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福岡空港(陸軍福岡/席田飛行場、板付飛行場) [├空港]

  2004年11月訪問 2022/11更新  


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撮影年月日 1947/03/22(昭22)(USA M180 35)   
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

無題9.png
SkyVector.com

福岡県福岡市博多区にある「福岡空港」。

ターミナル直結の地下鉄に乗れば、たった5分で博多駅に行けるという、

国内屈指のアクセスの良さを誇る国際空港です。

2019年に民営化を果たし、2020年に国内線ターミナル再整備完了ですっかり見違え、

2025年3月には第2滑走路(2,500m)、国際線旅客ターミナル北側の増築部分の供用開始を予定しており、

今後ますます九州の雄としての地位を不動のものとしそうです(下に第二滑走路位置マップ貼ってあります)。

そんな福岡空港ですが、戦時中は陸軍の「福岡飛行場」で、戦後長い事米軍に接収されていました。

その後返還を経て現在に至ります。

そんな経緯を持つため、陸軍時代は「席田飛行場」として、接収期は「板付基地/板付飛行場」としても知られています。

 

■防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)

の中で、「福岡飛行場記録」と「要図」が載っていました。

同資料には、山口県と九州の戦時中の陸軍各飛行場が載っているのですが、

「福岡飛行場」という飛行場名を見ても、最初オイラは一体ドコのことだか全くわかりませんでした。

戦時中の「福岡飛行場」といえば、

「福岡海軍航空隊」(元岡飛行場隣接)
「福岡第一飛行場」(雁ノ巣)
「福岡第二飛行場」(名島)

がありますが、「福岡海軍航空隊」と「福岡第二飛行場」は海軍の飛行場。

雁ノ巣は元々航空局のもので、戦争の激化とともに陸海軍共用となりました。

そのため上述の資料には、「福岡飛行場」と「雁ノ巣飛行場」が別個のものとして掲載されています。

海軍のものではなく、第一、第二でもない、陸軍の「福岡飛行場」というものが存在するのです。

2022年現在、「陸軍福岡飛行場」で検索してもそのものズバリの飛行場はヒットせず、

「福岡空港は元々陸軍の席田飛行場として建設されたもので~」とか、雁ノ巣、名島ばかり出てきます。

困ってしまったのですが、上記資料の飛行場記録、要図によれば、

「福岡飛行場」は1,500m2本、1,800m1本の滑走路を有する規模の大きなものとして示されています。

この規模の飛行場はかなり限られるため、(もしかして)と思って「福岡空港」の1947年の航空写真を見てみたら、

「要図」と同じものがそこに写ってました。

「陸軍福岡飛行場」≒「現・福岡空港」だったのです。

上記資料の中では、当飛行場についての頁が、

「福岡飛行場記録 昭和二十年九月十日現在 福岡飛行場監視隊」

という名称と印も入った念入りなトビラと共に始まっていました。

同資料内では「席田」という文字は一度も出てきません。

ということは、「福岡」の方が正式名称ということなんじゃないでしょうか?

どうしてネット内では「福岡」ではなく「席田」ばかりが席巻する現状があるのでしょうか??

