SSブログ

伊江島補助飛行場 [├空港]

  2006年5月訪問 2022/12更新  

無題c.png
撮影年月日1944/09/29(USAokinawa MR7.RV40BG 150) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
1.png
Ryukyu Islands airfields. Report No. 1-b(10), USSBS Index Section 6 
(国立国会図書館ウェブサイトから転載)

沖縄本島の西、僅か5kmに位置する伊江島。

東西8km余の小さな島なんですが、 1943年に日本軍はここに「伊江島飛行場」を建設し始めました。

「西飛行場」、「中飛行場」、「東飛行場」と、三つの飛行場を建設する計画で、当時東洋一の規模を誇りました。

実際に東、中飛行場が完成したのが1944年9月末。

上の航空写真は1944年9月29日撮影のものですから、完成した頃のものと思います。

■防衛研究所収蔵資料:「南西諸島航空基地一覧図 昭和19・11 第三航空艦隊司令部 」の中に、

伊江島飛行場の略図があり、先頭のグーグルマップはこの図と航空写真から作図しました。

 

・西飛行場

「南西諸島航空基地一覧図 昭和19・11 第三航空艦隊司令部 」の中でも西飛行場だけは略図はなく、

同資料の伊江島全体図に「伊江島第三」と文字情報があるのみです。

日本軍が西飛行場をどんな形に設計していたのかについては、なかなか資料が見当たらないんですが、

アジ歴の Translation No. 65, 12 May 1945, digest of Japanese air bases.21コマ目 には、

IE SHIMA
IE SHIMA NO.2(CONSTRUCTION SUSPENDED)
IE SHIMA NO.3

として3つの滑走路の長さと幅の数字と共にその形が描かれています。

この2つの資料から、IE SHIMA NO.3=西飛行場 と思われ、NO.3 は、1200x200 とあります。

上の航空写真の"A→"の部分、 中、東両飛行場と並ぶような形で、うっすらと滑走路っぽい地割が見えます。

作図してから測ってみたところ幅は210mで、おそらくここに「西飛行場」を建設しようとしていたのではないかと。

・中飛行場

「南西諸島航空基地一覧図 昭和19・11 第三航空艦隊司令部 」の略図と航空写真の形が一致している唯一の飛行場。

東飛行場と比較しても、誘導路、駐機場の建設も進んでますね。

但し交差する二本の滑走路の長さを示す数字が異なっており、

南北方向の滑走路は、 略図では1500x200(1500x50)と記されているのに対し、

航空写真にある通りに作図したら、1,300x55m。

北東~南西方向の滑走路は、略図では1800x200(1500x50)と記されており、

航空写真にある通り作図すると、1,500x65m でした。

略図の伊江島全体図に「伊江島第二」と記されています。 

・東飛行場

航空写真では、 北東~南西方向の滑走路1本しかないように見えますが、

略図には三本の滑走路が描かれていて、グーグルマップの作図にあるように、

アラビア数字の"4"の縦棒がちょっと左に寄ったような形。

略図では、南北方向2000x200(1800x50)は「未着手」、

東西方向2000x150(1800x50)は「一時中止」と書かれています。

で、「未着手」の南北滑走路についてなんですが、

航空写真で見ると、ちょうど略図で滑走路の描かれている位置、方向に白い線が走っています(←B)。

それでグーグルマップでは、この線を基準に南北滑走路の作図をしてあります。

 

次に「一時中止」の東西滑走路なんですが、略図では文字通りアラビア数字の"4"の横棒のように、東西方向の滑走路。

ところが航空写真では、その場所で目を凝らしてもそれらしい地割が見当たりません。

「一時中止」ですから、何かの痕跡はあるはずなのに。。。と思って眺めると、やけに目立つ "↑C" が気になります。

略図では、東西滑走路と南北滑走路が南端で接していてるんですが、

Cの腺を伸ばした先は、南北滑走路の南端と、ほぼピッタリ略図通りの重なり方をしています。

滑走路の方向がかなり違っているのが気になるんですが、

誘導路にしては太くて真っ直ぐだし、長さも絶妙だし、このC線が東西滑走路なのではないかと。

略図の伊江島全体図に「伊江島第一」と記されています。

 

