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東武熊谷線物語・2 [├場所]

小泉に東洋一の中島飛行機工場があり、たくさんの軍用機を生産するために

膨大な人員、資材を運ばなければならないー

まさに中島飛行機があるからこその熊谷線でした。

ところが終戦により、熊谷線は一瞬にしてその存在意義を失いました。 

今の路線を維持することすら危ういです。二期工事は当然中止。

軍事路線であり、沿線の利便性など考慮せずに建設された熊谷線は、

熊谷~妻沼間、10.1キロの沿線に住む人々の生活路線となりました。

 

さて、利根川を越えて、熊谷と小泉を結ぼう、という計画は中止となったのですが、

それでも、利根川の橋脚工事は治水上直ちに中止することができず、

河川の流れに支障をきたさないように工事は続けられました。

しかし工事用のセメントが極度にひっ迫し、入手難となったため、利根川上流河川管理事務所と協議。

その結果、1947年(昭和22年)2月工事中の第7,8,9,12号橋脚の基礎井筒工と、

進行中の橋台、橋脚は万難を排して完成させることになりました。

「小泉線と接続させよう」という話はその後何度も持ち上がることになるのですが、

その可能性は非常に低く、少なくとも今すぐ使うわけではないと分かっている橋脚の建設工事-

実際に作業に当たっていた工事関係者はどんな心境だったのでしょうか。

1947年(昭和22年)7月、一切の工事終了。

 

これは熊谷駅(赤マーカー)と、前記事で出た東上線の東松山駅(青マーカー)の位置関係です。

こうして見ると、東上線の東松山駅がすごく近いのが分かります。

実際熊谷駅と東松山駅は、直線距離で12キロ弱しかありません。

JRを除く私鉄としては総延長全国第2位の東武鉄道の中で、

唯一隔絶しているのが東上線であり、

東松山から熊谷を経て小泉でくっつけよう、という構想もありました。

東上線から熊谷、伊勢崎、日光に一本で行けたら便利だったでしょうね~。

例えば今の時期、東上線沿線から紅葉狩と言えば、東上線に乗って秩父方面とか、

関越道で渋川伊香保方面とかが便利なのですが、

行楽に向かう先にも変化があったのではないでしょうか。

また、都心周辺ではありがちですが、この辺りも道路、鉄道、共に東京方向ばかりが充実し、横の移動が大変です。

そういった面でも貴重な路線になったと思うのですが…。

 

その後、熊谷線は営業不振が続き、1974年(昭和49年)8月、

妻沼~新小泉間3.7kmの未成線廃止申請を提出し、許可されました。

終戦で路線延長はまずあり得ないだろう。とだれの目にも明らかだったでしょうに、

提出した建設計画そのものは戦後30年近く生き続けていたのですね。

1978年(昭和53年)8月 利根川橋梁の橋台、橋脚、基礎井筒などの構築物撤去工事許可を取り、

1979年(昭和54年)3月までに撤去工事完了。

そして1983年(昭和58年)5月31日 熊谷線廃止。

1943年(昭和18年)12月に開業した熊谷線は、40年でその歴史を閉じ、

ついに熊谷線が利根川を越えることはありませんでした。

おるそ橋.PNG
写真:「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1974年 妻沼地区 編集・加工:空港探索・とり

1974年撮影の航空写真に妻沼線利根川橋の橋脚が残ってました。

1979年(昭和54年)3月までに撤去工事完了してますから、その5年前ですね。

左側の橋は国道407号です。

無題5.png
撮影年月日1980/10/15(CKT801 C15 40) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

橋脚撤去完了から1年半後。

橋脚はきれいさっぱり撤去され、跡形も残ってません。

残っていれば見に行きたかったのですが…。 

と残念に思っていたのですが、その後コメント欄にH.Kumaさんから「利根川の北側に橋脚が1つだけ残っている」

と情報頂き、後日見に行ったのでした

オルソ妻沼.PNG
写真:「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1974年 妻沼地区 編集・加工:空港探索・とり

1974年撮影の利根川橋南側の写真。

築堤、道路の立体交差化も済み、後は線路を敷けば今すぐにでも営業できそうです。

1945年(昭和20年)9月までに小泉との接続を目指していましたから、

工事開始や終戦のタイミングがあとほんの数ヶ月ずれていれば、完成していたんじゃないでしょうか。 

もったいなや~。

 

実は熊谷線が営業していた晩年、オイラはテツでして、熊谷線に乗ってました。

画像 001.png

サインをねだっちゃうという… ^^;

久々に引っ張り出して改めて眺めたのですが、「サインください」という餓鬼のお願いに、

律儀に「東武鉄道」から書き初めて下さった車掌さんに感謝です。

熊谷線熊谷駅の時刻表をメモってましたので、こんな運行だったんだぁ。

ということで一応載せておきます。

熊谷駅発 妻沼方面
5:35 6:15,56 7:49 8:42 9:40 10:23 11:38 12:48
13:45 14:38 15:45 16:50 17:42 18:40 19:25 20:18 21:05

