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吉井川邑久滑空場跡地 [├空港]

  2008年7月訪問 2022/11更新  


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撮影年月日2007/05/23(CCG20072 C8B 2) 完成から2ヵ月、開港式を翌月に控えた吉井川邑久滑空場 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

岡山県瀬戸内市邑久町の「吉井川邑久滑空場」跡地。

大変な苦労を経てこの場所に拠点を移したのですが、2018年に閉鎖してしまいました。

結局2007年~2018年まで10年余の運用だったのですが、国土地理院、グーグルアースで過去画像を閲覧しても、

運用期間中に撮影された写真の中に機影の映っているものは残念ながらありませんでした。

但し、グーグルアース 2016/5/4 の画像には、滑空場内に機体を搬入しているらしき様子が映っています。

GW中で、お天気もよさげですから、きっとフライト日和だったんでしょうね。

撮影があと数時間遅ければ、「滑空場にグライダーがいる」画になっていたはずなんですが。。。

オイラが当滑空場にお邪魔したのは開場翌年の2008年だったのですが、この日グライダーは飛んでいませんでした。

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この先を進んで行くと…

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こんな場所に出ました。

画面右奥の水門のとこまで滑走路が続いてます(R/W07)。 

以前はこの水門の向こう側の河川敷に旧邑久滑空場がありました。

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土手の上から見るとこんな。


        岡山県・吉井川邑久滑空場跡地        

関西エアロスポーツクラブ(大阪の社会人グライダークラブ)、岡山大学航空部が週末に活動していました

新吉井川邑久滑空場 データ(運用当時)
所在地:岡山県瀬戸内市邑久町福中地先(吉井川河川敷)
標 点:N34°40′28″E134°04′21″
標 高:4.9m
面 積:5.3ha
滑走路:700m×40~70m
磁方位:07/25
航空管制周波数
OKU FSS 130.775 MHz

沿革
2007年03月 新滑空場完成
    06月 10日、新邑久滑空場開港式
2018年05月 メンバーの高齢化に伴い閉鎖

関連サイト:
日本滑空協会/吉井川邑久滑空場完成のお知らせ
新滑空場開拓記(1) 
新滑空場開拓記(2) 
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北後志地区農道離着陸場(余市農道空港、よいち空港、アップルポート余市) [├空港]

  2008年6月訪問 2022/11更新  

 

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北海道余市郡余市町にある「余市農道空港(アップルポート余市)」。

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飛行場に入る道の手前にあった看板。

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飛行場入り口に上がろうとしたのですが…。 

残念ながら入れませんでした。

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入口の前はこんな感じ。

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飛行場に沿って、どこからか滑走路が見えないか探してみることに。

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反対側のエンド付近。

入れず。

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ここもダメ。

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諦めずにとにかく飛行場に1番近い道を通ってみる。

…1周しましたが、結局中を眺めるポイント発見できず。

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(前記事でも書きましたが)余市町商工観光課に聞いてみたところ、

「サミット関連で道警に貸し出ししているので、7月いっぱいは使えませんが、

その後は通常通りイベント等で利用できるようになりますよ」

と教えて頂きました。

なんにしても今回はタイミングが悪かったです(XДX)

次回北海道行ったらまた寄ってみよう。


    余市郡・余市農道空港(アップルポート余市)   

各種スカイスポーツ、小型飛行機の離着陸の他、スノーモービル・ファミリーキャンプ・自転車による耐久レース・ラジコンバギー車の練習、多目的利用(ライブコンサート・自動車の展示会場・遊覧飛行・車両の走行技能訓練等、様々な利用が可能となっています

余市農道空港(アップルポート余市) データ 
設置管理者:余市町
運用時間:9:00~日没(その他イベント 9:00~22:00)
所在地:北海道余市郡余市町742-9
標 点:N43°10′15″E140°48′28″
標 高:42.3m
滑走路:800m×25m
磁方位:04/22
開設期間:5月~10月
駐車場:50台
航空管制周波数:122.6

関連サイト:
余市町/アップルポート余市   
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当麻(当麻スカイパーク)滑空場 [├空港]

  2008年6月訪問 2022/11更新  

 

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北海道上川郡当麻町にある「当麻滑空場」。

石狩川河川敷にあり、土手にはこんな標示が!

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最後の"A”が見切れてる…。_| ̄|○ il||li

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土手の外側にある格納庫。

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国道39号、旭川から愛別方面この目印のところで左折。

約300m先に格納庫。


        上川郡・当麻滑空場        

「旭川航空協会」(グライダー社会人クラブ)が運用。 公式サイト(下記関連サイト参照)、オイラがあちこち覗いた中では最も活動内容の分かり易い、アットホームな雰囲気で、見ていて飽きませんでした

当麻滑空場 データ 
所在地:北海道上川郡当麻町伊香牛石狩川河川敷
標 点:N43°52′30″E142°31′05″
標 高:173.7m
滑走路:800m×20m
磁方位:05/23
活動期間:5月~11月初旬の日曜、祝日
航空管制周波数 130.675

関連サイト:
旭川航空協会 
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深川(深川市グライダー)滑空場 [├空港]

  2008年6月訪問 2022/11更新  

 

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北海道 深川市にある「深川滑空場」。

石狩川の河川敷にあります。

土手の上から見たところ。

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逆側の上から見たところ。

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ギャラリー席。

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看板:「これより先は深川市グライダー滑空場につき関係者以外立ち入り禁止です」

遊具は明らかにこの看板の先にあります。

う~む。。。

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草の滑走路。

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土手の反対側はこんな感じ。

北海道ずるい。


    深川市・深川市グライダー滑空場     

上昇気流に恵まれた石狩川河川敷にあり、愛好者、体験搭乗者によるグライダーが盛んに行われている(らしい)。

深川滑空場 データ
管理者:深川市教育委員会スポーツ課
運用時間:日の出~日没まで
所在地:北海道深川市音江町広里 石狩川左岸河川敷
標 点:N43°41′55″E142°02′14″
標 高:45.7m
滑走路:900m×60m
磁方位:01/19
開設期間:5月~10月
航空管制周波数 26.342 
 
沿革
1988年 設置

関連サイト:
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たきかわスカイパーク [├空港]

  2008年6月訪問 2022/11更新  

 

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北海道滝川市にある「たきかわスカイパーク」。

かなり大規模な飛行場です。

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(上の説明図より)

たきかわスカイパーク<空の波打ち際>の創造 

もっと多くの人たちに、グライダーや飛行機を間近に見て、

触れて、そして空の友達になって欲しい。

たきかわスカイパークは、この願いをこめて、 

雄大な石狩川の河川空間に建設されました。

滝川は、豊かで確かな上昇気流、制約のない自由な空域、数多くの野外着陸

適地など、グライダーを安全で快適に楽しめる飛行環境に恵まれており、

日本を代表するグライダーセンターとして國際ネットワークを結んでいます。

あなたも、眺めているだけでなく、勇気をだして飛んでみてください。

ここでは空が、ずっと近くにあるはずです。

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スカイミュージアム(航空動態博物館)

格納庫と博物館を合わせており、最大30機のグライダーを格納可能。

一般に開放しており、自由に見学できます。 

ここは施設が非常に充実しており、30人が利用できる宿泊施設、事務所、

「喫茶リリエンタール」で滑走路を見下ろしながら軽食もできます。

見学の許可を求めたところ、快く応じてくださいました。

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ギャラリー席

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滑走路のすぐ前に遊具施設もあり、

小さな子供連れのお母さんたちが遊んでました。

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右奥の小さな小屋がピスト(ヒコーキの管制塔)。

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左側が滑走路。

右側にベンチもあり、見学できるよう整備されてます。

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グライダーの着陸といえば、

滑走路に着陸→減速・停止→翼端を接地させて動けなくなる→数人がかりで押して滑走路から離脱させる。

という光景ばかり見てきました。

動力がないし、それが当たり前なのだと思ってました。

ところがここでは(残念ながら写真に撮れなかったのですが)、見学中にグライダーが下りてきて、

着陸後にそのままスルスルと滑走路から誘導路?を自走して駐機場に上がり、

キチンとキレイに他機と並んだ状態になった後、パタッと翼端を接地させて停止してました。

なんて器用な…。

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フランスのアビオン・ピエール・ロバン社製 

DR400/180R型(グライダー曳航専用機)

自治体との協定により、災害時には空から被災状況を知らせるための偵察機となるのだそうです。

風向きのせいか、恐ろしく静かでした。

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ピストの方から、 

「10キロ先まで連れて行ったから、当分帰って来ないよ」

と言われました。


     滝川市・たきかわスカイパーク     

一般体験飛行、親子紙飛行機教室、全国/全道スカイスポーツ競技会、指導者育成など、様々な事業を行っている。 

たきかわスカイパーク データ 
所在地:北海道滝川市中島町石狩川河川敷
標 点:N43°32′58″E141°53′39″
標 高:23m
面 積:50ha
滑走路:
メインランウェイ 800m×20m(舗装)01/19
グラスランウェイ 1,200m×50m
ウインチレーン   1,150m×2本
駐車場:あり
飛行援助用無線局
・タキカワフライトサービス 130.65 

関連サイト:
TAKIKAWA SKYPARK.JP
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中空知地区美唄農道離着陸場(スカイポート美唄) [├空港]

  2008年6月訪問 2022/11更新  

 

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北海道美唄市にある「美唄農道離着陸場(スカイポート美唄)」。

全国に作られた農道空港の1つです。

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時計台みたいな管理棟

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無人で中に入れなかったので大分見えにくいですが、アスファルトの滑走路。

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管理棟裏側から・1

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管理棟裏側から・2

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周辺はこんな感じ。


   美唄市・美唄農道離着陸場(スカイポート美唄)   

ドクターヘリ、様々なスカイスポーツをはじめ、百万凧祭り、クラシックカー、バイク、エコダッシュ等のイベントに使用されている。隣接するゴルフ場で女子プロゴルフトーナメントが行われた際には、滑走路が一般来場者用の駐車場として使われたことも。 種々の利用申請書は公式サイトからダウンロードできる。

美唄農道離着陸場(スカイポート美唄) データ 
管理者:北海道美唄市農政部農林整備課土地改良係
所在地:北海道美唄市茶志内町3区
標 点:N43°23′15″E141°51′46″
標 高:19.9m
滑走路:800m×25m(着陸帯920m×60m)
磁方位:02/20
エプロン:2,000㎡/2バース
駐車場:20台
活動期間:5月1日~11月30日
航空管制周波数:130.75

沿革
1997年 開設

関連サイト:
美唄市/農道離着陸場について 
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新篠津(新しのつ村)滑空場 [├空港]

  2008年6月訪問 2022/11更新 

 

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北海道石狩郡にある「新篠津滑空場」。

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土手の反対側はこんな感じ。



      石狩郡・新篠津滑空場       

5月~10月の日曜・祝祭日に「札幌空港協会」が活動している。教官、施設、機材が非常に充実しており、一般の受け入れ度が非常に高いのが特徴。公式サイトもよく管理され、充実しており(ユーモアたっぷり)、北海道ならではの美しい空と雲とヒコーキの写真が多数掲載されている。見学、体験飛行等の問い合わせもサイトを通して可能。

新篠津滑空場 データ 
所在地:北海道石狩郡新篠津村北11号地先・石狩川河川敷
標 点:N43°16′38″E141°39′16″
標 高:12m
滑走路:2,000m×60m(中央部に舗装帯1,000m×8m)
磁方位:18/36
活動期間:5~10月 日曜・祝祭日
航空管制周波数 26.342

関連サイト:
札幌航空協会  
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北大夕張川滑空場 [├空港]

  2008年6月訪問 2022/11更新  

 

北海道江別市の「北大夕張川滑空場」。

夕張川と道央自動車道の交差地点の南側の河川敷に位置しています。 

HUSC(北海道大学航空部)が所有する滑空場なのですが、

現在ここは使用しておらず、主な活動場所を滝川スカイパークに移しているそうです。

北大航空部、現役、OBさんの開設サイト、ブログが幾つかあり、

当夕張川滑空場を使用していた当時の話題になると、

必ずと言っていい程、維持作業の苦労話に触れておられます。

この河川敷は地盤が泥炭で、 乾燥すると土埃、雨が降るとぬかるみになり、

滑空場として維持するために大変な労力を費やしてきたようです。

泥炭は燃えるため、滑空場は禁煙!

活動時期は4月から11月半ばまでで、だいたい日曜日ごとに飛行していたようです。

 

せっかく使用していた滑空場が現在は使われていないというのは部外者ながらも寂しい気がするのですが、

滑空場を維持する作業のためだけに合宿を組んでいたこともあったそうで、

「三度のメシが唯一の楽しみというムゴい合宿」などと書かれています^^;

なんだか北海道の厳しい開拓史と重なるような話で、

そういう状態だと、確かに滝川の整った施設を使用するのもアリだなぁ、と思いました。

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サイト:「北大航空部活動記」様を閲覧してみると、

2008年の記事には、当滑空場を「かつて使用していた」と記してあり、

2012年の記事には、草刈り、境界マーキング等の作業を盛んに実施した様子を記す記事があり、

2015年には、「夕張川滑空場開拓」という記事があります。

2018年、サイト様に直接問い合わせをさせて頂いたところ、

滑空場の場所はオイラが(ここだろうか)と考えていた場所で合っていること。

現在は機能しておらず、草が生え放題になっており一見して滑空場とわかる状態にはないこと。

等教えて頂きました。

滑走可能な状態にはないものの、ここを手放す気はさらさらないことが分かり、嬉しかったです。

ということで、拙ブログと致しましては、滑空場名に「跡地」などは入れず、

またここから再び飛ぶ日をお待ち申し上げております。

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滑空場(と思われる地点)に下りてみました。

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土手の反対側はこんな感じ。



      江別市・北大夕張川滑空場      

北大夕張川滑空場 データ 
所在地:北海道江別市江別南
標 点:N43°06′26″E141°37′44″
滑走路:1,000m×60m
磁方位:14/32
航空管制周波数 26.342

関連サイト:
北大航空部活動記  
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札幌丘珠空港(新札幌飛行場、札幌第二飛行場、札幌飛行場) [├空港]

  2008年6月、2016年7月、2023年6月訪問 2023/12更新  


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(昭和18年10月16日撮影)高度500米 方位NW
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(昭和18年10月16日撮影)高度2,000米 方位NE
1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 63, 8 May 1945, photographs of airfields of Karafuto-Hokkaido and Aomori. Report No. 3-d(52), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)

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1947/09/29(昭22)(USA M528 152)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 
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1/25000「丘珠」昭和10年修正「今昔マップ on the web」より作成。建設開始7年前。タマネギ畑だった頃。
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1/25000「丘珠」昭和25年二修「今昔マップ on the web」より作成。米軍空挺部隊等が演習場として使用中。
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SkyVector.com

札幌市にある「丘珠空港」。

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

の中に要図があり、先頭のグーグルマップは、この要図から作図しました。

上に貼った航空写真(終戦から2年後のもの)を見ると、滑走路北端からクランク状の白いものが目立っています。

この部分、要図には描かれていません。

元の航空写真で拡大して見ると、滑走路両端から南西側の諸施設区画に向かう誘導路が、

滑走路とつなぎ目なく滑らかに続いているのに対し、

クランク状の部分は、いかにも後から継ぎ足されたように見えます。

昭和19年4月発行の要図が作成された後に追加されたと考えるのが妥当なのですが、

当飛行場は終戦とともに接収を受けているため、

できるだけ日本軍当時の姿で作図がしたいオイラとしましては、この部分がいつ追加されたのか、

非常に気になります。

このクランク状の部分と、滑走路や南西方向に向かう誘導路とで、表面のくたびれ具合、質感を比較しても、

オイラには建設からの年数にどの程度の差があるのか、判断がつかないのですが、

2つある直角の形状が独特であること

南西側の諸施設区画とは逆方向に舗装誘導路を設ける例は、日本軍の飛行場ではあまり例がないこと

この2点から、戦後になって追加されたのかも。と考え、作図に含めませんでした。

また要図には滑走路に1200x100と書き込みがありました。

同資料の情報を以下引用させていただきます。

位置
札幌市東北約八粁札幌村烈々布
気象
1.恒風は北西及南東を主とす
2.降雪は二、三月比較的多く曇天の日多し
 積雪平均一米内外にして気温最低-23°なり
3.六月より九月に於て霧の発生を見るも八月
 比較的多し
交通
飛行場に至る道路は石狩街道及札幌村を
経て至る道路を有するも石狩街道よりの進
入路の一部を補強せば良好なり
(札幌駅より約十粁)
其の他
飛行場西南約一粁地点に逓信省放送所
鉄塔(九本)あり 注意を要す(高さ約四〇米)

