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羽田おきてん [├雑談]

   2022/12更新  

羽田おきてんの様子を追ってみました。

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撮影年月日1971/04/25(MKT712X C11 9) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

1961年にA滑走路延長(3,000m)、1964年にC滑走路完成(3,150m)、

そして1971年3月にはB滑走路延長(2,500m)と、

羽田空港は3本の立派な滑走路を擁する日本の空の玄関口としての原型ができ上がったのでした。

上の写真は1971年4月撮影なので、B滑走路延長した翌月の羽田。

これで計画していた滑走路が全て完成し、「新生羽田」としてスタートを切ったのですが…

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撮影年月日1966/07/28(MKT666X C11 16) 1971/04/25(MKT712X C11 9) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

上の2枚は、A、C滑走路の同じ部分を切り出したものです。
 
左が1966年撮影、右が1971年撮影。

一昔前の羽田事情をご存知の方ならご存知の通り(日本語おかしいけど)、

A滑走路を潰してエプロンを増設してたんですよね。あーあ^^;

1970年頃から大量輸送時代が到来、需要は急激に増加し、処理能力は限界に。

早くもJALは1970年からジャンボ機を導入。

ここに国内はもとより世界中から大型機が続々とやって来るようになりました。

先頭の写真を見ての通りで、当時は羽田のターミナル、付帯施設、エプロンは 

多摩川と滑走路に囲まれた非常に狭い三角形のスペースにぎっしり押し込まれています。

これでは拡張のしようがありません。 

しょうがないのでA滑走路を潰してエプロン38バースを増設するという荒業を使ったのでした。

このため1970年代からA滑走路は実質的に使われていません。

エプロンを増やすために立派な3,000m滑走路を潰してしまう…。

こんな例、他にあるんでしょうか??

ターミナルも増築を繰り返し、非常に複雑で分かりにくくなってしまいました。

確か「羽田迷路」などと呼ばれていた気が…。

こうして1971年頃から羽田空港の沖合拡張について内部検討が始まりました。

1978年、新東京国際空港(成田空港)の開港に伴い中華航空を除く国際線が移転し、羽田は国内空港になりました。

しかしそれもつかの間。一旦減少した利用者数は再び増加に転じます。

1984羽田.JPG
「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1984年 編集・加工:空港探索

1984年の写真。

この年、輸送力増強、騒音問題解消のため「東京国際空港沖合展開事業」がスタート。

1974年の写真を見ると、既に空港の沖が一部埋め立てられているので、

てっきりこの頃から既に沖合展開事業が始まっていたのかと思いきや、

実はあの場所は廃棄物処理場跡地なんだそうですね。

 

元々軟弱な在来粘土層が堆積していた上に東京湾を浚渫したヘドロや、

陸上での建設工事などの際に発生した残土が埋立てられ、

水分を大変多く含み、「おしるこ」と称される程の超軟弱地盤だったのだそうです。

場所によっては重機どころか人が立つことも出来ないほどの底なし沼だったとか。 

用地の各地区によって土質も大きく異なっていて、これは不均一な地盤沈下の生じる要因となります。

空港用地は土木施設の中でも特に厳しい平坦性が要求されるため、大規模で急速な地盤改良を行ないました。

「自然の状態で水分が抜けるには千年かかる」(@Д@)ともいわれていたそうで、

1984年に始まった沖合展開事業では、地盤の水抜きに膨大な時間と労力が費やされました。

ゴミの捨て場がなくて困っているという話を聞くにつけ、

「どんどん海に棄てて、日本の国土面積を増やせばいいじゃん」

とか思っていたのですが、そんな単純な話じゃなかったです。

1989羽田.JPG
「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1989年 編集・加工:空港探索

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撮影年月日1989/10/20(CKT893 C15 30) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

第Ⅰ期事業で新A滑走路を整備し、1988年7月に供用開始しました。

上の写真はその1年後の写真ですね。

今回初めて知ったのですが、よく見るとC滑走路と新A滑走路の角度が微妙に異なってます。

現在の新A,新Cは16/34ですが、A,Cは15/33なのでした。

当時地元には切実な騒音被害があり、「羽田空港周辺航空機爆音被害防止協議会」が結成されました。

「騒音」でなく「爆音」ですよ?

新A,新C滑走路の方位をC滑走路からみて時計回りに5度修正したのですが、これは

新C滑走路から陸側に離陸した場合にも、すぐ右旋回することで市街地への騒音を抑える。

というのが狙いのようです。

 

羽田沖合展開事業、略して「おきてん」は第I期~第III期と、大きく三つに分けて実施しました。

第I期事業は、新A滑走路の整備が主目的でしたが、

滑走路直下に建設する大型地下構造物の公益共同溝、東京モノレール、環状8号線道路トンネル部、

空港アクセス道路の一部の工事なども先行して行いました。

 

第II期事業では西側地区の旅客(ビッグバード)、貨物・整備ターミナル及び管制塔などの西ターミナル諸施設、

エプロンを整備し、1993年(平成5年)9月に供用開始、旧空港からのターミナル移転を果しました。

また空港中央に東京湾岸道路が縦貫し、全国で初めて、高速道路が空港内に乗り入れました。

 

第III期事業では、第1段階で1997年3月に新C滑走路を供用開始しました。

新A滑走路との中心間隔を1,700mとするオープンパラレル配置とし、滑走路の独立運用を可能とすると共に、

最も沖合に設けることで航空機騒音を解消した24時間運用の滑走路としました。

また1998年11月に京浜急行空港線のターミナル乗り入れが開始されました。

さらに第2段階で新B滑走路を2000年3月供用開始しました。

新B滑走路は、現B滑走路から380m海側に移動した位置に建設することによって、

航空機騒音問題の解消を図ると共に、高速脱出誘導路を付加しました。

そして2004年12月に、第3段階である第2旅客ターミナル地区が供用開始。

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撮影年月日2001/05/12(KT20011Y C4 10)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

新B滑走路供用開始から1年後の写真です。

沖合に展開し、大きく生まれ変わりましたね。

1984年にスタートした「東京国際空港沖合展開事業」は2007年、これにて終了致しました。

が、その後さらなる航空需要に対応するため、

4本目の滑走路(D滑走路)と国際線地区等の整備を行う「東京国際空港再拡張事業」が始動したのでした。

そして、2010年10月にD滑走路、新国際線が供用開始。

2014年12月にC滑走路延伸供用開始。

これにより空港の処理能力は上り、国内、国際線の大幅な増便が可能になるのですが、

景気、横田空域、成田との兼合い等様々な要因がからんできます。

今後どんな運用がされるようになるのでしょう。

まだまだ目が離せません。

この記事の資料
国土交通省東京空港整備事務所


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