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調布飛行場 [├空港]

  2004年8月、2007年4月訪問 2023/9更新  


無題.png
撮影年月日1945/01/06(95D4 C2 20) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

無題1.png
SkyVector.com

東京都調布市にある「調布飛行場」。

都営コミューター空港として、東京都の離島への定期便が飛んでいる他、

様々な小型機が盛んに飛んでいます。

沿革にもまとめましたが、「調布飛行場」は元々、東京府の公共用飛行場「東京調布飛行場」として、

1941年に開設しました。

後に帝都防空のため陸軍が使用するようになり、戦後の接収、返還を経て現在に至ります。

上の航空写真は1945年1月撮影ですから、日本陸軍が使用していた頃の写真です。

先頭のグーグルマップは、白糸台の掩体壕脇にある掲示板を参照して作成しました。

紫の丸はその掲示板に示されている有蓋掩体壕です。

■防衛研究所収蔵資料「関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18年8月刊行 水路部」の中に、

当飛行場の情報がありました。

以下引用させて頂きます。

第11 東京調布飛行場 (昭和18年4月調)

管理者 航空局。
位置 東京府北多摩郡調布町、三鷹町、多摩村地内。
   (武蔵境駅の南西方4粁、北緯35°40′6、東経139°32′6)。
種別 公共用陸上飛行場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約44米。
広さ及形状
 本場は総面積163萬平方米にして長さ南北1,500米、幅東西930米及長さ
 東西1,500米、幅南北400米の略L字形地域なり・着陸地域は概ね図示の
 既設滑走路を主用するを最適と認むるも風向等に依りては南北滑走路の西
 側200米迄、東西滑走路の南側約100米迄の地区を使用するを可とす(付
図参照)。
地表の土質
 地表面より60糎迄は腐蝕土にして以下は粘土質なり。
地面の状況
 概ね平坦なるも処々に稍凸凹せる箇所あり・全般的に西より東に向け3/100
 の下り片勾配を為す・滑走路以外は一面に良好なる植芝密生し地盤極めて
 堅硬なり、滑走路は「コンクリート」舗装にして(長さ東西700米及南北
 1,000米、幅各80米)2條あり、各滑走路より格納庫の前面迄「コンクリー
ト」舗装の誘導滑走路あり・滑走路の両端中央部に着陸接地燈及停止燈、
着陸進入燈等の標識燈あり、之等は地表面と平面を為すを以て滑走上支障
 とならず・場周にV字型排水溝及約100米の間隔を以て高さ約1乃至2米
 の場周燈あり。
場内の障碍物
 なし。
適当なる離着陸方向
 北北西又は南南東、東又は西(滑走路方向)。
離着陸上注意すべき点
 北東方約400米に高さ63米の無線電信柱4基(夜間は障碍物標示燈を点燈
 す)あり又北西方に高樹林多きを以て注意を要す。
施設
 航空局航空試験所格納庫(間口50米、奥行36米)1、(間口58米、奥行50
米)2・陸軍格納庫4(建築中)・東京飛行機製作所格納庫1・航空試験所
事務所及管理所・油庫1・舗装滑走路2條・西側に大日本飛行協会格納庫
(間口20米、奥行25米、高さ8米)4・本部庁舎、講堂1、宿舎、発動機
室(建築中)あり。
昼間標識 場周標識(白黒縞模様にして頂に場周燈あり)・吹流1(格納
庫屋上)・空地連絡布板信号あり。
夜間標識 場周燈(橙色)・着陸進入燈4・着陸停止燈・着陸照明燈・
 着陸接地燈・丁型風向標示燈・風速標示燈1・障碍物標示燈
 等の施設あり。