■新千歳市史通史編上巻919pには、

「格納庫七棟 無蓋掩体壕29」とありました。

同じく925pには、

(昭和二〇年七月)十四日には艦載機延一三九一機などが、(中略)
帯広、計根別、八雲、丘珠の陸軍飛行場を攻撃した。


とありました。

 

この空港開設のいきさつについては、ここからちょっと離れた別の飛行場から記さねばなりません。

「丘珠空港」の南西約4.5km地点、札幌市北区北24条西8丁目(札幌市北区役所の辺り)には、

北海タイムス社が開設した飛行場がありました。

後にここを陸軍の「札幌飛行場」として使用するようになったのですが手狭になり、

新たに飛行場適地として建設が始まったのが、ここ。

現在「丘珠空港」となる、「札幌第二飛行場」でした。

元々北海タイムス社の「札幌飛行場」があった訳ですが、市内にもう1つ新たに出来たため、

「新札幌飛行場」とも呼ばれたことが、丘珠空港の沿革、アジ歴の資料に出てきます。

実は陸軍は新たな飛行場として、当初は千歳を計画していました。

ところが千歳村民が造った「千歳着陸場」が海軍に移管してしまったため、

丘珠に飛行場用地を求めたのだそうです。

■新千歳市史通史編上巻955p

 爆撃機のような大型長距離機の必要性が減ると、連絡用務・人員輸送に
適したダグラスC-47スカイトレイン(軍用型DC-3)やC-54のよう
な中型輸送機で札幌第一飛行場を使う頻度が増えていった。第一千歳は飛
行場機能としては道内で最も優れていたが、札幌までの室蘭街道は未舗装
で、いったん雨が降ると泥濘と化し車両の走行を阻んだ。札幌第一飛行場
は現在の丘珠空港で、札幌都心に近く占領政策の準備に都合が良かった。

戦後は米軍の演習場としての使用期間を経て、陸自の「札幌飛行場」、そして現在の共用空港へと変貌しました。

 

ところで「札幌第一/第二飛行場」という名称についてですが、

上述の通り、大抵の資料では、先にあった方を「第一」、後から出来た方を「第二」としていて、

時系列的にも分かり易いのですが、

戦史叢書19巻付図第三「本土飛行場配置、同形状要図」、同じく87巻付図第五「本土方面飛行場要図」では、

なんとこれが逆になっています。

後から出来た丘珠の飛行場が「札幌第一」なのです。

丘珠の方が飛行場の規模が大きいからかしらん。

(後から建設された規模の大きな方が「第一」を名乗ることは「福岡第一/第二」で実例あり)

で、「札幌第一/第二」問題についてですが、直接ご本人が何と述べているのか検索してみるのが一番です。

現在「北海タイムス社の飛行場」は無くなってしまっているので仕方ないとして、

丘珠の方は防衛省管轄の飛行場で、陸自の丘珠駐屯地が公式サイト、広報施設:北翔館 を運用しています。

公式サイト内の歴史のページ、そして広報施設:北翔館ではいずれも、多くの資料と同じく、

「元北海タイムス社の飛行場」→第一

「丘珠飛行場」→第二

として扱っています。

(広報施設:北翔館の情報はマッシュさんから頂きました。マッシュさんありがとうございましたm(_ _)m)

一次資料である戦史叢書と、当事者の一方である丘珠駐屯地の情報が逆になっています。

また、Wikiでも「札幌飛行場 (初代)」と「札幌飛行場」の項目で、

北24条と丘珠のそれぞれが「第一飛行場」と記されるという相矛盾した状態で、

様々なサイト様でも「第一/第二」情報が一貫しておらず、錯綜しているのが現状です。

一体どういうことなのか。

2015年6月初旬に、丘珠駐屯地の広報室に手紙で問い合わせをしてみました。

残念ながら2016年1月時点で音沙汰がない状態なのですが、駐屯地の資料館でハッキリと「ウチが第二」と謳っているのに、

「どうなんでしょう?」と尋ねられても、きっとそれ以上説明のしようもなく困らせてしまったのでしょうね^^;

ということで、拙ブログでは、「北24条」=「札幌第一」、「丘珠」=「札幌第二」として扱わせて頂きます。

この件で情報お持ちの方、是非ご教授くださいませ。

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丘珠空港ターミナルビルと駐車場

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最初の60分無料(2016/9/28追記:1時間まで100円に変更)

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2階出発ロビー、搭乗待合室

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3階 展望デッキ

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フェンスは撮影にはちょっと高いかも

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2016年7月にまたお邪魔しました。

 

以下写真を並べます。

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RWY14エンド付近より。いい眺め~。

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ターミナル2Fに「札幌いま・むかし探検ひろば」ができたということでお邪魔してみたのですが、これが素晴らしかったです。

札幌、丘珠、空港の歴史が非常に興味深く、分かりやすく紹介されていました。

空港のみならず、タマネギ博士になれます。

開館時間:6時30分~17時30分。年中無休、無料。

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近くにこんなステキな場所があったら通っちゃうな~。

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2017/2/25追記:(日経新聞2月24日版より) 札幌市や道、有識者、関係企業で構成する「丘珠空港の利活用に関する検討会議」は23日、中間報告をまとめ公表した。中間報告では、ジェット機の冬季運航を想定した場合、現状の滑走路の長さでは不十分と指摘、延伸の可能性も含めて検討していくことを明記した。中間報告は国土交通省や防衛省にも提出した。 丘珠空港はJR札幌駅から5キロ余りと立地に恵まれているが、滑走路延長が1500メートルと短く、路面が凍結する冬季にはジェット機の運航ができず利用拡大への課題だった。 そのため検討会議は2018年3月までに延伸を含む利用拡大策を定め、最終報告にまとめたうえで防衛省や航空行政を所管する国交省との議論のたたき台とする考えだ。 丘珠では函館や釧路、利尻、八戸との往復定期便がプロペラ機で、静岡との往復便(夏季ダイヤのみ)がジェット機で運航されている。 


(以下2023年6月撮影)

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高いフェンスが設置されましたね…。

DSC_0818_00001.jpg

「フェンスが変形・破損する恐れがあります。ワイヤーを強く広げたり、カメラレンズを入れないでください。」

DSC_0820_00001.jpg

あっち側。

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そっち側。

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TOKIエアのカウンターが設置されてました。


 札幌丘珠空港(新札幌飛行場、札幌第二飛行場、札幌飛行場)

   ビュー:☆☆☆☆★  
無料展望デッキあり
エプロン、滑走路全域見渡せる
フェンスはちょっと高いかも

   施設:☆☆☆★★  
ターミナル前に有料駐車場あり(1時間までなら無料)
小さな売店。ロイズチョコ、土産物、サンドイッチ、おにぎりなど

   マニア度:☆☆☆☆☆  
外周は撮影に非常に恵まれている。札幌いま・むかし探検ひろば

   総合:☆☆☆☆★  
札幌市街地にある小ぢんまりとした飛行場
札幌の北東部に位置し、市内中心から約12km、車で約20分の距離に位置
周辺は住宅地、商業施設など

・札幌新飛行場(昭和19年資料から) データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道札幌市東北約八粁札幌村烈々布
面 積:229ha?
滑走路:1,200m×100m
方 位:14/32
(面積はグーグルマップから、他は資料から)

・丘珠空港 データ
設置管理者:防衛省
3レター:OKD
4レター:RJCO
空港種別:共用空港
運用時間:7:00~21:00(4月~10月)、7:00~19:00(11月~3月)
所在地:北海道札幌市東区丘珠
標 点:N43°07′03″E141°22′53″
標 高:8.0m
面 積:103.7ha
滑走路:1,500m×45m
磁方位:14/32
航空管制周波数 
・飛行場管制 
千歳タワー?118.10 123.10 126.20?
千歳グラウンド 121.80
・航空路管制 
札幌コントロール(北海道東セクター) 127.50 132.60 134.25
札幌コントロール(北海道南セクター) 120.75 119.30 134.25

沿革
1942年05月 陸軍、用地買収、飛行場建設開始
1943年07月 丘珠飛行場開き。航空機の離発着が可能に
1944年05月 滑走路、格納庫、兵舎完成。第21航空基地司令部と飛行第63戦隊(1式戦闘機「隼」)進出
1945年07月 14日 艦載機による空襲。8月終戦
1946~50年 米軍空挺部隊等が演習場として使用
1947年 逓信省航空保安部千歳管轄の出張所開設
1952年06月 接収解除により青木航空が初めて遊覧飛行実施
1954年10月 陸自移駐、丘珠分屯地発足
1956年06月 北日本航空、丘珠-女満別運航開始
1958年    防衛庁告示により札幌飛行場となる(空港展示より)
1959年04月 札幌航空保安事務所丘珠出張所廃止
     06月 北日本航空、丘珠-稚内運航開始
1960年08月 北日本航空、丘珠-函館運航開始
    10月 北日本航空、丘珠-釧路運航開始
1961年11月 27日、運輸省告示第407号、札幌飛行場を公共用施設として指定
    12月 10日、上記告示に基づき、共用飛行場として供用を開始
1962年04月 札幌航空保安事務所丘珠出張所再設置
1963年03月 15日、タワー(飛行場管制)の運用開始
    07月 北日本航空、丘珠-八戸-東京運航開始
1964年04月 15日、日東、富士、北日本の3社合併で日本国内航空となる
    06月 日本国内航空、丘珠-秋田-新潟運航開始
    08月 15日、札幌NDB(無指向性無線標識施設)共用開始
    12月 日本国内航空、丘珠-帯広運航開始
1965年03月 日本国内航空、丘珠-東京を運航開始、道内の中心拠点となる
     05月 札幌航空保安事務所丘珠出張所再設置を航空保安事務所として分離
1966年07月 全日本空輸、丘珠-仙台を運航開始
1967年11月 滑走路延長(1,000m→1,400m)
1970年06月 全日本空輸、丘珠-新潟を運航開始
1971年05月 15日、日本国内航空と東亜航空の合併により東亜国内航空となる
1972年01月 12日、GCA(着陸誘導管制業務)運用開始。19日、全日本空輸の定期便が千歳に移転
1974年08月 10日、日本近距離航空運航開始(丘珠-稚内-利尻)
    10月 15日、日本近距離航空路線追加(丘珠-函館-奥尻、丘珠-紋別、丘珠-中標津)
    12月 1日、東亜国内航空が定期便を千歳に移転
1977年07月 27日、滑走路方位変更(15/33→14/32)
1981年06月 11日、札幌VOR/DME(超短波全方向式無線標識施設/距離測定装置)供用開始
1983年05月 12日、 VASIS(進入角指示灯)設置
1987年04月 1日、日本近距離航空が社名をエアーニッポンに名称変更
1990年04月 エアーニッポン丘珠-釧路を運航開始
    05月 23日、札幌丘珠空港ビル株式会社設立
1991年08月 エプロン拡張 共用開始
1992年02月 21日、新旅客ターミナルビル共用開始
1994年10月 4日、現ターミナルビル利用者100万人達成
    12月 PAPI(進入角指示灯)設置
1999年11月 エアーニッポン 丘珠-女満別を運航開始
2000年04月 26日、現ターミナルビル利用者300万人達成
    05月 23日、札幌丘珠空港ビル株式会社創立10周年
2002年02月 21日、現ターミナルビル開業10周年
    07月 1日、エアーニッポンネットワーク 丘珠-函館、丘珠-釧路、丘珠-紋別を 運航開始
    12月 エアーニッポンネットワーク 丘珠-中標津を運航開始
2003年04月 エアーニッポンネットワーク 丘珠-稚内を運航開始
    08月 1日、北海道エアシステム 丘珠-函館、丘珠-釧路を運航開始
    09月 エアーニッポンネットワーク 丘珠-女満別を運航開始
2004年03月 18日、滑走路延長(1,400m→1,500m)、エプロン拡張、駐車場拡張、共用開始
2005年07月 4日、北海道エアシステム 丘珠ーオホーツク紋別運航
    12月 27日、現ターミナルビル利用者500万人達成。エプロンロードヒーティング共用開始
2006年03月 駐車場ルーフ共用開始
    09月 空港ボランティア説明員活動開始。平成18年利用者数が384,183人となり、昭和50年以降最大利用者数となる
2007年03月 札幌丘珠空港ビル株式会社ホームページ英語版追加
    10月 空港駐車場有料化となる。札幌丘珠空港ビル内再配置工事竣工
2008年03月 ターミナルレーダー局舎落成
    06月 GCA(着陸誘導管制業務)移設運用開始
    09月 現旅客ターミナル利用者600万人達成。10月まで同記念イベント各週日曜実施
    11月 同記念メインイベント35年ぶり道外チャーター便ツアー実施。青森三沢空港振興会と共同企画
       ターミナルレーダー及びGCA運用開始
2010年07月 1日、エアーニッポンネットワーク 定期便を新千歳に移転
2011年04月 9日、北海道エアシステム 丘珠ー女満別運航開始
    06月 1日、北海道エアシステム 定期便を札幌丘珠空港に集約
    10月 1日、北海道エアシステム 丘珠ー利尻運航開始
2013年07月 1日、北海道エアシステム 丘珠ー三沢運航開始。フジドリームエアラインズ 丘珠小牧テストフライト実施
    09月 17日、現ターミナルビル利用者700万人達成
    11月 16日、フジドリームエアラインズ 丘珠小牧 実証飛行(チャーター)実施
2014年06月 フジドリームエアラインズ 丘珠小牧 チャーター便を運航(9月まで)
2017年02月 23日、検討会議、「丘珠空港の滑走路長さ不十分」と中間報告
2018年02月 20日、検討会議、「長期的に2000メートルへの延伸を検討課題とする」と最終報告
2021年12月 20日 道、丘珠空港をSCUに指定。陸自、国交省、札幌市とSCUの設置・運営に協力する協定締結
2022年05月 札幌市、滑走路を1,800mに延長する案を国に要望する方針。2032年の完成を目指す
     12月 15日 札幌丘珠空港機能強化推進協議会、滑走路1,800m化について国に予算措置要望書提出
2023年07月 札幌市、1,800m化の目標時期を2030年と明示へ
     11月 29日 市とJapanticket、ビジネスジェット活用し富裕層の利用促進で協定

関連サイト:
札幌丘珠空港ビル株式会社
国土交通省東京航空局/札幌飛行場(丘珠空港)    
ブログ内関連記事
    

この記事の資料:
新千歳市史通史編上巻
新千歳市史通史編下巻
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


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新千歳空港 [├空港]

  2008年6月訪問、2024/4更新  

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撮影年月日1944/10/30(昭19)912M59 C4 40 海軍千歳航空基地当時
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

詳しくは「千歳飛行場」記事(下記リンク参照)にまとめましたが、

1926年に千歳村民によって造られた小さな小さな飛行場は、その後海軍飛行場として終戦を迎え、

米軍の接収を経て1951年に拠点空港指定を受け、北海道の空の玄関口となります。

1975年の米軍完全撤退後も長く航空自衛隊との共用空港だったのですが、

ついに1988年、千歳飛行場の南東に民間専用の「新千歳空港」ができたのでした。

■新千歳市史通史編下巻にこのいきさつが詳しく出ていましたので、以下引用させていただきます。

93p
新千歳空港
 東京から遠く離れた北海道では、遠距離旅行は次第に航空機が主役を
担うようになる。新千歳空港は千歳飛行場の南東に民間専用空港とし
て全く新たに造られた。新千歳空港A滑走路が供用開始したのは昭和63
(1988)年7月のことである。
 わずか30年前までは一面カシワが生い茂る原野だった。滑走路建設予定
地内を流れる美沢川流域から埋蔵文化財が発見された。埋蔵文化財の発掘
調査を皮切りに新空港の建設が始まった。
 平成4(1992)年、3000㍍の滑走路を2本持ち(H8~B滑走
路供用)、旅客ターミナルビルの地下2階にはJR北海道の列車が直接乗
り入れる新千歳空港駅が新設された。新千歳-札幌間が15分間隔、所要時
間36分の「快速エアポート」で結ばれ、利便性が飛躍的に向上した。
 これにより交通ネットワークも拡大され、日本有数の空港となった。

