さようなら YS‐11 [├雑談]
■JAC、YS‐11全機引退を発表
寂しいニュースを聞いた。国内で最後の砦となっていた初の国産旅客機YS‐11のオペレーターJACが、「老朽化のため、来年中にYS‐11を全機引退させる」という。
1年後には日本の空からYS‐11は消えてしまうのだ。
「もう40年も前のヒコーキだし、仕方ないよなぁ」と思う。しかし、海外ではYS‐11よりずっと古いヒコーキが現役で飛び回っている。
中には大戦以前に開発された機体でありながら、未だに旅客機として飛び続けているものもある。YS‐11より更に30年も先輩だ。
YS‐11が”老朽化”で引退するのに、それよりずっと古いヒコーキが尚現役で飛び続けているのだ。
どうしてこんなことが可能なのかといえば、答えはシンプルだ。
「使えない部分は取り替える」
実際整備士の方に言わせると、「古くなった部分をどんどん取り替えてゆき、最後に残ったオリジナルが、機体製造番号のプレートのみ、ということも可能」という。
だから、いずれは必ず引退することになるプロスポーツ選手とは異なり、ヒコーキの世界では、本当は「老朽化」というのは、引退の絶対的な理由とはならない。
「故障発生確率曲線」だかなんだかというのを以前何かの本で見たことがある。
開発された機体が時間の経過と共に、故障発生率がどう変化するかを示したものだ。
それによると、就航当初は、メーカー側が考えもしないような使用をされたり、設計段階では想定外だった故障、不具合が多発する。
その後、改善を重ねて熟成され、故障は減る。
そして時間の経過と共に部品の劣化により、再び故障は増えてゆく。
縦軸が故障発生確率、横軸が時間のグラフで表すと、”逆への字”になる。
古くなるごとに故障発生の確率が増えるからといって、もちろんそれが即、墜落に結びつくわけではない。実際YS-11は非常に頑丈な飛行機としてあまりに有名だ。
ただ確実に言えるのは、古くなればそれだけ故障は増え、機体の維持には手間がかかる、ということだ。
「使えない部分は取り替える」と言うのは簡単だが、それには時間とお金がかかる。
特に民間航空会社の場合、朝から晩までできるだけたくさんヒコーキを飛ばし続けて採算が取れるという世界だ。
整備のために地面にじっとしている時間は会社にとっては無駄以外の何物でもない。
整備に手間がかかり、故障の確率が高くなってくると、「定時運行」という航空会社のイメージそのものにもかかわる。
YS‐11の定時運行率は優秀だけど、機齢が上がれば上がるほど、それを守るのは難しくなる。
「アソコのヒコーキはすごく古くてよく遅れる」と噂の会社と、
「アソコのヒコーキは最新鋭機ばかりで時間通り」と噂の会社
チケット代が同じなら、競合路線で前社を選ぶ人はいない。
「ワイエスだからしょうがないよ」などという人は、日本人でもほとんどいないだろう。
いろいろな飛行機に乗った経験の持ち主なら、YS‐11と聞けば「天井のひくい、狭いヤツ」と思うはず。
新しくヒコーキを作る側は、当然今までのものよりも良いものを作ろうとする。
「老朽化した機体」というのは、単に古いだけでなく、運用者、利用客双方の使い勝手の面でも、
特に最近は環境面でも、いろいろな面で新鋭機と比べて見劣りしてしまう。
だから、民間航空会社にとって老朽化した機体の運用には、「国産機が引退してしまうのは寂しい」という感傷とは別に、非常に厳しい現実があるのだ。
■第二次大戦当時、日本は世界をアッと言わせるようなヒコーキを作っていた。
「ゼロ戦」の三菱と、「戦闘機王国」と言われた中島飛行機は、特に戦闘機の分野で、受注競争でしばしばライバル相手となり、しのぎを削った。
YS‐11開発には、戦中の開発責任者たちがここでも深く関わることになり、良い意味で当時のライバル関係がそのまま持ち越された気がする。
更にその2社だけでなく、「名機」、「傑作機」と言われた数々のヒコーキを作った川崎、川西、航研のそうそうたる優秀な技術者たちが参集した。
それぞれの組織の雄がプライドを胸に、しばしば激しい激論を繰り返し、衝突した。