周囲の状況
丘陵
 付近は概ね農耕地にして西及南方は平坦なる畑地なるも北-北東方一帯は
 高き台地をなし北東方約400米付近より略南北に連互する高さ15米内外
 の丘陵あり、此の丘陵は場の東方付近に至りて自然的に平地となる・北西
 方約2粁に高さ80米の浅間山と称する円形の丘陵あり、付近に於ける顕
 著なる目標なり。
樹林
 北西及東方は山林にして北西方樹林は高さ20米前後の松樹及落葉樹密生
 す・東方樹林は稍低く障碍となる程度ならず・遥か北西方に樹木密生する
 多摩墓地あり。
建築物
 場の東方に隣接して東京飛行機製作所及所属工場、格納庫、青年学校等の
 建物あり、又東端に航空局格納庫、事務所 及陸軍第105及108航空戦隊兵
 舎及付属建物等あり・場の西端中央に大日本飛行協会格納庫4棟及目下建
築中の本部庁舎等あり。
電線
 北東方約400米の丘陵上に高さ63米の無線電信柱4基、東方約500米の
 森林中に高さ40米の陸軍中央無線電信調布受信所の無電柱18基あり・南
 方500米及西方200米に各高さ9-12米の高圧架空線あり。
河川
 南東方約2.5粁に南東流する多摩川あり、此の付近に於ける唯一の大河に
 して遠望極めて顕著なり。
着目標
 多摩川、中央本線、浅間山(高さ80米、北西方約2粁)、無線電信柱(北東
 方400米に4基)、格納庫、場の南端付近の多摩川保養院(赤色屋根)。

地方の状況
医療
 場内に医務室あり・調布町に医院あり。
宿泊
 場内に相当数収容し得る宿泊設備あるも武蔵境町の旅館を利用するを可と
 す。
清水
 場内に完備せる給水設備あり。
応急修理
 場の東側に隣接せる東京飛行機製作所に完備せる修理設備を有す。
航空需品
 場内に相当量の航空用燃料及潤滑油の貯蔵所あり。

交通及通信
鐡道及電車
 多摩墓地前駅(西部鐡道多摩線)北西方約300米、上石原駅(京王電気鉄
道)南方約1.5粁、武蔵境駅(中央線)北東方約4粁。
乗合自動車
 省線武蔵境駅より調布町に至る武蔵野「バス」あり、最寄停留所は大沢橋
 (東方約400米)なり。
道路
 本場の東方約400米に北は武蔵境駅、南は調布町、西は府中町に通ずる良
好なる道路あり。
無線電信所
 東方500米に陸軍中央無線電信所調布受信所あり又北東方約1粁に在る天
 文台に文部省時報無線電信局あり。
電話
 飛行場事務所内に電話あり。

気象
地方風
 流行風は春、秋及冬季は北西風なるも日中は南風多し・夏季は南風なり。
天候
 暴風季節は5月下旬及9月上旬至翌年4月下旬間なり。
地方特殊の気象
 1月至2月下旬間は北西風強吹し霜柱の立つことあり・3月下旬より4月
 下旬に至る間は風塵来襲し咫尺を弁ぜざる事ありと言う。

其の他
1. 本場は昭和16年4月公共用飛行場として航空局の設置せるものなるも現
 在は陸軍飛行場として戦技訓練に主用せられつつあり。
2. 大日本飛行協会の設置に係る民間航空機及滑空機乗員養成所は場の西側地
 区に一部建物の完成を見目下95式練習機8機を常備し飛行訓練実施中な
 り。

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  調布
位 置   東京都北多摩郡調布町
規 模   要図(東西950 1700 南北1600)
舗 装   八〇×一〇〇〇米 八〇×七五〇米 基礎栗石一五糎 
      表層玉石コンクリート(調合一、三、六) 厚サ一五糎
付属施設
 収容施設 二五〇〇名分
 格納施設 掩体有蓋三〇棟
摘 要   施設軍有




赤マーカー地点。

調布飛行場入り口の両脇に門柱が立ってました。

ちょっと読みにくいですが、「東京調布飛行場」と書かれています。

とても古いものですが、これは何かといいますと、

開戦前に飛行場の正門として設けられた、非常に古いものなんですね。

1.png
撮影年月日1945/01/06(昭20)(95D4 C2 20) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。2枚とも)

この航空写真は、調布飛行場の滑走路と、その北側にある中島飛行機の三鷹研究所なのですが、

両者の間を拡大してみると、

3.png

こんな感じ。

<研究ノート>中島飛行機三鷹研究所―その稼働期― によれば、

調布飛行場と中島飛行機三鷹研究所は誘導路で連絡していたとのことで、上の写真の「↑誘導路」の部分が、

同資料内で「建設中の調布飛行場への誘導路」と説明されていました。

そういう目でみれば、研究所から飛行場敷地まで、なんとなく誘導路が伸びているように見えますね。

また、<研究ノート>中島飛行機三鷹研究所―その建設まで― によれば、 

滑走路北側部分(現・野川公園)を延長して、巨大爆撃機の発着を可能にする計画があったのだそうです。


 