ナゾです。


名称のことばかり長々と書いてしまいましたが、

ここからは陸軍当時の福岡飛行場の様子とその後の変遷について個人的な感想を少し書いてみます。

「陸軍福岡飛行場」は、北北西~南南東方向の2本の平行滑走路と、北北東~南南西の1本の滑走路を有しているのですが、

上記資料によれば、平行滑走路のうち東側の1本のみ未舗装、

それ以外の2本は、幅80mのうち中央の60mがコンクリート舗装となっています。

上のグーグルマップの作図は、未舗装滑走路はそのままの幅で、

舗装滑走路の方は、中央の舗装してある60m幅のみ描いてあります。

「陸軍福岡飛行場」は終戦の年に米軍に接収されて「板付基地」になりました。

上に貼った航空写真は1947年撮影のものなので、既に米軍「板付飛行場」当時ということになります。

この航空写真を拡大して3本の滑走路をよく見ると、平行滑走路の西側の方は滑走路上に物資とヒコーキがズラリと並び、

北北東~南南西の方の滑走路は中央部分が早くも溶けかかっており、

キチンと滑走路の体を成しているのは、陸軍時代に唯一未舗装だった 1,800m滑走路のみです。

翌1948年の航空写真ではこの傾向はより顕著となり、

体を成している滑走路が北北東~南南西方向の滑走路の上に乗っかる形で潰しています(交差ではなく潰している)。

1960年の航空写真では、潰された滑走路はほぼ痕跡のみとなり、

平行滑走路のうち西側のものは、長大なエプロンと化し、

残った1本の滑走路は南側の敷地を拡張して延長しており、

この時点で現在の空港の原型が出来上がっています。

現在の空港敷地西側には誘導路に面して、

国際線ターミナル、海上保安庁、航空自衛隊の各エプロンが続いているのですが、

この長大なエプロン、元々は陸軍飛行場の滑走路だったんですね~
(厳密には航空自衛隊のエプロンは北東側1/4が元滑走路)。

空港敷地境界線も陸軍当時の地割がそのまま残っている箇所が多く、

今やすっかり日本を代表する大空港になりましたが、まだまだ陸軍当時の痕跡が随所に残る空港と思います。

防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)

「福岡飛行場記録 昭和二十年九月十日現在 福岡飛行場監視隊」

を以下引用させて頂きます。

判決
自重八屯以下の飛行機の使用に適す

飛行地区
一般 本飛行場は水田に設定せるものにして排水不良基礎工事の為地耐力小 大型(八-十屯)機の連続使用には適せず
滑走地区 一八〇〇x一〇〇 一 約二十糎の栗石、砂利敷 転圧
       一五〇〇x八〇  二
舗装路 一五〇〇x六〇 二 コンクリート(約十糎)舗装  
土質 粘土
地表面の状況 表面草地にして地耐力小なり 降雨あれば滑走路上に溢水し二十糎に及ぶことあり
周辺障碍物の有無 なし

付属地区
誘導路 四五〇〇x二〇 約一〇糎のコンクリート舗装、所々に破損
宿営 バラック建設 設兵舎十三棟(五?〇〇名収容可) 
夜間着陸設備 なし
動力線 引込設備あり
電灯線 各兵舎に張線しあり
給水 水道なく井戸十三あり水質比較的良好なるも水量少し

其他
風向 恒風 冬季 北又は北西風 
    夏季 南東又は南風 春秋以上何れか

1,800mx1、1,500mx2 の滑走路を有する大規模飛行場でしたが、

資料からすると運用には色々と苦労があったようですね。
(グーグルマップの各滑走路のマーカーにも「要図」にあるコメント付けてあります)

実は同資料では、終盤の頁で当飛行場の「要図」と「飛行場記録」がコンパクトにまとめられて再登場しているのですが、

両者には細かな差異があります。

以下異なっている箇所を列挙します。

・判決:「八屯」→「10頓」
・滑走地区:「一八〇〇x一〇〇 一 約二十糎の栗石、砂利敷 転圧」→「1,800x100 1 「マカダム」舗装」
       :「一五〇〇x八〇 二」→「1500x60 2 「コンクリート」舗装」

・舗装路:「一五〇〇x六〇 二 コンクリート(約十糎)舗装 土質 粘土」→「滑走路及誘導路「コンクリート」舗装」
・風向 恒風:「冬季 北又は北西風 夏季 南東又は南風 春秋以上何れか」→「冬期 北又は北西風、夏期 南又は南東」


■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  福岡
位 置   福岡県糟屋郡多々良村
規 模   要図
舗 装   六〇×一五〇〇米
      基礎築石敷一部
      砂利地形
      六〇×一五〇〇米
      表層代用セメント
       コンクリート一〇糎
付属施設
 収容施設 一〇〇〇名分
 格納施設 掩体 大二ヶ所 中三ヶ所
摘 要   施設軍有


■西日本新聞朝刊にこんな記事がありました。

 空港が米軍板付基地だったことを知る市民は減り、今なお敷地の一画に米軍基地が残ると知る人はさらに少ない。今夏、米国で国防総省幹部と会った際、板付基地の現況を詳しく知っていることに驚いた。倉庫と小さな駐機場があること、職員3人が働いていること…。そして「地理的に重要な位置にあり、今後も基地能力を確保する。有事には福岡空港が作戦拠点になり得る」とさらりと言った。


