権限を有する奥さんに、「そこでいい?」とフッてみました。

微妙な沈黙の後、「…私はオッケー」と言ったので話はまとまり、そこに案内してもらうことに。

友人の車の後に付いて行くことになりました。

ところがです。

車に乗り込んだ途端、オイラに非難の集中砲火が!

発言内容を要約すると、

「ナニが悲しくて、二食続けて沖縄そば屋行かなあかんねん!

アンタがビシッと『居酒屋に行きたい』と主張しなきゃ駄目じゃん! くうきよめ!」

というものでした。

「奥さんにフッた時にいつもの調子でビシッと言ってくれればよかったのに…」

と言ってみたのですが、

「いくらアタシでも初対面の人には流石に遠慮するわ!」だそうです。

工エエェェ(´д`)ェェエエ工

(オイラと初対面の時の態度は、アレは遠慮か? アレが遠慮か??)

という素朴な疑問が沸いたのですが、そこは耐えました。

「分かりましたよ。じゃあ、沖縄そば屋に着いたところで、オイラがビシッと言いますよ。

『こういうところじゃなくて、居酒屋に行きたい。…と奥さんが言ってマス』ってね」。

すると奥さんは余裕たっぷりに、「いいよ~? 言えるもんなら言ってみ~?」ときました。

もうオイラの性格は読まれてます。

 

というわけで、某沖縄そば屋に到着。

既にここには入らないと決まっているのに、全員車から降り、

ワザとらしく「ここどうだろね~」とか言いながら店内を覗き込んだりしています。

猿芝居しおって…。

ところが5人で店内をあんまりジロジロ覗きこんでいたもので、店員さんが「どうしましたか?」と出て来ました。

「メニュー見せてもらえますか?」と咄嗟に言う妹。

妹は店員さんからメニューを受け取ると、はいっ、とオイラに渡してきました。

「これを使ってこの店の駄目出しをセヨ!」という全員からの無言のプレッシャーをビシビシと痛いほど感じる中、

メニューをパラパラめくり、

「ん~。本格的に呑みたいので、もうちょっとアテが充実してる店がいいかな~。ハハハ…」

などともっともらしいことを言わされるオイラ。

友人、ゴメンよ~。

妹は、「いや~。ウチの兄がワガママですみません~」みたいなことを言ってます。

コノアマ…。

そして2台の車は再び走り出したのでした。

ほどなく友人の車は、アメリカンビレッジ近くのなんとかという居酒屋の駐車場へ。

 

豆腐よう

多分グルクン。

最後まで残っていたヤギの刺身。

最初に頼んだものをいくつか撮ったのですが、後は面倒臭くなってやめました。

ご夫婦は新潟出身なのですが、案内してくれた友人のご両親も新潟出身で、

しかも非常に狭い地域内であることが発覚(これはオイラも初耳でした)。

○○郡の△△村の□□という非常にローカルな地名までお互い知っていて、

一気に打ち解け、大いに盛り上がったのでした。

当初は面と向かって自分が本当に行きたいのはどこなのかすらろくに言えなかった奥さんでしたが、

「アンタ、マグロ食べちゃ駄目! もっとハッパ食べなさい、ハッパ!」と友人の食い物にまで口出しする始末。

今の調子なら、沖縄そば屋に連れて行こうとする友人に、

「だから居酒屋だって言ってるじゃんっ!」とハリセンでアタマの1つも叩きそうな勢いです。

会ってからたった数時間でここまでになるのなら、最初に遠慮する意味って果たしてあるのだろうか…。

沖縄の居酒屋の一角で、既に乾いた刺身のツマをつつきながら、

そんな対人関係の難しさについてしみじみと考えたのでした。

こうして時間はあっという間に過ぎていき、友人と別れてホテルに着いた時には、

やっぱり明日になってしまったのでした。

友人夫婦には本日爆睡して寝坊の前科があるので、

明日6時にオイラがモーニングコール、7時に朝食にしよう、と言って廊下で別れたのでした。

(つづく)


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沖縄旅行 その3 [■旅行記]


ⒶRoyal Hotel 沖縄残波岬→Ⓑやんばる亜熱帯園→ⓒ今帰仁城跡

 

2日目の朝 

6:46 

6:57

7時に友人夫婦とホテルで朝食をとる約束をしていたので、部屋に電話。

…なかなか出ません。

「…はい」。やっと出た友人に、「もう出れる?」と聞くと、

「ああ7時ですよね。そうですよね。すんません、あと30分待ってもらえます? またこっちから電話しますんで」。

(7時ですよね。そうですよね??)