この飛行場の管理が国から都に移管したのは平成4年7月。

種別が「場外離着陸場」から「その他飛行場」に格上げし、

正式飛行場(都営コミューター空港)として開港したのは平成13年3月のことです。
 

空港敷地内にあった公園。飛行機の形の大きなジャングルジム?もありました。

離島便のターミナル。

航空関係の小さな建物がいくつも並んでいるところで、しかも少し奥まったところにあるので目立たないですが、

管制塔前の駐車場からちゃんと標識が出てます。

標識に従えば問題なく行けます。

尾翼が壊れた飛行機。

この写真は2004年8月に撮ったものなんですが、2007年4月に行った時にもまだありました。

コメント欄で「熊さん」から情報を頂いた「武蔵野の森公園」。

R/W17側(管制塔、ターミナル入り口を背にして左側)にあります。

本当にランウエイエンドが間近にありますし、高台もあるので、ここで凧揚げはあぶないです。

ところで隊長、公園内にものすごいものを発見しました!

これです。

なんと、戦時中に造られたコンクリート製の有蓋掩体壕が公園内に2基残っていました。

初めて見ました。いつか見てみたいなぁ、と思っていたのですが、まさかこんなところでお目にかかれるとは!

「掩体壕(えんたいごう)」:(資料:武蔵野の森公園内の掲示板より)

「掩体壕」とは、軍用機を敵の空襲から守るための格納庫で、本土決戦に備えて、残り少なく貴重な飛行機を温存するために造られました。
太平洋戦争における戦況が悪化した昭和19年(1944年)頃から、コンクリート製の有蓋掩体壕約30基、土塁で造ったコの字型の無蓋掩体壕約30基、合計約60基が短期間で造られました。
建設は主に陸軍と建設会社があたり、地元の植木組合や中学生も大勢動員されたのだそうです。

この武蔵野の森公園内の2基以外にも、府中市に2基の掩体壕が残っているそうです。

「飛燕1型丁」:(資料:武蔵野の森公園内の掲示板より)

「飛燕1型」は川崎航空製機で、高空能力に優れた陸軍主力戦闘。
ドイツのダイムラーベンツの技術をもとに、国産化した液冷エンジンを搭載。
エンジン出力1,100馬力、最高時速590km/h 昭和18年(1943年)正式採用。

調布飛行場には、首都防衛のため「飛行第244戦隊」に「飛燕」が配備されました。
昭和20年(1945年)、B29爆撃機による本土空襲が激しくなり、迎撃機となりましたが、物量に勝る圧倒的なB29の攻撃であまり戦果を挙げる事ができませんでした。
その後戦況がますます悪化するなか、本土決戦のため貴重な飛行機を温存するため掩体壕に格納されるようになりました。

(追記:掲示板には「あまり戦果を挙げる事ができませんでした」と書かれていますが、それでも調布基地の第244戦隊は非常に練度が高く、陸軍航空隊の対B29としては、最も戦果を挙げたと言われているそうです)
 

去年の暮れにこんなことが起きてしまいました。

事件の後二重に囲んだのでしょうか? 残念です。。。

園内は広々していて飛行場の様子をよく眺めることができます。

この写真は公園に掲示されていたものです(北←)

現在の地図に、昭和20年(1945) 春の調布飛行場の施設配置を示したものです。

ターミナル、駐車場の前の道路は、現在も運用している滑走路に対して斜めになっていますが、

これは2本の滑走路がクロスしていた時には必然の形であり、当時の名残であることが分かります。

現在の滑走路(800m×30m)は当時の1,000mの滑走路の上にできており、

北端部分、今もターニングパッドが残っています。

東西方向にあった滑走路の西端のターニングパッドも残ってますね。

ヒコーキにまったく興味がない方からすると、「んだから何?」ということでしょうし、

同じヒコーキファンでもいろいろジャンルが別れますから、特に興味を引かないという方もおられることでしょう。

でもオイラにとっては、こういう「滑走路の跡」というのはたまらない魅力を感じます。

普通の滑走路でも見ているだけで脳内麻薬が分泌されるのですが、

今は使用されていない滑走路を見ると、かつてここを飛び交っていたヒコーキの妄想イメージがかき立てられます。

それが跡地で、しかもかすれているほどイイのです。

 

