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新田(生品)飛行場跡地 [├空港]

  2009年5月訪問 2022/12更新  


無題3.png
撮影年月日1947/10/27(USA M606 36) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


群馬県太田市新田市野倉にかつて「新田陸軍飛行場」がありました。

兵器の主力は戦艦から航空機の時代へ移行し、陸軍内部でも航空機の増強が叫ばれ始め、

飛行機の操縦者を大量に養成する必要が出てきました。

操縦技術を習得する専門学校として1935年に熊谷陸軍飛行学校開校。

その実習地として選ばれたのが当地区だったのだそうです。

 

因みにここから北北西6.2キロのところに前記事でご紹介した桐生愛国飛行場が、

そしてここから南東11.2キロのところに太田小泉飛行場がありました。

それぞれ成り立ちの異なる飛行場なのですが、すごい密度ですね。

飛行場は上図の周囲の道路などまったく無視した四角の地割部分がそれです。

一辺1.6キロという広範囲に渡って周辺と45度のズレがあるため、

地元の方でも方向感覚を狂わされるそうです。

余談ですが、群馬県といえば「かかあ天下と空っ風」。

この「空っ風」とは、当飛行場の北西(飛行場の向きのほぼ延長線上)にある

赤城山から吹き降ろす強風のことで、この赤城颪などを考慮したためにこんな向きになった。

という話があるのですが、陸軍の方形の飛行場って、全国的にこんな向きが多いんですよね~。

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

に 新田飛行場(昭十八・七・六) 地図がありました。

先頭のグーグルマップ、四角の飛行地区が道路でほぼ半分になってますが、これは同資料の地図から作図しました。

西側が850mx1,600m、東側が750mx1,600m(東部の施設区画除く)と記入されています。

同資料の情報を以下記させて頂きます。

位置
 群馬縣新田郡生品村
積量
 約二,五六〇,〇〇〇平方米
地表の状況
 北方に向1/300の勾配あり全般には概ね平坦なるも芝着甚だ
 悪く土質は全般砂土にして季節風に依り砂塵猛烈なり
周囲の状況
 飛行場南北側約二〇〇米まで一般に耕作地及荒地にして
 民家及大なる道路なきも外周に山林多し
天候気象の交感
 十一月頃より三月頃まで北西の風強く降雨少量のため風埃多
 し 天気は良好なるも温度は季節風のため低し温度は天
 気良好なるため少し四月より十月頃迄は風弱く南東より
 吹く天気平均良きも夏季雷雨甚し
格納施設
 現用格納庫一棟三九六〇平方米(九七式重爆撃機
 一〇機)假授受末済格納庫一棟 □右 假授受末済
 飛行機工場一棟三一九〇平方米
居住施設
 兵舎一棟学生少飛生一八〇名 営内下士官二七名兵二名
 假空中勤務者控所(営内下士官四名)
営外者住宅関係
 一、治良門橋付近の部落は収容力なく太田町中島飛行
   機会社所在するため勿論余力なきも辛うじて主力は治良
   門橋其の他は伊勢崎、大間及桐生、大田(ママ)及飛行場付近
   の部落に散在し在り
 二、工員約〇〇名は付近に下宿しあるも地方の米□(麦?)不足のため営内
   に於て兵食を実費支払いにて給しあり
交通連絡の状況
 最寄駅(東部鉄道治良門橋駅及藪塚)迄約三粁ありて
 其の間定期連絡機関なし道路も未だ移管完了せざるため放置
 しありて路面状況極めて不良なり
其の他
 (記載無し)

■防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」の中で、

当飛行場の地図があり、先頭のグーグルマップはこの地図から作図しました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