不自然な言葉に疑問を感じつつ、待つことにしました。

待機中。朝から次々に人が死ぬ小説を読みふけるだれかさん。 

30分後、友人夫婦と廊下で合流。

さっきの電話まで爆睡してたそうです。

典型的な超低血圧の奥さんはまだ死んでるっぽいです。

最上階のレストランへ。

残念ながら海の見える窓席はすべて埋まってました。

バイキング形式で和洋中琉といろいろ並んでます。

一角で渋いシェフ? がパンケーキを焼き、注文に応じてオムレツを作ってました。

このパンケーキとオムレツが大好評。

列ができてました。

オイラは並ぶのが大キライなので、その他のメニューから取りましたが。

旅行前に「私、朝は食べない派だから。まー、コーヒーでも飲んでみんなの食事に付き合うわ」

と言っていた奥さんまで、なんだか何枚もパンケーキを食べてました。

食後、出発を何時にしようかという話になり、奥さんから

「支度に3,40分かかるから。またこちっちから連絡する」ということになりました。

どうやらこの食事は本当に応急処置のスクランブル発進だったようです。

部屋に戻り、妹に支度にそんなに時間がかかるものなのか聞いたところ、

朝ぼーっとしながら身支度したり化粧をするのでいつも1時間かかると言ってました。

妹も朝弱い方なので、これが全国平均と比較してどうなのかは知りませんが、つくづく女性は大変だぁ~。 

8:29

8:30 ベランダの真下。

9時前にホテルを出発。

本日はホテルからさらに北上し、本部半島中心に動きました。

友人のリクエストでここに来ました。

ヘゴです。

このぐるぐるがあちこちにありました。

すごいぐるぐる。

ヘゴ。

 

こっちにもヘゴ。

ヘゴヘゴヘゴヘゴヘゴヘゴヘゴヘゴヘゴヘゴヘゴヘゴヘゴヘゴヘゴヘゴ

ヘゴはシダが大きな木になったものだそうです。 

ヘゴの原生林。

妹が「ドンキー・コングの世界だね」と言ってました。

コロンビア原産サトイモ科アンスリウム

高さ10mのヘゴの原生林が自然の温室効果となり、そのおかげでこのアンスウリムが育ちます。

なんでも自然の状態でアンスウリムを観賞できるのは、国内ではここだけだそうです。

まだ眠いのか、それまでずっと大人しく黙って歩いていた奥さんだったのですが、

突然「ギャー!」と叫びながら身震いしだしました。

服の中に虫が入った(と思い込んでいる)らしいです。

それからがもう大変。

本当に何かスイッチが入ってしまったかのように、虫の羽音に怯え、気配にビクつき、

やたらと手足を払い、頭を振ってます。

なんかクスリやってる人みたいです。

完全に防御モードに切り替わってしまいました。

そんなわけで、通路を歩いていて出し抜けに、 

身の丈3メートルはあろうかというこんなのが自分の真横に居る事に気がついた瞬間、

まるで漫画のようなリアクションで驚いてました。

唯我独尊、傍若無人、人類最強の絶対女王の座に君臨している奥さんのあまりの変わりよう。

妹と顔を見合わせ、「こんなところに弱点が」とニヤリ。

これだけでも今回はるばる沖縄まで来た甲斐があったというものです。

…アレ?ところで奥さんは?と見回すと、

順路を強引にショートカットし、既に土産物売り場のある建物内に消えていたのでした。 

写真撮っただけで通過しまた。

いろんなフルーツがお手ごろ価格で食べられれば入ったんですけど・・・。

すいません。

今帰仁(なきじん)城跡

友人の熱心なリクエストで来ました。

歴史モノが大好きだそうで、NHK大河ドラマのことなど熱く語ってました。

意外な一面を見ました。

入り口。

確かこの手前だったと思うのですが、女性だけサトウキビジュースがサービスでした。

ちょっと味見したのですが、黒砂糖をお湯で溶かしたものをちょっとフルーティーにした感じでした。

そういえば昨日の沖縄そば博物館でも、女性だけアイスティーがサービスだったし、

なんだか女性ばかりサービスいいです。

(このグループに限っては男性だけにサービスでもいいのに…)