日本には、第二次大戦の時期に建設された飛行場が無数にあります。

敗戦後、そのほとんどは使われなくなりましたが、そのまま飛行場として生き残ったものもあります。

今全国にある飛行場の多くは、戦時中は軍の基地として使用されており、

戦争とはまったく無縁の飛行場の方が珍しいくらいです。

そういう意味で、ここ調布飛行場は日本の飛行場がたどった歴史の代表的なケースであり、

戦時中の形跡が今尚残る貴重な場所です。

しかも、飛んでいるヒコーキがイイです。

かつてこの飛行場の主力戦闘機として飛び回っていた「飛燕」のエンジンは、

同盟国ドイツのダイムラー社製DB601のライセンス生産でした。

日本では珍しい液冷エンジンを搭載したその独特の外見から、「和製メッサーシュミット」とも呼ばれていました。

時が流れ、現在この飛行場から離島に飛ぶコミューター機は国内では珍しいドイツ製の機体です。


         東京都・調布飛行場          

    ビュー:☆☆☆☆★  
離島行きの定期便があるので,時刻表で調べて狙うことができる。
定期便は最近使用機材が全機ドルニエDo228‐212に切り替わったようで、1日に20便の離着陸がある。
武蔵野の森公園がよく整備されている。ランウエイエンド付近にやぐらがあり、離着陸するヒコーキを間近に眺めることができる。
定期便だけでなく自家用機の離着陸も多い。

    施設:☆☆★★★  
離島行きのターミナルは小ぢんまりしている。
近くにお洒落なカフェあり。

    マニア度:☆☆☆☆☆☆  
武蔵野の森公園からの眺め良好。やぐらも整備されているが、じっくり眺めるなら滑走路反対側の運動公園の階段を上がった場所もおススメ。
掩体壕、門柱など、戦時をしのぶ遺跡あり。
ドルニエDo228の定期便を拝めるのは、現在全国でここだけ。
ジャムコの工場

    総合:☆☆☆☆★  

(資料:武蔵野の森公園内の掲示板)
調布飛行場は、昭和13年(1938年)に、東京府北多摩郡調布町・三鷹村(現在の府中市)にまたがる約50万坪の土地に計画され、畑・家畜・寺・基地などを半強制的に買収して建設。
工事は、昭和16年(1941年)に東京府と逓信省航空局・陸軍省の予算で着工。
基礎工事には府中刑務所の受刑者や中学生が動員。
同年4月に、南北方向に1,000mと東西方向に700mの2本の滑走路と格納庫などが完成。
当初は予備国際飛行場と航空試験飛行場・陸軍訓練飛行場として使用するはずだったが、陸軍が全面的に利用することになり、首都防衛のため、戦闘機「飛燕」を中心とした陸軍飛行部隊が配置された。

太平洋戦争の戦況が悪化した昭和20年(1945年)頃には、日本本土空襲のため飛来する米軍のB29爆撃機や艦載機の空襲で、飛行場や近くの高射砲陣地が爆撃され死傷者が出た。
またこのころには、特別攻撃隊(特攻隊)の訓練と九州知覧基地への中継地にもなった。

戦後、飛行場の西側の一部には、「進駐軍」(アメリカ占領軍)が消費する野菜を栽培する「水耕農場」が建設された。
調布飛行場の周辺には、現在も戦時中に利用していた門柱・掩体壕・高射砲台座などが、市民団体の努力で残されている。

・東京調布飛行場 データ(昭和18年4月当時)
管理者:航空局
位 置:東京府北多摩郡調布町、三鷹町、多摩村地内
標 点:N35°40′6″E139°32′6″
標 高:44m
種 別:公共用陸上飛行場
面 積:163ha
滑走路:1,000mx80m(17/35)、700m×80m(09/27) コンクリート舗装

・調布飛行場 データ(現在)
設置管理者:東京都
4レター:RJTF
空港種別:その他の空港
所在地:東京都調布市西町290番3
標 点:N35°40′18″E139°31′41″
標 高:42.3m
面 積:39ha
滑走路:800m×30m
方 位:17/35
運用時間:平日8:30~17:00、日祭日10:00~17:00
航空管制周波数
・飛行場管制 
 調布タワー 118.00 126.20