「第2章 旧軍飛行場用地問題の歴史的な背景とその後の経過 - 沖縄県」には、

伊江島飛行場建設のいきさつについて、おおよそこんなことが書かれていました。

「陸軍航空本部は昭和18年(1943年)夏から地元土建会社に委託して読谷村と伊江島に飛行場の建設を進めていたが、資材と労働力の不足が重なって工事は進んでいなかった。新設の第32軍の主任務は昭和19年(1944年)7月末を目途に航空作戦準備を完了することであったが、4月現在、陸軍飛行場は一つも完成しておらず、飛行場建設が新設の沖縄守備軍の急務となった。
 飛行場建設の中核を担う第19航空地区司令部は満州に駐屯して飛行場の整備に任じていたが、昭和19年(1944年)3月26日付け部隊命令によって第32軍の指揮下に編入され、4月12日、那覇市内に司令部を開設した。
 こうして沖縄県の飛行場設定に従事する全部隊は4月下旬から5月上旬にかけて任地に展開を完了し、建設作業に取り組んだ。
 昭和19年(1944年)7月7日、サイパン島の攻防戦で日本軍が全滅し終息すると、南西諸島の防備がにわかに重視され兵力の増強が行われた。  同年7月24日、大本営は「陸海軍爾後ノ作戦指導大綱」を策定し、米軍の侵攻に対して決戦を指導した。
 決戦方面により捷一~四号作戦と呼び、南西諸島方面は捷二号作戦と呼ばれた。この捷号作戦の主眼は来攻する敵艦船を航空兵力で叩くことにあった。ところが、この時期の第32軍は上陸戦に備えての陣地構築に力を注いでいたため、
大本営は度々視察団を沖縄に派遣し飛行場建設を督促した。9月には飛行場つくりの名人といわれた参謀を着任させ、地上兵力を飛行場建設に投入させることにより、飛行場を急速に完成させた。
 9月末日までに南西諸島の飛行場(徳之島1、沖縄本島3、宮古島2、石垣島1)はおおむね完成したが、10月10日、米機動部隊に南西諸島全域に5波に及ぶ大規模な空襲をかけられ、沖縄の主要な飛行場と港湾施設と県都那覇市のほとんどが無残に破壊されてしまった。 空襲後まもない10月12日には、伊江島飛行場や読谷飛行場などの本島の飛行場は昼夜兼行の補修整備が行われ、台湾沖航空作戦の中継基地として使用された。」

資料の後半に登場する10月10日の大規模な空襲は、1944年のいわゆる「十・十空襲」です。
 
先頭の航空写真は、1944年9月29日に米軍が撮影したもの。
 
「十・十空襲」のデータにされたんでしょうね。
 

その後西滑走路が未完成の段階で軍の方針が変更となり、

1945年3月、地上戦直前に滑走路放棄を決定。爆破して破壊します。

そして翌月の4月、アメリカ軍が伊江島を占領し、直ちに滑走路補修、拡張工事を行いました。

 

全国には日本軍の飛行場が米軍に接収されるというケースが数多く存在しますが、

オイラの知る限り、そのいずれも 終戦→接収 という順番です。

ところが唯一地上戦が行われた沖縄には、終戦に米軍の飛行場があり、

直接沖縄と日本本土を攻撃するために用いられていたという点で特異です。

この伊江島飛行場も例外ではなく、

早くも5月10日からは沖縄と日本本土への出撃基地として使用されています。

 

そして終戦。

「正式降伏受理の打合せをなすため一行は日本飛行機により伊江島の飛行場に至り同地より米国の飛行機によりフィリピン マニラに輸送せらるるものとす 右一行の日本への帰還も同様の方法に依るものとす」

との命を受け、日本降伏連絡使節の一行は白塗り・緑十字の一式陸上攻撃機で伊江島飛行場に到着。

ここで米軍C-54輸送機に乗り換えてマニラに向かいました。

オルソ伊江島全体.JPG

1977年撮影の伊江島全体図。3本の滑走路がくっきりと写ってますね。

東西約8キロ、南北約3キロ、外周24.2キロの小さな島に3本の滑走路を建設するため

大勢の島民の従事、強制退去、そして米軍上陸の際には多くの人命が奪われました。

現在も島の35%が米軍の基地です。

オルソ伊江島字.JPG
写真(上2枚とも):「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1977年 地区名:伊江島 編集・加工:「空港探索・とり」