■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」の中で当飛行場について扱われていました。

陸軍は北部九州の防衛基地として水田
地帯を強制収容し、昭和20年5月、蓆田陸軍飛行
場として建設した。食糧不足のさなか、生徒たちは
勤労奉仕で、飛行場の整地に働かされたという。
終戦と同時に飛行場用地は、旧所有者に返還された
が昭和20年10月、再び占領軍に接収され、板付
飛行場と呼ばれるようになり福岡空港となった。1
951(昭和26年)10月、日本の航空再開によ
り東京~大阪~福岡の航空路線が免許され、日本航
空の旅客機は下臼井の仮ターミナルで搭乗手続きを
おこなった。この仮ターミナルは、AACSアメリ
カ空軍航空通信隊の非常用電源のエンジンルームや
カマボコ兵舎を改造したもので、これに先立ち19
50年朝鮮戦乱のとき、出撃機から試射した流れ弾
が一発、エンジンルームのトタンの壁をぶちぬいて
いたのを、記憶している。


2025年完成予定の第2滑走路はこの位置。

陸軍飛行場当時あった滑走路のすぐ東隣に並行して設けられるのですね。

現行の滑走路との間が近過ぎですが、利便性との両立となると、現状致し方ありますまい。。。

 

以下2004年にお邪魔した際の写真をズラズラと。

コメントもお邪魔した当時のものです。ご了承くださいませ。

朝7時の展望デッキ。まだ誰もいない。建物はやや古かった。

胴体後部にJALのロゴを付けた旧JAS A300

離陸を待つ飛行機がずらりと並んでいます。

まだ離陸も着陸もない時間帯なので、ここに見えるのは全部ステイ機ということに。

この空港はちょっと変わっていて、3つのターミナルビルが細長くつながっており、

第1ターミナルは主に小さな空港への出発ターミナル、

第2ターミナルは、JAL、ANAを問わず、札幌、東京、大阪などの幹線の出発ターミナル。

航空会社別ではなく、行き先別でターミナルビルを使い分けている。

だから、JAL機とANA機が仲良く混ざって並んでいます。

屋外のデッキに出てみる。金網で覆われていました。

滑走路の反対側に立派なターミナルビル発見。

…独自調査の結果、向かいにあるビルは、国際線用のビルであることが判明。

ということで国際線ターミナルに到着。

すぐに展望デッキに上がる。

「スポットご案内」が窓に貼ってある。これは親切。

見送り、出迎え客は、搭乗ゲートの番号さえ知っていれば、お目当ての飛行機をすぐ探せるはず。

展望デッキの様子。建物の左右に同じものがあります。

展望デッキ入り口。無料。

中国東方空港のA320。

マレーシア航空と尾翼のマークが似ている。

さっきと反対側の展望デッキのスポットご案内。

国際線ターミナルビル内の様子。

天井が高く明るい。

この手の写真はあとから空港の雰囲気を思い出すのにいい資料になるけれど、オイラの場合撮るのに非常に勇気が要る。

カメラを構えていると、いろんな人にジロジロ見られてしまうので、

誰もこちらを見ていない時を狙ってフラッシュを焚かずに撮った。

この国際線ターミナルビルは1999年5月にできました。

それまでは第3ターミナルビルを19年間国際線用に使用していたそうです。

大西洋横断のあのリンドバーグ夫妻がアラスカ経由で当地に飛来した記念のモニュメントと写真。

こんな形で日本とも接点があったとは…。

国内線ターミナルに戻る。

国内線ターミナルは前述の通り第1から第3まで3つあります。

第1ターミナルは地方路線担当。

ここが1番古く、1969年完成。

日本の空港としては、最初にボーディングブリッジが設置されたそうです。

2017/1/23追記:第1ターミナルビルは2016/10/4に空港ビルの全面改修工事により閉鎖され、約半世紀の役割を終えました。第1ビルと九州各地を結ぶ便は5日から第2、第3ターミナルビルに移動。

