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沖縄・2 [■旅行記]

10/5(木)1日目

  ともあれ日程も決まり,出発日の朝となる。I井さんの車で朝の6:30に出発する。羽田までのルートは,安く行こうということで,富士見川越有料→R463→R254→環八→首都高 高島平→空港中央 で行くことにした。これだと羽田まで900円で済む。途中,首都高に入る前に環八の戸田付近のコンビニで朝食を買う。早く家を出たおかげで羽田まで特に混むこともなく順調な走行が続き,9時過ぎには羽田に到着した。12:30の飛行機だったので,かなり時間が余ってしまった。

  空港内の郵便局でスリランカの友人にエアメールを送る。外国に手紙を出すのは生まれて初めてだったので,料金は一体いくらだろうと思っていたら,「90円です」と言われた。あまりの安さに驚き,「何日くらいで届きますか」と尋ねると,「大体1週間くらいです」と返事が返ってきた。極端な例では隣の家に手紙を出したって80円かかるし,ちょっと封筒のサイズが大きいとすぐに「定形外扱い」になってしまい,90円になる。それが中国を越え,タイやミャンマーのさらに先,インドの近くまではるばる手紙を届けてたったの90円とは。

  その後,展望デッキに行ったり,色々な店を覗いたりして時間をつぶし,地下のコンビニでパンや弁当,飲み物などを買い込み,「コークステーション」という,無人の自販機コーナーで早めの昼食をとった。食事の途中で気がついたが,ここは食事の持込等できない場所だった。いろいろなコカコーラ社製の自販機が設置されていたが,2人ともここでは何も買っていなかった。オイラの持ち込んだ飲み物も他社製だったが,I井さんがコンビニで買った爽健美茶がかろうじてコカコーラ社製だったので,これで許してもらうことにして,搭乗口に向かう。

  今日は早朝から非常に気忙しく行動したのと,空港についてからは建物内にいる時間が長かったせいで,もう夕方になったような錯覚に陥った。しかし実際にはまだお昼で,これから那覇へ飛び,レンタカーで那覇市内を巡ってからホテルまで行くという予定がぎっしり控えているのだ。飛行機に乗り込む。JALの777‐300だった。

  座席はちょうど非常口の前で,CAと向かい合わせの席だった。A席とB席となっており,I井さんが窓側に座った。正規運賃を払っていないので,てっきり中央席だろうと思っていたが,窓側が割り振られたので意外だった。沖縄行きの安い航空チケットで中央席以外が割り振られたのは多分初めてだと思う。座席は3‐3‐3の9列シートになっていて,ジャンボより1席少なかった。

  後ろの座席に若いお母さんたちと子供たちが乗っていて,とてもにぎやかだった。「○○くんは大きくなったら海賊になるんだよねー。だから頭を緑色にしたいんでしょー」とか話しているのが聞こえた。この母親は我が子が同じように,「僕は大きくなったら海賊になる。だから頭を緑に染めたい」と言っても果たして同じリアクションなのだろうかという素朴な疑問が湧いた。また,「頭を緑にしたら,海賊じゃなくて大剣豪になりますよ,お母さん」とツッコミたかったが,黙っていた。機内ではほとんど落語を聴いてすごした。積荷に手間取っているということで,出発時間が20分ほど遅れてしまった。

  飛行機は無事3時過ぎに那覇空港に到着し,トヨタレンタカーの旗を持っている人の所へ向かった。利用客がそろったところでマイクロバスに乗せてもらう。那覇空港前からすぐに道路沿いにヤシの木が並んでいて,沖縄の雰囲気をかもし出していた。バスは空港を出てすぐのトヨタレンタリースの営業所へ。書類手続きを終え,車に案内してもらった。

  パンフではレンタルできるのが,ヴィッツかスターレットで,車種の指定はできません,となっていたが,配車されたのは白のヴィッツであった。やったね。早速カーナビを見ながら,楚辺を目指す。

  まだ6千キロしか走っていない車だった。距離的にもまだ慣らしの時期なのでおとなしい運転を心がけた。運転もしやすく,スイッチ類も操作性が良かった。ただ,メーター類がダッシュボードの中央部分に位置しているので,運転中何度もハンドルのところを見てしまい,それからダッシュボードを見るということを繰り返してしまった。特に初日の夜間走行時に,ハンドルのところが真っ暗なので,ライトを点けてないと繰り返し反射的に考えてしまった。

  しかしその他はエアコン,パワステ,小物入れも充実し,室内は広々としており,必要なものはすべてそろっていて快適だった。グローブボックスの中に前回の使用者のレンタル契約書が残っていた。確か千葉県がどこかの男性だった。

  モノレールの工事が1年前と比べてかなり進んでおり,橋脚は完成し,後はガイドウエイが載せられ,駅を建設している段階だった。明治橋を渡り,リュウボウ前を通過し,楚辺市内に入る。まだカーナビの使い方が分からなかったので,現在地の確認と,地図の拡大,縮小程度の操作しかできなかったが,非常に重宝した。