と思いましたが、黙ってました。

かつて沖縄を3人の王が統治していた時代、

北部一帯を支配していた王が居城にしていたのがこの今帰仁城だそうです。 

13世紀頃に城造りが始まり、1416(1422年説もある)年に中部の王に滅ぼされますが、

北部管理のためにその後も用いられ、1609年薩摩軍により炎上しました。 

2000年に世界遺産に登録されています。

施設内にはいろいろ南国の植物が。

線香花火みたいですね。

  

 

 

沖縄の城跡としては最大級なのだそうで、結構歩きました。

施設での展示資料も充実しており、出土した中国、東南アジアの陶磁器もたくさん展示されています。

友人は大満足。 

(つづく) 


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沖縄旅行 その2 [■旅行記]


Ⓐ那覇空港→Ⓑひめゆりの塔→ⓒ那覇タワー→Ⓓ海中道路→Ⓔアメリカンビレッジ→Ⓕホテル

 

まずひめゆりの塔に行きました。 

館内は撮影禁止。

ここは妹とオイラの行きたい場所だったのですが、友人の奥さんは普段こういうものにまったく興味を示しません。

それで、「まずは最初にココに行こう」と妹とこっそり決めていたのでした。

ところが実際に入ってみると、最も長く施設内にいたのは、意外にも妹と奥さんなのでした。

友人とオイラは外でウロウロ。

ひめゆりの塔は先の沖縄戦の悲劇を象徴する場所です。

 

いかにも沖縄っぽいドリンク類

怪しい飲み物。

本島最南端に来ているので、せっかくだから。ということでちょっと海岸に下りてみました。

磯場で少しだけ砂浜になっているような場所だったのですが、「こういう白い砂浜見るの初めて!」とのことで、

熱心に貝殻を集めだしてました。

地元の方らしきおじさんが、何かを探しながら海岸沿いにゆっくりゆっくり歩いていました。

「この海岸には、きっと何か凄い物が落ちているに違いない。あのおじさんを出し抜いて、我々が先にゲットしてしまおうではないか!」

という気運が盛り上がったのですが、そもそも何を探せばいいのか分からないという根本的な問題が致命傷となり、

宝探しブームは数秒で終了したのでした。

お昼になったので、国際通りの沖縄そば博物館へ。

内地の人と一緒に沖縄に来てまず心配なのが、沖縄料理が口に合うかです。

このブログ的にはいつもお世話になっているコストさんはじめ、

オイラの身近にも「沖縄の食事は苦手」と言う人は何人かいます。

沖縄出身でも、「○○は駄目!」という人もいます。

このご夫婦は以前オイラの実家で沖縄そばを食べたことがあり、美味しかったのだそうで、

出発前にも、「沖縄の料理をいろいろ食べたい」と言っていたので、まあ大丈夫でしょう。

沖縄そば博物館は那覇タワーの2階にあり、2006年10月にオープンしました。

オープンしたてですが、建物自体が非常に古く、気さくな、気取らないお店です。

県内の有力な沖縄そば屋約50の中から選ばれし8店舗が営業。

好みの沖縄そばを選んで注文できます。

沖縄そばの歴史が分かるパネルもありました。

沖縄そば博物館は2008年2月いっぱいで閉館し、TOMITON(とみとん)内に移転したのですが、

現在はないっぽいです。また、那覇タワー自体も同年8月いっぱいで閉鎖となり、

その後2015年11月に解体されました。

あぐーそば。

いつもそうなのか、たまたまなのか、店内のウエイトレスは全員制服に身を包んだオバーで、

ニコニコしながら運んでくれました。

箸は紙に包まれてますが、使い回しの塗り箸でした。

沖縄ではポピュラーな黄色と赤のツートンの箸。

小皿はフーチバ(よもぎ)です。

肉の臭い消しに、生のよもぎをそのままバサッと入れます。

ちょっとアジアっぽいですね。

結構濃厚な味だったのですが、みんな「美味しい」と言ってました。

この分なら何を食べてもまず大丈夫!