第2ターミナルは、JAL,ANA、スカイマーク、トランスオーシャン各社の

東京、大阪、札幌、名古屋、沖縄便の幹線航路担当。

1974年に完成。

地下鉄と直結しています。

第3ターミナルビルは到着のみで、ここから出発便はないらしい。

よく事情が分からないけど、なんだか不思議な使い方だ。

どなたか事情をご存知の方いらっしゃいましたら是非教えてください。

国内線のターミナルビルの中ではこの建物が最後の3番目で1981年に作られ、

現在の国際線ターミナルビルができるまではここが国際線ターミナルでした。

滑走路の東側は既にターミナルビル等空港諸施設で一杯なので、

新たなターミナルビルは滑走路の反対側にしか作れなかったんじゃないでしょうか。 


         福岡県・福岡空港           

    ビュー:☆☆☆★★  
展望デッキは各ターミナル無料で広々としており、ベンチも設置されている。
第1ターミナルのデッキは通路のように細長く、金網で覆われている。
国際ターミナルの展望デッキも非常にきれいで広々としておりベンチも設置されている。こちらも無料。また、「スポット案内」が表示されていてとても親切。が、ガラス張りで外には出られず、また2ヶ所に離れて設けられているので、1度に全体を見渡すことができない。たまたまオイラが行った時はガラスがすごく汚れていたのが残念。
大きな空港だけあって離着陸の頻度高し。海外のエアラインも16社と、多数就航している。

    施設:☆☆☆☆★  
売店には空弁が売っていた。他にもご当地モノのひよこ(本社は福岡)、明太子が充実。売店、レストラン、すごい充実振り。
スタッフが全体に礼儀正しかった。施設の表示も非常に分かりやすく、迷うことなく行きたい所に行けた。
国内/国際線ターミナル間を結ぶ無料シャトルバスが約10分間隔で運行されていて便利。ターミナルから直接利用できる地下鉄、バス路線も充実している。
駐車場のスペースは、都心部によくこれだけ確保できたと思う。ただし料金はやや高め。 

    マニア度:☆☆★★★  
リンドバーグ夫妻来日の使用機の1/4モデル展示。正式な縮小モデルであることを示す証明書付。ただ、他には特に見るものはなく、やや利便性、商業性優先の空港という印象。
国際線ターミナルの展望デッキがガラス張りなのも残念。
シャトルバスは一度乗ってみる価値あり。

    総合:☆☆☆★★  
都心部にあるので利便性は文句なし。
ターミナルビルが4つに分かれているので、乗り継ぎの場合は時間の余裕を見越す必要あり。
市民に情報提供し、意見を聞きながら今後の空港のあり方を模索しようとしている。

・陸軍福岡飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福岡県糟屋郡多々良村
滑走路:
1,500mx80m 中央60mのみコンクリート舗装(01/19)
1,800mx100m 未舗装(16L/34R)
1,500mx80m 中央60mのみコンクリート舗装(16R/34L)

・福岡空港データ
運 営:福岡国際空港会社
3レター:FUK
4レター:RJFF
空港種別:拠点空港/民間運営委託空港
運用時間:24時間
所在地:福岡県福岡市博多区大字下臼井
標 点:N33°35′11″E130°27′14″
標 高:9.1m
面 積:353ha
滑走路:2,800m×60m
磁方位:16/34
航空管制周波数
・飛行場管制 
 福岡タワー 118.40 126.20
 福岡デリバリー 121.925
 福岡グランド 121.70
・進入・ターミナルレーダー管制
 福岡アプローチ 119.10 119.65 120.70 121.125 127.90
 福岡ディパーチャー 119.70
・航空路管制
 福岡コントロール(北九州セクター)118.90 132.90
 福岡コントロール(中国北セクター)132.50 132.90
・飛行場情報放送 
 福岡ATIS 127.20
・TCAアドバイザリー
 福岡TCA 121.275