これが新千歳空港の概要です。

以下詳しく記されています。

397p
新空港の建設運動
 新空港の建設構想は、昭和47(1972)年の冬季オリンピック札幌大
会開催に向けた道内の国際空港整備、将来の航空需要への対応が求められ
る中で、千歳空港が自衛隊との共用であることが問題視され民間専用の空
港が必要と考えられたことから始まった。(中略)
 そのような中、41年6月、札幌グランドホテル新館落成披露への出席等
のため来道した川島正次郎自由民主党副総裁が記者会見で次のように発言
した。
 数日前、佐藤首相と話し合い、千歳空港を国際空港に昇格させることに決
定した。現在の飛行場を、そのまま整備拡張するか、あるいはずっと東の方
に、さらに大規模なものをつくるかは、これから本格的に研究するが、いず
れにしても超音速ジェット旅客機(スーパーソニック)が離着陸できるもの
をつくりたい。一、二年の間に完成し、冬季オリンピック札幌大会まで、間
に合わせる考えだが、これは単にオリンピックのためだけではない。将来の
本道経済の発展を考えて行なうもので、完成すると東京、大阪に次いで三番目
の国際空港となる。(S41・6・30『北海タイムス』)
 念願であった国際空港への昇格という朗報に市は喜びに沸いた。ちなみ
に川島発言にある「東の方に、さらに大規模なもの」とは、終戦時に完成
した連山滑走路の活用を考えてのものといわれる。

 川島発言から1週間後の7月4日、道内施設のために来道した福田篤秦
北海道開発庁長官も新聞記者からの取材に、川島発言を全面的に支持し現
在の千歳空港のほかに新空港を建設し、航空自衛隊の使用と民間仕様の空
港の2本立てにしたい旨を語った。これら2人の発言いずれからも、新空
港は千歳市内に建設されるものと歓迎していた。
 ところが、福田長官は帰郷後の7月8日、閣議後の記者会見において(中略)
川島発言での千歳空港の拡張整備を中心にするという考えから離れ、
新設一本で候補地は全く白紙と発言したことに千歳市は動揺した。
 そして所管大臣である中村寅太運輸大臣、福田道開発庁長官が7月15日
閣議後の記者会見で、「千歳空港を自衛隊専用空港とし、札幌周辺に新し
い国際空港をつくる計画で、きたる22日防衛庁長官を交えた3者会談でこ
の方針を正式決定し、閣議了解を得る」旨を発表。さらに同日、札幌市内
ホテルで開催された札樽経済協議会(会長・原田興作札樽市長)総会にお
いて「道内に設置する国際空港は千歳から分離し、石狩管内石狩町生振に
設けるのが理想的である」との意見がまとめられ、関係省庁へ働きかけて
いくことが決まった。千歳空港の自衛隊共用は好ましくなく、生振の位置
は千歳と気象条件の異なる日本海側で札樽に近い。また、生振は千歳に比
べ積雪量は多い(積雪1㍍の日が年間で生振94日、千歳16日)が、霧は少
ない(生振17日、千歳59日)などの好条件も挙げられた。
 これらを受け米田市長は、急遽翌16日に臨時議会を招集し経過を説明
するとともに「従来市は国民として国家目的である国防に協力すべきであ
るという基本的態度から千歳空港は自衛隊と共用によりその維持発展を図
る方針をとってきたが、今回の関係大臣の談話は市に対し二者択一の態度
を明らかにすることを求めたものと判断しなければならない」とし、民間
空港は千歳の生命線であると訴え議会に決議を要請した。議会もこれに応
じ『千歳空港を民間専用の第1種空港に指定し、さらに国際空港として必
要な諸設備の整備を図られたい」との政府、関係大臣に対する要望意見書
を決議。また、10人で構成されていた市議会空港対策特別委員会を拡大強
化して全議員で構成することとした。翌17日には米田市長、吉田信一市議
会議長、小池金吾商工会議所会頭ら11人が上京し、関係大臣発言の真意を
確かめるとともに政府、国会等に強力な要望運動を行った。同時に日高、
胆振、空知などの近隣市町村に賛同を求め、胆振地方総合開発期成会のほ
か23の市町村と議会から要望書への署名を取り付けた。(中略)

 42年、北海道出身の在京者団体である北海道倶楽部(理事長・鹿内信隆)
が開道百年記念事業として「北海道に国際空港を設置する運動」を展開す
る。その中で北海道国際空港の最適地は千歳空港であり、現在の千歳飛行
場に民間専用の滑走路を追加することが最も妥当であろうと打ち出し、鹿
内理事長自ら政府や関係省庁、経済界、航空関係者等に働きかけを強める。
町村金五北海道知事も道議会第2回定例会において、伊藤弘議員の質問に
対し「札幌冬季オリンピックや将来の超音速機時代に備え、千歳空港を整
備し、国際空港にする方向で政府と折衝したい」旨の答弁をした。(中略)

 42年7月26日、千歳空港の現地視察を終えた大橋武夫運輸大臣は記者会
見で、「千歳空港は軍民分離の方向で検討を進めており、運輸、防衛、道
開発庁の3者で意見が一致している。国際空港の新設については、石狩町
生振など札幌に近い場所との要望も強いが、積雪の関係などを考慮し、千
歳周辺に絞って決める」と述べ、石狩地区への新空港建設は消えた。ま
た、「現在の東側滑走路より1500㍍離して、長さ2000㍍級の滑
走路1本を新設、これを民航専用とし軍民分離を図りたい」とも述べた。
1500㍍離すことで戦闘機と民航機が同時に離着陸できるようになり、
もちろん47年の冬季オリンピック札幌大会に間に合わせる予定であった。
(中略)


土地勘のないオイラは地図で確認しないとピンとこなかったんですが、

千歳市から見ると、札幌の向こう側ですね。

拡大していただくと分かりますが、生振は石狩川、茨戸川に囲まれた4kmx5kmの平たん地で、

現在でも広大な畑地が広がっています。

札幌までの距離も千歳からだと約40kmに対し、こちらは約15kmとかなり近いです。

中央政府で正式決定寸前までいってましたから、

「北の大地の空の玄関口」といえば誰しも連想するのが石狩ということは大いにあり得た訳です(@Д@)

400p
新空港の供用開始は51年頃を予定し、冬季オリンピックは千歳空港のま
まで受け入れ体制を整えることとなった。
 46年6月、新空港の位置が東側滑走路から東寄りに1500㍍、市街地
から4000㍍の距離、全長3000㍍(将来4000㍍)、幅60㍍に内
定。北海道は46,47年度に特別会計を設け、空港建設用地の先行取得業務
を北海道開発用地公社に委託した(48年度は特別会計を廃止し北海道土地
開発公社を設立して引き継いだ)。(中略)
 
 運輸省は60年11月、供用予定期日を含めた整備基本計画を変更し、翌
61年3月に告示、新千歳空港開港は63年7月20日に設定された。
 新千歳空港整備基本計画(変更計画)の概要(中略)
2.計画の概要
(ア)計画規模(全体計画)
 滑走路(3000㍍x60㍍)2本及びこれらに付帯する誘導路、
 航空保安施設及びターミナル施設等。面積約719㌶
(イ)施設展開計画
 新空港の早期供用を図り、航空輸送需要に比べ過不足がなく均衡
 のとれた規模とするため、次のとおり段階的に整備する。
 第Ⅰ期 昭和63年7月20日を目処に(中略)滑走路A、着陸帯A及びこれらに付帯する誘導路、
     航空保安施設等を整備する。この場合、ターミナル施設は現有施設を使用する他、千歳
     飛行場の滑走路を併用することにより、運用の効率化を図る。
 第Ⅱ期 昭和67年7月1日をめどに(中略)ターミナル諸施設を整備するとともに、新ターミナル
     への全面展開を図る。
 第Ⅲ期 昭和75年7月1日を目途に(中略)滑走路B、着陸帯B及びこれらに付帯する誘導路、航空保
     安施設及びターミナル諸施設を整備する。
 なお、第Ⅱ期以降については、航空輸送需要の動向等を勘案しながら整備を進めるものとする。

「新空港の位置は千歳飛行場隣接地」が正式決定となり、

将来的な需要変化を見ながら段階的に整備していくこととなりました。

402p
新管制塔運用開始
 昭和46(1971)年、運輸省、防衛庁、北海道開発庁の3省庁会議で
新しい滑走路の建設場所は決まったが、管制の担当・管制塔の位置は未解
決のままだった。
 管制業務について、旧空港は防衛庁が所有し管制も運輸省が防衛庁に権
限を委任して運用してきたが、民間専用となる新空港は運輸省が担当する
のが原則となる。しかし、間隔1500㍍という軍民の隣接する滑走路で
は「管制の一元化」は避けられず、運輸省と防衛庁の間で調整が続いてい
た。59年12月、「両空港の管制空域がほぼ同一のため一元的な管制業務を
するのが効率的である」、「『北の守り』を重視する防衛庁が周辺の管制を
手放すことができない」などの理由から、旧空港に引き続き航空自衛隊が
管制を担当することで合意に達した。民間専用空港の管制を自衛隊が担う
ことは前例がなく両面管制は国内初であった。

新千歳の管制を自衛官が行うことに何の疑問も感じていなかったんですが、

自衛隊による一元管理はこうして引き継がれたんですね。

冷戦当時のヒリヒリした感覚が伝わってきます。

407p
第2ターミナル問題と滑走路延長合意の白紙撤回
 平成10(1998)年、新千歳空港24時間運用の6枠に国際・国内旅客
便を含める覚書に調印した翌月の7月から、道と苫小牧市は関係地域住民
に対し滑走路の苫小牧側500㍍延長について説明を始めた。滑走路延長
は冬期間の安定就航や長距離国際線誘致に必要であり、第7次空港整備
5ヵ年計画にも位置づけられ、北海道経済活性化のためにさらなる空港機
能の充実を図るというものであった。しかし対策内容への不満と24時間運
用合意における地域振興策(植苗美沢土地利用計画の検証)が滞っている
ことへの不信などから苫小牧住民は反発した。3年に及ぶ話し合いの結果、
13年11月18日、堀達也道知事、鳥越市長、各地区の住民代表5人が「新千
歳空港の滑走路延長に関する合意書及び確認事項」に署名・捺印した。そ
の合意書確認事項に、道が誠意をもって対応するべきとして「第2ターミ
ナルビルの苫小牧市域内での建設」とあった。国のマスタープランにある
現ビルに隣接する千歳市域内建設を変更するものであった。
 これを受け道は第2ターミナルビルを苫小牧市域に建設することを政策
に盛り込み、国に対し要望した。苫小牧市域への建設により両ターミナル
ビルの距離は1800㍍となり、用地取得、造成費だけでも63億円かかる
ほか、JRの延伸分や上下水道整備上積などの費用が想定され、当然のこ
とながら国は「利便性、コスト面から現実的ではない」と回答。道庁内部
に設置したワーキンググループも「国の考え方を変更させるだけの材料が
得られなかった」と結論付けた。15年7月25日、苫小牧市地域協議会にお
いて道副知事がその旨を説明し「改めて国に要望することは考えていない」
と述べた。これを誠意のない対応として苫小牧住民の不信感は頂点に達し、
苫小牧市の植苗町内会連合会が9月10日に滑走路延長合意の白紙撤回を決
定。(中略)
 その後、道と住民の協議は膠着状態となり、深夜・早朝枠拡大が優先さ
れると滑走路延長問題は中長期的な課題として位置づけられ、地元の合意
形成のほか長距離国際線の就航見通しも乏しいことなどから、延長自体の
必要性について問われる状況となっている。

ここでは省きましたが、24時間化についての地元との交渉に関して、

市史では「千歳市民は空港への思い入れが強く、理解がある」的な書き方です。

苫小牧側の言い分も聞いてみたいです。

408p
 アメリカテキサス州ダラス・フォートワース空港をモデルにした国内
初の半円周型の新ターミナルビルは、地上4階(一部5階)建て、地下2
階。高さ約26㍍、外周訳850㍍から17基のボーディングブリッジ(国内
14、国際3)が伸びる。延べ床面積約15万3000平方㍍、国内では成田
空港に次ぐ2番目の規模で旧ターミナルビルの約3倍の広さとなった。

409p
 平成4年6月30日午後10時から、翌7月1日午前3時30分まで、5000
人以上の人々の手で旧ビルから新ターミナルビルへの引越しが行われた。
 日本通運では作業員1100人、車両延べ150台を動員、最終便が飛び
立つと同時に作業開始。分解された手荷物検査装置や、クレーンで5㌧コン
テナに積まれた荷物が次々と待ち受けるトラックへ。午後11時、搭乗用タ
ラップ車、コンテナ牽引車などの空港車両が誘導路を横切り、2.2㌔先
の新ビルのスポットへ移動する列が続いた。運び込まれた荷物は、「搬入組」
にバトンタッチ、司令官の指示で新ビル内の所定の場所に収められる。最後
の作業として新ビルの床4.5㌔にわたって張られたベニヤ板を撤去。
 搬出と搬入の息がぴったり合い、夜を徹しての重労働も予想以上に早く進
んで、1日午前3時半、第1便の運航に支障なく「世紀の大移動」が無事完
了した。(中略)

B滑走路の建設
 基本的にA滑走路は離陸、B滑走路は着陸に使用され、1時間あたりの離
発着能力は従来の24回から30回に高まると見込まれた。また、冬期間には2
本の滑走路を交互に除雪することにより欠航や遅れを解消できる。それまで
はA滑走路が閉鎖された場合、防衛庁管理の千歳飛行場の滑走路を使用して
いたため、より完全な「軍民分離」が図られることとなった。

新空港への引越しが無事終わりました。

410p
旧共産圏からの乗り入れ緩和
 新千歳空港は、安全保障の観点から隣接する航空自衛隊千歳飛行場での
部隊運用・訓練との調整を図るため、ソ連・中国など共産圏の民航機乗り
入れは特殊なケースを除き認めなかったが、平成5年6月にウラジオスト
クで開催される「北海道フェア」の参加者を日本から運ぶため、日本航空
のチャーター機がロシアに入港する見返りにロシアのチャーター機乗り入
れを求められた。運輸省と防衛庁が協議し国際法上の相互主義に基づき1
便ずつの相互乗り入れを認めた。ロシアからのチャーター機は東京の旅行
代理店がサハリン出身者などの観光・墓参を目的にユジノサハリンスクへ
のツアーを企画したもの。同年7月19日、新千歳に入港した。
 中国のチャーター機が千歳に初乗り入れしたのは5月10日だった。全日
空のチャーター機が新千歳からハルピンへ運航することから、相互主義の
原則を適用し、中国国際航空のチャーター機が日本の観光客を乗せて10月
20日に上海へ出発するため新千歳に入港した。冷戦構造の崩壊を反映し、
その後も旧共産圏からのチャーター便は増加したが、航空自衛隊の「戦闘
機の訓練を行うウイークデーに旧共産国航空機の出入港は民間機といえど
も好ましくない」(北海道空港(株)調査室 1996)との立場から土・日、
祝日に限定された。
 10年6月28日、中国北方航空による瀋陽と初の定期便が就航した。その
後、13年には中国西北航空による上海線、サハリン航空のユジノサハリン
スク線の定期便が就航。出入国の集中による混雑解消、中国からの観光需
要への対応のため防衛庁が容認し、乗り入れ曜日・時間帯についても土・
日曜日のほか、訓練の少ない水曜日の午前11時20分から午後1時50分と金
曜日の午後5時以降にも拡大された。さらに国土交通省による「訪日外国
人3000万人プログラム」の最重点市場である中国をはじめとする外国
人観光客の拡大を図るために国土交通省と防衛省の間で合意に至り、新国
際線旅客ターミナルビルオープン直後の22年3月28日から、火・水曜日の
正午から午後4時までが乗り入れ可能時間に追加された。その後、28年か
らは更に制限緩和が進み毎日運航ができるようになった。

共産圏からの乗り入れが徐々に緩和された歴史があるのですね~。

416p
 雪国ならではの特徴として、国内で初めて実施されたクールプロジェク
トとデアイシングエプロンがある。クールプロジェクトは、空港内の除雪
などから雪山を造成し、防除雪氷剤の流出量を減らして河川の汚れの指標
であるBOD(生物化学的酵素要求量)を低減するとともに、この雪山の
冷熱をターミナルビルの夏期冷房の熱源として活用しCO2排出を削減する
もので、19年度から取り込み、22年春から運用を開始している。
 また、積雪寒冷地空港では航空機の離陸前、翼などについた雪や氷を取
り除き凍結防止の薬剤などの散布(デアイシング)が必要になる。従来新千
歳空港ではターミナルビル前面のエプロンで行っていた。冬期間に多い北
風の時には離陸までに国内線ターミナルビルから約3㌔、国際線ターミナ
ルビルから約5㌔以上を陸上走行し、降雪による滑走路の除雪作業などの
影響により離陸待ちが発生すると、防雪氷剤の効果が切れて再度デアイシ
ング作業が必要となることが年間約50便発生していた。22年12月、国内初
のデアイシング専用のエプロンが滑走路に近い場所に設置され、スポット
運用の混乱を防ぎ航空機の遅延を減らしている。