「新田陸軍飛行場 群馬県新田郡生品村 36°20′0N 139°18′5E」

面積 北西-南東1,600米 北東-南西1,600米 総面積257萬平方米
地面の状況 北東-南西に向け1/120の下り傾斜を為す
硬度は普通にして一面に芝密生す
排水概ね良好、冬季風塵立ち昇る
目標 太田町、東武鉄道桐生線
障碍物 東方約2粁を距てて高さ200米の山脈あり
北、東及西方一帯は森林地帯なり
離着陸特殊操縦法 (記載なし)  
格納設備 格納庫 鉄造(80x50米)1棟 木造(32x41米)1棟、(75x41米)2棟
照明設備 (記載なし) 
通信設備 (記載なし)  
観測設備 陸軍気象観測所あり、航空気象を観測す
給油設備 (記載なし)  
修理設備 (記載なし)  
宿泊設備 (記載なし)  
地方風 (記載なし)  
地方特殊の気象 夏季雷雨多し
交通関係 治郎門橋駅(東武線)東方2粁
東側に隣接して太田町及桐生市に至る県道あり
其の他 (記載なし)  
(昭和18年4月調)
 

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  新田
位 置   群馬県新田郡生品村
規 模   要図(南北1600)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 三〇〇名分
 格納施設 (記載無し)
摘 要   施設軍有

この要図には、飛行場の敷地の上に矢印が描かれています。

矢印の向きは南東([右斜め下])で、特に何の説明も記されていません。

飛行場の要図でしばしばこうして[右斜め下]が描かれる場合、恒風を示していることが多いです。

この[右斜め下]が恒風を示しているとするなら、飛行場敷地の方形とは、向きが数十度ズレています。

まあ四角の敷地を対角線に使用した方が、滑走距離を長くとれますしね。

D20_0012.jpg

県道332号線のところから撮影してみました。

この真っ直ぐの道が飛行場の南東の境界線。向かって右側が飛行場跡です。

(向こう側に渡ってから)カメラを右側に振ってみると…

D20_0010.jpg

こんな感じ。

おや?

画面左側の草むらに何かありますね? 

行ってみましょう(わざとらしい)。

D20_0006.jpg

赤マーカー地点。

「少年飛行兵操縦教育校 旧陸軍熊谷飛行学校 陸鷲修練之地 新田教育隊跡地」

とありました。

ところでこの飛行場の呼び名なのですが、

サイトによって「新田飛行場」、「生品(いくしな)飛行場」と名称が異なります。

飛行場があった当時ここは、「新田郡生品村」でした。

おおよそですが、軍関係は「新田飛行場」と呼び、

地元自治体は「生品(いくしな)飛行場」と呼んでいるケースが多いような気がします。

因みに「新田町の歴史年表」では、「生品飛行場」と表記されていました。

この場所はその後どんどん合併が進み、生品村→新田町→(現)太田市と変化しました。

予備知識なしで一から調べるオイラのような部外者にとって、

平成の大合併はまったくもってやっかいです。

新田飛行場.JPG
写真:国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省
撮影年度:1974年 地区名:桐生、上野境 編集・加工:空港探索・とり

1974年の写真。

D20_0018.jpg

D20_0014.jpg

上の2枚は、飛行場跡地のほぼ真ん中の風景です。


   群馬県・新田(生品)飛行場跡地   
当時は掩体壕が30基ほどあったのだそうです。

新田(生品)飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:群馬県新田郡生品村(現・太田市新田市野倉)
座 標:36°20′0N 139°18′5E
標 高:74m
飛行地区:1,600mx1,600m
面 積:257ha
(標高はグーグルアースから)

沿革
1938年03月 生品飛行場完成。一番機飛ぶ
1944年09月 19日 生品飛行場の練習機同士が生品村国民学校上空で衝突。搭乗員全員死亡
       12月 飛行場内に中島飛行機太田製作所の疎開工場が設けられる
1945年07月 01日 朝6時、艦載機の編隊2~10機が太田、生品飛行場に爆撃、機銃掃射
       同日9時半から約40機が主力をもって生品飛行場攻撃
       ?日 12機の艦載機により空襲を受け、石油に引火して火災発生 
       10日 機銃掃射、爆撃を受け、飛行場としての機能喪失 
       28日 熊谷方面から3編隊で進入、P51 240機のうち数十機が太田地方へ、
       このうち3機は生品を攻撃(米軍資料では都良崎を主目標とした26機が生品も攻撃。となっている)
    08月 14日 夜、生品飛行場および市野井、村田など空襲
    10月 14日 生品飛行場に40人進駐
1946年03月 12日 生品飛行場跡地に入植開始