欧米に追いつき追い越せと終戦まで死に物狂いで奮闘を続けた技術者たちの培った英知の結晶として生み出されたのがYS‐11だった。
特に大戦当時のヒコーキ開発に携わった技術者たちにとって、日本で独自にヒコーキを作ることには特別な意味があった。
「次の世代への技術の伝承」だ。
実際、この時ワイエス製造に携わった若い技術者たちは、戦争中に名を馳せた、雲の上の存在のような人たちから、実際の飛行機設計作業を通じて、必要なあらゆるものをじっくり叩き込まれたという。
機体開発について扱った本を読んでいると、大戦当時様々なヒコーキを手がけた技師たちが直接やった方がよっぽど早いのに(ある場合、彼らは正解をとっくに分かっているのに)、わざわざ若い技師たちに"課題"を与え、試行錯誤させた様子がよく出てくる。
こうした場面についての記述を読むと、それはワイエスを作るというより、むしろ若手技師育成の場と捉えた方がしっくりくるし、納期など気にしていないかのように、それどころか若手育成のためのこの時間が1日でも長く続いて欲しいと願っていたようにさえ見える。
そんな”雲の上”の人たちから実際に本物の飛行機の製作を通してしっかりと技術を伝承し、いわば直弟子とも言えるその優秀な若い技術者たちに、その後の日本の航空機産業の将来を託した…はずだった。
しかしその後、YS‐11が経営的には大失敗だったことが後を引き、後継機開発話は、持ち上がっては消えることを繰り返してきた。
そして就航から40年経った今年、日本の空からYS‐11が消えることが決まった。
就航から40年ということは、開発に携わった”直弟子”たちも、開発当時からそれだけ歳をとったということだ。
仮に今すぐ後継機開発プロジェクトが本格的に動き出したとしても、”直弟子”が現場に出てYS‐11を開発した当時の雲の上の人と同じ役割を演じるのはもう無理だろう。
YS‐11の退役も悲しいが、後継機開発が本格的に動き出す前に国産旅客機の運行が途切れ、技術の伝承が途切れ、今後空白期間が続いてしまうことの方がもっと悲しい。
それとも、三菱でF‐2を作ったことで、技術の伝承はできているのだろうか?
■日本の航空史上、決して消すことのできない「空白の7年」。
敗戦国となった日本は、航空に関わる一切を禁じられてしまった。
ドイツを中心とした戦時中の航空機研究の成果が一斉に花開き始めたこの時期を日本は逃し、それがその後の大きなハンデとなった。
やはり実際に体得したノウハウの意義は大きい。
禁令解除後も大戦当時の技術者たちは健在で、再び彼らがYS‐11開発のために結集することができた。
だが、今回は継承が途絶え、自主開発の機会もないままという空白期だ。
素人のオイラにはそれがどれほど深刻なことなのか、そんなに心配することもないのか、正直分からない。
ただただ、前回の空白期に匹敵するような空白期にならないことを希望する。
■なぜ国産旅客機が作れないのか
なぜ日本は旅客機が作れないのか。それは、「海外で売れないから」に尽きるらしい。
旅客機のユーザーはほぼ民間航空会社だ。
きっと日本の航空会社の偉い人たちだって、同程度のヒコーキがあれば、国産を使いたいだろう。
でも会社として経営を成り立たせなければならない以上、ヒコーキの値段は重要な要素だ。
外国のメーカーと比較しても遜色ない料金設定のヒコーキを作るには、そこそこの機数が売れることが絶対条件となる。
となると、今後人口が減少してゆく一方の1億人市場の日本だけを相手にしても、売れる機数は知れている。
だから国内だけでなく、世界中に販路を求めなければ、まとまった受注数は確保できない。
しかし、それは外国のメーカーにとっても同じことで、日本から買うどころか、是非自国のヒコーキをたくさん買って欲しいと思っている。
金額が大きいから政治の力が働くのもこれまでの常だった。
そんなわけで、国をまたいでの共同開発話は多い。
更に航空会社にとっては、乗客の心証も非常に重要だ。
「ボーイング、エアバスといった超有名メーカーが作った、世界中で使われているヒコーキ」を飛ばしている航空会社と、
「どっかの弱小メーカーが作った、未だどこも使ってないヒコーキ」を飛ばしている航空会社。
あなたが選ぶのは ドッチ?