雪国ならではの除雪作業の大変さの他に、防除雪氷剤による河川の汚染という問題もあるんですね。

デアイシングについてですが、ググってみたところ、

国交省は新千歳空港の新たなデアイシング用エプロンを2020年度から調査しており、

2027年度完成を目指しているのだそうです。

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ターミナル内は1か月後(当時)の北海道洞爺湖サミット一色。

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建物内各所に、こうした歴史的なヒコーキが詳しい説明付きで展示されてました。

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流石北海道! 海の幸の店がずらりと並んでいて、誘惑いっぱいです。

呼び込みもしてました。

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無料の展望デッキ。

広々してます。 

2013/9/5追記:デッキにワイヤーが張られたそうです。 Takashiさんから情報頂きましたm(_ _)m

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エプロン、滑走路がよく見え、離陸/着陸機を遮るものもなし。

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       千歳市・新千歳空港       

    ビュー:☆☆☆☆☆  
広い無料展望デッキあり。フェンス低く、エプロン、滑走路全域見渡せる

    施設:☆☆☆☆☆  
ターミナル前に有料駐車場あり
早朝から食事のできる店が多い。だれでも自由に使えるテーブルが多く設置されていて非常に便利
建物は明るくキレイ
土産物店非常に多く、充実している。ロイズチョコ、白い恋人、スープカレー、JAL系カップ麺など

    マニア度:☆☆☆☆☆  
フロア各所にヒコーキのモデルと解説(Flyersさん企画)
Flyers最高。航空図、関連書籍、DVD、ゲーム、ダイカストモデルなど多数 
ネット通販可
空港周辺にも撮影ポイント多数

    総合:☆☆☆☆☆  
北の空の玄関口

新千歳空港 データ
管理者:北海道エアポート
3レター:CTS
4レター:RJCC
空港種別:拠点空港/国管理空港
運用時間:24時間
所在地:北海道千歳市美々
標 点:N42°46′31″E141°41′33″
標 高:21.3m
面 積:719ha
滑走路A:3,000m×60m(01R/19L)
        B:3,000m×60m(01L/19R)
航空管制周波数:
・飛行場管制 
千歳タワー 118.80 126.20 
千歳グラウンド 121.60
千歳デリバリー 121.90   
・進入・ターミナルレーダー 
千歳アプローチ 119.10 119.50 120.10 124.00 124.70 125.30 134.10
千歳ディパーチャー 124.70 
・航空路管制 
札幌コントロール(北海道東セクター) 127.50 132.60 134.25
札幌コントロール(北海道南セクター) 120.75 119.30 134.25
・飛行場情報放送 
千歳ATIS 128.60
・TCAアドバイザリー 
千歳TCA 127.70

沿革
1951年10月 千歳飛行場にて、「千歳空港」開港
1957年08月 千歳飛行場にて、民間、自衛隊共用使用開始
     10月 千歳空港の軍民共用状態と民間機の大型化について改善すべきと道議会にて決議、政府に要望
1959年    第1種への昇格を求める市の請願、道議会、衆参両議院にて採択される
1966年04月 冬季五輪札幌に決定。これを契機に千歳空港の拡充請願運動が一層活発化する
     06月 来道した自民党副総裁、千歳の国際空港昇格決定、現飛行場を拡張するか、東側に新設するか検討と発言
     07月 4日 来道した北海道開発庁長官、自民党副総裁発言を全面的に支持するが、8日には候補地は白紙と発言
        15日 運輸大臣、道開発庁長官、札幌周辺に新空港建設と発言。札樽経済協議会にて生振案浮上
        16日 千歳市長、臨時市議会招集。千歳空港の拡充を決議
        17日 千歳市長、市議会議長、商工会議所会頭ら11人が上京し要望運動
1967年   在京団体北海道倶楽部、政府、関係省庁、経済界、航空関係者等に千歳国際空港化を働きかけ
     07月 26日 運輸大臣、「国際空港の候補地は千歳周辺に絞って決める」と発言
1970年06月 24日 関係省庁にて、千歳飛行場の東または西側に民間空港建設の申し合わせ
     10月 3省庁にて、千歳飛行場東側滑走路の東1500mに平行滑走路新設で合意
1971年06月 東側滑走路から東寄りに1,500m、市街地から4,000mの位置に3,000mx60m滑走路と内定
1972年04月 3日 道内の産業経済団体、関係自治体で構成する新千歳空港建設促進期成会結成
1973年09月 新千歳空港整備基本計画策定
     12月 24日 設置告示
1974年09月 第2種空港指定
1975年09月 2日 新千歳空港エプロンと誘導路の工事始まる
     11月 10日 新千歳空港第1期工事安全祈願祭、着工記念祝賀会
1977年04月 11日 航空局「千歳飛行場ターミナル施設暫定計画」→新千歳への移行を念頭に効率的な施設投資
1982年   この頃、現ターミナル地区南側に、新千歳建設工事を一望できる見晴台が造られる
1984年12月 運輸省、防衛庁間で、自衛隊が一元的に管制を行うことで合意
1986年07月 15日 札幌国際エアカーゴターミナル(SIACT)設立
     08月 10日 新千歳エプロンにて、「昔を偲ぶ集い」開かれる
1987年07月 3日 新千歳空港国際化推進協議会発足。空港の国際化、国際カーゴ基地形成推進を図る
     08月 27日 24時間化について地域住民と初めての本格的な話し合い
     12月 A滑走路完成
1988年04月 新空港ビル建設のボーリング調査開始
     06月 20日 新管制塔運用開始
     07月 20日 新千歳空港開港。 A滑走路供用開始。第2期工事が本格化する
1989年07月 8日 2期工事のメインである新旅客ターミナルビル起工式
1990年07月 17日 新ターミナルビル立柱式
     08月 国際線施設の増築工事開始
1991年02月 28日 ユニバーシアード参加選手の乗るアエロフロート機飛来(ソ連機の飛来は札幌五輪以来)。
     11月 第6次空港整備5ヵ年計画に新千歳空港B滑走路整備が盛り込まれる
     12月 ケータリング施設着工
1992年06月 30日 最終便離陸後、旧ターミナルビルから引っ越し作業
     07月 1日 新ターミナルビル、貨物ビル、エプロン、構内道路、駐車場、JR新千歳空港駅供用開始
1993年06月 B滑走路着工(第3期計画のメイン)。ロシアとのチャーター相互乗り入れに合意
     10月 中国とのチャーター相互乗り入れ開始
1994年03月 11日 第18回地域協議会にて24時間化基本合意
     04月 20日 千歳市、24時間化について合意書承認、調印式。21日 苫小牧市地域協議会でも調印式
     06月 23日 国際貨物の24時間運用開始
1996年04月 26日 B滑走路供用開始
1998年07月 道と苫小牧市、関係地域住民に滑走路の苫小牧側500m延長について説明開始
2000年10月 2日 ドップラーレーダー運用開始(関空、成田、羽田に次いで国内第4号機)
2001年11月 18日 苫小牧関係地域住民、滑走路延長に合意。合意内容には苫小牧側に第二ターミナル建設を含む
2003年07月 25日 苫小牧側に第二ターミナル建設は国を説得できずと説明
     09月 10日 苫小牧市植苗町内会連合会、滑走路延長合意の白紙撤回を決定
     10月 24日 周辺の沼ノ端、勇払の町内会も合意事項すべての白紙撤回を通告
2006年04月 新国際線旅客ターミナルビルの建設、運営の事業主体公募
     09月 新国際線旅客ターミナルビルの事業主体に北海道空港(株)選定
2008年05月 24日 新国際線旅客ターミナルビル起工式
2009年08月 国内線旅客ターミナルビルリニューアル工事開始
2010年02月 24日 新国際線旅客ターミナルビル竣工式
     03月 26日 新国際線旅客ターミナルビル供用開始
2011年07月 国内線旅客ターミナルビル第1期オープン
     12月 国内線旅客ターミナルビル第2期オープン
2014年04月 1日 国際線の利用者を対象に旅客サービス施設使用料(PSFC)徴収開始。大人1030円、子供520円
2015年03月 16日、国内線ターミナル改修工事開始。利用者増に対応
2016年11月 13日、国際線ターミナル地域再編事業着工式。国際線需要急増に対応し、エプロン拡張、誘導路新設
2017年03月 26日、発着枠1時間当たり32回から43回に拡大
    08月 政府、利用急増に対応するため、千歳基地東滑走路(新千歳側の滑走路)の民間機利用調整へ
    12月 14日 空港内のほぼ全店に当たる171店舗で「ウィーチャットペイ」決済サービス導入
2018年04月 25日  道内7空港民営化 運営者募集開始。2019年7月運営権者決定、新千歳は2020年6月民営化へ
    07月 国交省、除雪時の混雑緩和のためA滑走路西側に平行誘導路増設へ。2026年度供用開始予定
       31日 国内線ターミナル改修工事完了。引き続き国際線ターミナル増築、各施設拡張
    09月 6日 北海道胆振(いぶり)東部地震発生。最大震度7。空港も震度6弱を記録。一時全道で停電。全便運休
        7日 一部運航再開。19日、商業施設一部再開
    10月 28日 国内線利用者から旅客サービス施設使用料(PSFC)徴収開始。大人270円、12歳未満の子供140円
2019年07月 北海道エアポートグループ、7空港一括運営権2,920億円提示し優先交渉権獲得。8月基本協定締結へ
       委託期間は2020年度から30年間。企業側は新千歳以外の6空港にも国際線誘致を計画。
       16日 国交省、来春より日中の発着枠1時間当たり42回から50回に拡大へ  
     08月 30日 国際線ターミナル、広さ2倍に  
     10月 31日 北海道エアポート、「北海道内7空港特定運営事業等」実施契約を締結
     11月 14日 出入国審査に顔認証ゲート導入
2020年01月 国際線ビル併設のホテル開業。 15日、北海道エアポート、7空港一体のビル経営を開始
     06月 1日 北海道エアポート、空港全体の運営開始
2021年03月 1日 北海道エアポート、民営化対象7空港すべてで空港ビルと空港本体の「上下一体運営」開始
     07月 1日 A,B駐車場無料30分から1時間に延長の他、料金とサービス見直し
2022年10月 30日 国内線施設利用料引き上げ(大人270円→370円、子供140円→180円)
2023年01月 17日 新千歳空港、大雪時に苫小牧フェリー港へ臨時バス運行。滞留者の解消へ
     03月 HAPとJAXA「雪氷モニタリングシステム」2年目の実証実験終了。25年度の実用化に手応え
     12月 8日 ビジネスジェット専用施設営業開始
2024年04月 管制塔新設へ。26年4月着工、28年9月完成予定。現行より40m高く105m。国内3番目の高さに。

関連サイト:
Hokkaido Airports 
新千歳空港    
Flyers 
北海道開発局/新千歳空港      
国土交通省東京航空局/新千歳空港・千歳飛行場   
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白老滑空場 [├空港]

  2008年6月訪問 2022/11更新  

 

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北海道白老町にある「白老滑空場」。

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立派な建物

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建物脇から見たエプロンと滑走路。

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        白老町・白老滑空場        

学校法人 日本航空学園白老滑空場  
整備搭乗訓練実習施設として滑空場開設

白老滑空場 データ
運用時間:9:00~17:00(夏季日没まで)
所在地:北海道白老町字北吉原
標 点:N42°32′11″E141°15′22″
標 高:13.1m
滑走路:600m×30m
磁方位:12/30
航空管制周波数 130.75

沿革
1995年05月 開設
2003年    白老キャンパス開設
2018年04月 国際航空ビジネス科、新千歳空港キャンパスへ移転

関連サイト:
日本航空学園  
白老フライングクラブ 
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鹿部飛行場 [├空港]

  2008年6月訪問 2022/11更新  


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SkyVector.com

 

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北海道茅部郡鹿部町にある「鹿部飛行場」。

トヨタ自動車(株)が所有し、朝日航空(株)が管理する飛行場です。

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正門から中を覗くとこんな感じ。

白樺が並んでていい感じですね。

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敷地に沿った裏の未舗装道路

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多分滑走路の端っこ部分

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        茅部郡・鹿部飛行場        

トヨタ自動車と日本航空が出資するエアフライトジャパン(株主:トヨタ75%、日本航空25%)が運営する民営飛行場。
運航・休憩・給油・整備施設が完備しており、非公共用飛行場としては日本最大規模。
事業内容は、操縦訓練、受託運航、航空機整備、フライングクラブ運営などで、航空ショー、ラジコン大会等イベントに使用されることも。
スカ イネットアジア、スカイマーク、IBEXエアラインズ、北海道エアシステムに訓練生が就職。
2000年にJAFAと合併し、長崎空港に訓練施設を開設、JALグループの指定訓練校となっている。
パイロット需要の低迷で、訓練希望者が減少していたらしい。

鹿部飛行場 データ
設置管理者:朝日航空
種 別:非公共用
運用可能時間:日出~日没
所在地:北海道茅部郡鹿部町字本別450-1
標 点:N42°02′42″E140°47′36″
標 高:19.2m
面 積:112ha
滑走路:890m×30m
着陸帯:1,010m×120m
磁方位:07/25
駐機場:小型機18機
航空管制周波数 
129.80(SHIKABE FLIGHT SERVICE)

沿革
1992年09月 
飛行場オープン
2000年   JAFAと合併
2011年09月 エアフライトジャパン解散
    10月 パイロット訓練事業を朝日航空と統合。飛行場の運営、管理業務がトヨタから朝日航空に移管

関連サイト:
朝日航空/鹿部飛行場  
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函館空港 [├空港]

  2008年6月訪問 2022/11更新  


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撮影年月日1963/05/09(MHO637X C2 8) 開港1年後の函館空港
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

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SkyVector.com

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国内線ターミナルビル内

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キッズコーナー

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7:30からモーニングセット利用可

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展望デッキ。

広々としたスペースで眺望も良いのですが、目線の高さにガラス板が張られています。

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展望デッキから・1

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展望デッキから・2

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国内線ターミナル

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国内線ターミナルビルに隣接する国際線ターミナルビル

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国際線ターミナルビル内部

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R/W12エンド南側にある「函館エアポートオアシス」

水の流れ落ちる音が響いています。 

ここから奥に歩を進めることが出来るようになっていて、

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進んで行くごとに水の音は静まり、代わりに野鳥のさえずりが聞こえてきます。

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「函館エアポートオアシス」の滑走路側には駐車場もあり、

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こんな場所や、

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こんな場所がすぐ近くに位置しています。

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ターミナルの反対側には「高松展望広場」があり、休息所があります。

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中はこんな感じ。

約束事さえ守ればだれでも自由に利用出来ます。

すごいですね。

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この展望広場にはこんな施設も。 

滑走路方向、ランウエイナンバー、タキシーウエイ、エプロンはほぼ実際通り。

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ウロウロしてたら、なんか急に水出てきたΣ(゚Д゚;)

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展望広場から・1

R/W12 側

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展望広場から・2

ターミナルビル方向。視界を遮るものがないです。

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展望広場から・3

エアトランセの建物も見えます。

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展望広場から・4

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展望広場から・5

サハリン航空のダッシュエイトでした。

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展望広場から・6

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展望広場から・7


       函館市・函館空港       

    ビュー:☆☆☆★★  
ターミナル3階に広い無料展望デッキあり
フェンス低く、エプロン、滑走路全域見渡せるが、ガラス張り       

    施設:☆☆☆☆★  
ターミナル前に有料駐車場あり。建物は明るくキレイ
土産物店では、ロイズチョコ、白い恋人、夕張メロンなど。ヒコーキグッズも充実している

    マニア度:☆☆☆☆★  
高松展望広場他、撮影に適した場所多い

    総合:☆☆☆☆★  
津軽海峡に面した函館市郊外にある空港
空港周辺にいくつも公園が整備されている

函館空港 データ
管理者:国土交通省→北海道エアポート
3レター:HKD
4レター:RJCH
空港種別:拠点空港/国管理空港
運用時間:7:30~20:30
所在地:北海道函館市高松町
標 点:N41°46′12″E140°49′19″
標 高:34.1m
面 積:164ha
滑走路:3,000m×45m
磁方位:12/30
エプロン(バース数):大型ジェット用3,中型ジェット用2,小型ジェット用1、プロペラ機用2,STOL機用1
航空管制周波数
・飛行場管制 函館タワー 118.35 126.20 258.30
・進入・ターミナルレーダー 函館アプローチ 119.00 121.00 258.90
・航空路管制 札幌コントロール(北海道南セクター) 120.75 119.30 134.25

沿革:
1959年04月 札幌航空保安事務所函館出張所設置
1961年04月 供用開始。航空保安事務所に昇格。札幌の管轄外となる
1976年09月 ミグ25強行着陸
2005年06月 国内線旅客ターミナルビル全面供用開始
2020年01月 15日 北海道エアポート、ビル施設等事業開始
    10月 1日 北海道エアポート、空港運営開始 