(今は亡き)「那覇タワー」。

上に丸い部分が見えます。

オイラが子供だった頃、この丸い部分はグルグル回転するレストランで、

「いつか大人になったらあそこに行ってみたい」とずっと思ってました。

その後施設は閉鎖され、タワーは廃墟のように薄汚れていたのですが近年蘇り、

現在ここは展望ラウンジになっています。

入場料300円でジュース付き。

那覇市内を見渡すことができるとのことで、食後登ってみる事にしました。

那覇タワー1階部分。

展望ラウンジの案内が目立つように表示されてます。

古いエレベーターに乗って19階を押したのですが、何度やっても受け付けません。

???と思ってよく辺りを見ると、「11月末まで改装のためお休みします」という張り紙発見。

…今日は12月5日なんですけど。

建物内のテナントのおじさんに尋ねてみると、ニコニコしながら、「まだ改装してるみたいだねぇ」と言ってました。

来た来たぁ!

旅行中、その後も似たようなことを何度か経験しました。

こういう沖縄独特のいい加減なところを許せるかどうかが、

沖縄を好きになるか嫌いになるかの分かれ道のような気がします。 

仕方なく駐車場に戻ることにしたのですが、「ちょっと見てくる」と言い残し、

妹と奥さんはあっという間にマツキヨの店内に消えました。

 

しばしの後、「いい買い物ができた!」と大喜びで戻ってきました。

聞けば、通常500円のシャンプーが380円だったのだそうです。

ホテルの備え付けのシャンプーは嫌なので、普段使っているお気に入りのものを使うために購入したのかと思えば、

「旅行中に使うものはちゃんと持ってきていて、これは帰ってから使う」。とのことです。

しかも2個買ったそうです。

主婦が1円でも安いものを求めて遠くの店まで行くのは知ってますが…。

…ちょっと遠過ぎやしませんか?

主婦ってみんなこういう感覚なんですか??

国際通り(の端の方)。

その後、ぐーっと北上して海中道路に行きました。

遠浅の部分を一部埋め立てて島伝いに走れるようになっており、まるで海の上を走る道のようです。

残念ながら普通車だと走行中に左右の海はあまり見えませんが、

車高の高い車だと、道の両側に海が広がる風景が見えるかもしれません。

途中、どこかのおじいさんが追い越し車線に車を停め、中央分離帯に登って写真撮影してました。

…危ないなぁ

数年前ここを通った時は激しいスコールに見舞われ、

車から降りる気にもならず、早々に走り去ったのですが、今日はいいお天気。

途中にある海の駅に車を停め、海を眺めることに。

張り出している部分があったので、先まで行ってみることにしました。

 

次にやって来たのはアメリカンビレッジ。

ここはオイラ1人じゃ絶対行かない場所です。

いろいろとアメリカっぽいものがあました。

この写真だと分かりにくいのですが、車中には上から水がジョボボボ…と流れてました。

舌なめずりしてますけど…

実は昼から時間をにらみながら、タイミングを合わせてここに来たのでした。

ここに来たもうひとつの目的は、

これです。北谷公園に行くことです(違

砂浜のすぐ近くに建っていた建物。

超お洒落なマンションかと思い、こんな所に別荘として一室欲しいなぁ。

などとみんなで話していたのですが、後で調べたらホテルでした。

ここからゆっくりと空の色の変化を眺められたら最高でしょうね。

観覧車からの夕日もキレイだそうですよ。

砂浜のすぐ近くの建物に、「本日最も夕日が美しく見える時刻」というものが掲げられていました。

海岸のすぐ近くまで寄ってパシャパシャ撮ったのですが、

ひとしきり撮ってから、アレ?みんなは?と振り返ると、はるか後ろの方で座り込んでジッとしてました。

夕焼の方はおそらくあと小1時間は楽しめるのですが、みんなはあまり興味なさそげです。

そういえば朝の2時半から動きっぱなしだもんなぁ。

長居はやめて、戻ることにしました。

オイラ空気読むよ!(`・ω・´)

…と思ったのですが、後で妹に聞いたら、「キレイだねって、みんなで眺めてたのに。まだ居てもよかったよ」

と言われました。ガーン!