と問われれば、みんな前社を選ぶだろう。
ただでさえ「あんな鉄の塊が…」と恐怖を感じる人が多いというのに、世界の一般旅行客から見れば実績などゼロの日本が作った飛行機をたくさん買う、というのは、国内ならともかく、外国の航空会社にとってはそれだけでも冒険だ。
性能と値段は企業や国の努力で何とかできる可能性があるとしても、過去の実績だけは努力の及ばない領域だ。
だから、日本で作ったヒコーキが世界で売れるためには、性能、価格が世界の有名メーカーと同等では駄目なのだ。
実績がないことを補って余りある程の性能と価格でなければならない。
そしてYS‐11は実際に世界市場でそういう売り方をして莫大な負債を抱え込んでしまった(1機売るごとに1億円の赤字だったらしい)。
そしてその尻拭いにほとほと悩まされた記憶が国の担当部局にも、重工各社にも生々しく残っている。
ワイエスに続く国産機を作ろうという企画が出ては消えていくのも道理だ。
伝承が途絶え、たとえ今後作ることはできたとしても、それは世界市場で通用しない・・・
…駄目ジャン! お先真っ暗ジャン!!
と、思ってしまうが、ブラジルとカナダには、無名のところから始まり、小型機市場で一定のシェアを獲得するまでに成功しているメーカーがある。
ちょっと話は違ってくるが、日本だって、自動車の本田技研がエンジンも含めて、すべて自前で小型ビジネスジェット機を作って、2年前にとっくに飛ばしている。
日本の重工各社が国からの援助に頼り、各メーカーでリスクを分担し合い、おっかなびっくりでヒコーキ開発に手を出しては引っ込め、というのをここ何十年も繰り返してきたというのに、である。
しかもホンダは、自力で開発した優秀なジェットエンジンを引っさげ、世界最大のジェットエンジンメーカー、GEと小型ジェットエンジンの分野で五分五分の提携まで結んでしまった。
厳しい道には違いないが、結局は意思の問題なのだ。
今日本の航空産業は、「ボーイングの下請け」と揶揄されるような状態だ。
しかし、徐々に重要な部分を任されることが多くなっている。
製造を受け持っているのは、大戦当時ヒコーキを作っていた会社がほとんどだ。
言われた通りに作ることはできても、どうしてそういう風に作るかを理解することはまた別問題だ。
しかし曲がりなりにも、最新鋭の大型旅客機の大部分を作る技術は獲得している。
しかも外国のメーカーからお金までもらってそれができているのだ。このメリットに期待したい。
■日本の空からYS‐11が消える日
ここまで、「あと1年で日本の空からYS‐11は消えてしまう」と書いたが、実はこれは正確な表現ではない。
「旅客機としての」YS‐11は消えるが、自衛隊にはまだ残っている。
オイラの自宅は空自の滑走路の延長線上にあって、よく上空をいろんなヒコーキが飛んでいく。その中にはYS‐11も含まれている。
滑走路からはほどよく離れているので、全然うるさくない。
のどかに「ごーーーー・・・」と聞こえる程度だ。
特にYS‐11のエンジン音には女性的な優しさがあり、聞いているだけで癒される。うっとりだ。
(ハイ、ソコの人、引かない引かない)
全国のYS‐11ファンからすれば、オイラはとっても恵まれた環境で生活していることになる。この状況に感謝しなければ。
せめてウチの上空ではいつまでもいつまでも飛んでて欲しい(マテ
"国産"って響きがいいですよね・・・。特殊機だったら新明和が有名とか耳にしたことがあるんですが、小型機でいいから旅客タイプが出てきてほしいですね。
いい話、読ませていただきました。
ちなみにこのYS、佐賀空港の展示品じゃないですか?^^
by まさ (2005-12-10 21:40)
うえっ! ま、まささん!
なんで分かったんですか??