沿革
1944年02月 陸軍席田飛行場建設開始のため強制収用
1945年05月 滑走路完成
    08月 終戦、地主、農家が飛行場内を開墾
         10月 米軍が接収 板付飛行場と改称
1950年06月 朝鮮戦争勃発
1951年10月 日本航空、戦後初の民間航空路線となる東京-大阪-福岡線開設。空港名は通称「福岡空港」
1954年01月 第二次強制収用。飛行場拡張
     10月 日本航空、東京線急行便開設(DC-6B型機)
1956年   飛行場内民有地の国による買収開始
     03月 米軍が板付基地内の一部を民間ターミナルビル用地として使用許可
     09月 官民合同の木造二階建てターミナル完成(建設は日本航空)
1957年04月  第三次強制収用。飛行場拡張
1960年06月 日本航空、羽田空港-福岡空港間に深夜割引便「ムーンライト号」運航開始
1961年10月 羽田線にジェット機就航
1965年04月 全日空の板付空港ターミナルビル完成
    09月 釜山線開設(日本航空と大韓航空の共同運航便)。以降米軍管理の下で国際線を有する幹線空港として発展1969年04月 第1旅客ターミナルビル供用開始
1970年12月 日米安全保障協議委員会において運輸省への移管が決まる
1972年03月 全面返還
    04月 第二種空港として供用開始。正式に「福岡空港」に(滑走路2,800m)
       「公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律」による特定飛行場に指定
1974年04月 第二ターミナルビル供用開始
1975年03月 東亜国内航空が東京線参入(DC-9型機)
1981年    国際線ターミナルビル(第三ターミナルビル)供用開始
1993年03月 福岡市営地下鉄1号線乗り入れ開始
    09月 新第二ターミナルビル供用開始
1995年    国内貨物ビル供用開始
1996年06月 ガルーダインドネシア航空、オーバーラン事故
1997年02月 新管制塔へ管制業務の運用を移管
1998年09月 スカイマークエアラインズ、東京線参入(B767型機)
1999年05月 新国際線ターミナルビル、新貨物ビル供用開始
2000年    第三ターミナルビル供用開始(旧国際線ターミナルビル)
2004年01月 R/W34のILS供用開始
2012年   並行誘導路二重化着手
2016年10月 4日 第1ターミナルビル閉鎖
2018年05月 16日 国交省、2019年4月の民営化を目指す福岡空港の運営権売却について、
       福岡エアポートホールディングスを代表とする5社のコンソーシアム(企業連合)
       を優先交渉権者に選定したと発表
       地場連合、LCC専用ターミナル建設計画。国際新路線を誘致
    06月 28日 ANA、 カウンター刷新。自動手荷物預け機導入
    07月 福岡空港民営化へ地場連合が特別目的会社設立
       民間運営会社、現行44路線から30年後に100路線、旅客数は現行の1.5倍の3,500万人と計画
2019年04月 1日、民営化
2020年01月 30日、誘導路二重化。小型機利用時の待合室(バスラウンジ)移転。国内線ターミナル再整備完了
    03月 29日夏ダイヤ開始以降、国内線の利用者からもPSFC徴収。発着枠1時間当たり35回から38回へ
2022年05月 20日 国際線旅客ターミナル北側の増改築工事起工式
2023年10月 29日 国際線ターミナル北側コンコース延伸。PBB 3ヵ所供用開始
     12月 1日  国際線ターミナル北側コンコース延伸。PBB 更に3ヵ所供用開始
2025年03月 第2滑走路(2,500m)、国際線旅客ターミナル北側の増築部分、供用開始予定
     11月 国際線旅客ターミナル改修工事完了予定

関連サイト:
福岡国際空港株式会社   
国土交通省大阪航空局/福岡空港  
ブログ内関連記事 

この記事の資料:
西日本新聞朝刊
「陸軍飛行場便覧」
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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コメント 22

とり

cosmog4さん いらっしゃいませ~!ヽ(*´ヮ`)ノ
nice! ありがとうございました。
よろしければまたお越しくださいませ。
by とり (2006-06-08 20:57) 

C-17AグローブマスターⅢ

本日、初めて拝見させていただきました。
様々な空港が見られ大変おもしろいですね。
いち飛行機好きとしても興味深いです。


福岡空港:第二ターミナルの展望デッキはどんな感じですか?
      航空資料等展示物があるみたいなのですが・・・。
      また、自衛隊機の離発着は頻繁でしょうか。

もしよろしければバック頂ければ幸いです。
by C-17AグローブマスターⅢ (2007-01-21 23:04) 

とり

C-17AグローブマスターⅢさん いらっしゃいませ~!ヽ(*´ヮ`)ノ
ご質問の件ですが、オイラ福岡空港のすべてのデッキを見てないんですよ。
離着陸を眺めたのもごく短時間なので、自衛隊機の離着陸の頻度もわかりません。
お役に立てず申し訳ないです。

サイドバーの下の方に、「読んでいるブログ(RSS)」がありますが、その中の「ぐっさん日記」のまささんという方は地元の方で、オイラもいつもいろいろ教えてもらっている方です。
よろしければそちらで聞いてみてはいかがでしょうか?
by とり (2007-01-22 07:32) 