  今は鎖がつながれて更地になっている元自宅のあった場所も見に行った。この狭い地面の上で色々なことがあったのだ。昔通った建物など眺め,写真を撮ったりしていると,スクーターに乗ったおじさんがニコニコしながらこちらを見て一旦通り過ぎたがUターンしてまた戻ってきて,「どこから来たんですか」と話し掛けてきた。「首里城に行きましたか。是非行ってみたらいいですよ」と人懐っこい笑顔で言い,すぐに行ってしまった。

  オイラはすぐ,親切の裏には何かあると考え,てっきりどこかの観光名所のチケットを買わされるか,何かを売りつけられるのかと構えてしまった。でもそれはまったくの誤解で,とても親切なおじさんだった。おじさん,疑ってごめん。国際通りに向かう。カーラジオからは沖縄独特のアクセントや方言が流れてきて,ホントに沖縄に来たんだという実感がこみ上げ,嬉しかった。

  この後は,旅行前にガイドブックで見た国際通りの近くのステーキ店で安くておいしいステーキを食べ,ブルーシールアイスをなめ,中部の読谷にあるホテルに行く予定だ。カーナビを頼りに国際通りに向かう。国際通りは片側1車線で非常に混雑しており,脇道は非常に狭くて歩行者がひしめき合っているので,ちょっと脇に入って駐車するという雰囲気ではなかった。

  目当ての店は国際通りから少し離れているのだが,カーナビの使い方がよく分からなかったので,どちら側にあるのか分からなかった。路肩に車を停め,じっくり地図を見るという雰囲気ではなかったので,とりあえず有料駐車場に車を入れ,歩いてみようということになった。早速駐車場が見つかったので車を入れると,そこは車の移動を係の人がやってくれるというエラくサービスのイイ駐機場だった。しかし後で他の駐車場の料金を見ると,エラく高いのに気付いた。

  国際通りは観光客と地元の学生,修学旅行生など若者が多い。女子高生はやはりルーズソックスをはいていた。オイラが小学生の頃からあったインドの土産物屋がまだ残っており,20年前と同じ香のにおいがした。ガイドブックの地図を見ると,目当てにしていた店はかなりの距離を歩かないと行けないことが分かった。少し歩いてみたが,やっぱり車に戻って車で店まで行こうということになる(I井さんが歩きたがらなかった)。

  それでは,ということで駐車場まで歩くが,途中で歩道に「USガーリックステーキの店」というイーゼルに掲げられた看板が目に入る。急遽ここにしよう,ということになり,土産物屋の2階という張り紙の案内に従って外階段を上ってゆく。しかし,階段の途中に置いてあった店の看板の明かりは消え,店の名前ははがれていた。上りきったところで左右に店の入り口が分かれるが,右側は明かりが灯り営業しているという雰囲気だが,明らかに違う店だ。案内に従えば,左側の店が我々の目指しているステーキ店のはずだが,特に看板は出ておらず,ドア越しに見える店内は薄暗くて,人のいる気配が無い。

  一瞬別の店にしようかとも思ったが,試しに押してみるとドアは開き,「いらっしゃいませ」という声がして,ロッカーか,サーファーという雰囲気の店長さんが迎えてくれた。なんだ,ちゃんと営業してるじゃないか。他に行かなくて良かった。店は店長1人で切り盛りしているようだ。店内はロフト風で置物も洒落た感じで,外から見ると,一見電気点いてないから閉まってるのか,と思うが,薄暗くて落ち着いた雰囲気の店だった。

  国際通りが見下ろせる窓際に席を取る。早速メニューからお目当てのUSガーリックステーキとニンニクチャーハンと,アイスコーヒーを注文した。I井さんは,USガーリックステーキとパンとホットコーヒーを注文する。店長さんが「ホットはこれから落としますから少し時間がかかりますが,よろしいですか」と言い,かっこよく去って行った。ところが少しして非常に恐縮しながら戻ってきて,パンを切らしているとのことだったので,I井さんもニンニクチャーハンを注文することになった。

  店長がI井さんにお冷を,そしてオイラにアイスコーヒーを持ってきてくれた。オイラにはお冷はくれなかった。ところでこのアイスコーヒーの色が異常に薄い。ちょうどアイスティーのような色だった。「そうかー。これが”沖縄の冷コー"ってヤツかー」と思った。オイラの脳の味覚を司る部分は,今まさに流れ込んでくる液体がコーヒーの味覚であることを予測していた。が,飲んでみると,その味は飲む直前までの予測とは著しく異なっており,なんだかとっても甘酸っぱい味がした。この液体は,色だけでなく,味もまさにアイスティーそのものであった。でも沖縄らしいので店長には何も言わなかった。

  やがて料理が運ばれてきた。ステーキの上にはソースがかかり,その上にこんがりキツネ色のカリカリガーリックスライスがたくさん載せられていた。てっきりナイフとフォークかと思ったが,割り箸とニンニクチャーハン用のスプーンしか出てこなかった。よく見るとステーキは薄く切ってあり,非常に柔らかで,箸で十分だった。

