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太田(太田小泉)飛行場跡地 [├空港]

  2009年6月訪問 2022/12更新  

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撮影年月日1947/10/27(USA M606 48) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。以下3枚とも)

群馬県太田市にあった「太田飛行場」。

大戦当時東洋一の規模を誇った中島飛行機の専用飛行場でした。

先頭のグーグルマップの通りで、

飛行場は中島飛行機の生産工場である「太田製作所」と「小泉製作所」にはさまれる形になってるのでした。

太田飛行場は両方の工場で作られたヒコーキのテスト飛行場兼納入発着場でした。

そのためそれぞれの工場で完成した飛行機を運ぶために、

グレーの太線で示した飛行場直通の「専用道路」が設けられました。

専用道路は幅30m以上もあり、完成した機体が主翼を広げたまま飛行場に向けて進んで来たのだそうです。

 

■防衛研究所収蔵資料「関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18年8月刊行 水路部」の中に、

当飛行場の情報がありました。

以下引用させて頂きます。

第3 太田〔小泉〕飛行場(昭和18年5月調)

管理者 中島飛行機株式会社。
位置 群馬県邑楽郡小泉町大字上小泉字対比地。
   (小泉町の北西方約2粁、北緯36°15′5、東経139°24′2)。
種別 非公共用陸上飛行場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約27米。
広さ及形状
 本場は総面積160萬平方米にして長さ北西-南東1,600米、幅北東-南西
 1,000米の矩形地域なり・着陸地域は概ね図示の長さ北西-南東1,300米、
 幅70米の舗装滑走路を最適と認むるも風向等に依りては滑走路の北東外
 側350米、南西外側100米迄の白線以外の地区を使用するを可とす(付図
参照)。
地表の土質
 沙混り赤土。
地面の状況
 滑走路は「アスファルト」滲透式簡易舗装にして日射及季節に因る影響な
 き平坦且堅硬地なり・西側格納庫の前面に舗装せる整備場あり之より滑走
 路に連絡する幅50米の誘導路1條あり・其の他の地域は極めて平坦にし
 て一面に良好なる張芝密生し常時戦闘機程度の着陸に支障なき硬度を有す
 ・排水施設は地下に盲暗渠、場周に排水開渠を設けあり排水概ね良好なる
 も豪雨後は処々地盤に若干弛みを生ずる箇所あるも使用上影響なし・冬季
 は風塵立ち易く且西風強吹する為張芝未成育地区は地表稍凸凹を生ず。
場内の障碍物
 南東側の両端に高さ9米の格納庫3あり。
適当なる離着陸方向。
 恒風の関係上冬季は北西、夏季は南東(滑走路方向)を可とす。
離着陸上注意すべき点
 なし。
施設
 海軍関係格納庫(間口50米、奥行55米、高さ14米)3・其の他(間口50
 米、奥行45米、高さ9米)3・陸軍関係工場2・飛行場事務所等あり。
 昼間標識 不明。
 夜間標識 各格納庫上に障碍物標示燈を点灯す。

周囲の状況
山岳
 付近一帯は極めて平坦なる農耕地なるも北西方約5粁に高さ223米の太田
 金山あり又北方は約8.5粁にして渡良瀬川に達し之より以北は河流に沿い山
岳重畳せる赤城山系の麓に達す。東、西及南方一帯は極めて広濶なる平野
なり。
樹林
 周囲に障碍となる樹林なきも付近に点在する人家の周囲に針葉樹林あり。
河川
 南方約4粁に略南東流する利根川あり。
建築物
南西場外に格納庫(高さ14米)及陸軍関係の太田製作所工場等あり。
着目標
 利根川、中島飛行機株式会社小泉工場、格納庫。

地方の状況
軍隊及憲兵
 東部3784部隊(太田町大字小舞木)北西方約2粁・太田憲兵分遣隊(太田
 町大字飯田)北西方約3粁。
警察署及役場
 太田警察署(太田町1丁目)北西方約4粁・小泉町役場(小泉町)南東方約
 2粁。
医療
 太田町に病院1,医院10あり。
宿泊
 太田町に旅館5(収容員数計147)あり。
応急修理
 南方約1粁に在る中島飛行機株式会社小泉製作所に依るを可とす。
航空需品
 小泉町に在る海軍第三燃料廠に相当量の航空用燃料を貯蔵す。

交通、運輸及通信
鐡道
 西小泉駅(東武鉄道小泉線)南方約1.5粁・西小泉-太田町及舘林間は
 昭和18年6月より電化予定なりと言う。
乗合自動車
西小泉駅前より西は尾島町に、東は舘林方面に至る乗合自動車便あり。
道路
 本場より北は太田町、南は小泉製作所に通ずる飛行場専用道路あり。
運送店
 小泉町及太田町に運送店2、貨物及乗用自動車各約50台あり。
電信及電話
 小泉郵便局(電信及電話取扱)南東方約2粁・場内に電話(小泉48番)あり。