関連サイト:
電撃! 激坂調査隊が行く/旧陸軍の飛行場跡をめぐる      
↑情報の極めて少ない飛行場なのですが、非常に良質のサイトです。
オイラもこんな記事が書けたら…と思いました。脱帽です。

この記事の資料:
鳥之郷国民学校昭和20年度教務日誌
太田市通史編 近現代
群馬の戦争遺跡
新田町誌第一巻「通史編」別冊付録・新田町の歴史年表
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


コメント(18)  トラックバック(0) 
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コメント 18

sak

言われなければここに飛行場があったなんて
全然想像できないですね。

by sak (2009-05-27 07:49) 

masa

畑のような飛行場跡ですね。
とりさんにしかわからないようなとこですね。
by masa (2009-05-27 17:24) 

hiro78

伊勢崎から太田のあたりは景色が皆同じに見えます!

by hiro78 (2009-05-27 20:57) 

コスト

>赤城颪などを考慮した向き 
そういう理由だったんですか!
横浜中華街も周辺の道路に対して、45度傾いていて、
ほぼ東南西北に角があるような構造なんですが
あっちは中華の風水思想かららしいですが、
こっちは赤城風だったんですね

>平成の大合併はまったくもってやっかい
同感です、昔の旅行記を書こうとしてネットで地図を出しても
合併されてて地名がかわってるんですよね
駅名とかはそうは変わらないんですが、
合併で全然違う地名にされるとたどる時に困りますよね^^;
by コスト (2009-05-27 21:43) 

an-kazu

言われて地図をながめると、
なるほどそのような・・・

次回も楽しみにしています。
by an-kazu (2009-05-27 22:47) 

tooshiba

とりさんだって立派なものですよ。
(何も出なくても言う)

もしかしたら「空港探索」を見て「○○行ってみよう」と思う人が現れる(すでにいた?)かもしれないじゃないですか。

精進なさいませ。
どこまでも突き抜けたら、勝利は目前です。なぞ
by tooshiba (2009-05-27 23:54) 

ジョルノ飛曹長

私は海軍航空隊員なのでアレなんですが、隼にも一度乗ってみたいなと思っておるのですよ^^
by ジョルノ飛曹長 (2009-05-28 00:46) 

koume

いつものことですが…いろんな古い資料をたくさん探されるところに、
頭が下がりますね^^;
空港の古い歴史を紐解くと、必ずと言って良いほど、
昔の軍隊時代の歴史があったりして、
昭和史好きな私は、興味津々なのです(でも、自分で調べないで、人のを読むw)
by koume (2009-05-28 04:27) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■xml_xslさん
nice! ありがとうございます。

■sakさん
そうですね~。
碑がある以外はキレイサッパリですからね~。

■Krauseさん
nice! ありがとうございます。

■夢空さん
nice! ありがとうございます。

■shinさん
nice! ありがとうございます。

■カンクリさん
nice! ありがとうございます。

■masaさん
オイラもネットで知っただけですから~^^

■ぴーすけ君さん
nice! ありがとうございます。

■こけもも:さん
nice! ありがとうございます。

■qoo2qooさん
nice! ありがとうございます。

■そらまめさん
nice! ありがとうございます。

■miffyさん
nice! ありがとうございます。

■hiro78さん
伊勢崎は行ったことないですがそうなんですか。
機会があったら見てみます^^

■コストさん
>風水思想
風水で街を構築ってのもまたすごい話ですね~(@Д@)
赤城颪は本っっっ当に強いので、ヒコーキにとっては切実だと思います。
>昔の旅行
あー、それは困るでしょうね^^;
確かに駅名はわりと残りますよね。
昔の地名が消えると歴史まで消えてしまうようでなんとも勿体無い気がします。
あと、地名をひらがなとカタカナとか・・・。なんでも分かりやすく親しみ易ければいいというものでもないと思うのですが・・・。