その後ホテルへ。

今回の旅行で妹がしたいことの1つに、「那覇のいかにもな居酒屋さんに入る」というのがありました。

まだ時間は早いし、那覇に戻ることもできたのですが、気力体力が残っておらず、

本日はこのまま大人しくホテルで食事を済ませることにしたのでした。

 

(つづく)


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沖縄旅行 その1 [■旅行記]

友人の若夫婦はオイラが時々沖縄に行くのを知っていて、

以前から「一緒に沖縄行きましょうよ」と誘われていました。

一方、親戚関係の集まりでしか沖縄に行ったことが無いオイラの妹は以前から、

「普通の観光旅行で沖縄に行ってみたい」と言っていました。

チケットの安い時期、ということで今回併せて一緒に行くことになりました。

友人夫婦にどこに行きたいか聞いてみたところ、

「よく分からんのです。とにかく眺めが良いところを見て、美味しいものが食べられればいいから。後は任せます」

という返事。

妹にも聞いてみたところ、「首里城、ひめゆりの塔、北端の辺戸岬に行ってみたいけど後は任せるから」。

とのことでした。

…なんかいつの間にか、オイラがツアコンをやることに。

まあ、沖縄は元地元だし、時々行くし、なんとかなるだろう、と思ったのですが、

いざ予定を組もうとしたら、候補地が思いつかないことに気がつきました。

考えたら、オイラはほとんど飛行場を見るためにしか沖縄に行っていないのです。

観光っぽいのは、美ら海水族館と首里城、それに辺戸岬だけ。

オイラが子供の頃住んでいた場所に行っても仕方ありません。

オイラも沖縄観光素人ぢゃん…。

うーむ、困った。。。

ということで、ネット情報と、沖縄在住の友人に尋ねたり、ガイドブック(去年の)で調べたりしました。

「後は任す!」とはいうものの、友人の奥さんと妹は非常にワガママ自己主張のはっきりした性格で、

 本人の好みをよく考えてスケジュールを組まないと、その場でダメ出しされるのは目に見えています。

力関係を示しますと、

奥さん〉〉妹〉〉超えられない壁〉〉友人=オイラ=街路樹

という感じでしょうか。

 

この時期の沖縄は天気が崩れやすく、雨天の場合は行ける場所も限定されてしまいます。 

極めて大雑把なのですが、首里城、ひめゆりの塔、沖縄県立博物館/美術館など、

雨でも大丈夫なインドアスポットは那覇周辺の南部に集中しており、

アメリカンビレッジ、海中道路、ビーチなど、

ドライブして楽しいアウトドアスポットは中部、北部に集中しています。

出発までの間は、暇さえあれば、あーでもない、こーでもないと、シミュレーションを繰り返してました。 

 

出発の4週間前に食事をしながら打ち合わせ。

2泊3日の旅行なのですが、観光で動けるのは1日目と2日目だけなので、

ともかく晴れの日があれば、優先的に中部、北部のドライブをすることにしました。

それから沖縄観光の目玉である美ら海水族館は、

まるで我々が行くのに合わせたかの様に年に1度の休館日なのでした。

本当にありがとうございます。

2日間雨という最悪のパターンでも、

ここさえ開いていれば1日はなんとかなってスケジュール組むのに非常に楽だったのですが…。

我々の出発日だけが異様に安かったのはそのせいかしらん??