沿革
1938年12月 26日、都計東京地方委員会、調布空港案、正式決定。直ちに工事着手へ
1941年04月 東京府、調布飛行場開設(公共)
1945年09月 米軍が接収 調布水耕農園、補助飛行場として使用
1954年08月 日米共同使用が認められる
1955年    飛行場地区一部返還
1972年    飛行場地区大部分返還
1973年03月 全面返還
1979年03月  調布~新島間運航開始
1984年12月  調布~大島間運行開始
1992年07月 国から東京都に管理移管。調布~神津島間運行開始
1998年12月 25日 飛行場設置許可
2001年03月 31日 正式飛行場(都営コミューター空港)として供用開始
2006年04月 1日 東京都による情報提供業務開始
2013年04月 2日 ターミナルビル供用開始
    06月 18日 離島航空路線に計器飛行方式導入
2014年04月 2日 調布~三宅島間運航開始

関連サイト:
調布市/東京都調布飛行場管理事務所    
国土交通省東京航空局/調布飛行場   
新中央航空
basashiさんの記事「プロペラカフェ」   
ブログ内関連記事
    

この記事の資料
現地の掲示板
防衛研究所収蔵資料「関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18年8月刊行 水路部」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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コメント 29

GUAM-SAN

最初のリンクから
飛んできました。
そんな寂しい空港だったんですね。
by GUAM-SAN (2005-11-01 21:43) 

とり

ももさくらさん nice!&コメントありがとうございます。
んー、ここは寂しかったですね。
乗客としてならまた印象も違ったんでしょうけど。
■空港リスト■ を使ってこんな過去記事見てもらえたのが嬉しいっす。
by とり (2005-11-01 23:10) 

catenamas

毎日、京王相模原線を利用するのですが、比較的新しいこの電車は丘陵地帯の上の方をずっと走っているので新宿、調布方面が高い所から一望できます。

朝、通勤途中に飛行場の方に目をやると小さなプロペラ機(多分伊豆諸島の定期便?)が頑張って着陸しようとしているのを目にします。
快晴の住宅街の中をフラフラと着陸して行く姿を見るのはとっても爽快でいい気分です。(きっと有視界飛行なんだな〜と思いながら......)
by catenamas (2006-03-18 12:14) 

とり

cstenamasさん
こちらにもコメント&nice! ありがとうございます。
通勤途中にそんなステキな風景を眺めることができるんですね~。
「頑張って着陸」、「フラフラと着陸」というのがすごく実感こもってますね。
by とり (2006-03-19 06:39) 

熊

グーグルアースのイメージ検索から飛んできました。
飛行場の北西側にある武蔵野公園?が高台で、
全体を一望出来ると思います。

ターミナル前の駐車場より利用された駐車場から50m程奥へ行くと、
格納庫内にある喫茶店もわりと有名です。
by 熊 (2007-03-05 17:08) 

とり

熊さん いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
ご親切に情報どうもありがとうございました。
記事、修正させて頂きました┏oペコッ
by とり (2007-03-05 18:55) 

basashi

とりさんの追記コメントを見て、プロペラカフェに行ってきました。
カフェの窓からは、滑走路はもちろん、格納庫の内部まで見ることが
できましたよ!結構良いかも。
by basashi (2007-04-17 19:20) 

とり

basashiさん
情報ありがとうございます。
実は来週行ってくる予定です。
by とり (2007-04-18 19:28) 

ひろゆき

みなさん ありがとう御座います。当方 家族もちの 45歳 いいとしこいて 乗り物マニアです。でもわたしみたいな男性 結構多いそうです。安心しました。 春日部にすんでおりますが 本日 速攻で 調布空港まで ドライブ いってきます。プロペラカフェ ですね ラジャー
by ひろゆき (2007-05-05 12:44) 

とり

ひろゆきさん いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
オイラがケチョンケチョンな記事書いたのに。
コメントくださった皆様のおかげですね。
本当に感謝です。m(_ _)m
*今月下旬にこの記事の全面改訂を予定しております。
by とり (2007-05-06 08:38) 

実は毎朝、ここから飛び立ったと思われるプロペラ機を目にして出勤しております。9時前後の発なんですよねー。
by (2007-05-30 23:59) 

tooshiba

とりさんが再調査中、目を輝かしている様子が目に浮かびます。
鉄道を目にしたからと言って脳内麻薬は・・・残念ながら分泌されません。
○| ̄|_
飛行場の丸い部分は気になりました。
廃線跡地探訪は、「テツ」でも一分野として確立されていますので。

