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群馬県・御巣鷹の尾根 [■旅行記]



(この記事は2005年11月に行ったときのものです)

 朝、出発の準備をしている時からになんだか神妙な気分だった。15年くらい前に初めて御巣鷹の事故現場を訪れた時 は、自分と遺族のギャップがショックで、一応現場まで登ってはみたものの、当時の記憶は断片的にしか残っていない。その後もニュースで見聞きしたり、本を何冊か読んだりするうちに、「もう一度きちんと現場に行ってみたい」と思うようになった。どういういきさつだったかよく覚えていないが、群馬県在住のFさんと2人で再び御巣鷹に行くことになった。 

 群馬県「上野道の駅」でFさんと合流。この先食事できる場所はないので、道の駅のレストランで少し早い昼食を済ませる。実は今朝起きたら右肩が痛くてハンドルも満足に握れない状態だった。一般道なら片手でも十分だけど、この先の峠道はちょっときつい。ということで、オイラの車はここに置かせてもらい、Fさんの運転する車で出発。15年くらい前に来たときには、国道299を離れると延々と未舗装のガタガタ道が続いたが、すっきりきれいに舗装され、楽に登山口まで行くことができた。とはいっても急峻な斜面を削って車道をつくっているため、方々に「ガケ崩れ注意」の標識があり、本当に何箇所かで大岩が車道に落ちていた。自宅を出たときは快晴だったのに、だんだん雲が出始め、登山口駐車場に着いた頃には空は一面の鉛色。ウインドブレーカーの上に、念のため持ってきたフード付きジャンバーを着込んでちょうどいいくらいだった。

 登山口にあった杖。自由に使えるようになっていた。Fさんは持ってきたカサを杖代わりにし、オイラは山では両手を空ける派なので、2人とも利用しなかった。

 ここからいよいよ山歩き。案内表示には、ここから御巣鷹の尾根まで2km、所要時間は45分~1時間となっていた。12:50 歩き始める。

紅葉が始まっていた。

足元が悪く、急な上りが続く。しかも狭い。しかし道は沢沿いに続き、水の音が清々しい。

息が上がってきたところでちょうどベンチがあった。ちょっと休憩。

ベンチの横に柄杓があった。隣に黒いホースがあったが、水は出ていない。

 またしばらく行った先に水の出ている場所があった。オイラが自宅から持ってきた水を勧めたにもかかわらず、Fさんは早速隣に置いてあったコップを洗い、水をゴクゴク飲み始める。別の場所でも、沢の水をすくって飲みまくっていた。…ワイルドな人だ。Fさんが沢に下りて水を飲んでいると、1人のおじさんに追いつかれる。挨拶すると、わざわざ帽子を取って礼儀正しくお辞儀をして再び颯爽と上り始めた。我々2人もヨロヨロと後を追って歩き始めるが、おじさんの姿はあっという間に見えなくなった。オイラはともかく、Fさんは学生時代は柔道部の猛者だったというのに…。な、情けない。

やっと現場の近くまでたどり着いた。

 (写真の一部抜粋)「日航123便B‐747機は、相模湾上空で起こった尾翼部分の破壊の結果操縦能力を失い、32分間の迷走の末この地にたどりつき、御巣鷹の尾根にほぼ直角に走る尾根(地図U地点)に接触して樹木をなぎ倒し、地図H地点に激突した。機体の後部胴体は激突により分離し、最後部を先頭にして地図Aに示す斜面を斜めに滑り下り「すげの沢」の谷間(現在地より約400メートル上流S地点)に突っ込んだ。その他の機体は激突で分解飛散し、主に地図Bに示す帯状の地帯の樹木をなぎ倒した。搭乗者の遺体は主に御巣鷹の尾根北側の斜面全体に散らばった。搭乗者の非常に多くは「頭」と「腹」に受けた傷害が致命傷となって死亡した。

 「すげの沢」S地点では約150の遺体が機体残骸の間から発見されたが、それらに混じり4名の生存者が発見され救助された。生存者の証言によれば、4人の生存者以外にも救助隊が到着するまでの間、話をしたり、声を出したり、粗い息をしていた複数の人達が居たという。(中略)

 日航123便墜落を含む過去の航空惨事の教訓と室内試験の結果、現在旅客機内に設置されている2点式ベルト付き客席は、後ろ向きで肩掛け式ベルト付きの客室乗務員の座席と比較して、特に激しい墜落事故の場合に、著しく防護力に劣ることが示された。この事実は、客室内の人々の間で「安全差別」があることを示す。我々、世界の航空惨事被災者は、航空会社の事業や航空産業に関係する人々がこの「安全差別」を早急に廃止するよう、最大の努力をするよう要求する。」