滑走路部分拡大図。大戦前後の写真はこちらのサイトに掲載されていました。

その後旧東飛行場は1970年に返還されて民間の「伊江島空港」になりました。

(伊江島空港についてはこちらをご覧ください)

旧中、西飛行場は現在も米軍管理下にあります。

旧西飛行場はフェンスで囲われた米軍基地内にあり立ち入りが制限されているのですが、

旧中飛行場はフェンスの外にあり、条件付で自由に往来可能となっています。

ということで旧中飛行場をうろついてきました。

(以下の写真は以前アップした旅行記の使い回しです)

3507897.jpg

3507899.jpg

OSD:米海兵隊作戦支援分遣隊

3507900.jpg

3507902.jpg

滑走路を横切る形で道路があり、地元の車が普通に横断してました。


    伊江島・伊江島補助飛行場    

伊江島補助飛行場 データ
設置管理者:米国海兵隊
用 途:演習場
所在地:沖縄県国頭郡伊江村(字西江上、字西江前、字東江上、字東江前、字川平)
座 標:N26°43′19″E127°46′36″
面 積:801.5ha
滑走路
 旧西飛行場:1,650m(04/22)
 旧中飛行場:2,100m(04/22)
 (座標、滑走路長はグーグルアースから)

沿革
1943年 夏頃、陸軍航空本部、伊江島飛行場工事開始
     東、中、西の滑走路(1,500m)を有する飛行場として建設
1945年03月 10日 第32軍、地上戦直前に滑走路爆破命令
    04月 米軍伊江島占領 滑走路補修
    05月 沖縄と日本本土への出撃基地として使用開始。その後部分返還、用途の変遷を経て現在に至る
    08月 9日、長崎に原爆を投下したB29が飛来。給油後テニアン島に帰投
       19日と21日。降伏受理の打ち合わせのため河辺虎四郎中将(参謀本部次長)と随員13名、
       東京・マニラを往復した際、当飛行場を経由
2017年11月 14日 F-35訓練ふまえ改修開始 

関連サイト
沖縄県/伊江島補助飛行場      
読谷村史/降伏使節団の往来      
ブログ内関連記事
   

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「南西諸島航空基地一覧図 昭和19・11 第三航空艦隊司令部 」
「第2章 旧軍飛行場用地問題の歴史的な背景とその後の経過 - 沖縄県」


コメント(19)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 19

くず

おっ!
久々の空港探索らしい記事ですね (*^-^)b
またゆっくりと邪魔しにきます。
by くず (2009-03-18 12:28) 

masa

小さな島に3本も滑走路があるんですね。
昔の滑走路を横切る道路もあるんですね。
なんだかちょっと変な感じですね・・・
by masa (2009-03-18 17:37) 

tooshiba

戦争は良くない。
まあ、無難ですよね。これに言葉を足していきましょう。
戦争に負けるのは良くない。
あれ?
戦争に負けて、いつまでも外国に占領されているのは良くない。
んんん。
以下、危険思想なので省略。
by tooshiba (2009-03-18 21:05) 

コスト

>現在も35%が米軍基地 初めて知りました。
本島にあれだけあるのに、離島にもまだ米軍基地があるんですね。

>終戦→接収 羽田も接収して拡張のため住民が48時間以内に退去させられたと聞いたことがあります。

>設置管理者:米国海兵隊 米軍って書くよりなんかインパクトありますね。

三本の滑走路にはそれぞれ歴史があるんですね。

by コスト (2009-03-18 21:32) 

OILMAN

こんにちは。
終戦前にすでに米軍の滑走路として占領されていた場所があったなんて知りませんでした。
しかもそれが今でも使われているんですね。

by OILMAN (2009-03-18 22:01) 

sak

こんなに素敵な島がすごく辛い歴史を持っているのを
あらためて...