関連サイト:
Hokkaido Airports 
函館空港     
北海道開発局/函館空港      
国土交通省東京航空局/函館空港   
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この記事の資料:
新千歳市史通史編下巻


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旧奥尻空港跡地 [├空港]

  2008年6月訪問 2022/11更新  


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撮影年月日1998/07/16(HO981X C2 9) 旧奥尻空港時代
無題5.png
撮影年月日2017/07/05(CHO20173X C4 11) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成・2枚とも)

北海道の奥尻島にあった「旧奥尻空港」。

沿革にまとめましたが、旧奥尻空港は1974年に開港しました。

その後現在の新空港に移行したんですが、先頭のグーグルマップをご覧の通りで、

旧空港の上に乗っかるような形で建設が進められました。

新空港建設時も旧空港の運用を止めないようにするため、

2004年3月、まずは西側の800m滑走路が先行して供用開始。

同時に旧空港を廃止して、旧滑走路、エプロン上に新滑走路を延長する工事を行いました。

この過渡期の様子は、国土地理院の航空写真では閲覧できないんですが、

グーグルアースの 2003/9/23 にバッチリ残ってます。

この 2003/9/23 の画像をズームアップすると、

新ターミナル周辺の工事中の様子、そして旧空港では、エプロンにDHC-6 ツインオッター(?)らしきヒコーキが

駐機中という、今となっては非常に貴重なタイミングの様子を見ることができます。

新空港建設により、旧空港の中央部分はすっかり埋まってしまいましたが、

現在も残る旧空港跡を見ようと、現地をうろついたのでした。

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RWY12エンド付近(先頭のグーグルマップ青マーカー・以下3枚も)

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シェブロンマークエリア。

シェブロンマーク(黄色矢印)は「強度不足なので踏んじゃ駄目」という意味なんですが、

ホントにこのエリアだけ表面が崩れてます。素晴らしい(え) 

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新滑走路は13/31なんですが、旧は12/30だったんですね~。

D20_0018.jpg

新旧滑走路が重なる地点(黄マーカー)。

画面左の白っぽい部分が旧滑走路。右側の土手っぽい部分の上に新滑走路。

新滑走路に沿ってフェンスと砂利道が続いてます。

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RWY30エンド付近(緑マーカー・以下2枚とも)。

なんか駐車場っぽく整備されてました。

D20_0023.jpg

「滑走路の上に滑走路を造った」ということがよく分かりますね。

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空港前の通りから海側に入って行く、特に標識のない細い道。

先に進んでいくと…

D20_0025.jpg

旧空港(青マーカー・以下4枚とも)

その道の先に旧ターミナルと駐車場がまだ残ってました。

現在は地元の建設会社の建機置き場になっているようです。

D20_0024.jpg

新滑走路の盛土がすぐ後ろまで迫ってますね。

D20_0026.jpg

D20_0028.jpg

旧奥尻空港拡大.JPG
「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」 整理番号CHO-76-16
撮影年度 昭和51年度 地区名 久遠 撮影コースC5 編集・加工 空港探索とり

1976年撮影。旧空港がオープンしてから約2年後の写真です。



      奥尻郡・旧奥尻空港跡地     

旧奥尻空港 データ
管理者:北海道から奥尻町に管理委託
3レター:OIR
4レター:RJEO
空港種別:第3種/地方空港
運用時間:9:00~17:00
所在地:北海道奥尻郡奥尻町字米岡
標 点:N42°03′56″E139°26′36″
標 高:36.0m
面 積:8.3ha
滑走路:800m×25m
磁方位:12/30
航空管制周波数
・飛行場アドバイザリー
 函館レディオ 122.7(RAG)

沿革
1974年09月 9日、旧奥尻空港供用開始(滑走路800m)
    10月  奥尻~函館~札幌線就航(日本近距離航空)
1975年04月  北海道へ移管
1993年07月 北海道南西沖地震。滑走路のいたるところに亀裂が生じ復旧まで4,5日を要したが、
       ターミナルビルやエプロンに損傷はなし。救難活動の拠点として機能
1994年07月 22日、奥尻~函館線就航(エアー北海道)
1999年10月 新空港工事着手
2004年03月 18日、第Ⅰ期供用開始(滑走路800m、新ターミナルオープン)、旧空港廃止
2006年03月 25日、第Ⅱ期供用開始(滑走路1,500m)

関連サイト:
北海道/奥尻空港   
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奥尻空港 [├空港]

  2008年6月訪問 2022/11更新  


無題5.png
撮影年月日2017/07/05(CHO20173X C4 11) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)無題6.png
SkyVector.com

 

D20_0206.jpg

北海道 奥尻島南部にある「奥尻空港」。

D20_0007.jpg

空港入口手前に駐車場があり、滑走路に沿ったフェンスのところまで行く事ができます。

D20_0114.jpg

フェンスの所から・1

R/W13ファイナル・アプローチはバッチリ見通せます。

D20_0136.jpg

フェンスの所から・2

ただしご覧の通りで、R/W31側にいくにつれてフェンスがかかってしまいます。

D20_0153.jpg

フェンスの所から・3

エプロンはちゃんと立って撮影すれば障害物なし。

D20_0203.jpg

ターミナルと駐車場

D20_0199.jpg

明るいターミナル内。

D20_0197.jpg

2階展望デッキ入り口。

ソフトドリンクのカウンターがありますね。

D20_0195.jpg

展望デッキ・1

D20_0196.jpg

展望デッキ・2

D20_0192.jpg

デッキから見たエプロン

D20_0193.jpg

デッキから見たR/W31側。

D20_0194.jpg

デッキから見たR/W13側。

D20_0172.jpg

展望デッキから・1

D20_0180.jpg

展望デッキから・2

D20_0205.jpg

ターミナル横から滑走路が見えます。

フェンスに近寄ると…

D20_0204.jpg

こんな感じ。

D20_0030.jpg

R/W31付近に設置してあるVOR/DME

D20_0023.jpg

R/W31エンド。

旧滑走路と重なってます。

D20_0021.jpg

空港の海側は、R/W31エンドから滑走路に沿って砂利道が続いていて、

かなり先までいくことができます。

周囲はこんな風景。

残念ながら、滑走路はかなり高く盛土されているので見ることはできません。


        奥尻郡・奥尻空港        

    ビュー:☆☆☆☆★  
ターミナル2階の一角に無料展望デッキあり。
フェンス低く、エプロン、滑走路全域見渡せる。          

    施設:☆☆☆☆★  
ターミナル前に無料駐車場あり(17:15~8:30閉鎖)
建物は新しく、開放的で明るい。
ヒコーキの発着に合わせて一角でウニなど土産物を販売。    

    マニア度:☆☆☆☆★  
旧奥尻空港ターミナル、滑走路

    総合:☆☆☆☆★  
海岸近くの丘の上の小さな空港。 
海側には草原が広がり、陸側は静かな田園風景。
空港新設、新鋭の就航機材導入で就航率が大幅に改善
(05年度平均83%→06年度平均94.5%)
一方、機材の大型化に伴い搭乗率は大幅にダウン
(50~60%→30%強)

奥尻空港 データ
設置管理者:北海道
3レター:OIR
4レター:RJEO
空港種別:地方管理空港
運用時間:9:00~17:00
所在地:北海道奥尻郡奥尻町字米岡
標 点:N42°04′18″E139°25′58″
標 高:49.0m
面 積:54ha
滑走路:1,500m×45m
磁方位:13/31
エプロン(バース数):プロペラ機用2
航空管制周波数
 ・飛行場アドバイザリー 
奥尻リモート 122.70(RAG)
・航空路管制 
札幌コントロール(北海道南セクター)120.75 119.30 134.25

沿革:
1974年09月 空港供用開始(滑走路800m)
2004年03月 新ターミナルビル供用開始
       第Ⅰ期供用開始(滑走路800m)
2006年03月 第Ⅱ期供用開始(滑走路1,500m)
    04月 北海道エアシステム就航(サーブ340) 

関連サイト:
奥尻町/奥尻空港  
北海道/奥尻空港  
国土交通省東京航空局/奥尻空港  
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ボーロー飛行場跡地 [├空港]

  2008年4月訪問 2022/11更新  


無題4.png
撮影年月日1945/12/10(USAokinawa M22 105) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

沖縄県読谷村にあった「ボーロー飛行場」。

上陸した米軍により新規建設された飛行場です。

沿革にまとめましたが、本土空襲のために読谷飛行場でB29を運用しようとしたのですが、

地理的に拡張ができなかったため、近隣の当地にB29用の飛行場が建設されたものです。

D20_0068.jpg

(A地点)

画面奥に向かって延びている道の左側に並行して滑走路があったと思います。

D20_0069.jpg

(A地点)

海が見えます。海無し県民にとっては堪りません。

D20_0092.jpg

この写真はどの位置から撮ったか分からなくなってしまいました。

滑走路の途中のどこか。

D20_0004.jpg

ホテル日航アリビラ。

この周辺を含め、滑走路から海岸までの部分は当時、誘導路、駐機場で埋め尽くされていました。

D20_0097.jpg

(B地点)

滑走路跡と併走して伸びる道路はここで大きく左に曲がり、位置関係がクロスします。

D20_0096.jpg

滑走路の北端(と思われる)部分。 

この写真は南を向いて撮っていますので、滑走路は道路の左側にあったはずです。

ボーロー、読谷.JPG
写真:「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1977年 地区名:残波岬、高志保 編集・加工:「空港探索・とり」

1977年撮影のボーロー、読谷飛行場

ボーロー拡大.JPG 
写真:「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1977年 地区名:残波岬、高志保 編集・加工:「空港探索・とり」


     中頭郡・ボーロー飛行場跡地     

ボーロー飛行場 データ
設  置:米軍
用 途:B29による日本本土爆撃
所在地:沖縄県中頭郡読谷村字高志保
座 標:N26°25′16″E127°43′01″
面 積:395ha
滑走路:2,290m
方 位:18/36
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年04月 1日 米軍、沖縄本島に上陸。同日、読谷飛行場占拠
       日本本土をB29で爆撃するため、旧日本軍が建設した読谷飛行場の滑走路を拡張しようとしたが
       地形的に無理があり、隣接する土地に2,290mの滑走路を持つボーロー飛行場を建設した
       その後、嘉手納飛行場の拡張整備、日本敗戦及びUSAF創設に伴い、放棄
        以降、ボーロー射撃場として、戦車の砲弾演習、戦闘機、銃器の射撃演習に使用
1974年   77年にかけて7回にわたり、全施設面積の83%が返還される
1992年   瀬名波通信施設を残して全面返還
       土地改良総合整備事業による区画整理を行い、旧飛行場の痕跡はなくなる
       現在はホテル日航アリビラ及び、むら咲むら等の観光、リゾート施設、サトウキビ、紅イモ畑が広がる

ボーロー(BOLO):「なた」

関連サイト:
ボーロー飛行場
読谷バーチャル平和資料館   
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上本部(本部、上本部補助、桃原)飛行場跡地 [├空港]

  2008年4月訪問 2022/11更新  

無題3.png
撮影年月日1946/04/19(USA M57 24) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

沖縄本島の本部(もとぶ)半島にあった「上本部(本部、上本部補助、桃原)飛行場」。

「本部半島にあった」というよりも、「美ら海水族館のすぐ近く」の方がイメージしやすいと思います。

毎年大勢の観光客が美ら海水族館を訪れるわけですが、

まさかこんなすぐ側に米軍の滑走路跡が残っているとは思わないですよね。

オイラも前回来た時にはまったく知りませんでした。

沖縄に上陸した米軍により、終戦前に新規建設された飛行場です。

D20_0040.jpg

A地点(青マーカー)

まずは少しだけ滑走路面が残っているA地点。 

時々小雨が降る中だったので、こんな暗い写真になっちまいました。

周囲一帯緑や畑なのですが、ここだけパカッと開けてました。

グーグルアースの定規で測ったところ、

滑走路面は最大幅24m、最大長さ107m残っていました。

D20_0046.jpg

(A地点)

ボロボロに荒れた表面。

草も生えていて、一部土と化しているようです。

D20_0043.jpg

(A地点)

D20_0049.jpg

B地点(赤マーカー)に移動しました。

こちらは滑走路跡が大きく残っています。

一部くびれていますが、おおよそ610m×50mほど残っていました。

この滑走路の長さは資料によって、1,680m×54mだったり、1,500m×50mだったりするのですが、

幅に関してはほとんど当時のまま残っていることになりますね。

滑走路を横断する道路は普通に車で通れます。

D20_0050.jpg

C地点(黄マーカー)

現存する滑走路面の西側終点部分。 

D20_0056.jpg

(C地点)

その終点部分の反対側。

この先にも滑走路が続いていたと思うのですが。

D20_0063.jpg

D地点(緑マーカー)

滑走路東側部分はほとんど畑になっています。

それでも何かないかと、車で通れる道は全部走ってみたのですが、特に何も発見できませんでした。

そして、たまたま通りかかったのがこの小学校前。

後日作図してみると、誘導路跡でした。

米軍作成の史料で当飛行場の滑走路は1本とされているため、

滑走路の延長線から外れているココは誘導路で間違いないんですが、

1946年の写真で見るとこの誘導路、 滑走路と向き、幅は同じだし、南西側にもまるで対のように同規格の誘導路があり、

大型機の駐機場にしようとしていたのか、もしかして嘉手納のように2本目の平行滑走路とする計画があったのかも。

本部全体.JPG
写真:「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1977年 地区名:仲宗根 編集・加工:「空港探索・とり」

1977年当時の上本部飛行場跡地。

全面返還から6年後の写真ですが、まだまだクッキリと残ってますね。


        国頭郡・上本部飛行場跡地     

上本部飛行場(本部飛行場、上本部補助飛行場、桃原飛行場)データ
設置管理者:米軍(現在は防衛省自衛隊施設)
種 別:本土攻撃時の偵察機用飛行場
所在地:沖縄県国頭郡本部町字北里
座 標:N26°41′09″E127°53′24″
標 高:40m
面 積:743,000㎡
滑走路:1,680mx54m(1,500mx50mという資料もあり)
方 位:05/23
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年04月 米軍、本部半島を占領
    06月 住民を強制退去させ、本土攻撃時の偵察機用飛行場を建設
1947年   この頃飛行場拡張整備実施
       物資、弾薬集積、海兵隊のヘリや戦車の演習地としても使用されるように
1969年06月 一部返還
1971年06月 30日、全面返還
1972年05月 沖縄、本土復帰
       土地の返還が復帰だったため、 軍転特措法の適応外(現状復帰の義務を負わない)となる
       農地への復元費用として返還当時、町が6億4000万円余を米軍に要求したが、
       実際に補償費として支払われたのは、800万円余りだった
      (滑走路の下には基礎として厚さ10mのサンゴが敷かれており、復元には莫大な費用がかかるらしい)
       有効な跡地利用の手立てがないまま、現在に至る
1987年02月 P3C対潜水艦作戦センター送信所の建設計画防衛庁(当時)が発表
       地元民の根強い反対で計画は凍結状態に
2008年07月 防衛省、P3C対潜水艦作戦センター送信所の建設中止

D20_0054.jpg

(C地点)

すっかり草に覆われている闘争小屋。

当時は赤地に白文字で、「P3C基地反対 命どぅ宝」という大きな看板が掲げられていました。 

オイラが調べた範囲では少なくとも4年間、毎日ここで監視を続けていたようです。

関連サイト:
歴史の中に消えつつある飛行場を探せ!    