まさ

↑コラコラ、まさサンを勝手に怪しい世界の住人の仲間入りさせないように^^;

スパム対策でソネブロ以外はコメント受け付けてないんで、コチラにカキコいたしますね。
その① 一番上の写真とは別に、青空天井の展望台(送迎デッキ?)もありますよ。大体の場合、5枚目写真にある国際線ターミナルの背後を右から左に飛んでいって旋回後左側から着陸するってのがお決まりのようです。大型機のジャンボが急旋回して着陸する様はシロート目(ハイ、ココ試験に出ます^^)には圧巻でした。
その② その近くには飛行機のタイヤとかエンジンとか昔定期便として飛んでた飛行機の模型が展示されたコーナーもありましたハズです。
その③ 近くにある春日基地所属のヘリやらT-4やらが駐留しているハズですが、そう頻繁に離発着してるところはお見かけいたしません。たまにウルさい輸送機なども飛来しますが、ホントにごくたま~にです。ここは民間機がほとんどだと思いますんで、もし自衛隊機が見たいようでしたら、芦屋とか築城に行かれたほうが楽しめるかも?です。

必要とされる情報、不足なく伝えられましたでしょうか・・・?
by まさ (2007-01-22 18:45) 

とり

まささん
(゚Д゚;≡;゚Д゚) ア、アレ?オイラまささんのことを心の師と思ってたのに・・・
師が表向きそう見られたくないのでしたら仕方ありません。
試験には、「まささんはシロート」と書くことにします。

それはともかく、ご親切に詳しい説明をどうもありがとうございます!
オイラもまたいつか福岡空港に行ったときに是非見てみたいです。
流石にオイラの心の・・・おっといけねぇ!

いえ、本当に冗談抜きで、勝手にまささんを紹介しちゃって大丈夫かなぁ、と思ってました。本当にありがとうございました。┏oペコッ
by とり (2007-01-22 19:26) 

とり

C-17AグローブマスターⅢさん 
そういうことで、まささんが詳しく書いてくださいましたので、↑をご覧くださいませ。
でわ~ノシ
by とり (2007-01-22 19:29) 

C-17AグローブマスターⅢ

とりさん まささん
ご返答いただきありがとうございます。


福岡空港は離発着頻度の大変高い空港でセパレート間隔も
キツキツでアプローチしてくると話しには聞いているのですが・・・
実際にみたことないもので、大変興味ある空港のひとつです。

実際に行ける機会がありましたら、まささんのアドバイス
とりさんのリポートを基に散策して参ります!!
まぁ、私の住んでいる東京都江東区から若干距離があるのですが・・・(ぉ

お返事ありがとうございました。
また、ブログ拝見させていただきます。
by C-17AグローブマスターⅢ (2007-01-23 02:21) 

とり

C-17AグローブマスターⅢさん
江東区ですかぁ。そりゃあ、ちょっと距離ありますね・・・(^^;
是非またお越しくださいませ。
by とり (2007-01-23 22:31) 

DATS

はじめまして~
全国の空港をめぐってらっしゃるとのこと、すごいですね~^^

私は福岡・北九州メインで撮影してるんですが、最後の第3ターミナルの疑問をお答えしようと思ってコメントします。もし、もうご存知でしたらすみません。
第3ターミナルは今の新しい国際線ターミナルが出来る前まで国際線ターミナルとして使われていました。今は第2第3共に国内専用で、第2,3ターミナルに着いた乗客は全て第3ターミナルの出口に誘導されるようになっています。

今後行ったことのない空港に行ってみるとき参考にさせてもらいます。このようなブログがあっていいですね^^また見に来ますね。
by DATS (2007-05-04 12:47) 

DATS

すみません・・・
すぐ後に理由かいてありましたね^^;
ボ~ットしておりましたm-_-m
by DATS (2007-05-04 12:49) 

とり

DATSさん いらっしゃいませ~!ヽ(*´ヮ`)ノ
第3ターミナルの件、ご親切にありがとうございます。というか、誤解を招く文章で申し訳ありません。m(_ _)m
「疑問」なのは、「なぜ一括して第3の出口に誘導されるのか」、ということです。第2のPBBを利用した客はそのまま第2ターミナルで出られた方が移動距離が短くて済むんじゃないかなぁ、と思いました。乗り換えでかなりの距離を移動する人もいるような気がします。余計なお世話でしょうけども。