・・・とビックリしましたが、よく考えたら福岡在住でしたね。
いやでも、アノ写真で佐賀と特定したのはお見事!すごいです!
手持ちのYS-11の写真で1番マシなのがあれだったもので、
本文とは関係ないですけど<イメージ>として流用しました。
やはり背景が特定のポイントだったんでしょうか?
コメント&nice! ありがとうございました。
ホント国産機が世界中を飛び回って欲しいです。
by とり (2005-12-11 10:19)
その昔、東亜国内航空のYSのプロペラを
機長が手で回してサークルチェックをしているのを見たとき、
なんてフレンドリーな光景なんだろうって思いました。
乗ってるお客さんにしても、旭川のラベンダー畑を堪能できたり
鳴門の渦潮までも間近に見れるのは、YSならではの低空飛行のおかげです。
愛着のあったその機体とももう間もなくお別れですね。
YSから大型機に移行する航空業界を現場でずっと見ていただけに
YSの退役は、自分の姿のようで、すごく切ないです。(あんたいくつや~?!)
by 四音 (2005-12-12 16:12)
四音さん、いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
恥ずかしながら「サークルチェック」という言葉は初めて聞きましたので、ググッてみましたらば、秋葉がなんたらとか、コミケがどうとか、あずまんががナニしたとか出てきました。機、機長、出発前にナニしてるんですかーーー!?^ ^
それはともかく、航空業界の現場にいらっしゃったのですね?
面白いこぼれ話、いろいろあるんでしょうね。是非聞いてみたいです。
コメント&nice! ありがとうございました。
よろしければ、またおこしくださいませ。
by とり (2005-12-12 18:42)
とりさん、初めまして☆
ブログへの御訪問ありがとうございました。(ペコリ)
生まれてから親元を離れるまで戦闘機と共に暮らしてたにも関わらず、マニアの道を歩き始めたのはつい2年前だったりします。(^^; まだ駆け出し、しかもかなりのミ~ハ~故、皆様のお話についていけるかどうかは定かではありませんが、これを機にどうぞ宜しくお願いします。
by カンクリ (2005-12-12 20:45)
カンクリさん、いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
早速のご訪問ありがとうございます。
こちらこそどうぞ宜しくお願いします。
コメント&nice! ありがとうございました。
よろしければ、またおこしくださいませ。
カンクリさんに是非見ていただきたいものが・・・
だまされたと思って ↓ 見てやってください。
http://blog.so-net.ne.jp/1901rjtt-to-roah/2005-11-21
(垂直尾翼の数字にご注目!)
ミリタリーにハマり、ソラでこんなの描けるようになったのは、
新谷大センセーのおかげです。
by とり (2005-12-12 21:03)
とりさん、騙されたと思って↑記事拝見し 遅ればせながら10,000件突破の御祝いにTBしました。ヨロシクど~ぞ♪ (^^)v
by カンクリ (2005-12-14 21:53)
カンクリさん
TBありがとうございました。
正式名称「カンクリ680」誕生秘話 読ませていただきました^^
by とり (2005-12-15 18:30)
とりさん、ご訪問ありがとうございます。
JACがさよならキャンペーンを展開する機体はJA8717。
画像はこちら↓
http://blog.so-net.ne.jp/mominokiairport/archive/20051102
YSが大阪空港へ飛来することも少なくなりましたが
飛んできたら、今度はキャンペーンロゴを入れた機体もUPしますね。
また、遊びに来てください~
by しまふくろう (2005-12-16 17:12)
またまた、読み応えアリのお話をありがとうございます。
技術者の伝承の問題は最近、いろんなところで浮き彫りになっている様ですね。先日の新聞では、新規の原子炉の建設が無いせいで空白が生まれるらしいということが書かれていました。
それから、まえの研究室でHONDAの方がいらっしゃったのですが、彼によればアメリカなど、航空機製造業が基幹産業となる国はものすごい新規参入にバリアがあるらしいです。信じられないくらいの規制と制約があるみたいです。むずかしいですね。
by catenamas (2005-12-16 17:56)
しまふくろうさん、いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
さようならロゴ入り画像楽しみに待ってます!