 地図の前で小休止し、再び歩き始める。もうすぐ着くだろうと思ったら、ここからが長く急だった。途中でさっき我々を颯爽と追い越していったおじさんがもう下山してきた。少し立ち話。「あとどれくらいですか?」と尋ねると、「あと3分…」と言いかけてから、「あと10分くらいですよ」と、ヘタレな我々に気を遣って言い直すおじさん…。現場に近づくにつれて晴れ間が見え出す。

1時間半近くかかって、ようやく現場到着。

シート番号のプレートが張ってある。

 案内図が設置された斜面には、いたる所にシート番号の札やお墓が点在していた。遺族らしき姿が数組見えたので、写真は撮らなかった。

テレビで見覚えのある光景。

 歩いていると、時々白くなった針葉がまるで雪のように音もなく頭に降ってくる。地面は一面枯れ葉に分厚く覆われてフカフカ。

 周囲は高い木々に覆われているが、墜落現場一帯は細い木ばかり。周りの景色とは明らかに異なっている。太い木の株だけがあちこちに残っている(切り株と立木のこの太さの違いを見てください!)。

 案内図の設置された斜面から大分上ったが、それでもあちこちにシート番号の札やお墓が見える。現場のかなり手前にも1つだけお墓があった。相当広い範囲にお墓が点在している。改めて事故のすさまじさを思い知らされた。

巨木はことごとく折れていたが、珍しく太い木が残っていた。

 炭化した部分が未だ生々しく残っている。この木の幹には、直径数センチの穴がところどころに開けられていた。事故当時ここに作業用のワイヤーでも張っていたのだろうか。

 15:00引き返す。ぬかるんだ急な下りが続く。足が疲れて膝の踏ん張りがきかない。2ヵ月前に草野球をしていて痛めた左膝が少し痛み出す。「これから延々1時間も歩けるかなぁ」と心配になってくるが、現場から少し下ったところに舗装された車道があり、そこに出て歩いてみる。なんとなく車を停めた場所まで行けそうだ。山道で苦戦した後だけに、舗装された道のなんと楽なことかと実感させられる。ここからはサクサク進んだ。

 舗装された道路をどんどん下っていくと、無事駐車場が見えてきた。写真左側に上りに使った登山口がある。登山の最中にFさんがしみじみと話していたが、事故当時遺族の方が60才だったとすると、現在は80才ということになるわけだ。高齢の遺族の中には、急な山道を登ることができず、現場まで行くことを諦める方も多いと聞く。でもこの車道を使えば、現場まで行ける方はかなり増えるはずだ。この車道にしてもそうだが、山道のいたる所で遺族の方々が現場まで安全に、快適にたどり着けるよう細やかな気配りを感じた。

 ふと見ると月が出ていた。登山道入り口に、「絶対に日没までに下山すること」と書かれていた。なんとか明るいうちに戻ってこれてよかった。16:20 駐車場到着。道の駅に戻り、Fさんと別れて自宅に向かった。


(追記)墜落現場について:

「御巣鷹山」の南東約4kmの所に「三国山」があります。墜落現場は御巣鷹山と三国山を結んだ線上のほぼ中央にあり、「御巣鷹の尾根」と呼ばれています。

行き方ですが、国道299号線で群馬県上野村を走ると、「御巣鷹の尾根」を示す大きな標識がありますのですぐ分かります。国道を逸れ、尾根に向かう道に入ってから登山口の駐車場まで20分ほどです。ループ状のトンネルがあったり、ガケ崩れによる事故を防ぐため、一旦停止する箇所もあります。文中にも書きましたが、曲がりくねった道の先に突然大岩が落ちていることもあり得ますので十分注意が必要です。

登山口から現場まで、景色が非常にきれいなのですが、飽くまで事故現場です。以前某団体が下山後にビールを飲んだことが遺族との間で問題になり、新聞沙汰になったことがあります。そういう場所です。現場周辺は木立に囲まれています。ふと気が付くと、遺族の方がお墓の前でそっとたたずんでいることもあります。十分な配慮が必要です。


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コメント 2

ばう

とりさん
未だにこの山が正確にはどこにあるのか分かりません。
大きな地図には載ってないし・・・。でも、今回の記事のおかげで犠牲者の
無念さや遺族の心の傷みも。 「絶対に日没前に・・・」 この山の悲しみが
余計に感じられる文ですね。 私も一度は登っておきたい。
by ばう (2005-12-10 00:30) 

とり

ばうさん
コメントありがとうございました。
戻ってきてからもいろいろ考えさせられる場所です。
by とり (2005-12-10 11:50) 

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