ちなみにチケット代は、ヒコーキ、ホテル、レンタカー込みで28,200円でした。

格安チケットのため、出発の約1週間前になって行き帰りの便が確定。

行きは、6:35 羽田発の便でした。

5:35 団体カウンターに集合するように。となっています。

地元の駅前から4:40発羽田行きのバスに乗るのが一番面倒ないので、

オイラとしてはこちらを利用したかったのですが、

「安くて、帰りも自分たちのペースで動けるから」。という理由でオイラの車で行くことになりました。

首都高を走ったりしますから、出発のギリギリまで寝ていることがオイラだけできなくなりました。

 

前日、仕事がやっと片付いたのは夜の10時。

2:30に起床。

3:20 自宅を出ました。

妹とオイラのアパート前で待ち合わせの予定だったのですが、見ると車のガラスに霜がついています。

そういえば、本日の埼玉県の最低気温は氷点下の予報でした。

電話して、オイラが妹を迎えに行くことに。

アパート前で妹が出てくるのを待ちます。

寒いのでウロウロしていたのですが、はたと気がつきました。

午前3時半にアパートの玄関前でウロウロしているオイラは、どう見ても立派なストーカーです。

今警察が通りかかったら、間違いなく職質受けそうです。

努めて怪しくない風を装い、無事妹と合流。

3:41 友人夫婦を乗せ、空港近くの民間駐車場を目指しました。

非常に順調です。

ところで友人の奥さん、ものすごい薄着です。

氷点下? の寒さだというのに、ヒラヒラの服一枚しか着てません。

一体何事かと尋ねてみれば、

「沖縄に着いたら暑いじゃん。それまでは気力で耐える!」

とのことでした。

確かに本日の那覇の最高気温は25℃という予報でしたが…。

流石新潟県民です(というまとめでいいのか?)。

 

カーナビには、民間駐車場4:45到着 と表示されました。

この駐車場の営業時間は5時からなので、極めて安全運転をして時間調整することに。 

早く着きすぎてエンジン切ったら、奥さんが凍えますからね。

あ、それから料金所を通過する時、ETCの割引料金が表示されるようになったんですね。

今頃気がつきました。

4時台の首都高は、渋滞するほどではないのですが、トラックがたくさん走ってました。

 

できるだけゆっくり走ったつもりだったのですが、10分前に駐車場に着いてしまいました。

入り口で足止めか、と思ったら門が開いていて、送迎用のマイクロバスが暖機運転してました。 

手続きを済ませ、すぐにバスに移動。

運転手さんから航空会社を尋ねられました。

5:20 2タミ到着。

おっ、ターミナル内は暖房が効いてあったかじゃん。

奥さん、よかったね。

ターミナルの端っこで降ろされたのですが、我々の向かうべき団体カウンターは反対側の端っこであることが判明。

みんなでゾロゾロと移動しました。

5:35 カウンターにてチケット受け取り。

6:00 搭乗口近くのスタバで軽食。

生まれて初めてスタバを利用しました。

なんでスタバの注文はあんなに難しいんですか??

注文する時、ちょっと噛んじゃいましたよ

みんなが「ちょっと腹減った」と言っていたので、てっきり全員食べ物も買うのだろうと思って、

ナントカサンドを注文したのですが、オイラ以外は飲み物しか買ってませんでした。ガーン!

包装を開ききったところで搭乗開始のアナウンスが流れてくるし、みんなから急かされるし、

半分だれかに手伝ってもらおうとしたら全員から断られるしで、

せっかくの初スタバだったのに、味わっている余裕がありませんでした。

んー。なんかクルミの食感とチーズの味だけ記憶に残ってます。

6:20 搭乗開始

6:35 定刻通りプッシュバック

…したまではよかったのですが、管制から離陸許可が下りないとのことで、結局30分ほど遅れました。

機内に持ち込んでゆっくり食べればよかったよ…。

座席は全員中央席だったのですが、最後方の座席が二列分まるまる空いていたので、

ベルトサインが消えたと同時にさっさと窓側に移動しました。 

セミワイドボディー機のB767。2‐3‐2の座席配置。

オイラにとっては大きなヒコーキよりも、すぐ通路に出られる座席配置のヒコーキの方がよっぽど有難いです。

7:14 富士山を過ぎたあたり。富士山はトイレに行っていて撮りそこないました。

とほほ。

ライトターン

 

 

