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浅茅野第二飛行場 [├空港]

  2009年7月、2023年6月訪問 2023/7更新  


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撮影年月日 1947/10/21(昭22)(USA M579 126)   

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

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宗谷岬から国道238号線をオホーツク海に沿って30キロ程南下したところにある「さるふつ公園・道の駅」

大戦当時、道の駅の敷地を含め、その西側には「浅茅野(あさじの)第二飛行場」がありました。

上の写真は道の駅西側部分。現在は村営牧場が広がっています(手前はパターゴルフ場ですが)。

当時はちょうどこの辺りに、滑走路、誘導路が広がっていたハズです。

そして、1947年の航空写真から滑走路、誘導路の線をグーグルマップに落としてみると、

現在でもビックリする程当時の地割が残っていました。

現地で未確認なんですが、無蓋掩体壕も1基そのまま残っているようです(航空写真の赤←部分)。

 

地図に表示されている通り、この部分は完全に「村営牧場」のエリア。

部外者のオイラが勝手に入って良いのか不明なのですが、

「現地に行って、入れるものならば通ってみよう」と考えてました。

で、イザ車で向かったら、特に「関係者以外立ち入り禁止」という標識もなく、あっさり入ることができました。

てっきり、「村営牧場」という巨大な牧場が1つあって、延々と柵で囲われているのかと思っていたのですが、

幾つかに分割して柵で囲ってありました(分割した1つがまたドデカイんですが)。

以下、現場の写真をズラズラと。

あ、その前にですね、「浅茅野第二飛行場の滑走路、誘導路の一部が道路として残っている」

というのは今のところソースなしで、オイラの持論です(少なくともネットでは確認することができませんでした)。

結構時間をかけて慎重に確認したつもりなのですが、オイラの壮大な勘違いの可能性もありますので、

どうかご了承下さいませ。

 

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青マーカー地点。

滑走路南側。 当時は誘導路のT字路になっていました。

2005年の地図で見ると原型を留めてますが、現在車で通れるのはここから南と西に向かう部分のみ。

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黄マーカー地点。 

同じく滑走路南側。誘導路のT字路がそのまま道路になっています。

この少し手前でシカが出ました。

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紫マーカー地点。 

行き止まり。

当時はここから緩やかに右側にカーブを描きながら黒マーカー地点(滑走路西側端)に誘導路が続いていたはずです。

2005年の地図で見ると、この先の部分も微妙に残ってるみたいですね。

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黒マーカー地点。

滑走路西側の端の角っこです。

向こう側に小さく見えているのは道の駅の施設で、道の駅の辺りが滑走路の東側の端っこでしたから、

当時はここからあの施設に向かって滑走路が延びていたはず。

2005年の地図だとうっすら滑走路の形が浮かんでいるように見えるのですが、

現地では特に道の駅方向に滑走路跡を示すようなものは発見できませんでした。

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灰マーカー地点。 

奥の建物は道の駅の施設です。

こちら側は途中まで当時の滑走路に沿った道路が続いてます。

ここからあの施設に向かって、ダーッと滑走路があったハズ。



(以下2023年6月撮影)
 
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赤マーカー地点。
 
無蓋掩体壕跡。
 
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掩体壕入口側から撮ってるつもり。
 

   宗谷郡・浅茅野第二飛行場   

浅茅野第二飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:陸上飛行場
設置目的:宗谷海峡防衛、対米作戦
所在地:北海道宗谷郡猿払村浜鬼志別
座 標:N45°19′45″E142°09′59″
面 積:33ha
滑走路:1,600m×200m
方 位:09/27
無蓋掩体壕:30(31とする資料あり)
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1943年04月 着工、同年12月に用地買収
1944年7月? 完成
1945年09月 米軍進駐により駐屯部隊解散となり閉鎖。

第2飛行場は1943年(昭和18年)5月に予定地が決定し、鉄道工業が請け負った。
12月に陸軍省が浜鬼志別原野214番地の33haを買収、
44年7月までに滑走路の転圧を終えて一応の完成を見ている(沿革と一部矛盾してますが、資料によりいろいろです)。

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