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浜北滑空場 [├空港]

  2007年12月訪問 2022/11更新  



静岡県浜北市、天竜川右岸にある「浜北滑空場」。

滑空場前の土手は舗装された道路になっていて、車が結構なスピードで行き交ってました。


         静岡県・浜北滑空場     

連盟サイトがハイクオリティ。一般への門戸を広く開放しています 

浜北滑空場 データ
所在地:静岡県浜北市上島地先天竜川西岸
標 点:N34°50′17″E137°49′38″
標 高:32.8m
面 積:50,000㎡
滑走路:1,000m×50m
磁方位:01/19
航空管制周波数:130.675

関連サイト:
HSR 浜北スカイスポーツ連盟
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岡崎滑空場 [├空港]

  2007年11月訪問 2022/11更新  


 

愛知県岡崎市にある「岡崎滑空場」。

土手の上の道はここで行き止まり。

土手から見た滑走路。こっち側と、

あっち側。

下りてみました。

あっち側。

こっち側。

のんびり犬の散歩をしている方がいました。

土手の反対側にあった格納庫

 


      愛知県・岡崎滑空場     

入会金(岡崎市民2万円、岡崎市以外3万円)と年会費(1.9万円)を払うと、10分以内なら1,500円で乗せてもらえる。
受け入れ度が非常に高い。クラブのサイトも非常にいい感じでした。

岡崎滑空場 データ
所在地:愛知県岡崎市八帖町字琉球島地先矢作川河川敷
位  置:北緯34度56分30秒 東経137度09分03秒
標  高:15.5m
着陸帯:長さ 1,300m 幅 35~80m
磁方位:(北向発航時)18/36 (南向発航時)02/20
運用時間:日曜日の8時から日没
周波数:岡崎フライトサービス 130.775

関連サイト:
岡崎飛行クラブ 
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岐阜基地(陸軍各務原飛行場、各務原西飛行場) [├空港]

  2007年10月訪問 2022/11更新  


無題f.png
SkyVector.com
無題4.png
撮影年月日・記載無し(97F16 C1 13) 各務原陸軍飛行場全体
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
3.png
飛行第1聯隊飛行場(昭和9年4月撮影)高度500米 方位ENE 距離2,300米
無題.png
1934年(昭和9年)4月調査資料添付地図
Translation No. 29, 20 February 1945, Airways data: Chubu Chiho. Report No. 3-d(27), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)
無題e.png

撮影年月日1945/04/05(97E5 C8 126) 西飛行場 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

岐阜県各務原市にある「各務原飛行場」。

「かかみがはら航空宇宙博物館」に隣接する空自の基地です。 

ここに飛行場を開設するに至ったいきさつを簡単にご紹介します。

国内初の飛行場は1911年に埼玉県所沢に開設しました。

ところが所沢の飛行場は手狭だったため、予備の飛行場として目を付けられたのが、ここ各務原でした。

この土地は農産物の栽培に適さず、明治時代に至るまで原野だった場所です。

■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」の中で、開場のいきさつについてこうありました。

各務原陸軍演習場の東側に続いて約9万坪の土地を買い入れ、ここを「各務ヶ原飛行試験場」とした。

演習場と併せて使う場合は4000mの距離が使用できる。

ここは所沢陸軍飛行場につぐ、2番目の滑走路であった。

■防衛研究所収蔵資料「昭和47.11.26 各務原飛行場の由来」を以下引用させて頂きます。

昭和四十七年十一月二十六日
飛行第一大隊出身那加 岡野末廣著

(前略)そこでこの各務原の演習場は特に地面平坦にして排水もよく一面に芝生が生い茂り土質は他にも珍しく飛行機の離着陸にクッション代わりになるという最適の地面をなし飛行場としての諸条件を備えているので、ここに飛行場を設置して航空隊を創設することとなり、大正四年十月から飛行場の地均し工事に着手し大正六年六月には日本最大の理想的な飛行場(百十七万五千五百七十六坪)が完成した。

同月十六日山田陸軍次官が来県して県知事以下官民を招致し飛行場開設式が盛大に挙行された。
次いで大正九年四月航空第一大隊が当飛行場に移駐するや飛行機は爆音高く我が上空を飛び回るようになり各務原は一躍時代の栄光をあびて発展の第一歩を踏み始めたのである。

その後年を重ねると共に飛行機の性能も進歩に進歩を重ねまたその後における飛行場の拡張につても地元民の理解の中で推進され今日では頑丈なコンクリートの幅広く長い滑走路やこれに伴う施設も完備し現在では総面積約百二十万坪(約四百万平方)という拡大な飛行場となった。

今日各務原といえば我が国旧陸軍航空の発祥の地であることはまぎれもない事実であり、ここに飛行場誕生までのおお方の由来を記した次第である。(以下省略)

 

その後所沢飛行場はなくなってしまったため、

2番目に作られた当各務原飛行場が「現存する国内最古の飛行場」となりました。

陸軍がここに飛行場を開設したのが1917年ですから、既に100年を超える歴史があります。

ここが飛行場として選ばれたのは、既に大部分が陸軍の使用する土地で占められていたことと共に、 

広大な平坦地であるという地理的条件からでした。

 

先頭のグーグルマップ、全体図は、

■「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」の地図から、

そして3つの滑走路、飛行地区について、西飛行場は、

■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録(内地の一部) 陸空-本土周辺-110」の「西飛行場要図」から、

中飛行場、東飛行場は、

■アジ歴 航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場(下記リンク参照)

から作図しました。

以下ずらずらと各資料の情報を記させて頂きます。

「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」

「各務原陸軍飛行場 岐阜県稲葉郡那加町 35°23′0N 136°53′0E 」

面積 東西5,000米 北南400乃至1,000米 総面積420萬平方米
地面の状況 平坦且堅硬なる芝地
目標 岐阜市、木曽川、犬山城
障碍物 なし
離着陸特殊操縦法 離着陸は東又は西方よりするを原則とす
岐阜陸軍飛行学校 陸離 左旋回、着陸 右旋回
陸軍航空廠 陸離 右旋回、着陸 左旋回
第103教育戦隊 陸離 右旋回、着陸 左旋回(原文ママ)
格納設備 格納庫 岐阜陸軍飛行学校10棟
陸軍航空廠21棟
第103教育戦隊6棟
照明設備 着陸照明燈あり
通信設備 陸軍航空無線通信所あり
観測設備 陸軍気象観測場あり、毎日航空気象を観測す
給油設備 場内にて補給可能
修理設備 完備せる施設を有す
宿泊設備 兵舎あり
地方風 (記載なし)
地方特殊の気象 冬季吹雪多し
交通関係 (記載なし)
其の他 本場は第2教育飛行団司令部、飛行第103教育戦隊、
第1航空教育隊、岐阜陸軍飛行学校及陸軍航空廠各務原
支廠にて共用す
(昭和18年4月調)
 

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

飛行場名  各務原
位 置   岐阜県稲葉軍鵜沼村
規 模   要図(東西5800 南北1000)
舗 装   一〇〇×一五〇〇米
      基礎割栗石敷厚一五糎
      表層アスファルト乳剤四糎
付属施設
 収容施設 三,六〇〇名分
 格納施設 掩体大八〇ヶ所
摘 要   施設軍有

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」(各務原西飛行場)

位置
 岐阜縣稲葉郡鵜沼村 地五ヶ村
積量
 約一七六五五九九平方米
地表の状況
 東西に向三〇〇分の一の勾配あり未だ凸凹の個所あり 排水
 係不良なり
天候気象の交感
 当南方に存在する三井山に依る南端の風吹走するの外(朝夕)は晴天
 なる日は西風卓越し之を以て恒風とす 四季を通じ妨害と
 なるべき気象現象なし、最高平均二六・ニ最低気温
 平均一・六度風速一米を越ゆること稀にして霧煙等の影響少なし
格納施設
 二六一六平方米二、一三二〇平方米一、一七二二平方米二
居住施設
 兵員収容力 七〇〇名
交通連絡の状況
 国鉄高山線那加駅名鉄各務原線運動場前駅
営外者住宅関係
 岐阜市犬山町鵜沼村に大部分居住
其の他
 (記載無し)

■「各務原西飛行場記録」

判決 自重一五屯以下の飛行機の使用に適す
飛行地区
滑走地区 一,二〇〇x一〇〇米張芝□圧
舗装路 なし
土質 粘土質土砂/交り?
地表面の状況 表面張芝にして地耐力可なり
周辺の障碍物の有無 なし
付属地区
誘導路 なし
宿営 木造兵舎四棟あり(二,〇〇〇名収容可)
夜間着陸設備 なし
動力線 なし
電灯線 あり
給水 あり
其他
風向 西風


日本を形容して用いられる「技術立国」、「モノ作り大国」という言葉は、

特に東海からこの周辺地域に負う分部が大きいと思います。

各務原飛行場が単なる飛行場ではなく、戦前戦後を通じて航空技術開発の中心地であり続けたのは、

ここがそんな場所にあったからでしょう。

当飛行場について詳細に扱っておられる某サイト様は、ここを称して、

「歴史は地勢によって作られる」という名言を記していました。

まさに仰る通りと思います。 

赤マーカー地点(以下同)。

F-15とF-2が黙々とタッチアンドゴーを繰り返してました。


         岐阜県・各務原飛行場          

・各務原飛行場(陸軍当時) データ

設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:岐阜県稲葉郡那加町
標 点:35°23′0N 136°53′0E
飛行地区:東西5,000m 北南400~1,000m
面 積:420ha

・各務原飛行場(現在) データ
設置管理者:防衛省
4レター:RJNG
種 別:軍用
運用時間:6:00~22:00
所在地:岐阜県各務原市那加官有地無番地
標 点:35°23′0N 136°53′0E
標 高:39m
面 積:3,974,056㎡
滑走路:2,710m×46m
磁方位:10/28
航空管制周波数
・飛行場管制 
 タワー 120.1 122.0 126.2 236.8 307.0
 グランド 275.8
・進入・ターミナルレーダー管制
 アプローチ 120.3 362.3
 ディパーチャー 120.7 261.2

沿革
1876年    陸軍砲兵演習場開設
1915年10月 着工
1917年06月 16日 飛行場開設式(1,175,576坪)
1918年    陸軍飛行第2大隊所沢から移駐(陸軍航空部隊の拠点の1つに)
1920年04月 航空第1大隊が移駐
1923年    川崎造船各務原分工場完成
1945年    接収
1957年    一部返還 航空自衛隊が使用     
1958年    全面返還

関連サイト:
中、東飛行場 航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場(アジ歴)  

この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録(内地の一部) 陸空-本土周辺-110」
防衛研究所収蔵資料「昭和47.11.26 各務原飛行場の由来」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


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名古屋飛行場(県営名古屋空港、旧陸軍名古屋北、小牧飛行場) [├空港]

  2007年10月、2023年5月訪問 2023/8更新  


無題0.png
撮影年月日1945/04/06(97K11 C3 98) 
無題b.png
撮影年月日1947/10/13(USA M550-1 75) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成・2枚とも)無題6.png
SkyVector.com

愛知県の「名古屋飛行場」。

元々は陸軍の「小牧飛行場」でした。

上に貼った1枚目の写真は1945年4月撮影なので、日本陸軍当時のもの。

先頭のグーグルマップは、この写真から線を拾って作図しました。

陸軍当時の滑走路は現在よりも向きが南北方向だったんですね。

2枚目の写真は米軍に接収された時期のもの。

滑走路位置、方向は現在のものとピッタリ同じです。

接収当時に新規建設した滑走路を拡張して現在に至ります。

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

に当飛行場の情報がありました。

飛行場名  名古屋北
位 置   愛知県東春日井郡豊山村
規 模   要図(東西1800 南北1900)
舗 装   六〇×一五〇〇米
      基礎砂利圧入一部栗石敷
      表層セメントコンクリート
      約八糎
付属施設
 収容施設 六〇〇名分
 格納施設 掩体有蓋小 二〇棟
摘 要   施設軍有

飛行場名が「名古屋北」とありますね。

この名称はこの資料で初めてお目にかかりました。

空港前の駐車場は車でギッシリなのに…

ターミナル前の通りにはだれもいません。

ターミナル内もこの通り。

実はオイラが行った日にF‐2の事故があり、滑走路が閉鎖されていたのです。

一方、非常に細長いエプロンの南端にはこんな建物が。

セントレアができるまでわずか6年しか使用しなかった旧国際線ターミナル

現在はエアポートウォーク名古屋に。

R/W34エンドにある公園「エアーフロントオアシス」

公園内の「離着陸体感広場」から見た滑走路。

こんもりと高くなっていて、滑走路がやや見下ろせるようになっています。

ヒコーキが飛んでたら、いい眺めなんでしょうね~。

ここのベンチは年配の方たちが多勢利用してました。

1つ上の写真にも写ってますが、この4つ並んだ赤い光はPAPIといい、

赤4つ~白4つまでの色の変化で、着陸しようとしているパイロットに進入角が適正かどうかを示すためのものです。

着陸時直前に映し出される機内のモニターでも見ることができ、ヒコーキマ○アは必ずチェックしているはずです。

写真では赤4つに見えてますから、進入角が低過ぎであることが分かります。

公園には無料駐車場も完備。

午後4時前という時間帯がのせいか、外回りの人たちの休憩が多かったです。

公園前の陸橋から見ると、周辺はこんな感じ。 

 

小牧基地内に現存する掩体壕

2014年3月にカンクリさんからお写真を頂きました。転載許可頂きましたので、ここに掲載させて頂きます。

カンクリさんどうもありがとうございましたm(__)m

IMG_2529.jpg

IMG_2530.jpg

IMG_2532.jpg


(以下2023年5月撮影)

DSC_0128_00001.jpgDSC_0129_00001.jpg

開発が順調に進んでいれば、今頃全国各地の空港でこう、

スペースジェットが当たり前にゴロゴロと駐機していたはずなんですけどね~。

DSC_0130_00001.jpgDSC_0131_00001.jpgDSC_0132_00001.jpg

名古屋空港の展望デッキはご覧の通りで一段高くなっててワイヤーが貼られているだけなので、

大砲でなければ撮影には特に支障なしです。

素晴らしい!!

是非今後もこの調子で!!

DSC_0135_00001.jpg


        愛知県・名古屋飛行場      

    ビュー:☆☆☆☆★  
ターミナルビルに展望デッキなし。
空港南端のエアーフロントオアシス最高。
北端の神明公園からの眺めもよい(らしい)。

    施設:☆☆☆☆★  
ターミナル前に有料駐車場あり。
JAL(ジェイ・エア運行便)利用者は駐車場1週間無料
ターミナルは、出発、到着共に1階で行うようになっており、小ぢんまりとまとまっている感じ。
職員さん親切。 
レストラン、売店、土産物品あり

    マニア度:☆☆☆☆★  
エアーフロントオアシス
神明公園/航空館boon
小牧基地 

    総合:☆☆☆☆★  
旧空港にあった「名古屋空港航空宇宙館」は閉館になってしまい非常に残念だったのですが、神明公園(R/W16エンド西側)の航空館boonに借用していて返還した以外のものが展示されました

・陸軍小牧飛行場 データ
所在地:西春日井郡豊山村
主任務:教育
滑走路:1,500mx60m舗装(陸軍飛行場便覧より)
方 位:16/34

・名古屋飛行場 データ
設置管理者:愛知県
3レター:NKM
4レター:RJNA
空港種別:その他の空港
運用時間:7:00~22:00
所在地:愛知県西春日郡豊山町
標 点:N35°15′18″E136°55′28″
標 高:14.0m
面 積:165ha
滑走路:2,740m×45m 
磁方位:16/34
航空管制周波数
・飛行場管制 
 名古屋タワー 118.70 122.70 126.20
  名古屋デリバリー 121.75
 名古屋グランド 121.70
・進入・ターミナルレーダー管制
 セントレアアプローチ 119.175 121.05 125.55
 セントレアディパーチャー 120.00
・航空路管制
 東京コントロール(東海セクター)123.90 125.60
 東京コントロール(三河セクター)125.70 125.60
・TCAアドバイザリー
 セントレアTCA 119.25 121.175