1日17本ですね。

6時台を除いて1時間に1本の超のんびりダイヤ、しかも始発駅なのに、

発車時刻がマチマチなのは、高崎線、秩父鉄道との接続の関係でしょうか。 

そして最終がまさかの21:05。

「終電乗り遅れ」ドラマがいくつも繰り広げられたんでしょうね~。

画像.png

大変見苦しい写真で恐縮ですが、その時の(友人が撮った)写真が残ってました。

撮影時期、場所は不明です。
追記:ぽりさんから情報いただきました。R17熊谷バイパスの代の陸橋付近、当時の大幡駅から少し妻沼側の辺りで撮影されたものではないか、と教えて頂きました。
地図のリンクも貼っていただきましたので詳しくはコメント欄をご覧くださいませ。

単線、ディーゼル、一両編成。ローカル好きにはたまりません。

当時の東武カラー、クリーム一色に塗られた可愛らしい車体です。

地元の人たちからは「特急カメ号」と呼ばれ、親しまれていたのだそうです。 

この熊谷線の車両、随分長いこと旧妻沼町役場(妻沼町は2005年熊谷市と合併)の駐車場の隅っこに

フェンスを張って野ざらし展示されていたのですが、その後見なくなり、解体されてしまったのかと思ったら、

現在は熊谷市立妻沼展示館 にて、屋根付の場所で大切に保管されています。

また、熊谷から妻沼まで、熊谷線の線路跡は一部遊歩道として整備されており、

東武杭もあり、旧妻沼駅周辺など、かつての面影がまだ残されているのだそうです。

当時を偲ぶ、ふいに消えてしまうかもしれない風景。いつかゆっくり見てみたいです。

 

この記事の資料:
東武鉄道百年史
東武鉄道 会社の沿革


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コメント 24

ジョルノ飛曹長

当時の橋脚は無くなってしまったんですね^^;
残念。
撮れるものなら撮っておきたい感じです。
西武にも当時の橋脚がいくつか残っているので、今のうちに撮っておく必要がありますね。急がねば・・・

熊谷の防衛は隼隊が担当していました。
当時は上空に隼を見ることが出来たに違いない^^
by ジョルノ飛曹長 (2008-11-17 18:14) 

ぴーすけ君

最後の写真が懐かしい感じでステキ。
ローカルな感じもナイスです。
by ぴーすけ君 (2008-11-17 18:24) 

masa

最後の写真、とても素敵ですね。
こんな時代もあったのだとわかりますね。

by masa (2008-11-17 18:39) 

夢空

サインをくださった車掌さん、その字からも誠実さがうかがえますね。
ちゃんと要求に応じてくれる・・・(*^^)v
懐かしい写真もnice☆ですね。
by 夢空 (2008-11-17 19:13) 

コスト

前回から戦争情勢が絡んだシリアスな話で、場所も北関東の地理はよくわからないし、廃線だとなおのことので何にコメントつけようか迷ってたんですが、
サインの画像で笑っちゃいました(笑)^^
いやー、取っておくもんですね、一笑いしましたw
一瞬、とりさんがメモ書きしたのかと思いました。
でも、僕もコクピットの画像取っていいですか?とかやってました^^;
宣伝のためリンク置いていくの許してください。
『J-AIR、JAC画像(ver.2)』
http://cost-off.seesaa.net/article/54091826.html

>最終がまさかの21:05 地方のマイナー私鉄だとそうなんですよねー
廃線になるかでもめている熊本電鉄は最終が20時台でした。
『熊本電鉄』
http://cost-off.seesaa.net/article/96271283.html

by コスト (2008-11-17 22:16) 

miffy

サインを下さった車掌さん優しいですね。
子供の夢を理解してくれる大人ってステキですね。
by miffy (2008-11-17 23:09) 

アスランマリオ

サインといい最後の写真といい、とてもnice!です。大事にしてください。

今はかないませんが、コックピットの見学をさせてもらえた時がありその時キャプテン・コパイさんにサインをもらったなぁ~
by アスランマリオ (2008-11-17 23:26) 

hiro78

素晴らしい記事に感激です。
橋脚が残っていないのが残念!!
最後の写真、素敵です!
by hiro78 (2008-11-17 23:35) 

pica

最後の写真、昭和の香りがぷんぷんして
良いじゃないですか♪
サインをねだっちゃうって発想も、それに
応えてくれた車掌さんも素敵。
by pica (2008-11-18 00:38) 

tooshiba

今回もすばらしい記事でした。
ボリュームも読み応えも十分。
とりさんは、地(陸海)を知り尽くしたから天にシフトしたんですねわかります。
by tooshiba (2008-11-18 01:50) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■takemoviesさん
nice! ありがとうございます。

■Krauseさん
nice! ありがとうございます。

■ジョルノ飛曹長殿
西武線にはまだ残っているのですね。貴重ですね。
>隼隊
そうだったんですか。この辺は狙われまくってましたからね。

■ぴーすけ君さん
ありがとうございます。
カラーだったんですけど、思いっきりセピアになっちゃいました。

■masaさん
もうそんなに経ったんだなぁ、という感じです。
過ぎてしまうとあっという間ですね。

■夢空さん
>字からも
本当にそうですね~。
実直な鉄道マンという感じがします。

■赤と青さん
nice! ありがとうございます。

■コストさん
内容が内容だけに、流石にふざけたこと書けないですよね。
記事もコメントも。^^;
コックピットの写真は貴重ですね~。もう無理だもんな~。
終電の時間が異様に早いのは熊谷線だけじゃなかったんですね。
20時台って・・・。