気象
測候所
 熊谷測候所(熊谷市大字熊谷)南方約12粁。
地方風
 本場は開設以来日尚浅く統計資料なきを以て熊谷測候所に於ける45箇年
 間の統計を参考に記載す。(以下月ごとのデータ省略)
地方特殊の気象
 夏季に於ける雷雨は概ね榛名山方向に発生し利根川に沿い南東方に移動す
 るを常とす。
気象予察の俚諺
 青葉の候に西風あらば3日以内に天候変る・春及夏季の雨は南東方向の雲
 切るれば晴、冬季は山頂の雲切るれば晴と言う。

其の他
本場は昭和14年10月中島飛行機株式会社の設置に係る非公共用飛行場にして
目下海、陸軍軍用試作機の試験飛行に主用せられつつあり。

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  太田
位 置   群馬県新田郡太田町
規 模   要図(長さの数字がかすれて判別できず)
舗 装   一二〇〇米
      基礎割栗石敷
      表層アスファルト乳剤
      厚五糎
付属施設
 収容施設 ■〇〇〇名分
 格納施設 掩体 大六〇ヶ所
摘 要   施設民有

 

日本軍の軍用機の一大生産拠点だった当地は当然米軍の主攻撃目標とされ、たびたび空襲を受けます。

特に1945年2月には大規模な空襲を受けたのですが、

それでも太田製作所で完成したヒコーキの検査、納品は変わらず当飛行場で行われたのだそうです。

手順は、

製作所→太田飛行場→給油ライン試験→地上試験→飛行試験→政府へ納入

という段取りでした。

そして終戦。

工場からヒコーキを運ぶ専用道路は、戦後も長らく「専用道路」と呼ばれていたのだとか。

その立派な道路は現在も残っています。

ということでお邪魔してみました。

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青マーカー地点。

飛行場から太田製作所に伸びる専用道路

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赤マーカー地点。

飛行場から「小泉製作所」に伸びる専用道路

小泉製作所は海軍専用工場として太田製作所の後に建てられました。

1941~1945年まで、零戦を主力に九七式艦攻、月光、天山、彩雲、銀河等約9,000機が生産されました。

当時は零戦がこの道路を通って続々とやって来たのですねぇ。

ちなみに戦時中にジェット機を飛ばすことができたのは、

ドイツ、イギリス、アメリカ、日本なのですが、

日本製ジェット機の組み立て、エンジンの試運転はここで行われました(初飛行は木更津)。

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この道は飛行場のすぐ南を走る国道354号線なのですが、

地元の方の言い伝えによりますと、この道路は緊急着陸用の滑走路とされていたのだそうです。

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写真:国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省
撮影年度:1974年 地区名:足利南部 編集・加工:空港探索・とり

1974年当時の様子。

この飛行場は戦後米軍が使用したため、終戦から30年経っていますがまだ滑走路跡が残ってますね。

余談ですが、新田(生品)飛行場の記事 で群馬名物赤城颪のことと、

「滑走路の(ほぼ)延長線上に赤城山がある」ということを書きましたが、

この太田飛行場の滑走路の向きも同様です。

現在飛行場跡地には、富士重工の群馬製作所大泉工場が建てられ、スバル車のエンジン、ミッションなどを作っている他、

広大なモータープールになっています。

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太田運動公園から:(多分)富士重工部品センター

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同じく太田運動公園側にある門

自動車業界も大不況の折ですが、大きな車が盛んに出入りしてました。

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敷地の南端部分:敷地のこちら側は広大なモータープール。

今にも ぶーん。 とヒコーキが飛んできそうな・・・

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南端には公園駐車場が整備されていて、周囲を徘徊するのに利用させていただきました。


    群馬県・太田飛行場跡地     

太田飛行場 データ
管理者:中島飛行機株式会社
種 別:非公共用陸上飛行場
位 置:群馬県邑楽郡小泉町大字上小泉字対比地(現群馬県太田市龍舞町)
座 標:N36°15′5″E139°24′2″
標 高:27m
面 積:99ha(1,600mx1,000m)
滑走路:1,300m×70m(アスファルト舗装)
方 位:13/31
(方位はグーグルアースから)

沿革:
1938年10月 「太田飛行場敷地小泉町関係地主協議会」開催
       売り渡し価格決定の方法が協議される。委員選定
    11月 土地価格基準書作成
    12月 敷地代金ならびに補償料支払い通知が出される
1939年03月 03日 起工式
1941年02月 15日 開場式
1945年02月 10日 太田大空襲 飛行場は無事だった    
       終戦、接収 米陸軍飛行隊駐留
1959年 この頃工場の一部返還、返還運動が活発化
1969年 日本に返還、これにより群馬県のすべての施設が返還された。 大蔵省所管
1983年 富士重工群馬製作所大泉工場が稼動

関連サイト:
中島飛行機の想い出 「後期」

この記事の資料:
群馬の戦争遺跡
太田市史史料編 近現代
防衛研究所収蔵資料「関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18年8月刊行 水路部」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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