とけかかっているって表現、いいですね(^^

by sak (2009-03-19 00:54) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■くずさん
お久しぶりです。忙しそうですね。
>久々の
うぅ、確かに^^;
>邪魔しに
「お」がつくかつかないかで随分印象が変わりますね(o ̄∇ ̄o)ニヤ

■きよひこさん
nice! ありがとうございます。

■xml_xslさん
nice! ありがとうございます。

■フェイリンさん
nice! ありがとうございます。

■夢空さん
nice! ありがとうございます。

■Krauseさん
nice! ありがとうございます。

■masaさん
なんだか要塞みたいですね。
横切るの、確かに変な感じでした。

■tooshibaさん
まあいつまでも苦労を強いられるのは常に一般人なわけですよ。( ̄人 ̄)

■コストさん
>本島にあれだけあるのに
本当にそうですよね~。羽田もそんなことがあったのですか。

■カンクリさん
nice! ありがとうございます。

■こけもも:さん
nice! ありがとうございます。

■OILMANさん こんにちは。
そうやって考えるとすごいことですよね。
因みに沖縄本島にはB29で日本を爆撃するために米軍が新設した飛行場もあります。

■hiro78さん
nice! ありがとうございます。

■kenjiiさん
nice! ありがとうございます。

■sakさん
>とけかかっている
写真で見るとそんな感じですよね^^
by とり (2009-03-19 06:29) 

Qoo

沖縄はまさに浮沈空母ですね
もう戦争はしないのだから整理しても良いと思うのですけどね
by Qoo (2009-03-19 12:53) 

ジョルノ飛曹長

滑走路をいくら爆破しても、アメリカ軍なら5時間で飛行機が飛べる状態にもっていけちゃうんですよね。
日本は復旧に3日はかかりましたから、大きな違いですね。^^;
by ジョルノ飛曹長 (2009-03-19 23:15) 

とり

■そらまめさん
nice! ありがとうございます。

■ぴーすけ君さん
nice! ありがとうございます。

■shinさん
nice! ありがとうございます。

■Qooさん
>浮沈空母
今回の記事を書くのにアチコチ徘徊したら、その言葉に何度か出くわしました。

■ジョルノ飛曹長殿
そんなに違うんですか!(@Д@)
それから7,000nice! ありがとうございます~ヽ(*´ヮ`)ノ
by とり (2009-03-20 06:04) 

ハイマン

航空写真だとはっきりわかりますね!
by ハイマン (2009-03-20 22:20) 

アスランマリオ

飛行場も使われないと溶けちゃうんですね(驚)
7000nice!おめでとうございます。ますますのご発展をお祈りいたします。
by アスランマリオ (2009-03-20 23:43) 

とり

■ハイマンさん
沖縄行きのヒコーキからこの3本の滑走路がはっきり見えたことがあります。
ハイマンさんに是非撮って欲しいです^^

■アスランマリオさん
そう。溶けちゃうんです。
今後ともどうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m
by とり (2009-03-21 07:33) 

春分

とけかかってますね。かたちあるものはみなとけますからね。
by 春分 (2009-03-21 22:01) 

とり

■春分さん
>みな
確かに!
by とり (2009-03-22 08:25) 

とり

■picaさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-03-22 08:26) 

とり

■赤と青さん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-03-26 07:17) 

ロータリー

沖縄県民です。いま揉めています「普天間移転」について私なりに考え、探してみました。そして行き当たったのが貴ブログ。
県民も知らぬ情報が、沢山、まさに探していた情報です。ありがとうございました。
政府の方からは、全く洩れこない話ですが、「沖縄の危険性=対中共」を考えた場合。「潜水艦基地」としてベターと思えました、(沖縄=日本の防衛上.沖縄が落ちれば、日本も落ちるので)。
by ロータリー (2010-06-06 07:20) 

とり

■ロータリーさん いらっしゃいませ^^
そんな大層なものを載せた覚えはありませんが、
少しでもお役に建てたのでしたらよかったです。
ありがとうございました。
(オイラもうちなんちゅです^^)
by とり (2010-06-06 18:31) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0