沿革
1942年05月 陸軍、名古屋地方防空飛行場として小牧飛行場の建設に着手
1944年02月 1日 陸軍小牧飛行場として建設(滑走路1,500m)
1945年09月 12日 米軍に接収
       逓信院航空保安部小牧駐在所設置。終戦連絡定期飛行場となる
    10月 21日 GHQの指令によりラジオビーコン24時間運用再開
1946年02月 終戦連絡定期航空中止
    07月 11日 GHQ、通信所の設置・運営を指示
       米軍が整備拡張に着手
1947年05月 1日 逓信省航空保安部名古屋支所設置。米軍基地として使用開始
1950年06月 1日 電気通信省の外局として航空保安庁を設置、航空保安事務所開設
1951年10月 日本航空、定期便の運航開始を前にマーチン202でテスト飛来
       22日 日本航空、羽田~小牧~伊丹他5ルートの路線免許取得
1952年03月 1日 小牧航空測候所運用開始
       10日 GHQ、軍用機を除き航空機の出入国管理権を移譲
       11日 日本航空、名古屋出張場開設
       20日 日本航空、マーチン202で羽田~小牧~伊丹運航開始
1953年03月 23日 中日本航空、小型機使用事業を開始
    04月 3日 臨時ターミナルビルを旧41号線(現・県道名古屋犬山線)沿いに建設
1954年03月 1日 日ヘリ、羽田~小牧~伊丹定期便運航開始。機材はヘロン(14人乗り)
    06月 21日 中日本航空、伊勢~小牧~豊橋不定期便運航開始。機材はセスナ170B
    11月 25日 極東航空、小牧に寄港開始
          日ヘリ、羽田~小牧線に郵便貨物搭載開始
1955年08月 5日 日本政府、米軍5飛行場(小牧、立川、横田、木更津、新潟)拡張の必要性を声明
1956年04月 20日 「航空整備法」制定
1957年04月 22日 名古屋空港ビル設立
    05月 7日 ターミナルビル着工(飛行場西隅国有地)
    06月 13日 中部飛行協会発足
    07月 空港アクセスとして、バス輸送開始(1日9回運行)
    09月 16日 ターミナルビル竣工(羽田に次いで全国2番目)
1958年06月 米軍による整備拡張完成。滑走路2,740m
    07月 11日 中日新聞格納庫竣工
    08月 11日 小牧飛行場の管理等に関する覚書で運輸省と防衛庁の共同使用決定
    09月 15日 米軍より正式返還
    12月 18日 名古屋空港協議会発足
1959年   小牧航空測候所、名古屋航空測候所に改称
    05月 1日 小牧基地に航空自衛隊第三航空団発足
    09月 伊勢湾台風被害による救援物資運搬
1960年02月 6日 航空法に基づき名古屋空港設置告示
    03月 16日 全日空DC-3と空自F-86接触、死者3名
    04月 1日 政令第87号、小牧飛行場を名古屋空港と改め、第2種空港に指定
    05月 1日 名古屋空港開港
1961年05月 16日 空港ビル増築竣工式
1962年07月 11日 YS-11の1号機、三菱重工小牧工場で完成
    08月 25日 YS-11の1号機、地上滑走試験実施
        30日 YS-11の1号機、初飛行
1963年08月 23日 官民合同の新国内線ターミナルビル着工
1964年04月 4日 管制塔を含む官民合同の名古屋新ターミナルビル竣工
       10日 新ターミナルビル供用開始
1965年05月 10日 空港整備移管事業により、土木工事は港湾建設局が担当。本格的な空港整備始まる
    09月 1日 管制塔が新庁舎の屋上に移転、運用開始
    11月 キャセイパシフィックの乗り入れと、日本航空国際線乗り入れ決定
1966年03月 9日 小牧市議会、日本航空、キャセイパシフィックの国際線運行中止要請を決議
       11日 キャセイパシフィック定期便運航開始(小牧~伊丹~台北~香港)
    04月 1日 大蔵省閣議において、名古屋空港の開港を指定、税関空港になる
       2日 日本航空国際定期便就航(羽田~小牧~福岡~台北~香港)
       19日 入国管理令施行規制の改正により小牧を出入国港に指定
     10月 6日 国際線専用施設の増改築工事に着手
1967年02月 2日 春日井市議会、名古屋空港と小牧基地の撤去要求を決議
     03月 15日 CIQビル竣工
     04月 18日 名古屋空港ビル、国際線専用ターミナルビル竣工
     05月 9日 運輸省と防衛施設庁の間で騒音対策の覚書協定を締結
     06月 1日 名鉄バスセンター開業。空港路線バスの起点となる
     09月 1日 植物防疫法の一部改正により小牧を植物輸入港に指定
1968年04月 1日 法務省名古屋入国管理事務所名古屋出張所を設置
     05月 1日 ILS導入。国内では羽田に次いで二番目
     09月 小牧発となるYS-11定期便就航(全日空小牧~宮崎~鹿児島)
1969年12月 20日 国内線用ターンテーブルを1基設置
1970年03月 大阪万博郵送一番機到着。エールフランスB707
     06月 10日 検疫法施行令一部改正。小牧を検疫空港に指定
     08月 札幌、羽田、小牧、伊丹、福岡、宮崎、鹿児島の主要7空港に凶器発見機設置
1971年02月 1日 家畜伝染病予防法施行規則改正により指定検疫物の輸入港に指定(動物検査)
     04月 7日 旧国内線ターミナルビル3階を増築、空港展示室移設
     07月 国産初の超音速高等練習機XT-2型初飛行
       航空自衛隊F-4EJファントム2機が小牧着、隣接する三菱重工で引き渡し式
     10月 29日 国際航空宇宙ショー開幕(~11月3日まで)
1975年03月 ターミナルビルの拡張工事を開始
     04月 農林省 動物検疫所名古屋支所名古屋空港出張所設置
     05月 15日 国内線貨物ターミナル新築。国際線ターミナルビル北側。貨客分離
     08月 保税物品販売の営業開始
     12月 3日 国内線ターミナルビルの増改築工事完成。初のボーディングブリッジを3基設置
1977年05月 30日 三菱F-1支援戦闘機の1号機初飛行
     07月 1日 ターミナルビル前面駐車場営業開始
     08月 ATIS運用開始
1978年05月 16日 国内線貨物ビル南側隣接地に国際線貨物ターミナルビル新築。一部国内線用
1979年01月 16日 滑走路下を横断する大山川改良工事着工
     03月 30日 国際線ターミナルビル暫定施設増設(出国待合室、VIPルーム等)
     04月 1日 騒音対策事業が防衛施設庁から運輸省へ移管
     04月 2日 運輸省第五港湾建設局名古屋港工事事務所空港分室設置
     05月 2日 航空機騒音防止法に基づく特定飛行場に指定
     07月 10日 航空機騒音防止法に基づく区域指定を実施
1980年08月 26日 F-15Jノックダウン生産1号機初飛行
1981年03月 国際線ターミナルビルの増改築工事に着手
        31日 大山川改修工事完了
     07月 15日 (財)名古屋空港周辺環境対策協力会設立
1982年03月 23日 国際線ターミナルビル増改築工事完成。外貨両替所新設
       30日 航空機騒音防止法第1種区域の見直しで周辺民家防音工事の助成対象は1万68戸から2万584戸に
     12月 25日 エプロン増設、総面積は約15万6548㎡
1983年12月 22日 滑走路改良、供用開始。2,361mから2,740mへ
1984年04月 1日 エプロン増設、総面積19万1644㎡
     08月 7日 新国内線ターミナルビル着工
     10月 1日 エプロン増設、総面積20万3194㎡
1985年06月 名古屋航空測候所気象レーダー塔運用開始
     07月 20日 新国内線ターミナルビル完成。国内・国際線ビルの分離
     10月 24日 ターミナルレーダー情報処理システム(ARTS)の新航空交通管制施設運用開始
1987年03月 31日 国際線ターミナルビル大規模増改築。100万人対応
     04月 1日 エプロン増設、総面積21万3447㎡
     07月 20日 新国内線ターミナルビル増築
     09月 9日 国内線貨物代理店棟と国際線貨物棟ビル完成
1988年03月 15日 名古屋エアケータリング設立。10月営業開始
     07月 28日 小型機レーダーシステム運用開始
     09月 1日 国内線駐車場改良。収容台数1,317
     10月 6日 国内線南第二事務所棟新築
1989年02月 9日 高速脱出誘導路完成(北側、W-5)
       15日 「なごや観光100選」に航空宇宙館と名古屋空港が選ばれる
     07月 4日 国際線出発ビル改修工事完成
     10月 20日 国際線駐車場を2層化改良。収容台数551
1990年08月 30日 名古屋空港の有効利用措置として「名古屋空港ターミナル地域暫定整備基本計画」をまとめる
       31日 国内線貨物ビル新設。従来の国内・国際線共用貨物ビルは、国際線専用に改築
     11月 6日 英語に加え、ハングル・中国語の案内表示板設置、案内リーフレットも作成
1991年03月 22日 国際線ターミナルビル到着ビル改修工事完了。300万人対応
     04月 1日 エプロン増設、総面積23万2797㎡
       2日 国内・国際線両ターミナル間を結ぶ無料シャトルバス導入
       26日 県道名古屋・岩倉線と空港北の国内線ターミナルビル側周回道路を結ぶ進入道路供用開始
     07月 1日 国際線到着ビルに名古屋空港警察署が開署
     10月 1日 エプロン増設、総面積25万5717㎡
     11月 1日 エプロン増設、1スポット供用開始、総面積26万4104㎡
     12月 15日 小型機用誘導路完成、供用開始
1992年03月 4日 国際線貨物ターミナルビル増改築工事完成。年間処理能力6万トン
     04月 1日 エプロン増設、1スポット供用開始。総面積26万5752㎡
       16日 国内線南第三事務所棟新築
     10月 31日 エプロン増設、1スポット供用開始、総面積27万4140㎡
     12月 21日 国内線南第一事務所棟新築
       国際線貨物ターミナルビル(輸出棟)新築。年間処理能力6万トン。従来施設は輸入棟に
1993年02月 1日 Air-NACCS(航空貨物通関情報システム)稼働
     03月 1日 「ステップアップ3」実施。全館原則禁煙、授乳室設置、トイレ高級化等
     04月 国内線駐車場改良、収容台数1,421台
       21日 臨空公園「エアフロントオアシス」完成
     08月 13日 国際線ターミナル地域の南側約10.2ha拡張整備開始
     10月 29日 南側地域用地買収の同意を受け、航空法に基づく空港整備着手を告示
     12月 国内線ターミナルビル前の車線規制開始
       6日 国際線ターミナルビルの出発施設増改築工事着手
1994年04月 26日 中華航空140便墜落事故
       ミュンヘン空港とマーケティング協定を締結
     12月 1日 出国待合室内に”ラウンジナゴヤ”開設(2階)
       20日 国内線ターミナルビル南北上屋延伸工事完了。バス乗車場6バース増設、風除けスクリーン設置
1995年03月 緊急車両用「新南門」完成
       22日 国際線ターミナルビル出発施設増改築。350万人対応
       空港関係各社の女子社員寮「メゾン・ハイスカイ」完成
       31日 名古屋空港事務所及び気象庁名古屋航空測候所庁舎完成
     04月 1日 カード会社専用ラウンジ”飛翔”開設(国際線出発ビル3階)
       5日 名古屋空港事業(株)設立
       27日 臨空公園「エアフロントオアシス」完成
     06月 19日 国内線ターミナルビルに名古屋空港内郵便局開設
     09月 20日 名古屋高速道路開通。名駅バスセンター~空港間が28分に短縮
1996年03月 29日 名古屋空港周辺市町協議会発足。新空港開港後のあり方について検討が始まる
     07月 10日 国内線2階売店を全面改装(スカイショップ・ドメシーと呼称)
          国内線有料待合室改装(有料ラウンジ「翼」と呼称)
       18日 国際線出国待合室内の”ラウンジナゴヤ”、3階に増設
     11月 17日 国際空港評議会(ACI)に加入
       20日 国内線ビル前道路の一般車通行帯の3車線化及び接車帯の屋根掛け工事完了
       21日 名古屋空港南部ターミナル地域拡張整備事業着手(起工式)
     12月 5日 開港以来初となる大型化学消防車配備
1997年02月 20日 消防庁舎完成
     03月 31日 国内線駐車場2層化工事完了。収容台数1,836台
     06月 17日 新国際線旅客ターミナルビル着工(既設国際線ビル南隣接地)
     08月 1日 国際線用エプロン増設、2スポット供用開始、総面積30万6657㎡
     09月 30日 名古屋空港将来構想検討会議発足。新空港開港後の空港活用、周辺地域振興基本構想策定着手
     11月 7日 国際線用エプロン増設、1スポット供用開始
1998年03月 31日 高速脱出誘導路完成(南側、W-3)
     07月 23日 国際線駐車場(P1)の南側に第2駐車場(P2)供用開始。収容台数294
       31日 空港南側場外に従業員駐車場造成、整備。370台収容
1999年03月 28日 国際線用エプロン増設、1スポット供用開始、総面積33万5637㎡
     04月 2日 国内線ターミナルビル増改築工事着手。700万人対応
       8日 新国際線旅客ターミナルビル竣工式。既設国際線ビル南隣接地に地上5階建。450万人対応
       9日 新国際線旅客ターミナルビル供用開始
       26日 名古屋空港将来構想検討会議が「名古屋空港の活用及び周辺地域振興基本構想」を公表
2000年03月 30日 名古屋空港の活用及び周辺地域振興基本構想推進会議発足
2002年04月 12日 名古屋空港協議会にコミューター推進委員会を設置
     05月 17日 GA空港計画検討会議発足
     10月 4日 GA空港計画検討委員会を設置
2003年03月 18日 GA空港基本計画検討委員会、「名古屋空港新展開の基本計画について」とりまとめ。
          座席数60席以下のコミューター拠点化、広域防災機能等加えた都市型総合空港として位置付け
       27日 愛知県、「名古屋空港新展開の基本計画について」を基に「名古屋空港新展開基本計画」策定
     11月 28日 名古屋空港利用促進協議会と日本貿易振興機構、「開国!国際ビジネス機特区」を政府に提案
2004年02月 20日 構造改革特区本部決定。外国籍航空機離着陸許可の申請期間短縮に係る省令2件を含む規制緩和
     03月 1日 「ビジネス航空会議・名古屋2004」開催
     04月 15日 飛行場設置許可申請書を国土交通省に提出
     07月 2日 「愛知県名古屋飛行場条例」、「愛知県名古屋飛行場の指定管理者の指定に関する規則」公布
     09月 1日 国土交通省、飛行場設置許可
     10月 31日 航空宇宙館閉館
2005年01月 28日 県営名古屋空港協議会設立
     02月 2日 国土交通省が飛行場の供用開始期日を告示
       16日 名古屋空港としての最終日。セントレア開港に伴い国際線ターミナル閉館
       17日 県営名古屋空港開港。開港式典開催。ジェイ・エアが県営名古屋空港を本拠地とする
     08月 1日 ビジネス機ターミナル(CIQ審査室等)の改修工事完了、供用開始
     11月 24日 フィンガーコンコース完成。供用開始
2007年02月 6日 「ビジネス航空フォーラムin愛知」開催
     10月 31日 F-2離陸失敗炎上事故
     11月 22日 「ビジネス航空体験フェア」開催
2008年08月 7日 第2駐車場供用開始。収容台数593
     10月 21日 エアポートウォーク名古屋オープン(旧国際線ターミナルビル)
2009年04月 1日 飛行場安全管理システム(SMS)運用開始
2010年02月 17日 マスコットキャラクター「なごぴょん」誕生
          県営名古屋空港開港5周年記念式典及びビジネスシンポジウム開催
2011年01月 28日 ジェイ・エア、本社所在地を名古屋空港から伊丹空港近隣に移転と発表
     03月 26日 小牧におけるジェイ・エアの運航終了
2017年11月 30日 あいち航空ミュージアム、MRJミュージアムオープン
2021年03月 三菱航空、ターミナルビル内の本社退去
2023年08月 三菱航空本社跡、空飛ぶクルマや産業用ドローンを手がける新興企業2社が活用へ

関連サイト:
県営名古屋空港    
国土交通省大阪航空局/名古屋飛行場   
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この記事の資料:
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三保飛行場 [├空港]

  2007年10月訪問 2023/4更新  


 
静岡県静岡市にある「三保飛行場」。

道沿いからもヒコーキが見えました。

松林の通りからちょっと中に入ると、すぐ飛行場。

バスのフロントガラスの文面:
「当飛行場は救難活動を目的として設置した飛行場でありますので設置目的以外に使用するお申し出はお断りいたします。社団法人 日本飛行連盟」 

ということで、こういう小さな飛行場によくある遊覧飛行の看板などは一切ありませんでした。 

飛行場百態。 。。

2023/4/23追記:現在当飛行場は静岡県に移管しており、バスも撤去されているそうです。

駐機場から滑走路への入口

R/Wエンド。

こちら側のエンドは地元の釣り人が海岸に下りる通り道。

反対側のエンドに移動中。

駿河湾がすぐそこ。


        静岡県・三保飛行場     

この飛行場が(社)日本飛行連盟の管理だった当時、この飛行場は赤十字飛行隊の訓練基地でした。当飛行場を離着陸するヒコーキはすべて飛行隊登録機。

赤十字飛行隊とは:日本赤十字本社直轄の特殊奉仕団で、小型航空機を使用して日本赤十字社が行う災害救護などに無償で協力することを目的としています(下記サイト参照)

…と書くと、堅苦しくて近寄りがたい雰囲気ですが、飛行場入口側は地元の釣り人の往来がありますし、サイクリングロードにもなっていますので、うろうろしていても全然怪しくないです。

反対側はかなり微妙ですが…。

日頃から技量維持のための訓練飛行を実施し、その際陸上、海上のパトロールも行ったのだそうです。

三保飛行場 データ
管理者:静岡県静岡土木事務所
所在地:静岡県静岡市清水三保
標 点:N35°00′50″E138°31′50″
標 高:2.7m
面 積:38,672㎡
滑走路:500m×20m
磁方位:15/33
航空管制周波数:123.5

沿革
1968年02月 災害救助以外の目的では使用しないという条件つきで使用許可

2022年04月 1日 (社)日本飛行連盟から静岡県に移管。初夏バス撤去

関連サイト:
国立国会図書館デジタルコレクション/THE PORT OF SHIMIZU (19コマ~地図あり) 
国土地理院 1948年9月当時の写真(USA R1807 2)  
移管告知 


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富士川滑空場 [├空港]

  2007年10月訪問 2022/11更新  



静岡県蒲原町、富士川沿いにある「富士川滑空場」。

滑空場は河川敷内にあり、上の写真のところからスーパー堤防を越えないといけません。

周辺に標識はなく初めてだと行きにくいのですが、この場所の向かい側には…

赤い屋根のこんな建物があるので目印になります。 

堤防の上に上がるとこんな景色。

総合運動公園になっていて、滑空場は写真奥にあります。

(これは別の日の写真)


       静岡県・富士川滑空場     

天候さえ良ければ毎週のように飛んでいるそうです。とにかく富士山の麓というロケーション最高! 