結局、物量作戦なのですよね。
精神論だけでは勝てないのですよね。
先の大戦に負けたおかげで手に入れたものもありますが・・・今それを手放そうとしているようですが・・・
by tooshiba (2007-05-31 00:06) 

ひろ茶

僕のほうも前記事のコメントについて訂正させていただきした。
前記事のコメント欄を見ていただけると幸いです。

ダイムラー社ってあのダイムラー・クライスラーのダイムラー社ですか?
てっきり、車だけだと思っていました。滑走路と聞くと、反町隆のGTOで
滑走路らしきところをかっこよく歩いている反町が頭に浮かんで
別の脳内麻薬が出ますw。都内にも戦時中の面影が見れるポイントが
あったんですね。沖縄、広島だけが先行してしまいがちですが、戦時中は
日本中で悲劇があったものと改めて感じます。
by ひろ茶 (2007-05-31 00:31) 

とり

■letterwritinさん いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
nice!ありがとうございます。

■こけもも:さん
おお、そうでしたか!調布発の時刻を見たのですが、9時に1番近い時間帯では、8:45新島行き、9:00神津島行きがありました。この後は10:10までありませんから、「9:00神津島行き」が1番怪しいですね。

■tooshibaさん
>再調査中
確かにすごいものを見て興奮してましたので、はたから見たら怪しかったかもしれません。
>廃線跡地探訪
そういう写真集もありますよね。そちらもすごく興味があります。

■hirochaさん
前記事チェックしましたよ。ありがとうございます。
>あのダイムラー
はい。そうです。ダイムラーベンツの「スリーポインテッドスター」って、「陸海空の頂点を目指す」という意味だそうですよ。
>日本中で悲劇があった
本当にそうですねぇ。都内に残る敗戦の跡のことは、いつか記事にしたなぁと思ってます。
by とり (2007-05-31 06:51) 

あしなが機長

とり さん、 いろいろと調べられて面白い内容ですね。知らなかった話もたくさん教えていただき 感謝です。  因みに 東京近辺では 戦後もかなりの飛行場が残っていたようです。 東雲、藤沢、横須賀、谷津などの飛行場で
飛んだことのあるパイロットは殆ど残っていないようです。 変ったところでは
座間市の北にあるKASTNERという飛行場が今でもあります。殆どの人は
知らないようですが・・。
by あしなが機長 (2007-05-31 11:32) 

bitamin2003jp

とり様 よく、細かく調べられましたね。大変面白いです。私も掩体壕は、ずいぶん昔に見に出かけましたが、当時は草ボウボウの中でセミの声が大変やかましかったのを覚えています。調布の飛行場に足を運び出した頃は、まだカマボコ型のガラスの割れた格納庫があったのを昨日のように思い出されます、掩体壕が綺麗に整備されてからは、調布には行くのに、訪ねていませので一度訪れたくなりました。
by bitamin2003jp (2007-05-31 18:57) 

マリオ・デ・ニ-ロ

この公園で飛行機を眺めながらボ~ットしていればとてもよい息抜きになりそうですね♪
by マリオ・デ・ニ-ロ (2007-06-01 00:55) 

とり

■あしなが機長さん
今回あしなが機長さんに声を掛けていただいていなければ、この記事の改定はもう少し後回しになっていました。本当にありがとうございました。m(_ _)m
KASTNERは米軍が使用している飛行場ですよね。そんなに古いものだったんですね。

■bitamin2003jp様
>ガラスの割れた格納庫
そういうものがあったんですね~。
貴重なものを見たのですね。

■アスランマリオさん
そうですね~。
近くにあれば通ってたと思います。
by とり (2007-06-01 05:28) 

basashi

私の記事を紹介して下さってありがとうございます。
ふ~む、こうやって調べてみると、いろいろと面白いことがわかりますね。
何で以前よりも滑走路の長さが短くなってしまったのかしら。
by basashi (2007-06-01 12:03) 

masa

改訂版読ませてもらいました。
ちゃんとした飛行場という認識を持ちましたよ!
離島行きの飛行機がメインとなるんですかね?
by masa (2007-06-01 20:05) 

コスト

おおーっ、僕がとりさんとこに来るようになった調布飛行場が改訂版になってる^^
>>戦時中に造られたコンクリート製の有蓋掩体壕  これの大きいのが高知空港の近く(同じ南国市)には7個ぐらいあるんですが。もっと迫力あってマニアにはたまらない感じなので、いつか高知を案内する時があれば場所教えますよ。
東京に来る前に写真とったんですが、すぐ出せないんで、紹介ページを
http://www.k4.dion.ne.jp/~entaigou/maehama.html