  「味が薄かったらソースをかけてください」と言われたが,しっかり味付けがしてあり,とってもおいしかった。ニンニクチャーハンの方もガーリックが香ばしく,炒めたご飯がパラリとしていてとってもおいしかった。ステーキと一緒に食べるご飯というよりもこれ一品で十分なご馳走だった。2人で「ここにして良かった,良かった」とバクバク食べた。

  食べ終わって満腹になってから落ち着いてメニューをよく見てみると,今食べたのとほとんど変わらない値段のコース料理で,今食べた2品に加えてなんとかサラダとなんとかピザ,それになんとかデザートがついているものがお勧め品として紹介されている。「2人で四千数百円」という値段にビビッてしまい,惜しいことをした。今度ここに来る機会があったら,この「2人で四千数百円」というコース料理を注文しよう。

  I井さんは店を出る際,「とてもおいしかったです」と店長さんに告げていた。すっかり満足して店を出,駐車場に向かう。I井さんは途中の土産物屋で,ある方のために1個50円の星砂を買った。

  車でホテルを目指す。基本的にはR58で北上し,途中で左折して数キロ走ればよい。R58に乗って先ずは那覇市内を抜けようとするが,ちょうど夕方で帰宅ラッシュにかかってしまい,非常に混んでいた。このままではホテルに着くのはいつになるのかと思っていたが,那覇市内を抜けると途端に道はすき始め,平均60キロで走れるようになった。

  今回の沖縄ドライブで感じたことだが,ドライバーは皆ゆっくり走る。関東では80キロくらいは普通に出すような道でも50~60キロくらいで走っている。前方に遅い車が走っていても抜こうとせず,皆その後ろに付いて行き,あおったりしない。車線を変更して抜いていくのはほとんどレンタカーだ。また,道をよく譲ってくれるが,ありがとうのサインはあまり出さない。サンキューハザードは結局一度も見なかった。それで最初はハザードを出していたが,混乱の元なのですぐやめた。

  那覇市を抜け,浦添市に入ったところでブルーシールの店を発見する。旅行会社から貰ったクーポン券を使い,アイスを食べ,再び出発。カーナビでも,目的とする残波岬が確認できるようになる。やがて「残波岬左折」の道路標識が現れ,R58を離れ,一般道を走行する。すっかり陽も落ち,道路の両側はサトウキビ畑が多くて建物もほとんどなく,辺りは真っ暗だ。

  途中ローソンで,ホテルに着いてから飲もうとオリオンビールを買う。ビールの陳列棚にアサヒとかサントリーなどのビールも並んでいるが,オリオンビールが一番幅をきかせているのが沖縄らしかった。店内に並んでいる菓子パンやおにぎりなどを見ると,関東とまったく同じ企画の商品が並んでいるが,製造工場が石川食品とか,オキコパンという沖縄ブランドの会社だった。

  店を出てしばらく走っていると,カーナビに「残波岬ロイヤルホテル」という文字が現れた。そしてカーナビが示すのと同じ方向,闇の彼方に白くて大きな建物が浮かび上がっていた。

  ホテルの正面玄関前の駐車場に車を停め,車を降りて改めてホテルを見上げる。パンフの写真でホテルの概観は見ていたが,大抵この手の写真は実物よりもよく見えるように写っていることが多いので,真に受けると実物を見てがっかりしてしまうものだが,今回はまったく逆だった。生暖かい海風に吹かれて客室数500余の白い巨大なホテルがそびえている。正面玄関付近はいかにも南国風の非常に高いヤシの木やソテツなどの植物が植えられていて非常に良い。ホントに38,000円でこんなところに泊まっていいのか,アタシらは。

  チェックインを済ませ,部屋に案内してもらう。1136号室だった。確か客室は12階までだったのでほとんど最上階だ。室内もきれいでよく整っており,イイ感じだった。ベランダに出ると,目の前に海が広がり,残波岬灯台からの光が直接ホテルを照らし出していた。寝るときもカーテンを閉めないと光が直接室内を照らし出す。冷蔵庫には何も入っておらず,自由に使えるようになっていた。テレビはBSも含めて自由に観ることができる。電気ポットとお茶のセットが用意され,ちんすうこうが2個置いてあったので早速1個食べた。ビールを飲み,浴衣に着替えて1階の大浴場に行った。普通の湯とサウナ,露天風呂,水風呂があった。ちょうど修学旅行生が大勢入っており,関西弁でにぎやかだったが,とても礼儀正しかった。脱衣所で自分の着替えを取ろうとして前にいた学生に手で会釈したら,「すみません」と言ってパッとどいてくれた。エレベーターで乗り合わせになると,「何階ですか」と声がかかった。部屋に戻ってから,浴衣は室内以外では使わないようになっていることをI井さんから指摘された。そういえば,浴衣で歩いていたのはオイラと数人のおばさんだけだった。トホホ


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