富士川滑空場 データ
管理者:静岡県航空協会
所在地:静岡県蒲原町蒲原向島 富士川右岸河口
標 点:N35°07′00″E138°38′00″
標 高:5.0m
滑走路:850m×68m
磁方位:18/36
航空管制周波数 130.775

関連サイト:
静岡県航空協会    
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福島飯坂地区農道離着陸場(ふくしまスカイパーク) [├空港]

  2007年10月訪問 2022/10更新  



福島県福島市にある「ふくしまスカイパーク」。

全国にある農道空港の中でも非常に活発に活用している飛行場です。

流石に標識が立派です。

ここから曲がりくねった一本道を登っていくと、ふくスカ。 

「空の駅 Wing cafe」というのが非常に気になります。

途中にあった標識。

どんどん登っていきます。

到着~。

山の頂上にある飛行場です。 

陽も出てきましたが、残念ながらすごい霧です。

キレイな駐車場完備

機体展示場でした。

機体展示場入り口の張り紙。 

4月~12月まで、土日、祝日の10:00~16:00 オープンだそうです。

ヒコーキ、写真、模型が展示されています。 

 

■■おしらせ■■
今回はスケジュール的に早朝の時間にしか行くことができず、本当に少し覗いて帰る程度になってしまいました。ここふくスカは、我らがカンクリさんの地元です。ふくスカの魅力については、カンクリさんのブログを是非ご覧くださいませ。
カンクリのミ~ハ~Days:ふくスカ関連記事

本当はまだまだ素敵なふくスカ記事がたくさんアップされてますので、是非こちらでふくスカの魅力をごらんください。

カンクリさんのをとめちっくな愛情溢れる記事と、素敵な写真満載で楽しいですヨ! (カンクリさん、ありがとうございました)


      福島県・ふくしまスカイパーク    

ふくしまスカイパーク データ
管理者: 特定非営利活動法人ふくしま飛行協会
種 別:場外離着陸場
運用時間:8:30~17:00  12月29日から3月31日までは冬季閉場
所在地:福島市大笹生字苧畑
標 点:N37°49′12″E140°23′27″
標 高:402m
滑走路:800m×25m
磁方位:14/32
航空管制周波数
ふくしまフライトサービス 130.675

沿革
1998年   開場
2003年   福島県から福島市に施設委譲
2006年   農産物空輸促進協議会解散
       福島市からNPOふくしま飛行協会へ施設管理の委託
2018年10月 航空機展示場落成(室屋氏の訓練拠点)

関連サイト:
NPOふくしま飛行協会 
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角田滑空場 [├空港]

  2007年10月訪問 2022/10更新  



宮城県角田市にある「角田滑空場」。

阿武隈川左岸側河川敷内にあります。

道沿いに目立つ案内がありました。

2006年9月に青年部が作成した「ウエルカムゲート」だそうです。

裏から見たところ。

案内に従って畑の中の道を入ります。

この土手の向こう側に滑空場があるのですが…霞んでます。

ハイ、この写真を見て、(アレ、滑走路か??)と思った方。

ちょっと症状が深刻になりつつあります。

引き返すなら今のうちです。

そして、(あ、滑走路だ!!)と思った方。

もう手遅れです。諦めましょう

土手を登りきったところに標識が出てました。

親切です。

5:50 滑空場入り口到着。

ご夫婦で、犬と一緒に、この土手道を散歩している方が何組かいました。

正真正銘の角田滑空場全景(奥が霞んでますけど)。

通常ランウエイナンバーを表示する場所にHマークがペイントされてます。

ヘリポートも兼ねてるんでしょうか??

河川敷に下りました。

滑走路に通じる道。

残念ながら部外者が近寄れるのはここまででした。


      宮城県・角田滑空場     

オイラが個人的に行った滑空場はこれで7つ目(まだ記事にしていないものを含めると九つ目)なのですが、ここはかなり受け入れ度高いです。尤も、一口に滑空場と言ってもその実態は、自治体の福祉施設から、仲間内の趣味でやっている私的なもの、大学の航空部が所有しているものなど、性格にかなり幅があります。これは利用客がいてはじめて成り立つ空港とは異なる点で、オイラのようなフラリと見て帰るだけの人間は、「近くから見させていただければ有難い」というスタンスで行くべきなんだろうなと思いました。 

角田滑空場 データ
管理運営者:宮城県航空協会
所在地:宮城県角田市佐倉字中川原(阿武隈川左岸)
標 点:N38°00′22″E140°48′17″
標 高:10m
滑走路:簡易舗装滑走路 400m×8m 草地滑走路 1200m×30m
磁方位:14/32
航空管制周波数
 角田フライトサービス 130.80

沿革
1994年 7月 占有許可
1999年 本格的に活動開始
2000年 第1回「スカイスポーツフェスティバル」(その後も体験飛行会を開催)
2004年 スカイネット角田 発足
      第1回 エアロバティックジャパンINかくだ 開催 
2005年 エアロバティックジャパンINかくだ2005 開催
2006年 エアロバティックジャパンINかくだ2006 開催
2007年 エアロバティックジャパンINかくだ2007 諸般の事情により開催なし

関連サイト:
宮城県航空協会/角田滑空場  
角田市/角田滑空場 
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栗原瀬峰場外離着陸場(セミネ飛行場) [├空港]

  2007年10月訪問 2022/10更新  



宮城県栗原市瀬峰藤沢にある「栗原瀬峰場外離着陸場」。
 
「セミネ飛行場」、「栗原飛行場」とも呼ばれています。
 
県の中心地から離れ、山間部にある飛行場ですが、そのため3.11地震の際には、
 
津波で水没した仙台空港に代わり、活動拠点として活用されました。
 
現在、ドクターヘリをはじめとして、ゼネアビ空港として様々な方面で活用されている飛行場です。
 
仙台空港は民営化で今後ますます旅客機の発着が増え、個人企業の小型機の運用が難しくなることが予想されます。
 
仙台空港の北北西約60kmに位置する当飛行場を使用させて欲しいという問合せも多くあるのだそうで、
 
大型機は仙台空港、小型機は当飛行場という住み分け、
仙台空港の予備施設としての活用はまだまだ増えると見込んでおり、
 
滑走路延長、周辺道路整備といった構想があるのだそうです。

山また山の山村を走り続け、

飛行場とはまったく関係ない会社に通じる道かと思うような細道を上って行ってやっと到着。

飛行場は柵で囲われ、施錠しているのですが、代表の方に快く中に入れていただくことができました。

アスファルトの隙間から雑草が生えています。

滑走路の全長は440m。 

周囲は山々に囲まれており、着陸にはコツが要るのだそうです。

格納庫、施設など。

オイラがお邪魔した時に外に駐機していたのはこの1機だけでした。


      宮城県・瀬峰場外離着陸場     

南南東約5kmにあった旧陸軍の四壇原飛行場目当てで当飛行場に来る方がおられるそうです

瀬峰場外離着陸場(セミネ飛行場) データ
管理者:東日本パイロット協会 佐々木逸馬氏
空 港:場外離着陸場
所在地:宮城県栗原市瀬峰藤沢字小深沢
標 点:N38°40′48″E141°01′18″
標 高:52.1m
滑走路:440m×17m
磁方位:15/33
航空管制周波数 122.6

沿革
1976年05月 21日 開港
1977年05月 21日 高松宮親王飛行場訪問
1978年11月 11,12日 ゼロ戦飛行
2011年03月 11日 東日本大震災。仙台空港が水没壊滅状態となったため、活動拠点として使用される
2016年10月 28日 ドクターヘリ運航開始

関連サイト:
東日本パイロット協会 
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四ツ小屋滑空場 [├空港]

  2007年10月訪問 2022/10更新  


無題5.png
撮影年月日1994/05/24(TO942 C7 28) 活動していた当時の四ツ小屋滑空場
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

秋田県秋田市にある「四ツ小屋滑空場」。

雄物川右岸河川敷にあります。

場所確認のためにネットでいろいろ調べたのですが情報限られており、

大体この辺であろうと見当をつけ、辿り着いたのが上の写真の土手。

周囲は田んぼと畑とススキの原っぱばかり。

滑空場は河川敷内にあることが多くて見つけにくいのですが、

それでも案内標識、現場に標識が立っていることが多いです。

ここは滑空場の「か」の字も出てきません。

上の写真の標識に「四ツ小屋」の文字が入っているので、かろうじて場所が確認できるという状態でした。

しばしウロウロしたのですが、皆目見当つかないので土手で休んでいるお年を召したご夫婦に聞いてみることに。

すると、

「今は使ってないけど、ちょうどあの辺りだ。それから、あそこにある建物を格納庫にしてたよ」

と教えて頂きました。

オイラは今の今まで、四ツ小屋滑空場は使用中だと思い込んでいたのですが、なんと現在は使用していないのです。

道理で情報がほとんどなかったはずです。

注:正確には現在休部状態だそうです。詳しくはコメント欄をご覧ください。

おじいさん、おばあさんによれば、滑空場があったのは、この畑の奥とのことでしたので、行ってみることに。

畑の中の砂利道を進んでいくと、道の左右が開けていました。

上の写真は砂利道の右側。

「今は使ってないよ」との言葉に、勝手に荒れ果てたところを想像していたのですが、

素人目には十分滑走路として使えそうな状態に見えます。

こちらは左側。

道の左側を見れば確かに現在は使っていないということは分かるのですが、それにしてはキレイすぎます。

(どういうことだろう??)と不思議に思っていたら、一角にはこんなものが。

手付かずなら草ボーボーになるはずですが、地元ゴルフ愛好家の方が整備して練習場に使用しているのだそうです。

教えてもらった格納庫。

画面右の盛り上がっているのが土手で、その反対側に滑走路がありました。

再び先ほどの写真。

実はこの写真は、滑走路を見てから撮ったものです。

畑の先に滑走路があるのですが…よそ者には絶対分からないですね。

土手から滑走路に向かう途中、ススキがたくさん生えてました。


      秋田県・四ツ小屋滑空場    

四ツ小屋滑空場 データ
所在地:秋田県秋田市四ツ小屋 雄物川河川敷
標 点:N39°39′33″E140°07′29″
標 高:9.0m
滑走路:1,325m×50m
磁方位:14/32
航空管制周波数:26.342

沿革
1964年 秋田大学航空部発足(「果てなき大空へ」では1963年)
1966年 グライダー購入、本格的に訓練開始(「果てなき大空へ」より)
2002年 新ウィンチ完成
2006年 4月 活動休止・現在は地元ゴルフ愛好家の練習場に

現在活動再開の話し合いがなされているのだそうです

関連サイト:
秋田大学航空部    


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旧秋田空港跡地 [├空港]

  2007年10月訪問 2023/6更新  


無題4.png
撮影年月日1962/10/18(MTO628 C28 19) 開港から1年後の秋田空港
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

秋田県秋田市にあった旧秋田空港。 

近づくと、巨大な風車がいくつもぐるぐる回ってますので、すぐ分かります。

空港跡地周辺。青森側。

海岸からちょっと上がった所に材木がたくさん積んでありました。

人気が無く、淋しい場所です。

うろうろしていると非常に怪しいです。

VOR/DME(ヒコーキにここまでの方向と距離を知らせる装置)

ランウエイエンド付近。

舗装面が途中で斜めにカットされてました。

このまま真っ直ぐ行くと青森の方。

現在の秋田空港が開港してから今年(2007年)で26年になるわけですが、

舗装面は少しザラザラしていて草が生えているものの、路面の塗装も残ってます。

旧秋田ap.JPG

旧秋田ターミナル拡大.PNG
「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」 整理番号 CTO-75-23  撮影年度 昭和50年度
地区名 秋田  地形図番号 NJ-54-19-14  5万分の1地形図名 秋田  撮影コース C47  写真番号 2
編集・加工:空港探索とり(2枚とも) 

上の2枚は1975年度撮影の旧秋田空港/ターミナル拡大図です。

廃止まであと6年という時期の写真です。


      秋田県・旧秋田空港跡地     

日本海に近く、冬には横風の影響を受けやすかったこと、航空機のジェット化などから移転し、廃止となとりました

旧秋田空港データ
設置管理者:秋田県
3レター:AXT
4レター:RJSK
空港種別:第3種/地方空港 
所在地:秋田県秋田市新屋町割山
標 点:N39°41′59″E140°04′00″
滑走路:1,620m×?m
磁方位:17/35
*標点はグーグルアースから

沿革
1961年10月 1日 開港(滑走路1,200mx30m)
1967年12月 滑走路1,500mx45mに延長、拡幅
1969年   滑走路1,620mに延長
1981年06月 25日 閉港。翌日新空港開港

関連サイト:
秋田市/あきたノスタルジー
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小山絹滑空場 [├空港]

  2007年10月訪問 2022/10更新  



栃木県小山市にある「小山絹滑空場」。

鬼怒川右岸にあります。

ここから河川敷に下りていきます。

グライダーが飛んでいないので、滑走路に立ってみました。


       栃木県・小山絹滑空場     

    ビュー:☆☆☆★★  
ギャラリー席は特になし。滑走路をさえぎるものがなく、見晴らし最高

    施設:☆☆★★★  
トイレ、専用駐車場発見できず

    マニア度:☆☆☆★★  
体験搭乗

    総合:☆☆★★★  
子供たち向けの体験搭乗など行っているようですが、情報が少なく詳しくは不明

小山絹滑空場データ
管理者:東京グライダークラブ
運用時間:9:00~日没
所在地:栃木県小山市中川原 鬼怒川右岸河川敷
標 点:N36°18′15″E139°54′30″
標 高:32.9m
滑走路:600m×30m
磁方位:01/19
航空管制周波数
小山ローカルボイス 122.60

関連サイト:
小山絹滑空場   


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板倉滑空場 [├空港]

  2007年10月訪問 2022/10更新   



群馬県邑楽郡、渡良瀬川の河川敷にある「板倉滑空場」。

9875229.jpg

曳航機がやって来ました。

クリスティン・ハスキー。

各地で曳航機として大活躍のヒコーキです。

9875230.jpg

主輪を軸にして…

9875232.jpg

一気にクルッと向きを変えて停止。

9875233.jpg

曳航機から索を引っ張って来て・・・

9875235.jpg

グライダーに接続。

9875270.jpg

エンジン音が高くなり…

9875236.jpg

Go!

9875237.jpg

9875272.jpg

…ブレた。

9875238.jpg

離陸、上昇はウインチ曳航と比べるとすごくのんびりです。

9875263.jpg

9875261.jpg

9875264.jpg

着陸~。 

この状態で数百メートル先の曳航機の待つ地点までスーッと飛んでました。

流石グライダー。

9875259.jpg


      群馬県・板倉滑空場     

    ビュー:☆☆☆★★  
ギャラリー席は特になし。滑走路をさえぎるものがなく、見晴らし最高。 

    施設:☆☆☆☆☆  
トイレ、専用駐車場発見できず。
masahiroさんから情報頂きました。堤防内の砂利道を通り、ピスト周りに駐車可とのことです。
また堤防の外にクラブハウスがあり、中と外にトイレもあるそうです。
詳しくはコメント欄 (2019-04-14 14:44)をご覧ください。 masahiroさんどうもありがとうございましたm(_ _)m

    マニア度:☆☆☆★★  
体験搭乗

    総合:☆☆☆☆★  

ここはJAPAN SOARING CLUBの専用滑空場。
クラブには非常に歴史があり、毎週末、祝祭日に飛行を行っている。
飛ぶのは昼頃から。
体験搭乗あり。20分のフライトで11,500円(1日ビジター料金3,000円含む)

板倉滑空場データ
占有者:日本グライダークラブ
運用時間:主に休日の昼頃から
所在地:群馬県邑楽郡板倉町除川
標 点:N36°15′44″E139°38′08″
標 高:17.4m
面 積:99,371㎡
滑走路:1,000m×60m
磁方位:15/33
航空管制周波数
板倉フライトサービス 130.675

沿革
1961年 群馬県板倉町を本拠地として渡良瀬川の河川敷に滑空場開設
1970年 現在の場所に移転して滑空場開設

関連サイト:
日本グライダークラブ 


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