9:45 那覇到着。

荷物を受け取り、バスでレンタカー屋さんへ。

レンタカーは、DFS(大きな免税品店)で受け取るか、レンタカー屋さんで受け取るかを選ぶようになってました。

以前DFSでの受け取りを選択したところ、大きな店の迷路っぽいフロアを荷物を引きずって延々歩いた挙句、

車の受け取りに更に待たされ続けたという経験があります。

一方レンタカー屋さんは空港のすぐ近くにあったので、今回後者を選択しました。

「バスに乗って5分位で着くから」と得意げに言ったのですが、

バスに乗り込むと、レンタカー屋さんまでの所要時間は15分とのアナウンスが流れました。

一斉に刺すような視線と共にツッコミが。アイタタタ…

 

後で分かったのですが、瀬長島の先の方に大規模な「レンタカーステーション」を造成中で、

バスはそこに向かっていたのでした。

まだまだ更地の多い埋立地のようなところにアウトレットモール、複合ショッピング施設、

カーディーラーと共に、我々が借りるレンタカー屋さんがありました。

実に上手くできていて、レンタカー屋さんのすぐ目の前にエネオスがあります。

店内でレンタカーの手続き。

ここで美ら海水族館は今日と明日は休館であると念を押されました。

手続きを終え、割り当てられる車が知らされる運命の瞬間。

車は、ニッサンキューブでした。

4人分の荷物も、トランクルームに楽々入ります。

前回は某社の本当に小さなコンパクトカーだったので、 もしも荷物が収まらなかったら、

早目に荷物だけホテルに預けに行こうか、と話していたのですが、そうせずに済みました。

キズのチェックを終えて車に乗り込みました。

友人が運転手、オイラがナビ。

沖縄の天気は、今日、明日共に、晴れ時々曇りなので、天気を心配せずに効率よくあちこち回ることになりました。

10:30 さあ、出発! というところで、後ろから「腹が減った。ちょっとなんか食べたい」という声が。

確かに今朝は全員2:30起床で、オイラ以外は全員飲み物以外口にしてませんから、腹減るハズです。

ちょっと先にある瀬長島は、那覇空港の滑走路の延長線上にあり、

ヒコーキが頭上を通過するという、そのスジでは有名な場所です。

確か島にはブルーシールがあったはず。

これは合法的に全員を瀬長島に誘い込むチャンス到来と思い、

「ここからちょっと行った所にブルーシールアイスがある」と言ってみたのですが、

友人の奥さんから「そういう甘いものじゃなくて、しょっぱいものが食べたい」と言われました。

(しょっぱいもの…)

結局、沖縄にやって来て我々が最初に口にしたのは、近くにあったローソンのおでんなのでした。

(つづく)


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中部 車中泊 その5 [■旅行記]


Ⓐ静岡空港→Ⓑ富士川滑空場→ⓒ自宅

静岡空港到着。

建設中の様子が見たくて、以前から是非来てみたかった場所です。

前回の車中泊の際、静岡空港に向かっていて、あと数十キロというところで名古屋空港の事故のことを知り、

急遽予定を変更してしまったため、行かずじまいになってました。

で、今回やっと念願叶ったわけなのですが、心配だったのは、オイラのような無関係の人間がフラッと行って、

果たして見学ができるのか。ということでした。

建設機械が動き回る大規模工事現場で、オイラのような部外者は邪魔者以外の何者でもありません。

無論邪魔をするつもりはないのですが、建設中のターミナル、滑走路を見るにはある程度近づかねばなりません。

邪魔にならない程度に近づいて、ちょっとでも様子を見ることができれば御の字だなぁ、と思っていたのですが、

現場に行ってみると、なんと「空港展望台 見学者は直進してください」という標識がありました。

親切な標識が続き、途中に「静岡空港ビジターセンター」というものもありました。

展望台、ビジターセンターで丁寧な説明をお聞きすることができ、

更に滑走路の向こう側(ターミナル側)にも展望台があることを教えていただき、行ってみました。

ここでの様子は後日別記事でアップしますが、見学者の受け入れ態勢が非常に整っています。

開港前の空港は、開港しちゃったらもう絶対見られません。

お勧めです。

ターミナル側展望台の下のもみじがキレイでした。 

 