■an-kazuさん
ありがとうございます。
飛行場跡ネタ、もう少しだけ続きます。

■tooshibaさん
ありがとうございます。
オイラのは所詮後追いで好きな所だけつまみ食いしてるだけですから^^;
でもこんなブログを見て少しでも関心を持ってもらえる方が居たら嬉しいです。

■ジョルノ飛曹長殿
おお、飛曹長殿は海軍航空隊員でしたか!

■koumeさん
地元の図書館がとっても便利だとやっと気が付きました^^
>軍隊時代の歴史
確かにそうですね~。
北海道、九州もそういうケースが多いですよね。
by とり (2009-05-28 05:30) 

アスランマリオ

新田郡といえば『木枯らし紋次郎』・・・ん?
いつもながら鳥さんの探究心には感心させられます。
by アスランマリオ (2009-05-29 16:33) 

pica

とりさんの記事も脱帽ものですよぅ☆

私も何も出なくても言う ( ̄▽ ̄)b
by pica (2009-05-30 03:25) 

とり

■るるさん
nice! ありがとうございます。

■takemoviesさん
nice! ありがとうございます。

■kakasisannpoさん
nice! ありがとうございます。

■yychiroさん
nice! ありがとうございます。

■今造ROWINGTEAMさん
nice! ありがとうございます。

■c_yuhkiさん
nice! ありがとうございます。

■たねさん
nice! ありがとうございます。

■アスランマリオさん
>新田郡といえば
ググって初めて知りました!
ここだったんですね~!φ(.. )メモメモ

■nyancoさん
nice! ありがとうございます。

■U3さん
nice! ありがとうございます。

■m6324さん
nice! ありがとうございます。

■チビさん
nice! ありがとうございます。

■picaさん
そっ、そんなこと言ってないで早く寝なさい!
でも褒めてくれてありがとう。

■ハイマンさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-05-30 08:03) 

とり

■takeさん
nice! ありがとうございます。

■Qooさん
nice! ありがとうございます。

■OILMANさん
nice! ありがとうございます。

■kenjiiさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-05-31 05:52) 

とり

■春分さん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-05-31 21:10) 

とり

■SpeedBirdさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-06-02 06:37) 

とり

■seirenさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-06-11 07:53) 

げきさかのぼる

 資料のところにリンクしていただいた「激坂調査隊が行く」を作っている者です。「非常に良質のサイト」なんて言っていただいて光栄です。とりさんのレポートも素晴らしいです。
 いまは、群馬に住んでいますが、実家は埼玉の深谷市で、実は御稜威ヶ原(みいずがはら)―ご存知かと思いますが旧陸軍の熊谷飛行学校の跡地―の近くです。あのあたりは現在は自衛隊があり、その他は工場や倉庫などが建ち並んでいますが、私が小学生の頃まで、自衛隊と日立金属以外はだだっ広い野原でした。
 今は亡き祖母からオレンジの練習機(おそらく赤とんぼ)が飛んでいたことや練習機が墜落して火事になったことなどの話を聞いたことがあります。
 
 
by げきさかのぼる (2009-06-13 01:25) 

とり

■げきさかのぼるさん いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
おお、ご本人降臨!!!
記事にも書きましたが、この飛行場は非常に資料が少なくて苦労しましたので、
本当に助かりました。
丹念な調査、歴史や風土にまで及んだ記述に圧倒されました。
本当にありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2009-06-13 07:40) 

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