御勅使川飛行場(ロタコ、源村飛行場)跡地 [├空港]
2009年10月訪問 2024/8更新
撮影年月日1948/10/19(USA M1196-A 103)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
終戦直前、東京の立川航空廠の機能を分散する目的で甲府盆地の西部、御勅使川扇状地に秘匿飛行場が計画されました。
飛行場の名称を「ロタコ」と言います。
なんとも変った名称ですが、「ロタコ」の「ロ」は、「イロハのロ」で「第2」を表し、
「タ」は「立川」、「コ」は「航空廠」をそれぞれ表すとされています。
「ロタコ」→「第2立川航空廠」ということですね。
戦時中の文書では地名から「御勅使川原(みだいがわら)飛行場」 などの呼称で記載されているそうです。
この飛行場跡地には掩体壕の基礎が3つ残ってまして、
これは1,2号掩体のどちらかの基礎部分です(この奥にもう1つありました)
3号掩体基礎
手前に基礎が少し見えてますが、ここから奥のブロック塀にかけて掩体壕があったと思われます。
A地点:誘導路跡の道路
ゆるやかに右に曲がった先に滑走路があったハズです。
B地点
恐らくこの方向に滑走路が伸びていたと思うのですが…
B地点
左側は果樹園です。
C地点
滑走路北端と思われる部分
ここから真っすぐ滑走路が伸びていたはずです。
■テーマ展 戦争とにしごおりの人々
令和3年7月2日~11月17日まで、南アルプス市ふるさと文化伝承館にて、「テーマ展 戦争とにしごおりの人々」
が開催されました。
郭さんからこのテーマ展の写真を送って頂きました。
掩体壕の復元模型
発掘調査されたロタコの3号掩体壕の復元模型。調査の結果、ホームベース状の基礎構造に木製の蓋いを架ける構造であることがわかりました。半地下式で、底面にはコンクリート製のスラブ(床)が設けられています。
こうして立体化してあると分かり易いですね。
戦闘機「隼(キ-43一式戦闘機)」の部品
近隣の軍需工場にあったものを終戦後、地域の方が軍から払い下げを受けて保管していたものです。素材のジュラルミンの再利用を考えていたのでしょうか。内面には、●匁と重さの単位が墨書され、重量によって取引されたことがわかります。また、所々に空けられた穴は、払い下げの際に今後飛行機として使用しない証として開けられたものといわれています。今回展示してある部分は、コックピットのすぐ後ろの部分です。触れてみると当時の機体が、このような薄い金属板で作られていたことに驚かされます。
ロタコ工事動員の出面(でづら)表
下宮地の風新居地区に遺されたロタコ工事に動員された住民の出面表(出勤簿)。釜無川西岸地域一円から、一日3000人あまりの人が動員されたといわれている。総括表には出労日数が、男女別、年齢別に記され、賃金単価が性別、年齢別で異なっていたことを示唆している。
大明小学校 学校日誌
昭和20年3月、大明小学校の児童が源村飛行場(ロタコ)工事に従事。市域の他の小学校に残された学校日誌にも同様の記載がある。
ロタコが「源村(みなもとむら)飛行場」と記されています。
飛行場と関連施設は、当時の飯野村と源村有野にまたがる広範囲に建設されました。
因みに源村は、昭和34年に白根町に編入し、廃止となっています。
「御勅使川飛行場」、「ロタコ」以外の名称があったことは初めて知りました。
この「源村飛行場」という名称は、手持の防衛研究所資料は勿論の事、
国立国会図書館デジタルコレクション、アジ歴でもヒットしません。
それで、地元の方が用いた名称なのだと思います。
横穴壕 ロタコの工事にともなって掘削された横穴壕郡(トンネル)は、現在の南アルプス市築山地区から飯野西部の総延長約2.9キロメートルに及ぶ山地斜面に構築され、陸軍から飛島組(現在の飛島建設)が受注したことが明らかにされています。実際の施工は、もっぱら朝鮮半島出身の労働者の請負グループがあたり、排出された土砂の運搬や、資材に用いた木材の伐採等、工事の支援業務には旧制鉱夫中学校の生徒、地元の青年学校の学生らが関わっています。構築の目的は証言や資料から、発動機の製造と燃料その他の備蓄であったことがわかります。
横穴壕郡については、山梨県庁にのこる資料から、終戦時55基存在し、一部では内部でタテヨコに連結されていたことが明らかになります。しかし一方で、構築された地盤が非常に脆かった事に加え、戦後の木材需要の高まりに呼応して壕内の支柱が持ち出されたことなどから、戦後全ての壕が圧壊しています。現在開口している壕は一ヶ所もなく、陥没した山肌にその痕跡をかろうじて確認できる程度で、当時の構築状況を把握することは難しくなっています。
ということで、知らなかった点が多々あり、非常に勉強になりました。
写真送って下さった郭さんどうもありがとうございましたm(_ _)m
山梨県・御勅使川飛行場(ロタコ、源村飛行場)跡地
秘匿飛行場というその性格からか、滑走路や飛行機を隠した掩体壕 、誘導路、地下壕、兵舎、航空本部などロタコを構成する諸施設は、3キロ四方の広範囲に分散して配置され、扇状地や西に接する山地の山裾に点在していました
御勅使川飛行場(ロタコ、源村飛行場) データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:山梨県南アルプス市有野、飯野
座 標:N35°39′19″E138°27′10″
面 積:800ha
滑走路:1,500m×100m
方 位:17/35
(座標、方位はグーグルアースから)
沿革
1944年秋頃 工事が一部始まる
1945年03月 地域住民を総動員して工事本格化する。工事は終戦の日まで続けられた
2005年 南アルプス市教育委員会による発掘調査、聞き取り調査実施
関連サイト:
南アルプス市/遺跡で散歩 vol.5「戦争遺跡『ロタコ』を歩く」■
南アルプス市/ロタコ(御勅使河原飛行場)跡3号掩体壕■
この記事の資料:
山梨県南アルプス市/ロタコ(御勅使河原飛行場跡)