 

 

途中、もみじを眺めながら昨晩ゲットした半額弁当の昼食。

結局静岡空港には3時間半いました。

ここから車で約30分のところに富士川滑空場があります。

前回一度行ったのですが、その時は平日でヒコーキは飛んでませんでした。

今日は日曜なので、もしかしたら飛んでるかも。と考え、寄ってみました。

富士川滑空場到着。

残念ながら、グライダーは飛んでませんでした。

しかし、前回は曇天でまったく見えなかった、

というかそこにあることさえ気がつかなかった富士山を見ることができました。

 

富士川滑空場から見た富士山(と国道1号線) 。

14:45 出発。

今回の旅行はこれで終わり。

埼玉の自宅に向かいました。

どういうルートで帰ろうかと思ったのですが、

富士山の東側を通って北上することに。

夕焼をバックにシルエットの富士が撮れるかな、と思ったのですが、

その後富士山はスッポリと雲に覆われて見えなくなりました。

途中、近所のドラッグストアーで売っているカロリーメイトもどきの夕食。

なんと貧しい食事内容よ。と思われるでしょう。

まあ、オイラがビンボーだというのが大きいのですが、

実は翌週グループで沖縄に行く予定だったので、今回は特に質素でした。

名古屋はひつまぶしとか、いろいろ面白い食べ物がありますし、

サービス満点のモーニングサービスも是非一度利用してみたいです。

静岡を走った時には、「しらす丼」の看板を横目にカロリーメイトもどきをかじってたりしました。

 

20:30 自宅到着。

長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。 



おまけ:

約1名の方から、持って行った弁当のご質問がありましたので、お答えします。

持って行ったものの残りがあったので、再現してみました。

こういうパックに、

ご飯を詰めて、

レトルトと一緒にレジ袋に入れました。

今回は三食分作ったので、ご飯パックとレトルトをそれぞれ3個詰めました。

そして、着替えなどを入れたスポーツバッグに入れて持って行きました。

ご飯にレトルトかけてみつ。

*この後本人がおいしくいただきました。

費用:(1食分)
ご飯用パック    70円
ご飯        50円
レトルト各種  105円
スプーン     20円
計       245円

外食することを考えればヘルシーで安上がりなのですが、4割弱がパックとスプーン代です。

要改良ですね。

くずさん、こんな感じです


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中部 車中泊 その4 [■旅行記]


Ⓐ道の駅 天竜相津花桃の里→Ⓑ浜北滑空場→静岡空港へ


 

6:50 起床。

車中泊の時は、明るいうちは目いっぱい動き回って、すっかり暗くなり、

眠くなりかけてから行き当たりばったりで道の駅を探します。

なので、いつも朝起きてから、「ああ、こんな道の駅だったんだ」というパターンです。

上は、起き出して、ぼーっとしながら、「ああ、こんな道の駅だったんだ」と写真を撮ったところです。

2日連続8時間睡眠でした。

以前は車中泊で5時間も寝ると、もう早く動きたくてウズウズしたものですが、

今回はまだまだいくらでも寝てられそうです。

…年のせい?? 疲れ??

道の駅のすぐ横はこんなでした。

おんじです。

「おんじ」について詳しくは、夢空さんのブログをご覧くださいませ  

7:50 静岡県の浜北滑空場到着。

まずは河川敷で腹ごしらえ。

昨晩買った半額の弁当をムシャムシャ。

滑空場に近づくと、残念ながらまだグライダーは飛んでませんでした。

ただしご覧の通りで、滑走路にグライダーを入れる入り口の正面に車が一台止まっており、

高いアンテナを立て、発電機を動かしてました。

グライダー関係者が先に来て準備を始めているのかと思い、撮影の許可を求めようとしたのですが、

お聞きしたところグライダーとは無関係の方で、趣味? で何かを受信をしている方でした。

というわけで、立ち入り禁止区域には入らないように気をつけながら、勝手に滑空場周辺を撮らせて頂きました。 

浜北滑空場については、後日別記事でアップします。

滑走路脇の草。

撮影と見学を終え、次に静岡空港に向かいました。

 

(続きます)


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