■miffyさん
確か、ホームを忙しく歩いている車掌さんをつかまえてサインねだったんですよ。なんてステキな車掌さん。

■アスランマリオさん
はい。家法にします。
アスランマリオさんもコックピット見学ですか。うらやますい・・・。

■hiro78さん
ありがとうございます。
遺跡好きはこういうの面白いですよね。

■picaさん
ありがとうございます。
>昭和の香り
ホント、そんな感じですね~^^

■tooshibaさん
おだてても何もでませんよ?(o ̄∇ ̄o)ニヤ
鉄道を極めるtooshibaさんの鉄道史、読みたいです。
by とり (2008-11-18 06:15) 

sak

貴重なお話、ありがとうございます。
全然知らないことたくさん知ることができて
この辺りに行ったら今までと違った見方ができそう(^^
東京も大阪も交通手段って中心に向かってばかりですよね
もっと横への移動手段が発達してくれるといいのに...
「特急カメ号」の写真、それにサインしてくださった車掌さん
素敵ですね♫
by sak (2008-11-18 12:07) 

OILMAN

こんにちは。
サインをねだったとりさんって、ナイス!ですね。
あと、特急カメ号って速いのやら遅いのやら・・・
by OILMAN (2008-11-18 22:11) 

とり

■こけもも:さん
nice! ありがとうございます。

■おすぷれい26さん
nice! ありがとうございます。

■sakさん
いろいろ調べて、如何に地元のことに無知だったか、思い知らされました。って、まだまだ知らないことだらけなんでしょうけども。
大阪も中心部への移動が充実しているのですね~。

■くらいふさん
nice! ありがとうございます。

■an-kazuさん
nice! ありがとうございます。

■OILMANさん こんにちは。
>サイン
一応言っておきますが、もちろん今はやりませんよ?^^;
>特急カメ号
Wiki情報ですが、
戦後、低質石炭による運行となり、あまりの遅さに「カメ」と呼ばれる。
その後ディーゼルカー導入→「特急カメ号」に昇格
でもいつの間にか「特急」が取れて「カメ号」に降格
だそうです。
by とり (2008-11-19 06:21) 

まめ助の母

貴重なモノが残ってますね
407ってそんな方向に向かってたんですね
だいたい松山止まりなので…
by まめ助の母 (2008-11-19 20:22) 

とり

まめ助の母さん
>407
そんなところまで行ってるんですね~。
by とり (2008-11-20 06:11) 

Qoo

鉄道の歴史を紐解いていくと、軍事路線が沢山あるのでしょうね
昔は工場への引き込み線などが結構ありましたよね
それにしても歴史嫌いだったとりさん(^^)
素晴らしいですね~ 本当に勉強になります
by Qoo (2008-11-20 06:25) 

とり

Qooさん
かつてあった軍事路線や引込み線、ものすごく惹かれるものがあります。
そう。オイラは歴史大っ嫌いだったのです。
そのオイラがこんな記事を書くようになるとは思いませんでした。
by とり (2008-11-21 07:57) 

まさ

お久しブリッこ・・・ですorz

一連の東武線シリーズ、
社会学者並みのフィールドワークぶりに感服です。
過去の偉大な社会学者さんたちには結構ビョ○キっぽい方が多かったんで、
後世に名を残すチャンスへの第一歩かも知れません。
"とりペディア"などいかがでしょうか?^^
by まさ (2008-11-23 11:31) 

とり

まささん
身に余るお言葉ありがとうございます。
まあ、ビョ○キっぽいというのは否定しませんよ
(o ̄∇ ̄o)ハ・・・ハハハ・・・
by とり (2008-11-24 08:28) 

H.Kuma

こんにちは。
実は熊谷線の橋脚、一つだけ残ってます。
利根川を渡った北側ですが。
http://hkuma.com/rail/kumaga.html

去年も雑誌の取材で行って観察して来ました。
間近で見上げるとなかなかの迫力です。
by H.Kuma (2008-12-26 23:08) 

とり

H.Kumaさん いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
貴重な情報、感謝です。m(_ _)m
記事修正させて頂きました。
いつか見に行きます!
by とり (2008-12-28 13:48) 

ぽり

たのしく拝見させていただきました.
最後の写真ですが,R17熊谷バイパスの代の陸橋付近で撮影されたものではないでしょうか.
当時の大幡駅から少し妻沼側の辺りでしょう.

http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&ll=36.171348,139.376968&spn=0.00828,0.011576&z=17

ご参考までにどうぞ.
by ぽり (2008-12-29 13:31) 

とり

■ぽりさん
返事が遅くなってしまって申し訳ありません。
ご親切に情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2009-03-05 07:20) 

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