話は変わりますが、福岡・北九州メインで撮影してらっしゃるのですね。
もし、HP、ブログをやっておられるようでしたら是非お邪魔したいです。
福岡空港の拡張問題の動向、新・旧北九州空港のその後など、非常に興味があります。
よろしければ是非またお越しくださいませ。
by とり (2007-05-05 09:55) 

朧

初めまして、こんにちは。朧と申します。
サイトの1コーナーに空港ウォッチというコーナーを設けています。
去年暇ができたので車で日本一周したついでに
空港も見て回ったので予想外に充実してしまいました。
(途中から面倒になったのと、ちょっと問題が起きたので
写真の枚数が少ない空港もありますが。)

福岡空港は増築に継ぐ増築で、旅客ターミナルは羽田空港より多い
国内線1~3、国際線の計4つもあり、路線別なので初めての人には
分かり辛いターミナルだと思います。
構造的にも無理があり、出発客と到着客の分離が図られている
空港なのに、平面交差しているスポットがあったりします。
by (2007-05-12 00:16) 

とり

朧さん いらっしゃいませ~!ヽ(*´ヮ`)ノ
おお、日本1周ですか!
空港情報ありがとうございます!
早速お邪魔します~。=(⊃゜Д゜)⊃
by とり (2007-05-12 05:38) 

朧

おはこんばんちは。
大変申し訳ないのですが、
アクセスログを見ていてメールフォームからメールを
頂いたことに気付いたので、
メールを確認しようとしたのですが届いていないようなのです。
CGIの不具合かメールサーバーが原因(遅延?)なのかは
不明なのですが、すみません。(^ ^;;
(現在は副メアドにも同時に送るようにしたので届きます・・・多分)
by (2007-05-12 23:07) 

朧

福岡空港は、正確には国内線ターミナルが4つ、
国際線ターミナルが1つあります。

http://www.art-staff.co.jp/jisseki.html
ここにも平成5年7月 福岡空港第4ターミナル 大成建設(株) 福岡市
とあります。
※国際線ターミナルは1999年に完成したので
国際線ターミナルと第4ターミナルが違うことは明らかです。

第4ターミナルとは現在では国内線第2ターミナルの斜めになっている
箇所のことだったと思います。
つまり旧国際線ターミナル(現国内線第3ターミナル)と
旧国内線第2ターミナルは繋がっていなかったので増築したところが
第4ターミナルです。(多分)
ただしそれだと利用者にわかりづらいので
旧第2ターミナルと第4ターミナルを合わせて国内線第2ターミナル
と呼んでいるようです。

>「疑問」なのは、「なぜ一括して第3の出口に誘導されるのか」、
>ということです。
>第2のPBBを利用した客はそのまま第2ターミナルで出られた方が
>移動距離が短くて済むんじゃないかなぁ、と思いました。
第2のPBBを利用した客はそのまま第2ターミナルで出られます。
というか、第2のPBBを利用した客は第3ターミナルの到着口からは出れません。
【 第2ターミナル 1F 】
http://www.fuk-ab.co.jp/terminal/d2-1F.html
【 第3ターミナル 1F 】
http://www.fuk-ab.co.jp/terminal/d3-1F.html
第2ターミナルと第3ターミナルには、それぞれ到着口があります。
by (2007-05-13 13:27) 

とり

朧さん おはこんばんちは。って懐かすい。(*´д`*)
返事が遅くなってすみません。
メール、もう1回送ってみますね。

それから、第4ターミナルと出口の件、詳しい情報をどうもありがとうございます
m(_ _)m
by とり (2007-05-13 17:35) 

かにしか

こんばんは、いつも楽しく読ませてもらっています。
第2ターミナルビルの新しい部分、以前は第4ターミナルと呼ばれていた記憶があり調べてみたら、福岡空港のホームページに記載がありました。
(かなり分かりづらいところにあり、トップページからたどれませんでしたが・・・)
http://www.fuk-ab.co.jp/fab/gaiyou.html
・・・ ターミナル概要 ・・・
[ 第1ターミナルビル ]
供用開始 昭和44年4月
構  造 鉄骨鉄筋コンクリート造・地下1階、地上3階(一部4階)
面  積 約19,000m2
備  考 離島・小型機、中型機専用ターミルビルとして使用。