調布飛行場周辺は米軍に接収されて、徐々に返還されて、味の素スタジアムとかも元は米軍基地敷地だったってのを聞いたことがあります。
nice!です。
by コスト (2007-06-01 23:16) 

catenamas

Niceは二つ押せないのですね。
京王相模原線の車内から見たドルニエの頼りない着陸風景がなつかしくなりました!って、1年前とおんなじコメントですね。。。

仕事で行った電通大の最上階研究室からも飛行場が良く見えましたよ。あ〜ここだと、とりさんきっと仕事どころじゃないんだろうな〜って思いながら離着陸を見てました。
by catenamas (2007-06-02 01:54) 

とり

■basashiさん
いえいえ。カフェの写真が撮れませんでしたので、本当に助かりました。
>滑走路の長さ
それ、オイラも同じこと考えました。
必要ないから?管理が大変だから?税金が上がる??
よくわかりませんが。ここではジェット機の使用は認めないと決まっているのだそうで、今のところこれで十分なのかもしれません。
因みに航空法で滑走路の両端にそれぞれ60mの着陸帯を設けることが決まっていて、
60m×2+800m=920m で、着陸帯を含めると920mあり、昔の1,000mまであとちょっとです。オイラが調べてわかったのはここまででした。(^^;

■masaさん
それはよかったです!^^)/
>メイン
オイラが調べた資料では、年間離着陸回数は17,000回でした。その4割強が離島便です。それ以外は自家用機、防災、各種事業用となってます。定期便以外は、日によって飛ぶ、飛ばないかなりのバラつきがあるようですので、「行って見ないと分からない」という感じでしょうか。

■コストさん
そうでした。この記事がきっかけでしたね。nice! ありがとうございます。
>高知空港の近く
なんだってぇーーーーー!!
詳細お待ちしております。四国の残りの空港回る時に是非寄ってみたいです。
URLありがとうございます。見せてもらいましたけど、なんか生活の一部に溶け込んでるのが凄いですね。ますます行ってみたくなりました。

■catenamasさん
>二つ押せない
いえそんなもう、お気持ちだけで。
>仕事どころじゃない
ふっふっふ。オイラの習性をよくご存知で。大事な商談中ですら、ヒコーキが飛んでると、懸命に自制しないとうっかりそっちに視線をもっていかれます。(^^;

■Krauseさん
nice! ありがとうございます。
(気がつくのが遅れました。すみません)

■xml_xslさん
nice! ありがとうございます。
(気がつくのが遅れました。すみません)
by とり (2007-06-02 06:18) 

あしな

とりさん、 今晩は! 調布の滑走路の長さや運用状況の話が出ていたので
ご参考までに。 滑走路は本来は1000mなのですが 北側の滑走路の延長上にごみ焼却場の煙突が2本立っています。 この煙突のため、本来の滑走路の長さを使用出来ず800mに短くして使っています。  近々、この煙突も取り壊される予定ですのでそうすれば元の長さに戻るかも知れません。
調布の飛行場の運用時間は平日は8:30-17:00又は日没まで。日曜、祭日は10:00-17:00又は日没までですが 新中央航空だけは定期便があるため18:00まで認めています。因みにヘリコプターは日曜、祭日は飛べません。
by あしな (2007-06-03 23:41) 

とり

あしなが機長さん
煙突という障害があったのですね。
情報感謝です。m(_ _)m
by とり (2007-06-04 06:34) 

torakki

ん~すごい、調布にこんな遺構が残ってるのですねぇ。
ちょっと見てみたいかも~。
by torakki (2007-06-12 23:49) 

とり

torakkiさん
近くにお立ち寄りの際は是非!^^)/
by とり (2007-06-13 08:13) 

一市民

全日空の羽田~伊豆諸島の大島空港への定期便廃止に伴い、


唯一伊豆大島へ航空機が乗り入れ居るのが


調布空港からの新中央航空のドルニエ機だけとなりました。


また神津島、新島、伊豆大島、三宅島への定期便がある。空の玄関口です
by 一市民 (2017-02-05 13:12) 

とり

■一市民さん
羽田便廃止からもう1年以上なんですね~
早いものです。。。
by とり (2017-02-05 14:36) 

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