しまふくろうさんのQ400の画像、超カッコイイイラストみたいですね。
オイラも画像の加工は邪道だと思ってたんですが、しまふくろうさんの写真見て考えが変わりつつあります。
オイラにそんな加工ができるかどうかが問題ですが。
コメント&nice! ありがとうございました。
よろしければ、またおこしくださいませ。
オイラもまた遊びに行きます。
by とり (2005-12-16 18:57)
catenamasさん
コメント&nice! ありがとうございました。
原子炉とホンダの話は初耳です。
興味深い情報ありがとうございました。
ホンダがアメリカでジェット機開発をした際、
(現行のホンダジェットではなく、ホンダUA-5)
確か「どこかの大学の協力を得て開発」という形だったと思います。
「自分たちだけでやる」のが大好きなホンダにしては珍しいなぁと思ってました。
もしかしたら、その規制があるための止むを得ない妥協の結果だったのでしょうか?
(全然違うかも)
ありがとうございました。
by とり (2005-12-16 19:20)
tsowさん
遅ればせながら、TBありがとうございました。
ボーイングびいきのオイラにとっては、フクシマ氏の動きは気になるところです。
by とり (2006-01-22 17:07)
機体年齢というよりも、日本国内でのTCASの設置義務化が全機引退を
早めてしまった理由のようですね。ちなみに自衛隊ではこの法律のしがらみ
がないため、当分現役で飛び続けるようです。
これらのYS-11はたぶんフィリピンあたりで第2の人生をおくると思うの
ですが、一機どの位の金額で譲渡されるのかなぁ?
by basashi (2006-07-14 11:19)
basashi さん
補足情報ありがとうございます~。ヽ(*´ヮ`)ノ 仰るとおり、TCASの設置義務化が全機引退を早めるきっかけになってしまったと思います。JACは、1億円かけてTCASの取り付けをするよりも、YSを下取りに出して24億円のQ400を購入する方を選びました。金額だけ見れば、TCASの取り付けをした方がお得だと思いますが、メリット・デメリットいろいろ検討した結果ということでしょう。そしてその理由の1つが、「せっかく1億円かけてTCASの取り付けをしても、あとどれだけ飛ばせる?」ということだとオイラは思ってます。
コメント&nice! ありがとうございました。
by とり (2006-07-15 06:12)
basashi さん
TBも頂きまして、ありがとうございます~^^)/
by とり (2006-07-16 11:16)
青森の飛行機+鉄道マニアです。
3歳の時に乗ったys-11が忘れられず、先日鹿児島まで惜別搭乗してきました。
青森の北方漁船博物館、三沢の航空科学館に良い環境で退役したYS-11、展示しています。
是非見に来てくださいね。
by takun (2006-08-29 15:48)
takunさん いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
3歳時のYSの記憶があるというのもビックリですが、青森からはるばる鹿児島ですか!相当濃いィマニアの方とお見受け致しました。m(_ _)m
北方漁船博物館という所に展示してあるの、初めて知りました。是非行ってみたいと思います。ありがとうございました。三沢の航空科学館は以前行ったのですが、本当に素晴らしい所でした。こちらも合わせてまた行ってみたいです。よろしければまた遊びに来てくださいね。
コメントありがとうございました。
by とり (2006-08-29 17:48)
takunさん・・・またここを見ていただくことがあるといいのですが。
ふくさんから正体を聞きましたよ。(o ̄∇ ̄o)ニヤ ご無沙汰しておりました。
10年前の夏休み、大勢で押しかけたにもかかわらず、あちこち連れて行って頂いて、本当~にお世話になりました。またこちらにお越しのことがありましたら、是非お会いしましょう!でわ~^^)/
by とり (2006-08-30 17:45)
こちらこそご無沙汰です。
こんな共通の趣味があったとは、、、
僕は飛行機に限らず、鉄道、バス、船etcいわゆる「乗り物オタク」です。
そのうちゆっくり語り合いましょう。
ではでわ
by takkun (2006-09-14 10:25)
takkunさん
見てもらえてよかったです。本当にすっかりお世話になった借りを返させてください。ふくさんのところに行くことがありましたら、オイラもそちらに行きますよ~
コメントありがとうございしまた。
by とり (2006-09-14 21:19)