[ 第2ターミナルビル ]
供用開始 昭和49年4月及び平成5年9月
構  造 鉄骨造地上3階及び鉄骨造地下1階地上5階
面  積 約60,000m2
備  考
供用開始時(昭和49年4月)は、大型機(B747等)対応のビルとして建設。
その後の航空旅客の増大により、第2ビルと当時の国際線ビルとの間の空き地に新しく第4ターミナルビル(仮称)を建設。平成5年9月に第2ターミナルビルとして供用開始し幹線出発専用として使用。
従来の2ビルは到着部分を一部使用しながら改修を繰り返し、平成7年4月の到着専用ビルとして供用開始。新・旧のビルを一括総称して第2ターミナルと呼ぶ。
主に幹線の出発・到着用ビルとして使用。

[ 第3ターミナルビル ]
供用開始 昭和56年4月及び平成12年7月
構  造 鉄骨造地上3階(一部4階)
面  積 約30,000m2
「備 考」
国際線ターミナルビル(100万人対応)として昭和56年4月の共用開始、滑走路をはさんだ西側地区に国際線機能移転。
移転後、主に国内幹線到着用ビルとして改修。平成12年7月供用開始。

[ 国際線ターミナルビル ]
供用開始 平成11年5月
構  造 鉄骨+鉄筋鉄骨コンクリート造地上4階
面  積 約69,000m2
「備 考」
第6次空港整備計画で西側地区に建設。前面の接車レーンが2層式のダブルデッキ方式を採用し、出発階(3階)と到着階(1階)の完全分離が図られ旅客の動きはスムーズになり階層移動は極力省かれる構造。
・・・・・・・・・・・
ちょっと長くなってしまいましたが・・・
これからも探索記事楽しみしています。
by かにしか (2007-07-01 23:23) 

とり

かにしかさん いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
HP確認させて頂きました。
はっきり出てますね。
どうもありがとうございました!m(_ _)m
by とり (2007-07-01 23:54) 

えんゆ

蓆田飛行場についてお尋ねします。
当時の滑走路の方向と長さ等教えて下さりませ。

今の福岡空港ってどうも形がいびつに思えるものですから、よろしくお願いします。
by えんゆ (2015-02-03 00:03) 

とり

■えんゆさん いらっしゃいませ
蓆田飛行場の当時の滑走路の方向と長さについてですが、結論から申し上げますと、残念ながら分かりません。
ネットではオイラも知りたいその部分について言及しているサイトを見つけることが出来ず、
リンクにも貼りましたが、当地の飛行場部分について確認できる最古の写真は1947年3月だからです。
席田飛行場は終戦の年の10月には早々に米軍に板付飛行場として接収され、それから1年5ヵ月も後に撮影されたことになりますから、
席田飛行場の時代の様子を確認出来ないわけです。
それでも一応1947年の写真と現在の地図を比較してみました。
写真には現在の滑走路とまったく同じ位置にメインと思しき滑走路があります。
これが席田当時の滑走路であれば、方向は現在と同じで16/34ということになります。
またメインの西側にも誘導路を挟んで滑走路っぽいものがあり、北側に横風用?滑走路らしきものが見えます。
当時のメインの滑走路の長さはおおよそですが1,700m位でした。
現在の滑走路は2,800mですから、長くなってますね。
当時と敷地の比較をしてみると、板付当時から南北に大きく敷地が拡張され、横風用?滑走路は無くなりました。
こうした敷地の変遷が、えんゆさんの疑問である「形がいびつに思える」の回答の1つになるのではないでしょうか?
by とり (2015-02-03 06:41) 

再生おじさん

こんばんは

正しいか否かは不明ですが参考用として米軍資料がありますので、お知らせしておきます

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4002356  58コマ目

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009764  91コマ目

米軍名「ITAZUKE」で探せば、もしかしたら写真が出て来るかもしれません。



   
by 再生おじさん (2015-04-28 21:58) 

とり

■再生おじさん
情報ありがとうございました。
えんゆさん見てるかしらん。
by とり (2015-05-07 05:16) 

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